1 「妖精の祝福」
うそつき。
うそつき。
うそつき。
あんなに好きだって言ってくれたのに。
ずっと一緒だって、いつか「妖精の湖」の前で永遠の誓いを交わそうって。
あの言葉たちは全部うそだったの?
――いいえ違う。きっとあのときは本当だったのだわ。
本当に永遠を誓う気だったのだわ。
ただ、あなたは本当の恋を知らなかっただけ。
まだ出会っていなかっただけ。
そして、出会ってしまっただけ。
ただ、それだけ。
きらびやかなシャンデリアの光の下、笑顔の仮面をかぶり、人波の中を蝶のように渡り歩く。
「このたびは突然のことで誠に驚きました」
相手の声からにじむ、同情心に落とされた一滴の嘲りに、微笑む。
「やはり王家の方は違いますな。このようなことは、確か……何年ぶりでしたか?」
朗らかな笑顔からのぞく、ひかえめな好奇の色に、微笑む。
「しかし王家も、カリード侯爵家のことは今後全面的にバックアップなさるということなのでしょう?」
労りを浮かべる瞳の奥の、探るような視線に、微笑む。
「それは当然ですわね。システィア様にはなんの非もおありではないもの」
寄り添うようでいて、その実上から見下ろしながらの憐れみの声に、微笑む。
「それにこれは慶事ですからな」
微笑む。
「アルス王子殿下が「妖精の祝福」をお受けになったからには」
――どうか仮面にひびが入らないように。祈るような思いでそれだけに注力する。
先日、この国の第二王子・アルスとカリード侯爵家・システィアの婚約が、円満に解消された。
アルス王子が「妖精の祝福」を受けたからだ。
実に四半世紀ぶりのことだという。
「妖精の祝福」――つまり、一生を添い遂げるべき運命の相手に出会うこと。
ひとたび出会えば、本能的に惹かれ合い、離れようとすると苦痛すら感じるという。妖精も、妖精が起こす奇跡も目には見えぬため、「祝福」にこれといった兆候や証跡はないのだが、そのあまりに強い情動から、本人たちは「祝福を受けた」と確信するらしい。
特に王家は昔から妖精に愛されていると言われ、前回「妖精の祝福」を受けた者たちも、王族とそれに連なる血の者だったという。
そのため、今回第二王子が「祝福」を受けたという話は、なるほど王家ならば、という一定の納得のもと受け入れられた。
その時点で、第二王子の婚約は、当然のように解消の運びとなった。婚約者との話し合いを持つこともなく。
なぜならば、妖精信仰のあついこの国において、「妖精の祝福」を授かることはこの上ない名誉であり、何人たりともそれを侵すことは許されないとされるからだ。
だから、第二王子がシスティア以外の令嬢との間に「妖精の祝福」を受けたからと言われれば、カリード侯爵家は問答無用で承知と返すしかなかった。
それがたとえ欺瞞であったとしても。
今回のこの夜会は、ふたりの婚約がなんの問題もなく解消されたと周知するためのものだ。
カリード侯爵家は王家の招集に、このとおり応じていると。
だから王家と侯爵家の間には、なんのわだかまりもないと。
そのためにシスティアは、父侯爵の横で、ただただ笑顔の仮面をかぶり続けている。
「――システィア」
――おいでになった。
笑顔の仮面をもう一枚重ねてかぶり、父侯爵とともに礼を執る。
「アルス殿下。ご機嫌うるわしく」
第二王子、アルス殿下。
黄金をそのまま溶かしたような金髪に、貴き碧眼。まさに物語の王子のような容姿と所作は、理想的な王族を体現している。
今日は例のお相手は一緒ではないようだ。
まあ、「妖精の祝福」の発表があったのはつい先日のことで、社交界の動揺も大きい。まずは単体で侯爵家と話をさせて道筋をつけ、ふたりを併せてお披露目するのは追い追い、という王家の目論見なのだろう。
礼の姿勢から直り、そういえば王子と会うのは久しぶりだとシスティアは思った。
「ああ、侯爵……貴殿も健勝な様子で何よりだ。
システィア、今回のことは……」
「アルス殿下、このたびはおめでとうございます」
聞こえなかったふりをして、完璧な微笑みで言葉をかぶせる。
まさか謝罪などさせるつもりはない。今回のことは慶事なのだから。
「フォエミナ様という素晴らしいお相手と出会われたこと、誠に喜ばしいことです。さすがは「妖精の寵愛」をお受けになった方」
歌うような口調で、定型的な言祝ぎをつむぎ、
「私も、元婚約者として誇らしく存じます」
結びの言葉に、ほんのちょっぴり毒を混ぜるくらい、許されるはずだ。
何人たりとも、「妖精の祝福」を侵すことも拒むことも罷りならない。
でもこちらだって人間だ。
傷つく心まで否定することはできない。
周りを取り囲む貴族たちだって、「妖精の祝福」はただ尊ぶべきもので侯爵家を損ねるものではないと言いながら、侯爵家に対する蔑みの心を隠しきれていない。
結局のところ貴族など、腹芸の中で生きている。
建前で上手く隠すことさえできれば、本音をちらちらのぞかせたところで咎められないのだ。
システィアの美辞麗句を、途方にくれたような顔で聞いていたアルスは、最後の言葉にぐっと声をつまらせた。
かと思えば、焦りを浮かべて口を開く。
「――システィア。聞いてくれ、僕は――」
「殿下。どうか私のことはシスティア嬢と」
システィアは、思わず苦笑してたしなめた。
「私たちはもう、婚約者ではないのですから」
はっとしたような顔をしないでほしいと思う。傷ついているのはこちらなのに。
先ほどより長く押し黙っていたアルスは、突然堰を切ったように話し出した。
「システィア、違うんだ。確かに僕は「妖精の祝福」を受けた。名誉なことだ。
だが、君への想いが嘘だったというわけではなくて、君のことは本当にずっと大事に想っていて、僕はこのまま婚姻するものだと――
フォエミナは素晴らしい女性だが、それとこれとは別というか――」
なんだかとんでもないことを言い始めたような気がする。
とりあえず、ここにフォエミナ様がいなくてよかった、と現実逃避気味に考える。
この場を設けた意義を、完全に殺しにかかっているとしか思えない王子の錯乱に、反応し切れずやや呆然としていると、すすっと近づいてきた複数の影。
「殿下は少々お疲れのご様子、積もるお話はまた別の機会になさるとよろしいかと」
「そうです、王家と侯爵家との親愛なる関係はこれからも続くのですから」
言いながら、側近たちはあっという間にアルスを回収していった。
なんだか無理やりな結びだったように思うが、場は収まったのだから(収まったのか……?)いいだろう。いいことにしよう。
システィアが心の中でひとりうなずいていると、さきほどまでアルスに対して「こいつ正気か……?」というような顔をしていた父侯爵が、耳元でささやいてきた。
「これで最低限の義理は立ったろう。陛下へのご挨拶は最初に済ませてあることだし――システィア、そろそろお暇しようか」
「システィア、今回のこと、本当にすまなかった」
馬車に乗って邸へ帰る道すがら、父侯爵が突然切り出した。
馬車の揺れに身をゆだねてぼんやりしていたシスティアは、こちらにぐっと下がってきた父の頭を見て、びっくりしてしまった。
「お父さま、いきなり何をおっしゃいますの?」
「こうなることを阻止できなかった、兆候を見過ごしてしまった、父の責任だ」
「「妖精の祝福」は予見などできませんでしょう。妖精が寵愛する人間に気まぐれに授ける、目に見えない奇跡なのですもの」
「いいや」
父侯爵はきっぱりと否定した。
「「妖精の祝福」など、あれは欺瞞だ。王家により都合のいい政略を、王家の責めに帰されない形で結ぶための。今思えば、殿下に対するフォエミナ・シレネの急な接近を――」
「お父さま」
歯ぎしりせんばかりの勢いで憤懣を吐き出す父を、システィアはさえぎって言った。
「どうかおやめください。それは王家への、ひいては妖精への不敬ですわ。
それにさきほどの殿下のご様子を見たところ、「妖精の祝福」を信じていらっしゃるようでした。……つまり、シレネ家のご令嬢と想い合われているということでしょう」
システィアの指摘にはっとした父は、やがて悄然と肩を落とした。
「すまない……」
「いいえ、お父さま。もうよいのです」
目を伏せ、ちいさく微笑む。
「もうよいのですわ」
――うそつき。
一生私ひとりだけだ、って言ったくせに。
――うそつき。
本当は自分こそ、つらくてかなしくてどうしようもないくせに。
心の底で泣き叫ぶ自分の声にふたをして、目を閉じた。
――明日は朝一番で、「妖精の湖」に行きたいな。




