【第21話-3】チェックメイトは突然に
体制は5対1、だとしても此方側全員の実力を合わせて悪魔を討てるか否かと言われたらその答えは"否"である。僕―――御刃多嵐を除く4名はある程度戦闘経験を積んでいると見える。完全に僕が足手纏いだ。だが、そんな事なんて関係ない。経験が浅かろうが足手纏いだろうがやり方がどうであろうが、目の前の悪魔を討って祖父を助けるだけだ。冥界での手合わせ訓練の時同様に僕の視界は色彩を失っている。だが周囲の音は普通に聞こえるし意識が朦朧としている訳ではない。あの時と比べれば正気は保てている。
(落ち着け、御刃多嵐…僕なら、やれる!)
レイピアを構え、息を整え、悪魔に向けて走り出す。素早く距離を詰め、刺突連撃。先程までと比べれば、悪魔の動きに若干の鈍りが見え、数回躱し切れずに攻撃が当たる。しかしそれも掠り程度で大打撃とまでは行かない。奴が炎を纏った三叉槍を振るい反撃を加える。僕は左手に隠し持っていたショートナイフで槍を受け止め、ナイフの柄を強く握り雷撃を放つ。雷撃は槍を伝って悪魔を痺れさせた。
『お、おのれ……』
感電した右腕を押さえ僕から離れると、一つ床を力強く足で叩く。すると人型の影の大群が現れ、僕の周囲を囲んだ。甲高い声で笑いながら影達は一斉に飛び掛かってくる。
(ヤバい、対処しきれない!)
死を覚悟してその場に屈んだその時、銃声と共に影達が爆ぜ飛んだ。銃声の聞こえた方を見ると、レボルバー式のハンドガンを手にした男が立っていた。
「大丈夫か、Boy?」
僕の知り合い―――有栖川英二に似たその男が僕に聞く。僕は小さく頷いて彼に駆け寄る。
「た…助かったよ、英二さん……に似てる人」
僕の言葉に男は苦笑する。
「いや、似てるとかではなく…本人だ」
「あー、本人……え!?」
まさかの本人発言に素っ頓狂な声を出した僕に、英二は笑って言った。
「若者は反応が新鮮で面白いな!」
「ちょっと、英二?あまりその子を揶揄わないであげなさいよ……」
英二と同じ秘密部隊の制服を着た女性が呆れ調子で言う。英二が「良いだろう、事実なんだから」と小さく呟いた後、僕を庇うように前に立って言った。
「見るからに君はまだ戦闘慣れしていない様だ。私が先輩として、少し君に闘い方を……魅せてあげよう」
そして僕らの方に迫る影達を次々と光を放つ弾丸で撃ち抜いていく。一発も撃ち漏らす事無くあっという間に大群を一掃してしまった。
「す、凄い……」
思わず感嘆の声を漏らす僕。その時、彼の後ろから黒い帯が迫る。
「英二さん、後ろ!」
咄嗟に振り返った時には鋭利な先端は英二の右手に持っていたハンドガンを打ち払い遠方に飛ばすと、彼の四肢を一瞬で縛り上げた。
「Jesus!私としたことが……」
悔し気な声色で呟く英二。すると管理局の女性が英二に絡んでいた黒い帯を足蹴一発で全て切り裂いて見せた。
「Thank you, 心姫」
「この程度の攻撃を避けられないなんて……お父様らしくありませんわ!」
「そんな事を実の娘に言われるなんてな…」
英二は自嘲気味に呟く。解放された彼は右手を高く掲げ、「Come on, GOLDEN FINGER!!」と叫ぶ。すると部屋の隅まで飛ばされていたハンドガンは光の塊となり、英二の両手に引き寄せられると、派手な装飾の手袋に変化した。そして悪魔を視界に捉えると、ガンフィンガーのサインを作り言う。
「貴様含め、影共の弱点は同族と雷と言う事は把握済みだ。これで決めてやる―――出力強化、高電圧雷撃砲!」
雷撃を伴う光線が悪魔の身体を貫く。地の底から響くような叫びが部屋中に響く。光線が収まると、壁に打ち付けられ項垂れる悪魔の姿が其処にあった。スタッフの男が奴に近付き、青く光る剣をゆっくりと振り上げた。
「さらばだ、ジョーカー。貴様の栄華も、ここまでだ」
駄目だ、彼が剣を振り下ろせば、祖父はその肉体ごと死んでしまう。それだけは避けなければいけない。考えるよりも先に僕は駆け出していた。僕を止めようと叫んでいるであろう英二達の声等聞こえなかった。思うように動けずにいると思われていた悪魔が、ゆっくりと手を上げる。スタッフの男に向けて鋭利な先端の黒い帯が迫る。男は咆哮と共に剣を勢いよく振り下ろす。
「やめろおおおおおおおおおお!!!!!」
僕はスタッフの男と悪魔の前に割って入り、レイピアを振り上げたその時、時間が止まった様な感覚が僕を襲った。黒い帯は全て、僕の身体を貫いた。胸部が熱い。心拍数が上がる。僕の視界は色彩を失った筈だった。しかし、僕の上着を染める血の赤は、はっきりとその鮮やかな色を認識していた。ゆっくりと後ろを振り返る。
―――悪魔は、僕の姿を見て、絶句とも見える表情をしていた。
悪魔はその身を小刻みに震わせた後、これまでにない程の声量で咆哮する。それは狙いを外した事への怒りか、僕を誤って手に掛けた事への後悔か―――でも、僕にはその叫びが、悪魔に乗っ取られた身体の奥底で、祖父が「私を止めてくれ」と僕に必死に訴えている様だった。叫びと共に黒い帯が英二達を拘束する。そして部屋の周囲は黒い炎の壁で覆われる。悪魔の身体は人型から黒い体毛で覆われた、狼の様な、羊の様な、様々な動物が混ざった獣人の姿へと変貌を遂げた。
(止めなくちゃ……僕が……)
僕は身体に刺さった黒い帯を強く握り締める。すると黒い帯が鈍い光を放ち、僕の体内に取り込まれて消えた。僕の身体に付けられた傷は立ちどころに治り、白い上着は完全に赤く染まり、不思議な柄が浮かび上がった。視界は色彩を取り戻し、不思議とレイピアが僕の手に馴染む感覚を覚えた。唸り声を上げ乍ら煌々と光る赤い眼で僕を睨む黒い獣人。僕は何も言わずにレイピアを構えて煽る様に睨み返す。僕達はお互いに叫びながら走り出した。
幼少期の頃は長期休みともなれば祖父の家に行き、本を読んだりパズルを一緒に解いたりしていた。特に思い出深かったのはチェスをした時の事だ。祖父のチェスの腕前は素晴らしく、プロプレイヤーを志していた時期があったというのも納得だった。
「嵐、チェックメイトだ」
「また負けちゃった……おじいちゃん強すぎ、全然勝てないよ~」
毎度僕が祖父に敗北を期し、僕が不貞腐れるというのがお決まりのパターンだった。だが、僕は一度だけ祖父に勝った事がある。戦略で優位を取れたわけではなく完全なまぐれ勝ちだった。祖父がこういう事の類で凡ミスなんてする筈は無いし、僕に成功体験を与えるためにわざと手を抜いたのであろう。だが、当時の僕は純粋な心のままに喜んでいた。
ある日、僕がいつものように祖父に敗北した時の事だ。祖父は僕に問いかけた。
「嵐、チェスには何が一番重要か知ってるかい?」
「勝つこと?」
僕の答えに、祖父はこう返す。
「うーん、違うなぁ。思うに、一番大切なことは相手の気持ちを読むことだ」
「読む?」
「そう。一手に込められた相手の思考を読む……簡単に言うと、自分がこう打てば相手はこう思って次の手を打ってくるだろう、という感じだ。そう言うことが読めれば、チェスだけじゃなくて他のことも伸びるんだよ」
当時の幼い知性では祖父の言っていた事は小難しくて分からなかった。でも、今なら祖父の言っていた事が分かる気がする。僕が人の心理に興味を持ったのも、人に優しくする事が大事だと何となく体に染みついているのも、全て祖父のお陰だったのかもしれない。
「チェックメイトだよ、爺ちゃん」
獣人と化した悪魔を床に押し倒し、馬乗りになって拘束する。悔しげな表情で睨みつける悪魔に向けて、僕は余裕の笑みを見せてレイピアの先を突き付ける。だが素直に笑みを見せられたわけじゃない。相手が祖父だという事は分かっている、故か僕の視界は涙で滲み、レイピアを握る手は震えていた。獣人だった悪魔の姿は人型へと徐々に戻っていく。そして胸元に道化師の絵が描かれた一枚の黒いカードが浮かぶ。僕を見つめる悪魔の眼から怪しい光は消え、一筋の涙痕が青白い顔を伝う。
「ごめんなさい……そして、ありがとう」
僕は泣き笑いの表情のまま、悪魔の胸元に向けてレイピアを刺した。ガラスが割れるような音と共にカードは割れ、灰となって消える。悪魔は目を閉じて気を失い、その姿は僕の愛する祖父の姿へと戻った。僕はレイピアを上着の下に仕舞い、祖父を優しく抱き締める。祖父は薄らと目を開け、細い指でそっと僕の頬に触れる。
「嵐、か…久し振りだな」
「爺ちゃん、良かった……ごめん、本当に……」
僕の言葉に祖父は力なく微笑むと言う。
「いいや、謝りたいのは私の方だ。本当に嵐には、酷い事をしたよ。すまなか、った……」
そして祖父は僕の腕に抱かれたまま、息を引き取った。
「爺ちゃん……」
祖父を抱いて泣きじゃくる僕を見た英二は、何も言わずその場を去っていった。
御刃多光影は心臓の病を患っていたと聞いていた。ジョーカーに身体を乗っ取られていた事が、ある種彼にとっての延命になっていたのだろう。光影は今日、二度目の死を迎えた。遊技場の大部屋を出た私―――有栖川英二は、受付カウンターの近くにある椅子に腰かける。胸がとても苦しい。悲しい筈なのに、泣くことが出来ない。私は俯いてぐっと唇を強く噛む。
「本当にあんたは……」
色々察していたであろう妻の佳子は呆れ気味な表情で溜め息を吐く。それを見かねた娘の心姫は、私の隣に座り私の背中にそっと手を置いて言う。
「泣けないなら、無理に泣かなくていいですわ。本当に悲しくて辛い時に泣けないのは普通ですもの」
娘の慰めが私の心に刺さる。
「ありがとう、心姫」
愛する人を失った時の辛さは、簡単には拭えないものだ。暫くは引き摺ってしまうだろう。部屋の中に置いてきた青年―――光影の孫だという嵐なら、私よりもその気持ちは深刻だろう。
「本当に置いてきてよかったの?」
大部屋に繋がる扉を見つめ佳子が言う。私は小さく頷いて答える。
「暫く、二人きりにしてやってくれ」
私を見た佳子が、もう一度呆れ気味な表情を見せると、私の頭を軽く小突いて言う。
「無理に立ち直れとは言わないわ。でも、何時までもぐだぐだ引き摺って任務に支障出るのは許さないからね」
「痛いじゃないか、佳子……」
「あんたのそんな姿、もう二度と見たくないの。心姫だってそうでしょ?」
「その通りですわ!」
彼女達が優しい笑みを見せる。その優しさに心を打たれ、また泣きそうになってしまう。私は少し顔を上げて微笑みを返した。