手放したくない冬~春
十二月になった。来週から期末テストが始まるから弁当食べる時に緑川に勝負を挑もうって決めて来た。教室に入ったらいつも先に来ている緑川の姿がなかった。たまには俺より遅い事もあるかって思いながら席に着いてカバンから教科書を取り出した所でペンケースを忘れた事に気付いた。ちょうど洋太が前に座ったから
「悪いけど、シャーペン貸してくんない?」
と言ったら
「俺、一本しか持ってない。ってか、流持って帰ってんの?」
ってまさかの一本発言。洋太は教科書も筆記用具も全部机とロッカーに入れている。俺も前まではそうしてたけど、緑川に中間で負けてからはちゃんと持って帰る様にしている。つまりちゃんと勉強している。
「緑川に借りたら?」
そうしたい所だけど、その緑川がいない。俺の目線で緑川が居ない事に気付いたのか
「まだ来てないとか珍しいな。来て出て行った可能性もあるな」
って言って、その可能性があったかって気付かされた。
「ちょっと聞いて来る」
立ち上がっていつもの三人組の所に行く。俺の用を察したのか富田が先に
「椿、まだ来てないよ。もしかしたら休みかも」
って言った。あっ、その可能性もあんのかってまた思った。何故か緑川が休むって事が頭になかった。マンガだと休みの人の家にプリントを届けに行くとかベタな展開があるけど、そんな急いで届けないといけないプリントなんて現実にはないし、そもそもSNSがこれだけ普及している現代にプリントを届けるなんてアナログな事は必要ない。ノートも学校に来た時に写せばいいだけだから家に行くなんてイベントは発生しない。
「連絡してみるか」
「あっ、それが椿スマホ忘れて行っちゃって」
「どこに?」
「ここ」
机を指さしながら川岸がポケットから取り出したのは紛れもなく緑川のスマホだった。少し端が剥げた花柄のスマホカバー。買い替えたら?って言ったら妹がプレゼントしてくれたからって嬉しそうな顔で言っていたから間違えようがない。
「昨日、ここで冬休みの話ししてて皆でスマホ出して予定確認してたの」
ここって言うのは川岸の席。窓際の俺と緑川が初めてちゃんと喋った時は緑川の席だった場所。
「で、椿がこの席に座ってて机の中に入れて帰っちゃったみたい」
緑川が川岸の席に座るまでは分かるけど、スマホを机に入れるってのは分からない。でも、まぁ緑川ならあり得るかって納得してしまう。
「だからもしかしたら昨日から体調悪かったのかなって」
そういう考えがあったか。緑川ならあり得そうとか考えずにそういう考え方出来るって優しいんだなって思った。
「で、一緒にこれも入ってて」
そう言って川岸が取り出したのは緑川のペンケース。これってもしかしてそういう流れになりそう?いや、まさかな。って思ってたら
「椿が休みだったら一ノ瀬君届けてあげてくれない?」
って川岸が言ってまさかの流れが来たって思わず笑ってしまった。休んだ彼女の家に行くってイベントが発生するって現実にあるんだなってビックリした。
「俺、緑川の家知らないんだけど」
「私、知ってるから教えるよ」
俺がどんなに送るよって言っても頑なに拒否するけど、女友達にはちゃんと家教えてるんだってちょっと寂しい気持ちになった。
「筆箱はともかくスマホはなかったら困るでしょ」
スマホがないよりも俺が行った方が困るんじゃないかって思ったけど、それよりも俺は緑川の家に行ってみたいって気持ちが強くて手を差し出していた。
放課後、いつも緑川が乗るバスに乗って俺は緑川の家に向かっていた。いつも本読みながら乗ってんのかな?あそこの本屋に行ったりしてんのかな?とか考えたりして目的のバス停に着いた。そこからは川岸に聞いた住所までスマホのナビを頼りに歩いた。目的地に着きましたってナビの案内が終了した先にあったのは紛れもなく緑川の家だった。表札を見なくてもここに緑川が住んでんだなって雰囲気で分かる。玄関までは数段の階段があってその脇には鉢に植えられた花が並んでいる。緑川はきっと温かい家庭で育ったんだろうなって思ってたからイメージ通りだった。俺の家はマンションだから一軒家って憧れる。そんな事を思いながらインターホンを鳴らす。親が出て来る可能性大だよなって思っていたけど、緊張はしなかった。インターホン越しに誰か出て来るのかと思ったら勢いよく玄関が開けられて小学校の高学年ぐらいかなって思う女の子が出て来た。
「お姉ちゃんの彼氏?」
えっ、これが紅葉?思ってた感じと全然違う。ってか思ってたより小っちゃい。緑川の両親が結構歳って言ってたからもっと緑川と歳近いと思ってた。緑川の家から出て来てお姉ちゃんって呼んでんだから妹ってのは疑いようがないんだけど、お姉ちゃんって言わなかったら親戚でも遊びに来てるんだろうかって思うぐらい緑川とタイプが違う。目がクリっとしていて鼻筋も通っている。良く言えば緑川が可愛い系で妹が美人系。悪く言えば陰と陽って感じ。って悪く言う必要はないか。紅葉よりもっと西洋系の名前の方が合ってる感じがする。それこそローズとか。
「いや、クラスメイト」
何となく彼氏って事は言わない方がいいよなって思って嘘をついた。まぁ、クラスメイトってのは本当だから嘘って事はないか。
「そうだよね。絶対に可愛い彼女いるよね?」
あれか。緑川が母親の中に忘れて来た喋る能力を妹が拾って来たみたいな感じか。
「お姉ちゃんは風邪?」
「うん、でももう大丈夫だよ。呼んで来る」
寒いからいいよって言おうとしたけど、俺が口を開くより先に家の中に入って行ってしまった。そして玄関開けっ放しだったから「すっごいイケメンが来てる」って声が丸聞こえだ。小学生にも俺のカッコ良さが分かるかって恥ずかしながらも喜んでしまった。例え小学生でもカッコイイって言われるのは嬉しいものだ。ベタにドタドタと慌てて出て来るかと思ったけど紅葉が戻って来て
「上がってだって」
って言われた。えっ、上がっていいの?って聞く前に紅葉が家の中に入って行ったから戸惑いながらも俺も門を開けた。
家の中に入ると紅葉が軽快に階段を上がって行ったからついて行った。両親は留守なのか?じゃないとさすがに家の中には入れてくれないよな。
「ここがお姉ちゃんの部屋」
それだけ言って紅葉はまた軽快な足取りで階段を下りて行った。ドアをノックするとどうぞって言われたからそっとドアを開ける。
「おじゃまします」
女子の部屋は初めてじゃないけど、緑川の部屋って思うとなんか分かんないけどドキドキした。緑川の秘密に入り込んだみたいな感じがするからそういう気持ちになるのかもしれない。
本棚に占領されていると思っていたけど、ベッドと机、それにチェスト、そして部屋の真ん中には小さいこたつが置かれていて本は一切見当たらない。こたつ以外は洋風なデザインだから明らかにこたつだけが浮いている。そこに座椅子が置かれていてそこで本を読んでいる緑川の姿が簡単に想像出来た。緑川は下はジャージ、上はトレーナーのすっぴん姿だった。そんな姿だからか緑川はいつも以上に恥ずかしそうにしている。
「体調どう?」
ドアを閉めて立ったまま聞いた。緑川も立っていたから向かい合う形になった。いつもと違う雰囲気だから何となく空気もいつもと違う感じがする。
「もう大丈夫。熱も下がった」
「とりあえずこれお見舞い」
何にしようか悩んだけど、ベタにゼリーとスポーツ飲料を買って来た。
「ありがとう」
座ってって言ってくれないのは早く帰れって事なのか単に気付かないだけなのか。でも早く帰って欲しいなら家には上げないよなって思って
「座っていい?」
って自分から聞いた。
「あっ、そうだね。こたつでいい?」
「寒かったからその方がいい」
部屋は暖房も入ってるけど、やっぱり冬はこたつだよな。俺んちにはないけど、じいちゃんの家にあって、冬に遊びに行ったら絶対にこたつで昼寝する。緑川は相変わらず立ったままだ。これってどういう状況?って思ったけど、多分もっとそれを思ってるのは緑川の方だ。とりあえず一番大事な用を済ませるとする。
「これ、届けに来た」
緑川のスマホを取り出すと緑川は驚いた顔をした後にホッとした顔になった。これは無くしたと思ってたって顔だな。
「どこにあったの?」
「とりあえず緑川も座ったら?まだ百パーは回復してないだろ?」
「だから」
ここでもだからと来たか。こたつに入れてもらった事だし、ゆっくりと考えるとする。百パー回復してないから座らない。普通はだから座る。緑川はずっと俺と距離を取っていた。って事は
「もしかして風邪移したら悪いとか思ってる?」
って結論になる。そう聞いたら緑川は頷いた。
「寒い中来てもらったから上がってもらわなきゃって思ったけど、もしかしたらって思って」
「それはそれでベタでいいじゃん」
「そのベタは良くないよ」
「じゃあ意地でも風邪引かない様にするから座りなよ。俺が気になる」
そう言っても緑川が躊躇してたから
「座ってくれなきゃスマホ返さない」
って言ったら大人しく座ってくれた。一緒にこたつに入る流れだと思ったけど、緑川はベッドに座った。
「川岸の机の中に入ってたって。で、これも」
ペンケースをこたつの上に置いた。
「でさ、川岸が昨日から体調悪かったんじゃないかって心配してた。体調悪くてうっかりスマホとペンケースを机に入れたんじゃないかって」
「確かに夕方ぐらいから体調おかしいなって思ってたけど、机に入れたのは普通にうっかり」
思わずだよなって大声で言いそうになった。もしかしたら心配かけない様にそう言ってる可能性もあるけど、俺の中ではうっかりスマホを机に入れてこそ緑川だ。
「後、たまたま今日ペンケース忘れたから勝手に借りた」
「大丈夫」
「緑川って赤ペン持ってないんだな」
プリントの答え合わせをする時に赤ペンを借りようとしたけど、オレンジと青しか入ってないなかった。
「赤ってあんまり好きじゃなくて」
それは初めて知った。ってか俺は緑川について未だに知らない事が多い。でもそんなものか。全てを知っていなくても一緒に居る時間が楽しいなら俺はそれでいい。まぁ、嫌いな色は知っていて損はない。
「椿って赤のイメージなのにな」
「ピンクとか白もある」
自然に名前呼んだみたいになったけど、ちゃんと花の椿の話しだって分かってくれた様だ。
「へー、そうなんだ。ちなみに緑川の好きな色は?」
「赤以外だったら結構何色でも好き」
逆になんでそんなに赤を毛嫌いしてんだよって思ったけど、何となく深い事情がありそうだから聞けなかった。
「一ノ瀬君は?」
珍しく緑川が聞いて来た。
「当ててみて」
ベタにクイズにしてみる。こういうのって結構定番だよな。でも、街中で声を掛けて来た女性に年齢当ててって言われんのは苦手。恐らくこれぐらいだよなって思ってもそれより若く言わないといけないし、答えた歳以上に若かったら大人っぽいって褒めないといけない。どっちにしても気を遣うから疲れる。もう見た目良かったら何歳でもいいじゃんって俺は思ってる。
「ヒントちょうだい」
「俺の名前から連想出来る」
もう答えに近いかなって思ったけど、緑川は数分間考え込んでいた。ってかこたつに入ったら眠くなって来た。って、普通にリラックスし過ぎだ。
「水色」
「おっ、正解」
流から水を連想して水色という答えに緑川は見事に辿り着いた。緑川は嬉しそうにするよりも当たって良かったってホッとした顔をしていた。
「お姉ちゃん」
ドアの向こうから紅葉の声が聞こえて来た。別に何もイヤらしい事はしていないのに緑川はちょっとだけドアを開けて外の様子を見た。
「ありがとう」
どうやらお茶を持って来てくれたらしく、ドアは大きく開かれた。俺が紅葉の方を見ると緑川にお盆を渡した後、笑顔で手を振って来たから俺もとびっきりの笑顔で手を振り返した。緑川は紅葉に下にいる様に言ってまたドアが閉められた。これベタに紅葉が聞き耳立ててたら面白いんだけどな。って思ったけど、ちゃんと階段を下りる音が聞こえて来た。
「紅葉だよな?」
「そう。似てないでしょ?」
温かい緑茶が入ったマグカップが置かれた。皿には袋に入ったお菓子が色々と乗せられていた。メッチャ気利くなって思ったけど、もしかしたら親が用意してくれたパターンもありえんのか。もしもそうなら上がらせてもらったお礼は言って帰らないと。
「まぁ、タイプは違うなって思ったけど。着物ってよりドレスが似合いそうなタイプ」
「妹はお母さん似だから」
って事はお母さん美人って事だ。それは是非とも会ってみたい。別に不倫しようとかじゃなくて美人に会って損はないって俺の考え。
「妹に彼氏?って聞かれてさ、一応クラスメイトって答えといた」
「ありがとう」
そこお礼言うとこ?まぁ、緑川がそれでいいならまぁいっか。って事で話題を変える。
「緑川の部屋って思ってた感じと違った」
「本がいっぱいって思ってた?」
「うん」
「別に本だけが置いてある部屋があるから」
「へー、それメッチャ贅沢な使い方だな。俺んちじゃ考えられない」
「元々お父さんが本が好きで、家を建てる時に絶対にそれだけは譲れないって本専用部屋が出来たって言ってた」
そうか。緑川の本好きは父親譲りなのか。紅葉が母親似って事は緑川は見た目も中身も父親に似てるって事になる。こうなると父親にも会ってみたいけど、それはさすがにちょっと気まずい。
「で、ここで読むの?」
「うん。夏はハンモックチェアになる」
「なにそれ。メッチャ良さそう」
「うん、いいよ」
「こたつもいいな。マジで幸せ」
幸せって口に出したらなんか余計に眠気に襲われて来た。これは寝てもっと幸せを感じろって事か。
「ゴメン、緑川。三十分だけ寝ていい?」
図々しいと思いながらも今ここで寝たら絶対に気持ちいいって欲求に勝てなくて口にしてしまった。
「いいよ」
いいんだ。俺がここで寝るのを許してくれるって心を許してくれてる感じがして嬉しい。
「ベタに緑川も一緒に寝て気付いたら夜とかなったりしてな」
「今日はずっと寝てたからもう寝ないよ」
ならベタ展開は起こらないかって考えながら腕を枕にしてこたつの上に伏せたらあっという間に眠りに落ちた。
「一ノ瀬君」
アラームの音が先に聞こえて来てうっすら目を開けた所で緑川が俺を呼んだ。アラーム鳴らすってってムードねぇなってまだぼんやりした頭で思った。
「もう三十分?」
「うん」
「メッチャ気持ちよかった」
直ぐに起き上がる気になれずにまだ伏せた状態で顔だけ横に向けて緑川の方を見る。何か今なら俺の思い全部言える気がするって思って話し始める事にした。
「なぁ、緑川。もし俺が死んだらさ、小説書いて」
「一ノ瀬君は死なないでしょ?」
「いつかは死ぬよ」
「そうだけど、それはもっと何十年も先の話しでしょ?」
「いつ死ぬかなんて分かんないだろ。寿命まで生きるかもしんないけど、病気とか事故とかで死ぬ可能性だってある」
「私に小説は書けないよ」
「書けるよ」
その言葉に緑川はフリーズした。今は返事を待たずに先に俺の中にある気持ちを全部話す。
「もしも一生に一度何でも願いを叶えてくれるって言われたら俺は緑川に小説を書いて欲しいって願う」
冗談じゃなくてマジでそう思ってる。俺が一生の願いを使うなら絶対にそれを願う。他の人が聞いたら自分の為じゃないんだって言うかもだけど、俺がそれを望んでるんだからしょうがない。それに緑川が小説を書くという事は最終的に俺の為にもなる。
「一ノ瀬君、寝ぼけてる?」
「ううん、ちゃんと起きてる」
そりゃ寝起きでこんな格好だったら寝ぼけてるって思われてもしょうがないよな。でも俺だって雰囲気に任せないと言い辛い事だってある。
「一ノ瀬君、死んじゃったらもしも私が小説書いても読めないよ」
「緑川が小説を書くならそれでもいい。大事なのは俺が読む事じゃなくて緑川が書く事だから」
本当は俺も読みたい。でも、俺が読みたいから書いてって言っても緑川は絶対に書かない。もしも俺が本当に早死にしたら緑川は書いてくれるって信じてる。これは俺の遺言でもある。って自分で死亡フラグ立ててるな。俺は死ぬ気はないし、普通に長生きしたいと思ってる。だけど、本当に万が一の事があった時の為にちゃんと伝えておく。
「なんでそこまで?」
なんでそこまでして私に小説を書いて欲しいの?って事だよな。寝起きだけど頭はしっかりと回ってる。でも、さすがにまだ本当の事は言えない。まだって言うかこれは言う気はない。言った方が緑川は納得するかもしれないけど、奇跡としか呼べない出来事を共有してしまえばきっと俺は緑川と離れたくなくなるって勝手な考え。
「緑川はちゃんと好きな物を持って生きていくべきだと思うから」
「読むのは好きだけど書くのは違う」
「書いてないのに好きか嫌いかなんて分かんないだろ?」
「読みたいって気持ちはあるけど、書きたいって気持ちはないから」
「じゃあ今はそれでいいよ。でも、俺が緑川に小説を書いて欲しいって思ってるって事だけは覚えといて」
まさかこんなに早くこの思いを伝える事になるなんて思ってもなかった。本当は別れ話と一緒に伝えるつもりだった。自分勝手な考えだけど、俺はまだ緑川とは別れるつもりはない。緑川と付き合うのは高二の間って決めている。だから後少しだけ緑川との時間を過ごさせて欲しい。
俺の言葉に緑川の返事はなかった。それでも俺はちゃんと俺の思いを伝えられたから一人で満足していた。あっ、大事な事を言うの忘れてた。
「書く時はちゃんと本名な。緑川椿は絶対に大物になる名前だから」
返事は来ないって分かってたからゆっくりと立ち上がった。このままここに居たら帰るのが嫌になりそうだから名残惜しいけどそろそろ帰る事にする。
「そういえば親はいないの?」
話題を変えたけど、緑川はずっと何かを考えている顔をしていた。これ、考え過ぎてまた熱出たりしないよな?って心配になってくる。
「一昨日から二人で出掛けてる」
「へー、仲いいんだな。あっ、だから昨日の昼パン食べてたんだ」
昨日は珍しく緑川がパンを食べてたから珍しいなって言ったらたまにはって答えが返って来たけど、実際はそういう事だったらしい。なんで昨日そう言わなかったんだろうって思ったけど、緑川はそういうこと言わないかって自己完結した。
「夜とか大丈夫だった?」
熱あるのに紅葉の分もってなると大変だって思って聞いたけど
「夜はお母さんがちゃんと作って冷蔵庫に入れてくれたから」
って安心する答えが返って来た。
「今日の分もちゃんとあんの?」
「うん」
なら良かった。もしもないって言ったら俺が作って帰ろうって思ったけどその必要はなさそうだ。いや、その必要がある方が良かったのか。
「じゃあ帰るよ。すっげぇリラックスした」
「なら良かった。スマホありがとう」
玄関まで送ってくれて最後にもう一度だけ言っておくかって思ったけど、紅葉が出て来て
「絶対にまた来てね」
って言ってくれたから紅葉と少し話して緑川にはまた学校でとしか言えなかった。
※
次の日、緑川はちゃんと学校に来た。そしていつもの場所で昼を食べる。今日の緑川はコンビニで買って来たおにぎりを持って来ていた。事情分かってんだから俺が緑川の分まで弁当作れば良かったって今思った。せっかくのカッコつけるチャンスを逃してしまった。
「親、いつ帰って来んの?」
「今日」
「じゃあ明日からはちゃんと弁当作ってもらえるんだよな?」
「うん」
まだ体調が万全じゃないのか緑川は暗い顔をしている。とりあえず弁当を食べてから話す事にする。ちなみに期末テストで緑川に勝負を挑むのは止めた。俺も勉強してたけど、昨日緑川の部屋で俺以上に勉強してるなって形跡を見たからこれは負ける可能性が高いって思ったのと小説を書いて欲しいって俺の願いを話したから勝負を挑む必要がなくなった。俺は勝ったら緑川に小説を書いて欲しいって言うつもりだった。多分、勝負に勝ってそう言った所で答えは昨日と同じだった思うけど。
「昨日」
食べ終わって緑川が口を開いた。ちゃんと食欲はあるみたいで安心した。って事は暗い顔は昨日の俺の発言が原因か。
「来てくれてありがとう」
あれ?まさかお礼から入るパターン。でもありがとうって言った割に声も表情も暗いからこの後に小説を書いて欲しいって言った事に話しが繋がるんだろうな。
「記憶ある?」
まだ俺が寝ぼけてた可能性を捨ててなかったのか。しかも記憶ある?って聞き方独特だな。ドラマとかだと飲み過ぎて記憶ないって台詞があるけど、まさか高校生の内にそんな事を聞かれるなんて思ってもなかった。
「あるよ。ちゃんと起きてるって言っただろ?」
「言ってたけど」
けどに続く言葉は簡単に想像出来る。言葉の意味は分かるけど、自分に言われる意味が分からない。緑川はそう言いたいんだろう。
「前にさ、期末で勝負したじゃん?あの時俺が勝ったら水着選ばせて欲しいって言おうと思ってたって言ったけど、そうじゃなくて小説書いて欲しいって言おうと思ってた」
「なんで」
なんで?って俺に聞いてる感じじゃなくてなんで私なんだろうって緑川の独り言の様に思えたからそれには答えなかった。
「一ノ瀬君は何になるの?」
まさかそんな事を聞かれると思ってなかった。俺は緑川が小説を書いてくれるのなら何にもなれなくていいってマジで思ってる。生きていくのに困らなかったら何でもいい。きっとそれを言っても緑川を余計に混乱させるだけだ。なんで私にそこまでって。俺は緑川が小説を書きたいって思ってるって信じてる。じゃないとあの日、俺の心をここまで動かした緑川は何だったんだって話しになる。
「俺はその時したいって思った事をして生きていく。今は緑川に書いてもらいたいって思ってる。その後の事は考えてない」
「なんで」
またなんでか。自分の事よりもなんで私の事考えてくれるの?のなんでって事だろうな。一番大事な所を隠してるからそう思われても仕方ない。緑川の言いたい事は分かる様になっていたけど、緑川の気持ちとか細かい所までは分からない。だから俺はただ伝えるしか出来ない。
「じゃあ、緑川は何になるの?」
「何にもならないよ。普通に生きていければいい」
緑川が心からそれを望んでいるのなら俺は緑川の人生を変えようとしている事になる。それがいい方向に向かえばいいけど、後悔させる事になるかもしれない。緑川の人生に責任を持てない以上これ以上しつこくは言えない。
「昨日も言ったけどさ、俺が緑川に小説を書いて欲しいって思ってる事だけは覚えといて欲しい」
返事は返って来ないって思ったけど、緑川は
「分かった」
ってちゃんと俺の目を見て言ってくれた。今は俺の言葉が緑川の心に届いただけでいい。俺の言葉が緑川の心にある内は希望が持てる。
「後さ、これ」
紙袋を緑川に差し出した。明らかにいつも持っていない紙袋を持っていたけど、緑川の事だから何持ってるの?って聞いて来ないだろうと思って隠す事はしなかった。万が一聞かれたらその流れで渡そうと思っていた。
「誕生日おめでとう」
何気ない話しをするみたいに落ち着いた感じで言った。俺の予想ではなんで誕生日知ってるの?か普通にありがとうって言われるって思ってたけど、実際は緑川だけ時が止まったみたいに固まっていた。えっ、もしかして今日誕生日じゃないパターンある?ってちょっと不安になって来た。
「海に行った時に川岸に緑川の誕生日教えてもらった」
そう言うと緑川はそうなんだって小さい声で言った。そう言うって事は今日誕生日で合ってるんだよな。
「誕生日プレゼント。受け取ってくれる?」
あんまりにも小説を書けって言うからちょっと嫌われてる可能性もあるかもしれないって不安になって来る。
「ありがとう」
少し照れた感じで緑川はちゃんと受け取ってくれた。受け取ってくれた事もだけど、嫌われてなさそうで安心した。緑川の事だから帰ってから開けるのかなとか思ってたけど
「見てもいい?」
って言ってくれた。ちゃんとそういう流れになって良かった。
「うん、開けてみて」
「二個も?」
「うん、一個は昨日急遽買いに行った。大きい方から開けて。そっちが昨日買った方」
本当は一個だけの予定だったけど、昨日緑川に会って後に気付いた事があった。
「ブランケットだ」
サンタから貰ったプレゼントを開けたみたいなリアクションで俺も自然と笑顔になる。
「ここメッチャ寒いだろ?だからそれで緑川に風邪引かせたかなって思って昨日買いに行ったんだ」
洋太に暖房はないかと聞いたけど、それはなかった。ないならしょうがないって思ってたけど、緑川にはキツかったんじゃないかって緑川が体調を崩して初めて気付いた。そこに気付けないとかマジで気が利かないな俺ってヘコんだ。こういう所に気が付いてこそ真のイケメンなのに。
「それならもっと早くに風邪引いてたと思う。それに一ノ瀬君だって一緒でしょ?」
そう言いながら緑川は嬉しそうにブランケットを抱きしめている。その感じメッチャ可愛い。
「俺は鍛えてるからある程度丈夫なんだよ」
「でも、気を付けてね」
「ありがとう。もしも俺が休んだら今度は緑川が来てくれる?」
そう言うと緑川は目に見えて困った顔になった。これは家を知らないから行けないって困ってるのか親がいるかもしれないから行くのはちょっとって事なのか。その答えはちゃんと緑川から教えてくれた。
「家族の人いるでしょ?」
そっちのパターンだった。そうなんだよな。マンガだと事情があって一人暮らししてる高校生とかいるけど、それってかなり特殊な状況なんだよな。
「普通にクラスメイトですって言ってくれたらいいよ」
「じゃあその時になったら考える。誰に住所聞いたらいい?」
ちゃんと考えてくれんだ。よっぽど昨日俺が行った事が嬉しかったのか?なんて考えてしまう。
「今、教えとく」
これはもしかしたら緑川は気付くかもしれない。でも、気付いた所でまさかって思うだろう。昨日と今日で俺は緑川にかなり踏み込んだ。拒絶されるかもしれないって思ってたけど、それでもこんなに嬉しそうな顔をしてプレゼントを受け取ってくれて安心した。緑川はスマホに住所を打ち込んで、途中で明らかに驚いた顔をした。さすがに気付いたか。でもきっと緑川は聞いて来ない。万が一聞かれても俺は誤魔化す。緑川が佐々山みたいな性格じゃなくて良かった。もしそうなら本当の事を言うまで解放されないだろう。
「もう一つも開けてみて。そっちが本命」
緑川がスマホをポケットに入れた所で言った。人生初ってぐらい悩んだ。緑川ってきっと何をあげても喜んでくれると思う。妹に貰ったスマホケースみたいに大事にしてくれるんだろうなって簡単に想像が出来た。だからこそそこまで大事にしてくれなくてもって思う物じゃなくてそこまで大事にしてくれて俺も嬉しいって思える物がいいって考えた。これは川岸達にも何も聞いてない。
「可愛い」
緑川はまだタグが付いている手袋をつけて両手を前に伸ばして眩しい物を見るかの様な目で手袋を見ていた。その顔、祭りの時もしてたなって思い出す。
「俺、緑川が赤嫌いって知らなかったから最初は赤にする所だったんだよ」
昨日、赤が嫌いって聞いてマジで危なかったって思った。まぁ、もし赤を買っていたらもう一回買いに行ったと思うけど。緑川は淡い色の服を着ている事が多いから合わせやすいかなって思って無難に白にした。手首の所にグレーのファーが付いている。
「それ、手袋したままスマホ使えるから。緑川いつも寒くても素手でスマホで小説読むだろ?」
俺も結構待ち合わせ時間より早く行くけど、それでも緑川より早かったのは最初に映画に行った時だけだ。もしかしたら待ち合わせ場所で小説を読むのに早く来てんのかな?って思ってる。
「ホントだ。普通に使える」
緑川はスマホを取り出して何度もスクロールを繰り返した。そんな嬉しそうにしてくれんならまた来年もって考えたくなる。まぁ、誕生日プレゼントは付き合ってなくても渡すのもアリか。
「ありがとう」
「喜んでもらえて良かった」
「大事にする」
「そうしてくれたら俺も嬉しい」
「一ノ瀬君は?」
誕生日いつ?って事だよな。これ、答えて違ったらマジで恥ずかしいけど、この流れで誕生日以外の事を聞いて来るってなったらもう俺は理解できないと思って答える。
「七月」
そう言うと緑川はもう過ぎてたんだって分かりやすく表情に出した。結構誕生日って付き合って最初の頃、もしくは付き合う前に知るものだと思うけど、俺達にはその流れがなかった。
「でも俺、ちゃんとプレゼント貰ったから」
「私から?」
「そう。この流れで他の人に貰った物の話しなんかしないって」
「そうだよね」
そう言いながら私何かあげたっけ?って考えてるのが丸分かりだ。
「一緒に初めて本屋に行った日。あの日が俺の誕生日。緑川本買ってくれただろ?」
「そうだけど」
そうだけど、あれは別に誕生日のプレゼントじゃない。そう言いたいって事は分かった。
「しかもシークレットのストラップ付きで」
笑ってそう言うと緑川もほんの少し笑った。自分はちゃんと祝ってもらったのにって気持ちがあるんだろうな。
「誕生日にプレゼントを貰ったらもうそれは誕生日プレゼントだろ?」
「でも、誕生日って知っててプレゼントするのと知らなくてプレゼントするのは訳が違う。それに私あの日……」
俺をほったらかしにして本を選んだのにってか。マジで俺緑川の言いたい事分かる。まぁ、そう言いたいのか本当の所は分かんないんだけど。
「言ってくれたら良かったのに」
「今日俺誕生日なんだって?言えないだろ。緑川が俺の立場なら言った?」
緑川は素直に首を横に振った。嘘でも言ったよって言わないんだよな。そこが緑川のいい所なんだけど。
「緑川もさ、俺が緑川の誕生日知らずに本を渡したら誕生日プレゼントだって喜ぶだろ?」
「喜ぶ」
喜ぶと思うじゃなくてちゃんと言い切った。じゃあもう話しは終わりだ。
「私、一ノ瀬君の年齢知らなかったんだね」
「ホントだな。名前と年齢は知ってて当たり前みたいな流れだったもんな」
「なにか」
そう言いかけて緑川は言葉を止めた。さぁ、推理の時間だ。でも、この流れは何か欲しい物ない?で間違いないだろう。でもそれを言いかけて止めたって事は恐らく小説書いて欲しいって言われるって思って止めたんだと思う。もう筋が通り過ぎていてそれ以外考えられない。
※
昨日は終業式だった。つまり今日は緑川と遊園地に行く日だ。そして今回こそと思ってる事があった。昨日の今日なら大丈夫だろって思っていたのに待ち合わせ場所にいる緑川を見て思わず
「マジかよ」
と声が出てしまった。近くを通った人が思わず振り向いてしまうぐらいの声が出てしまった。本来ならプレゼントした手袋をしてスマホで小説を読んでいる事に感動を覚える場面なんだろうけど、俺は今別の意味で感動してる。この事を緑川と早く共有したいって思って止まっていた足を動かす。
「緑川」
ゴメンとかお待たせって言っても緑川は絶対に小説読んでたから大丈夫って言う。だから俺はまず緑川を呼ぶ。いつもは直ぐにスマホをカバンに入れるけど、今日は手に持ったまま固まった。そりゃそういう反応になるよな。
「また髪色交換しちゃったな」
そう俺達はまた同じタイミングで髪を染めた。俺は黒髪で揃えようと昨日美容室に行った。終業式の後だから緑川は染めないだろうって思ってた。なんで俺達こんな時だけ息合うんだろう。
「すごいね」
「普通はさ、髪色合わせるとか宣言すんだよな」
「私、終業式の後だから今回は大丈夫って思ってた」
「それ、俺と全く同じ考え」
「クリスマスの奇跡だね」
俺はお互いがお互いを無意識の内に避けてるんじゃね?ってネガティブに考えていたから、そう言われるとお揃いの髪色には出来なかったけどそれも悪くないって思える。
「これがさ、小説だったらそんな展開ありえないだろって間違いなく言うな」
「でもありえるんだよ」
「そうだな」
マジでありえるんだよなって思う。でも、緑川とじゃなかったらありえないんだろうなとも思う。
「中、入ろ」
「うん」
さすがに入園券は事前に話しをして俺が買っておいた。さすがに二人で買ったらもったいない。
「なにから乗るかせーので言ってみない?」
「いいよ」
緑川ってこういうノリ好きなんだよな。俺がそういう提案するといつも嬉しそうにのって来る。
「せーの」
「ジェットコースター」
「観覧車」
ジェットコースターは俺で観覧車は緑川。一発目に観覧車乗るって変わってね?確かに観覧車って言えば遊園地とデートのベタだけど。こういう時の俺達は意見が合わない。
「観覧車は暗くなってからのが良くない?イルミネーション見えるんだって」
そう言ってからもしかして暗くなる前に解散ってパターンもありえるなって思った。いや、でも今日は夜ご飯もって話しをしたからそれは大丈夫なはずだ。
「朝も夜も乗ったら違う景色見れて楽しいと思う」
なんか緑川積極的じゃね?よっぽど観覧車乗りたいのか。もしかしたら観覧車で本を読みたいのかもしれない。それなら明るい内しか出来ないし。それを思いつくともうそうとしか思えなくなって来た。今日は時間もあるし、せっかく緑川が誘ってくれたんだから出来るだけ緑川の希望を叶えるとするか。
「分かった。じゃあ観覧車乗ろう」
そう言うと緑川は嬉しそうな顔じゃなくて何故か緊張した顔になった。えっ、これってどういう流れ?って思ったけど、乗ったら分かるだろうと思って何も聞かなかった。
朝一の観覧車は空いていて待たずに乗れた。観覧車に乗っても緑川は口を開かなかった。これってまさかの別れ話パターンある?クリスマスイブの朝に別れ話なんて普通ないよな?緑川から予定聞いて来たんだしって思う気持ちと緑川ならまさかがありえるんじゃないかって不安が入り混じって来た。俺はずっと自分から別れを告げるって思ってたけど、緑川から言われる可能性だってあるんだよな。そう思ってたって事は俺も大概佐々山と同類なのかもしれない。って、せっかくのイブにそんな事考えるの止めよう。
「観覧車好きなの?」
沈黙が続くと余計な事を考えてしまうから話し掛ける。緑川は俺の声が聞こえてないのかずっと俺の足元を見ている。イブにデートするカップルの雰囲気とは思えない。
「早くしないとずっと緊張しそうだから」
おぉ、これはクリスマスに相応しい難問だ。ってか名探偵の俺でも解けるか分からない。俺が解かないといけないのは何を早くするのかって所だ。そこが分かれば自然と何に緊張するかは分かる。やっぱ別れ話なんじゃってまた思ってしまう。もうそう思ったら別れ話という単語で俺の頭の中が埋め尽くされてそれ以外の事が考えられなくなる。ここは先にその可能性があるか確認しとくか。
「もしかして別れ話される?」
深刻に聞くより冗談みたいな口調の方がいいかなと思ってメッチャ明るく聞いた。そしたら緑川は勢いよく首を横に振りながら
「違う。そうじゃない」
って言ったからとりあえず安心した。そして俺は緑川と別れなくていい事に安心するんだなって思った。別れ話じゃないとしたら小説書き始めたとか?それだったらマジで嬉しい。最高のクリスマスプレゼントだ。ん?そうか。もしかして緑川はクリスマスプレゼントくれようとしてくれてんのかも。って、これ推理しちゃダメなやつだった。実際はどうか分からないけど、そうなら俺は緊張する必要はなさそうだ。これは俺が喋ったら緑川がタイミングを逃してしまうかもしれないから黙っておく事にする。
「一ノ瀬君」
もう直ぐ頂上って時に緑川が口を開いた。
「これ」
緑川はカバンから手のひらサイズの袋を取り出した。これは間違いなくクリスマスプレゼントだ。
「開けていい?」
「うん」
緑川は相変わらず緊張した顔をしている。これは俺に喜んでもらえるかどうかの緊張なんだろうなって思うと俺も緊張して来た。緑川のセンスを疑う訳じゃないけど、例えここでこれを俺にどうしろと?って思う様なプレゼントでもちゃんと喜ばないといけない。貰えるだけで嬉しいからもっとリラックスしてくれって言いたくなるけど、多分緑川はメッチャ悩んだんだと思う。もしかしたらそれで熱が出たのかもしれないって思う程悩んだんだろうなって想像出来る。
「メッチャいいじゃん」
袋の中から出て来たのはイヤーカフだった。シルバーのリング型のシンプルなデザイン。緑川のセンスが良すぎて素でテンションが高くなった。俺が喜んだのを見てようやく緑川も笑顔になった。
「文化祭の時の髪型見た時にアクセサリーあったらもっといいなって思ったから」
「先に文化祭の髪型にして来てって言ってくれたらして来たのに」
そうか。緑川はそういう風に思ってたのか。ってか、もしかしてあの髪型メッチャ気に入ってたりすんのかも。昨日染めるついでに切ったからもしかしたらちょっと印象変わるかもしんないけど、あの日の髪型に合うって思ってくれたんならそれを見せたかった。それは三学期入ったら見せるか。
「でもそのままでも似合うと思うから」
「今着ける」
着けてって言おうとしたけど、それは緑川をまた緊張させると思って言わなかった。
「鏡持ってる?」
「あるよ」
「悪いけど持ってくれる?」
緑川に鏡を持ってもらって無事に装着完了。いや、マジでこれはセンスいいな。自分で言うのもなんだけど、カッコ良さが増した気がする。今までアクセサリーとか興味なかったけど、色々試そうかなって気にもなる。
「メッチャ気に入った。ありがとう」
「私もありがとう」
「なんで緑川がお礼言うんだよ」
「喜んでもらって嬉しいから」
なるほど。喜んでもらってありがとうか。そこまで言わなくていいんじゃね?って気持ちもあるけど、緑川が嬉しいならそれでいい。本当なら俺もプレゼントを渡す流れだけど、夜まで待ってもらう。
「後、これも。これはクリスマスプレゼントって言うより誕生日プレゼントのオマケって感じなんだけど」
さっきのはちゃんと店でラッピングしてもらった感じだったけど、今回渡されたのは袋だけ別に買って入れましたって感じの物だった。開けて思わず笑ってしまった。
「これ、俺が貰っていいの?」
袋に入っていたのは緑川が好きな出版社のラッコが描かれたタオル地のハンカチだった。水色だったから俺の事考えてくれたんだなってのは分かる。
「一ノ瀬君、ハンカチ持ってない事多いでしょ?」
そうなんだよな。何かあった時にサッとハンカチを取り出せる方がカッコいいとか思ってる割に俺はハンカチを忘れてしまう。まぁ、普通に手を洗った後に拭くのにも必要なんだけど。
「こんなの売ってんだな」
「それは非売品」
「非売品ってどこで手に入んの?」
「本を買ったらサイトでバーコード登録してポイントが貯められるんだけどそこで交換した」
「えっ、それって俺が貰っていいの?」
さっきは緑川の方がこのラッコ好きなのに俺が貰っていいの?って意味で聞いたけど、今回はそんな貴重な物俺が貰っていいの?って意味で聞いた。
「うん、良かったら」
「いや、嬉しいんだけどさ、緑川何か欲しいのあったんじゃないの?」
「それは大丈夫」
緑川がハッキリとそう言った所で地上に着いてしまった。欲しい物がないから大丈夫なのかまた貯めるから大丈夫なのか。それって結構大事なとこじゃね?って思ったけど、また貯めるからって言われた所で俺に出来る事はないかと思って聞かないでおく事にした。いや、俺がポイント貯めるって手もあるのか。でもきっと緑川はまた貯めれるって思ったから俺に使ってくれたんだって思う事にした。一生に一度のチャンスだったとしたら俺はこのハンカチを使えなくなってしまう。
「次、なに乗る?」
「ジェットコースター」
緊張が解けたのかやっと遊園地ってテンションに緑川がなった。もう楽しいっていうのが雰囲気で伝わってくる。最後尾に並びだして緑川が俺の方を見たのが分かったから俺は当たり前の様に本を取り出して読み始めた。いつもは真剣な顔をして読む緑川だけど、今日は嬉しそうな顔をしていた。そんなに嬉しそうな顔すんならもう隠すの止めなよって言いそうになったけど、これは俺だけが知ってる緑川なんだよなって思ったら言う気がなくなった。
遊園地で本を読むってなんかアンバランスな感じだと思ってたけど、日が暮れて来て乗り物の光がキレイに見えだした時間帯になると本を読んでいる緑川の姿が今まで以上に良くて俺は緑川に何か言われるかなと思いながらも写真を撮った。写真を撮ってる時は何も言わなかったけど、レストランで料理が届くのを待っていた時に
「写真見せて」
って言われた。もしかして撮ってる事に気付いてないんじゃ?って思ってたけどさすがにそれはなかったか。
「いつか使うかもしれないから送るよ」
それはないって言われるかと思ったけど、緑川はありがとうって言った。俺が本を読んで緑川に寄り添ったからかなんか今日の緑川はいつもと違う。
「俺の一番のお気に入りはメリーゴーランドの写真」
メリーゴーランドの温かい光の前で陰になった緑川が本を読んでいる写真。緑川がシルエットになっているから顔はハッキリ写ってない。他の人が見れば光に飲み込まれてるって思われるかもしれないけど、俺は光の前でも自分の好きを貫いてるからこそここまでハッキリとしたシルエットになって写ったんだって思ってる。緑川は何も言わなかったし、表情からも何を考えてるか分かんなかったけど、俺はいつか緑川が俺の撮った写真を使って本を読むってカッコイイ事なんだって誰かに伝えるって信じてる。
「今更なんだけどさ、家族でクリスマスとかしないの?」
「するけど、今日は出掛けるって言ったら明日しようってなった」
「やっぱそういう事するんだな」
「家族でピザとチキンとケーキを食べるってベタだと思ってた」
「俺んちではそのベタはなくなったな」
「妹まだ小学生だから」
俺に気を遣ってくれたのか緑川は言い訳するみたいな感じで言った。
「そっか。じゃあまだサンタを楽しみにしてんの?」
「サンタがいないって事は知ってるけど、信じてるフリしてる」
「どういう事?」
「信じてた方がいいプレゼント貰えるから」
その答えに俺は笑った。
「しっかりしてんな」
「私とは正反対」
「緑川はさ、サンタを信じてた時何を貰ってた?」
もしかして本って答えが返って来るかもなって思ってたけど
「一番嬉しかったのはタブレットかな」
って答えが返って来て緑川もちゃんとしっかりしてるじゃんって俺はまた笑った。笑ったと同時に料理が運ばれてきた。クリスマスらしくベタにピザとチキン。緑川が事前に調べてくれて予約までしてくれた。
「一ノ瀬君は?」
「俺はベタにゲームかな」
「今でもゲームするの?」
俺がピザを切っている間に緑川がサラダを分けてくれた。緑川って喋りながら他の事も出来んだなって思った。今日は楽しいからテンションが上がってるのかもしれない。
「スマホでならする」
「そう言えば最初はスマホのアプリしてたね」
「今は緑川となら本読む方が好き」
これは本心だった。最初はあまりの集中力で読む緑川を見るのが好きだった。そんなに没頭するぐらい好きなのに隠してんのもったいないなって思ってた。その内、同じ時間を同じ事をして過ごす心地良さを覚えた。好きな人が好きな物を好きになろうとは思わないって思ってたし、緑川もそう言っていた。でも、俺は好きな人の好きな物を好きになる事の良さを知った。多分緑川も同じ物を好きになってくれた良さを知ったはずだ。俺がそういう風に思えたのは緑川だったから。緑川をそんなに熱中させる世界を俺も知りたいって思えた。
「無理してない?」
「してない。緑川には俺が無理してる様に見えんの?」
その言葉に緑川は首を横に振って答えた。ちゃんとそう思ってくれていて良かった。
後はデザートだけってタイミングで俺は席を立った。何も言わずに立ち上がったけど、きっと緑川は俺がトイレにでも行くと思ってるだろう。俺は緑川に見つからない様にコッソリと入口の方へ向かった。クリスマスはベタにこれをプレゼントしようと結構前から決めていた。
「メリークリスマス」
緑川の後ろから花束を差し出した。スマートにしたかったけど、緑川に当てない様にテーブルにある食器を倒さない様に慎重にしたからちょっと不格好になってしまった。現実ってこいうもんなんだよな。そうしてからこれだと緑川の表情見えないなって事に気付いた。
「えっ、今買って来たの?」
一言目それ?キレイとかありがとうじゃないんだな。まぁ、それが緑川なんだけど。って、緑川って何でも緑川だからで済ませられるから得だな。
「違うよ。サンタが届けてくれたんだ。ベタなプレゼント下さいってお願いしといた」
本当は事前にレストランに問い合わせて今日指定で届く様に送っておいた。でも、そんな事正直に言ったらムードないなって思ってクリスマス仕様の答えにした。
「ベタなの?」
「花束はベタじゃね?まぁ、普通はバラとかなんだろうけど」
俺が用意したのは椿の花束。緑川に椿の花束はベタだよなって思いながらも選んだ。
「緑川がくれた物からしたらショボいかもだけど」
「そんな事ない。嬉しい」
ちょっと照れた感じだったけど、喜んでくれてるのは伝わって来た。
「後、これも」
花はいつか枯れると思ってちゃんと形に残る物も買って来た。って言っても使い切ったら終わりなんだけど。今回、緑川は開けていい?って聞かずに開けた。
「可愛い」
今緑川が手にしてるのは缶に椿の絵が描かれているハンドクリーム。匂いもちゃんと自分で確認した。椿攻めでちょっとしつこいかなって思ったけど、せっかくの椿って名前を存分に活かさせてもらった。
「後、これは紅葉に渡しといて」
紅葉のイラストが描かれた缶は残念ながらなかったからバラにした。そして緑川は自分が貰った時以上に嬉しそうな顔をした。自分の大切な家族が俺にも大切にされてるのが嬉しいって事でいいよな?紅葉にただのクラスメイトの俺から貰ったって言うのかちょっと気になる。
「これ、一ノ瀬君からって言った方がいい?」
やっぱりそこは気にするよな。きっと紅葉はプレゼントを貰ったら俺と緑川が付き合ってるって思うだろう。そして緑川を質問攻めにするに違いない。
「そこは任せる。緑川のいい様に言っといて」
「じゃあサンタさんからって事にする」
俺の中で百点満点の答えだった。そしてデザートのケーキが運ばれて来た。このタイミングも百点満点だ。
「このケーキってザ・クリスマスって感じだよな。って言っても初めて食べるんだけど」
ケーキはブッシュドノエル。本当はティラミスとかの方がいいんだけど、やっぱここはベタでいくべきだよなって思ってそうした。
「私も」
「家ではどんなケーキ食べるの?」
「ショートケーキ」
「シンプルなんだな」
「でもちゃんとクリスマスの飾り乗ってるよ」
「あのメッチャ固い砂糖で出来たやつ?」
「そう」
「あれって食べるの?」
「お父さんが」
まさかの父親。美人の母親に砂糖菓子を食べる父親。緑川の両親に会ってみたい。明日何食わぬ顔で緑川の家に行ってみようかなってマジで思ってしまった。
「紅葉じゃないんだ?」
「太るから食べないの。ケーキは食べるんだけどね」
「俺、ちょっと会っただけだけど想像出来るかも」
「多分、紅葉は一ノ瀬君が思ってる様な子だよ」
やっと普通に会話が出来る様になった。こんなにも頭を使わずに緑川と喋るのはいつ振りだろうってそれは大袈裟過ぎか。
最後はやっぱり観覧車からイルミネーションを見ようって事になった。観覧車の前には列が出来ていて見事にカップルばっかだった。俺達もそうなのに緑川は何故か居心地悪そうにしている。それでも緑川はもう暗いからこっちで読むとスマホで小説を読み始めて自分の世界に入って行った。せっかくだからこの姿も写真撮るかって思ってスマホを向けたけど、やっぱりスマホじゃ映えない。
「朝乗った時は景色見てなかったから違い分からないかも」
十五分で乗れて、向かい合って座ろうとした緑川を横に座らせた。どうやっても近いんだけど、それでも極限までに距離を取られた。これは緊張するからだよな。今日一日一緒に過ごして嫌って事は絶対にない。って自分自身に言い聞かせた。
「ホントだな。でも違いが分からなくてもここから見える景色がキレイなのは分かるだろ?」
「分かるけど、明るい時と景色の違いが分かる方がもっとキレイに見えると思う」
緑川の言葉ってなんでこんなにもストンって俺の心に落ちるんだろう。緑川じゃなかったら普通にイルミネーション楽しめよって絶対に思う。
「今日楽しかったな」
観覧車が上がるにつれてイルミネーションが見える範囲が広がって来た。今日の俺達はこの輝きにだって負けてない。今ならキャラメルポップコーンの匂いにも負けない。別にキャラメルポップコーンの匂いに勝ちたいって思ってた訳じゃないのにそうなるとやっぱり嬉しい。今日の俺達は珍しく周りの雰囲気に溶け込んでいる。
「うん、楽しかった」
あっ、今気付いた事がある。緑川って自分の考えとか想いとか全部を言葉にしないから緑川の言葉には重みと説得力があるんだって事。返事もシンプルな事が多くて時々頭の中で返事をする緑川が言葉にするからその言葉がちゃんと心まで届くんだ。
「久し振りにサンタさんも来てくれたし」
それはまさかガチで言ってる訳じゃないよな?でもここであれは俺が買ったって言うのはダサいし、クリスマスムードも台無しになるから俺も話しを合わせる事にした。
「ちゃんと信じてれば高校生にもプレゼントくれんだな」
「それもこんなに素敵な」
俺、素敵って言う人初めて見た。素敵って言葉が素敵だし、それを言う緑川も素敵だ。
「今日、誘ってくれてありがとう」
「私もありがとう」
それは誘いを受けてくれてありがとうなのかありがとうって言ってくれてありがとうなのか。緑川は幸せそうだし、ありがとうっていい言葉だから何も考えずに受け取る事にする。頂上でベタにキスはせずに緑川の手にそっと俺の手を重ねて残りの素敵で幸せな時間を過ごした。
※
一月はまだ何とか我慢出来たけど、二月は寒過ぎてプールでも階段でも弁当を食べるのがキツくなった。また緑川に風邪をひかせてはいけないからと教室で食べる事にした。もちろん二人ではない。海に行ったメンバーで食べる。こうなったら緑川に小説読んでもらえないから俺は不満なんだけど、寒さは俺の力ではどうしようもないし、緑川が楽しそうだからそれでいいやって思う事にした。女子とはスラスラと話す緑川を見て、リラックスしてるっていうより、頑張ってそうしてるって感じがした。楽しそうってのはマジで感じるんだけど、俺の知ってる緑川の方が自然って気がする。付き合い始めた頃は普通に会話出来るって事に感動して友達とはこんな感じかな?なんて思ってたけど、今はそう思わない。
そうやって皆で食べてたけど、今日は緑川が何か言いたそうにメッチャ俺の方を見て来た。だから俺は
「ちょっと飲み物買ってくる」
って立ち上がった。これで緑川が来なかったら俺の勘違いかって考えながら歩いてたけど、一緒に行こうって誘えば良かったのかって気付いた。気を遣ったつもりだけど、中途半端になってしまった。
「一ノ瀬君」
後ろから掛けられた声にちゃんと分かってくれたんだって嬉しくなる。
「まだ時間あるし、あったかいの買って久し振りに階段行く?」
「うん」
「あったかい飲み物のベタと言えば?」
緑川がシンキングタイムに入ったから俺も考える。俺の中のベタを考えるんじゃなくて緑川がなんて言うか考える。俺の中ではココアなんだけど、緑川はお茶って言いそうな気がするなって考えてたら
「やっぱりホットチョコレートかな」
ってまさかの自販機にない物を選ぶパターンだった。でも、ココアもホットチョコレートも兄弟みたいな物だから同じ答えだ。なんて口に出したら絶対に緑川に反論されるんだろうな。面白いから言いたいけど、そんな話しをしてたら緑川の話しを聞けなくなってしまうかもしれないから止めとく。
俺はココア、緑川はレモンティーを買って階段に座る。
「やっぱメッチャ寒いな。平気?」
「うん」
緑川って寒空の下で本読むから強がりって事はないと思うけど、やっぱり気にはなる。出来るだけ近くに座ろうとしたけど、緑川はちゃんと距離を取って座った。座ってしばらくしてからも緑川は口を開く事なく、レモンティーで手を温め続けていた。このまま待ってたら昼休み終わるよなって思って俺から聞く事にした。
「話したい事あった?」
「私じゃなくて」
おぉ、そこで言葉を止めるのか。名探偵流なら分かるでしょ?って俺への挑戦状だな。でも、これってそこまで考えなくても話しがあるのは私じゃなくてに続くのは多分俺だ。俺と二人きりで私じゃなくて八坂が話しあるって意味分かんないもんな。話しがあるのは俺。俺は普通にしていたのに緑川はいつからそれに気付いてたんだろう。俺は無自覚だけど、もしかしたら何か表に出てたのかもしれない。いつかは言わないといけないから緑川が気にしてくれた今日がもう言うタイミングだって思う事にした。
「来月、終業式終わったらそのまま映画行かない?ってか行こ」
「うん」
少し寂しそうな顔をするのは俺が言う事が分かってるって事なんだよな。なんでそういう所はよく気が付くんだろう。何気なく言ったつもりだけど、俺ちゃんと笑えてないのかも。
「前に言ったみたいに別々に座席予約して奇跡が起きたら一緒にポップコーン食べよ」
この次に言おうとしている事が本当に言わないといけない事。そして言うのをずっと引き延ばしていた事。
「もしも奇跡起こせなかったら別れよ」
言ってしまった。二月に入ったら言おうと思って言えなかった事。その内バレンタインに手作りチョコを貰って余計に言いたくなくなってしまった事。親が旅行に行っている時にパンを食べてた理由を隠してたのは自分でお弁当作れないのが恥ずかしかったからって言いながら渡してくれた手作りのチョコ。ちょっと不格好の方が頑張った感じがしていいのに完璧に作られたチョコ。きっとすごく頑張ったんだろうなって思わされるチョコを食べて幸せを感じて別れようって言いたくないなって思ってしまった。もう後には引けない。いや、引こうと思えば引けるんだけど、引いてはいけない。これが緑川の為になるって俺は信じてる。
「うん」
そうだよねって感じの顔で緑川は頷いた。泣いて別れたくないって言われるよりその感じの方が胸が痛くなる。
「じゃあ、終業式の日は私服で来るね」
そういう事考えられるまでに冷静なんだな。ってか制服でも全然いいんだけど。でも、緑川が私服でって言うなら俺もそうする。
※
なんで来てほしくないって思う日って早く来てしまうんだろう。あっという間に終業式の日を迎えていた。三月に入って寒さが和らいでからはまた緑川と二人で階段で弁当を食べる様になった。今日までいつもみたいに弁当を食べて二人で本を読んでって時間を過ごした。一日が過ぎる度に俺は戻らない時間にしがみつきたくなっていた。
座席予約をする日はお互い秘密。H列はなし。俺がポップコーンを買って先に劇場に入って座る。それが緑川と決めた事。どっちが先に予約しているか分からない状態で予約する。俺達が観る映画はポップコーンが似合う昔大ヒットしたアクション映画のリメイク。公開前から大々的に宣伝をしていて注目度は抜群。チケットの発売状況を知らせるスクリーンでは残り僅かの表示だった。これなら例え違う人の隣を買っていたとしても迷惑は掛からない。俺が座った時点で両横は空席。俺は目を閉じて隣に誰か座るのを待った。学校にはいつも通りの髪型で行ったけど、終業式が終わってからダッシュで文化祭のライブの髪型にセットし直した。もちろん緑川にもらったイヤーカフを着けている。
座席予約をする時、どうしても奇跡を起こしたいってメッチャ考えた。誕生日とか緑川に関連する数字?って考えてたけど、最終的には考えずに直感で決めた。頭を空っぽにしたらある一つの座席に吸い込まれる様に指が動いた。この感覚って絶対に緑川は横に座るって確信みたいなものがあった。それでもやっぱり緊張はしていた。左横に誰か座る気配を感じて目を開けるとそこにはちゃんと緑川の姿があった。
「飲み物コーラにしたけど、良かった?」
「うん。一応チケットの見せ合いしない?」
「そうだな」
確かにそうだよな。そうなるって信じていても信じられない状況だもんなって俺はチケットを取り出した。緑川のチケットに書かれている座席と俺の座席は間違いなく隣だった。緑川も驚いた様子は見せなかった。俺達はどんなフィクションにも負けない奇跡を起こした。
「ポップコーンはどっちがいいか分かんなかったから半分ずつのやつにした」
「両方食べれる方が嬉しい」
「なら良かった」
まだ予告も流れていない時間帯で周りからは話し声が聞こえて来たけど、俺達は映画が終わるまで一言も喋らなかった。それでも緑川はちゃんとポップコーンを食べていたから楽しんでるんだろうなって想像は出来た。
エンディングロールが終わって場内が明るくなった瞬間に緑川は
「今までありがとう」
って言って立ち上がった。あぁ、緑川は分かってたんだ。奇跡を起こせたとしても俺が別れを切り出すって事を。マジでなんでそういう所だけ勘がいいんだろう。でも、その方が緑川には悲しい思いさせなくて済むのか。なんて考えながら残ったキャラメルポップコーンを食べた。今の俺にキャラメルポップコーンは甘過ぎた。