【第6話】英雄の条件
「時雨さん……!!」
これ程までに"救われた"と心から思った事はあっただろうか。偶然か必然か、私―――麻英田華がずっと探し求めていた存在である苗場時雨と此処で出会えたのだ。先刻の不良男性二人との戦闘で負傷した私に手を差し伸べる時雨を、私は強く抱き締めた。
「会いたかった…ずっと、ずっと……!!」
「も、もしかして君……華、ちゃんかい?」
私が誰かに気付いた時雨は私の頭をそっと撫でて続けた。
「大きくなったね、華ちゃん。見ないうちに、マエちゃ……君のお父さんに似てきたね」
柔らかくゆったりとした、心の奥に沁みる落ち着く声、静かな微笑み。そして極めつけに、父の事を"マエちゃん"なんて渾名で呼ぶのは一人しかいない。彼が時雨で確定だ。安堵と歓喜が入り混じった感情が全身を駆けた。
突発で訪れた場所だった為、落ち着いて世界線座標を見ていなかった。S32世界線、ネオンライトがちらつく繁華街とは裏腹にスラム街を思わせる街並み。街を歩けば何処かで必ず怒号か悲鳴が聞こえる。先程私が見た柄の悪い男性達と同じ様に、影を揺らしたり人智を超えた能力を使って恫喝や脅迫をする人々、それに為す術なく道の隅で怯えるだけの人々。
「此処はもう既に支配下、って事か…」
「さっきから見てて思ったんだけどさ、時雨さん…あの変なpower使ってくる奴等って何なんだ?」
私の問いに時雨は淡々と答えた。
「"完全人"……少なくとも彼等は自らの事をそう呼んでいる。人間の進化の先を行く上位存在、そう言って人間達を虐げ、蔑み、支配下に置いている」
「上位存在……」
「その実態は冥界から現れた存在…"冥人"が人間の魂と共鳴し、融合した存在だ。並の人間では太刀打ち出来ないのは当然…そもそも彼らの操る影は此方側から触れる事は出来ない、霊的物体みたいなものだからね」
「なんか時雨さん、やけに詳しいな」
私がそう言うと、時雨は足を止めて言った。
「そっか…君にはまだ言ってなかったんだっけ」
そして私の方を向くと、一際はっきりとした声で言った。
「僕は…人間と冥人の間に生まれた半冥なんだ」
「半、冥……?」
「冥人は半永久存在。不死ではないが長命で老いる事はない」
そう考えたら何十年も彼の姿が変わらないのは納得いく。
「本来冥人と人間は対立する事なんて無い筈なんだ。だが、このまま対立構造が続けばその先に待つのは世界の破滅。僕は両者の間に立つ者として、その事態を阻止する為に動いているんだ。世界を救いたいのは…君だって同じだろう?」
その話を聞いた私は、思わず息を飲んだ。時雨が世界を救う為に戦っている。道は違えど目指す目的は同じだ。
「勿論だ、私は貴方を探してずっと旅をしていた。だが…ある時から、世界を、いずれ来る終焉を止めたいって思うようになった 」
「"果ての世界"、かい?」
(な、何で時雨さんが…それを知ってるんだ!?)
「どうしてそれを……」
私は驚いた。時雨は少し微笑むと、再び歩みを進めながら言った。
「僕も果ての世界に辿り着いた事があるんだ。丁度君達とすれ違う形でね」
「ま、マジかよ…」
「君達が世界を救いたいって思ったのは…あの石柱を見たからだろう?君とその友人が、石柱の前で世界を救う誓いを立てていたのを、僕は遠目で見ていた」
私は少し気恥しくなりながら小声で聞く。
「だったら何で…あの時に声掛けてくれなかったんだよ」
その問いに時雨は笑って答える。
「君達が凄く楽しそうだからさ…そこに割って入るなんて無慈悲な事は出来ないよ。それに……」
「…それに?」
すると時雨は空を見上げて続けた。
「君達の姿が、在りし日の僕等と重なったんだ」
すると時雨はコートのポケットから青い光沢が美しい長方形のプレート飾りのピアスの片方を取り出した。
「何だ、それは?」
「君のお父さんが生前着けていたピアス。僕と御揃いで買ったんだ」
私は時雨を見る彼の左耳には、今持っているピアスの色違い、オレンジ色のプレート飾りのピアスが揺れていた。
「この世界を守る、それは君のお父さんとの約束でもあるから」
そしてそのピアスを私に渡した。
「これは君が持っていてくれ」
「…Thanks」
私はそれを受け取ると上着のポケットに仕舞った。そして時雨の方を見る。
「あのさ、時雨さん!その……」
その時、私の発言を遮る様に長身の男が時雨の胸倉を掴んでくる。
「よくもうちの連れをやってくれたな、お前…」
(こいつ、さっきやり合った奴らの仲間!?)
相手に強く迫られても依然冷静な時雨は男の手を強く掴み、淡々とした口調で言う。
「流石に情報が回るのが早いね。仲間意識の強い冥人はお互いにテレパシーで情報共有する事もある。完全人も同じ、か…」
そしてそのまま男を片手で投げ飛ばした。地面に強く打ち付けられた男だったがすぐさま立ち上がり距離を取る様に飛び退く。突然始まった乱闘に路上にいた人々が思い思いの反応を見せる。私は機械ハンマーを展開して男に向かって走る。
「この程度の野郎なら、私一人で十分!」
「待て、華ちゃん!」
「助けなんて…いらない!!」
そう言って私はハンマーを男に向かって振り下ろす。手応えはあった様に思えた。土埃が晴れた先を見るが、男の姿は何処にも見当たらない。
「Where is he...?」
辺りを見回せど男の気配すら感じない。逃げられたか、と思ったその時だった。
「隙だらけだぜ、嬢ちゃん!!」
声を聞いて顔を上げる。背中から黒い帯を複数うねらせながら男が飛び掛かってきた。
「危ない!」
不意打ちに反応できず硬直してしまった私を時雨が抱き締めて攻撃を避ける。
「仲良く此処で散りやがれ!!」
男は黒い帯を伸ばす。その先は針の如く鋭利で、触れたものを瞬時に貫くだろう。時雨は私を庇う様に前に出ると、刀を抜く。そして一瞬にして帯を斬り裂いた。斬られた帯はその場で消滅する。驚愕して少し後退る男に、時雨は続けて攻撃する。男は姿を消しては現わしてを繰り返し攻撃を避けるが、防戦一方を強いられている感じだ。しかし段々体力が削れてきたようで、能力の持続時間も段々短くなってきている。
(触れられないのは黒いやつだけ、本体は問題なく叩けるなら……)
私は男の背後に回り、姿を現したタイミングでハンマーを降り抜く。柄を強く握り、ハンマーに電流を纏わせ男を感電させる。電撃を直に食らった男はその場で崩れ落ち、行動不能に陥る。
「治癒力に優れた完全人でも、感電は治せない、か…」
時雨は刀の先を男に向けて続ける。
「仲間の仇を討つ為に立ち向かう意欲は褒めてあげるよ」
そして男の胸部を二回斬りつけた。消滅し行く男を見つめながら言った。
「でも……君では僕を殺せない」
時雨は刀を鞘に仕舞い、私の方を見て言う。
「やっぱり君は…君のお父さんに似てきたね。そうやって全部一人で出来るって思って突っ走る所も」
私は機械ハンマーを折り畳み、鞄に仕舞うと時雨の下に駆け寄って自信満々に返す。
「助けなんていらないって言っただろ?時雨さんがお節介なだけ」
「でも現に止めを刺したのは僕の方だ」
「そうだけど……」
私達は再び歩き始める。
スラム街を出て開けた場所に出た頃、前方に視線を向けたまま時雨は言う。
「華ちゃんはさ…ゲームとかってする?」
「ゲーム?ま、まぁ…それなりに」
「RPGとかでさ、どうして勇者は仲間を集めると思う?勇者は選ばれた存在だし、剣術も魔法も出来るし何より強い。ラスボスを倒すのだって1人で出来てしまうかもしれない。でもどうして仲間が必要なんだろう?」
突然の問い掛けに戸惑う。確かにそんな事は考えた事も無かった。私は迷いつつも言葉を紡ぐ。
「仲間がいた方が……心強いから?」
「それも理由の一つかもしれないね」
(これ、不正解の時の反応だ)
私は心の中で思った。時雨は続ける。
「実はね、何でもできるオールラウンダーって最強に見えて実は一番弱いんだ」
「え?」
「一人で何でも出来る。でもそれは全てにおいて強いわけじゃなくて全て平均的にできるって事なんだよ。それはつまり、何か一つに特化した人よりも劣ってしまうという事。だから仲間を必要とするんだ。魔法攻撃のバリエーションが豊富な魔法使いに回復や蘇生を得意とする僧侶、前線に立って盾になってくれる戦士や素早さとアイテム収集に特化した盗賊……何かしら突出した才を持った存在がいるからこそ、主人公が楽に立ち回れると言ってもいい」
私はずっと1人で旅をしてきた。その道中で何人か私に付いてきた奴はいる。そいつらは全て、私よりも何かしらに突出していた様な気がする。それなのに私はそんな彼らを"それ以外は何もできない無能"と捉えて突き放してきた。
(無能だったのは、私の方だったのか……?)
脳裏を過るのは喧嘩別れをしてしまった御刃多嵐の姿だった。彼は私よりも狡賢くて、逃げ足だけは素早くて、口達者で煩い奴だ。でも、彼が側にいた時は何だかんだ言って楽しかった様な気がしている。気付いたら私の視界はまた涙で濡れていた。
「何か…凄くあいつに悪い事しちまった、な……」
「もしかして君の友人の事かい?きっと彼も、君の事を恨んでなんていないよ。君だって彼の事…嫌いじゃなかったんだろう?」
時雨の問いに私は大きく頷き、鼻をすすった。時雨は優しく私の頬の涙を拭う。
「大丈夫、君が全て抱えなくていい。英雄は絶対に1人ではなれないものだ。大きな問題に立ち向かうなら猶更、ね」
「時雨さん……」
そして私は涙を拭い、時雨に言った。
「ありがとう、なんか気分晴れたわ。そうだ、言おうと思ってた事なんだけどさ…」
「ん?」
私は時雨の顔を真っ直ぐに見つめて言った。
「まだ私に隠してる事、あるだろ?父の事、冥人とか完全人の事、果ての世界で見た物とか……何でもいい。時雨さんが知ってる事、全部話してくれないか?」
私の懇願に時雨は微笑む。
「良いよ。何れは君にも話さないといけない事だったし」
そして虚空に向けて何かを呟く。すると黒い渦が現れる。時空接続ゲートに似ている様で違う、まるでブラックホールの様だ。時雨は私の手を引く。
「お、おい!何処へ連れていくつもりだよ!?」
時雨は私を渦の中へと引き込み、真剣な目つきで言った。
「僕の真の故郷……"冥界"だ」