ベタな夏
「夏と言えばこれって事ある?」
緑川と付き合い始めて初めての夏を迎えていた。俺と緑川はマジでビックリするぐらい何も変わらず付き合い続けていた。名前の呼び方も緑川の独特の間も学校では昼しか一緒に居ない事も全部そのまま。佐々山は今でも時々緑川に嫌味を言うらしい。マジでしつこいなって思う。俺への当てつけで確かに彼氏は作ったみたいだけど、直ぐに別れたらしい。俺からしたらそりゃそうだろって感じだ。あっ、でもプールの授業が始まったから先生の目もあるかとプールサイドで弁当を食べるって事はなくなった。雨の日は屋上への階段の踊り場で食べたけど、湿気がすごいし暗いしで気分まで暗くなった。夏なら湿気はないからいいかと思ってたけど、あんな薄暗い空間なのに地味に暑くてもうここでは食べるの止めだって洋太に相談したら「もう皆知ってんだから教室で食えよ」って言われてしまった。ただ弁当を食べるだけならいいけど、その後の緑川の読書タイムは教室じゃダメだ。だから緑川が女子に嫌味言われてるから居心地が悪いらしいって言うとしょーがねーなって言って充電式のポータブルクーラーを持って来てくれた。こんなんで涼しいのかよ?って疑ったけど、これが意外と快適だった。緑川は薄暗くても気にせずスマホを見ているからそこは気にしなくていいみたいだ。充電が切れたら放課後軽音楽部の部室に持って行くと充電してもらえる。洋太には一生分の貸しだからなって言われたけど、そこはスルーして冬に暖房でも頼んでみるかとか考えてる。
「やっぱりキャンペーンかな」
緑川は目を輝かせて言ったけど、俺の中の選択肢にはなかった答えだった。海とかプールとか祭りとか夏って言えばって事がいっぱいある中で一体何のキャンペーンをそんなに楽しみにしてるんだろう。
「キャンペーンって何の?」
「本の」
ちゃんと緑川だ。これでアイスのキャンペーンとか言われたら俺の中の混乱は大きくなっただろうけど、本なら納得出来る。いや、緑川がアイスが好きでそのキャンペーンを楽しみにしてるってだけでそんな混乱する事はないか。
「もう直ぐ始まるんだけど、夏って本を二冊買ったらノベルティ貰えるキャンペーンが毎年あって、それを毎年楽しみにしてる」
「へー、そんなのあんだ。ちなみに何貰えんの?」
「色々あるんだけど、去年はしおりとかうちわだった」
「しおりは分かるけど、なんでうちわ?」
「夏だから」
うん、それは間違いない。メッチャ正論を返されたけど、俺が聞きたかった答えはそうじゃない。俺もちょっとずつ学習してきたけど、それでもちゃんと狙ってる答えを聞き出すのは難しいってかつい考えずに話してしまう。
「そのうちわって本の形とかしてんの?」
「普通のうちわだけど、出版社のキャラクターが描かれてる」
そういう事か。一回緑川が見た事ないキャラクターのクリアファイルを取り出した事があって、何のキャラ?って聞いたら出版社のキャラクターって返って来た事があった。そのファイルで本好きってバレないの?って聞いたらこれはキャラが可愛いからって言えるからって言ってた。本と何の関係もなさそうな丸っとしたラッコは確かに悪くはなかった。
「たまにはさ、一緒に本屋でもどう?」
雨空を緑川に借りて読んだ後、俺もたまに一緒に本を読む様になっていた。緑川の言うシンプルな世界に俺も魅力を感じ始めていた。きっとこれが緑川に読んだら?って勧められてたら話しは違ってたと思う。人にこれいいよって勧められるとまずは抵抗から入ってしまう。でも緑川は言葉では何も言わずに雰囲気だけで俺を引きずり込んだ。緑川をそこまで熱中させる世界ってどんな世界なんだろうって俺は興味を持ったし、実際に読むと面白いって思った。あれ、本ってこんなに面白かったっけ?ってマジで思った。ただ、俺は頭が良くない。漢字だってルビが無いと読めない物もある。難しい単語が使われてたらもうお手上げ。だから緑川に国語が苦手でも読みやすい本を教えてくれって言った。そしたら「私も同じ高校なんだから私が読めるのは一ノ瀬君も読めるよ」って言われた。その言葉に俺は納得したけど、そこは何か一冊貸して欲しかった。その流れが欲しかった。緑川が読んでるやつが俺にも読めるって言うならその流れって必然じゃね?とも思った。まぁ、最初にあんな会話したから緑川的には気を遣ってくれてるんだと思うけど。でも、俺が教えてって言ったんだからもう気にせずお勧めを貸して欲しい。ネット小説ならこれとかいいよってURL送って欲しい。ワガママって言われても今はそういう気持ちになったんだからしょうがない。
「うーん」
本は一人で選びたい派なのか?俺達のデートは月二回。それは俺の予定もあるだろうって緑川の気遣いとバイトをしてないからお小遣いが足りなくなるっていう緑川の都合が合わさった結果。別にデート代なら出すよって言ってみたけど、一回三千円だとしたら文庫本四冊ぐらいだよ。って結構マジな口調で言われたから大人しく引き下がった。文庫本四冊は買わないけど、俺も欲しい物はあるし別に緑川がそれでいいならいいかと思った。お互いしんどくならない付き合い。俺も緑川もそれが心地いい。ちなみに緑川家では高校生の内はバイトを禁止されているらしい。今時そんな家あるんだなって言ったら「私達の今時はバイトが当たり前かもしれないけど、お父さん達の今時はそうじゃなかったんだよ」って何とも納得出来る答えが返って来た。確かに俺達の当たり前と親世代の当たり前は違う。ちなみに緑川の両親の年齢を聞いたら私は遅くに出来た子だから結構歳なのって言われて結局何歳なのかは不明のままだ。今思えば妹の年齢も知らない。
「自分の世界入っちゃうかもしれないけどいい?」
何を今更って言いそうになった。逆に緑川が自分の世界入らない方が珍しくない?って思ったけど、本人は無自覚みたいだから言わないでおく。
「現実世界に帰って来たら俺の事思い出してくれるなら問題ない」
多分、俺は緑川が戻って来るまでずっと横にはいない。本屋から出る事はないけど、マンガ見たり立ち読みしたりすると思う。
「じゃあ期末終わったら。いつもテスト終わりのご褒美に買いに行くから」
「そう言えばテストあるんだった」
勝手なイメージだけど、緑川は本を読むし成績が良さそうって思ってた。でも中間の結果は俺と十位しか変わらなかった。学年全体で二四六人。俺はちょうど真ん中で緑川がその十個上。素直に緑川ってもっと成績いいと思ってたって言うと俺の考えを見透かした様に「読書する人が成績いいならこの世はもっと読書家でいっぱいになってると思う」ってこれまた納得する答えが返って来た。
「テスト終わったら夏休みだね」
これって夏休みどこか行こうって事なのか?それとも事実を言っただけなのか?どっちにしても夏休みのデートは約束しておきたい。
「そうだな。夏だし夏っぽい事しない?」
言ってから具体的に言えば良かったって思った。祭り行こうとか海に行こうってちゃんと言わないといけなかった。
「だから本屋さんに行くんでしょ?」
やっぱりそうなるか。さっきのは夏休みのデートの誘いじゃなかった様だ。本屋は流れでそうなっただけで、夏だから行くんじゃない。学校の帰りにコンビニでアイス買ったりとか些細な事でもいい。でもまぁ、緑川にとっての夏が本屋で感じられるなら一旦そこで夏を感じるとするか。それまでに祭りの日にちを調べておけばいい。
「なぁ、夏と言えばなに?」
五限目が自習になって洋太と喋りながら課題をしていた。洋太はしっかりと俺の答えを写している。
「やっぱ海とかプールじゃね?」
「やっぱそうだよな」
「後、祭り。水着もいいけど浴衣も捨てがたい」
洋太と話していると俺の感覚は普通だよなって安心する。チラッと緑川の方を見ると川岸と富田と珍しくそこにもう一人、八坂が居た。八坂って前まで佐々山と仲良かったよな?と思って今度は佐々山の方を見ると普通に楽しそうに男女数人に囲まれていた。まだ佐々山の近くに居る奴らは佐々山の本当の顔を知らない様だ。もしかして八坂は気付いたのかもしれない。もしくは緑川に嫌味を言うのを聞いていて嫌になったか。あー、ちょっと本読む様になっただけで、変に色々と想像してしまう。ベタ展開だけど、現実ならこうする方がよくね?って緑川に言うのが最近俺だけのブームになっている。思考を元に戻そう。もしも八坂が佐々山に嫌気が差して離れたのなら八坂は間違いなくいい奴だ。一緒に悪口を言わずにそれに嫌気が差して離れる。注意した所で佐々山は絶対に聞かない。離れるっていうのが一番いい選択だ。ってマジで考えなくてもいい事考えてる。
「海行こうぜ」
自習中は静かにと言われているけど、先生が居ない中それを守る奴なんていない。皆喋りながらプリントをする。確かにこの中で一人読書を始めたら浮くよなって思う。今までそんなの気にすんなよって思ってたけど、今ならちょっとだけ緑川の気持ちが分かる。
「まさか俺と二人でとか言わないよな?」
絶対に違うって分かってるけど、ベタに聞いておく事にした。洋太は夏休みに備えてか少し明るめの茶髪が金髪に変わっていた。制服のシャツもボタン全開でお洒落Tシャツを見せびらかしている。黒髪で第二ボタンまで留めている俺。これは見た目も性格も全く違う二人が同じ人を好きになるってのがベタな展開だ。あっ、でもそうなると洋太が緑川の事を好きになるって事か。緑川には失礼だけど、洋太は面食いだからその展開はないな。いや、でも面食いだったのに少し地味なタイプに惹かれるっていうパターンもあるか。あー、もうマジで俺なに考えてんだって話しだ。
「んな訳ねーだろ。海に男だけで行ってどうすんだよ。ちゃんと女子を誘ってくれ」
「誘ってくれって俺が?」
「決まってんだろ。お前は俺に一生分の借りがあるだろ?」
一々これ言われんの面倒だな。そろそろ借りは返しとくか。
「じゃ、女子誘うからこれで一生分の借りなしにしろよな」
「なんでそうなんだよ」
「じゃあ自分で誘えよ。俺は彼女が居るのに女子を誘うんだ。これは結構リスク取ってるだろ?」
「緑川も誘えばいいだろ?」
緑川と海は勝手に合わないって思ってたから必然的にメンバーから除外していた。だから洋太が当たり前の様にそう言ってそうか緑川だって海に行く可能性があるのかって思わされた。
「緑川は行かないと思うけど」
何となくだけど、緑川ってスクール水着しか持ってない気がする。
「ちょっと聞いて来いよ」
「今?」
「八坂も居るしちょうどいいじゃん」
「いつから洋太は八坂の事好きになったんだよ?」
「普通に可愛いじゃん。それに性格もいいし」
佐々山が自分が好かれて当然ってタイプなら八坂は皆が好いてくれて嬉しいって思うタイプだ。鼻が高くてちょっとハーフみたいな雰囲気で、ショートボブのパーマが良く似合っていた。
「佐々山は?」
「最近佐々山の評価落ちてんだよ」
「それは洋太の中だけで?」
「いや、皆の中で」
それでも佐々山は輪の中心に居る。それってなんか矛盾してね?って思ったけど、詳しい話しを聞いた所で俺には関係ないかと思ってそれ以上は聞くのは止めた。
「俺が言うから一緒には来いよ」
多分しないけど、俺だけが行ったら俺が他の女子と海に行きたいと思ってるって緑川が勘違いするかもしれない。立ち上がろうとして
「川岸と富田も誘っていいんだよな?」
って疑問が浮かんだから聞いた。俺は今声を掛けるという事は四人全員誘うって考えだったけど、洋太は違うかもしれない。でもきっと洋太の答えは
「八坂が来てくれんなら後は誰でもオッケー」
って俺が思った通りの答えを返してくれた。でもこれ、八坂が断って他が行くって答えるパターンもあるよな。その時洋太はどうすんだろって考えたけど、その時はその時だし、俺には関係ないか。
もう俺が緑川の所に行っても周りは誰も驚かないのに本人だけは未だに驚いた顔をする。俺はその顔を見る度に「私に何の用!?」って勝手に台詞をつけて一人心の中で笑っている。緑川と付き合う様になってから俺はなんか穏やかになった気がする。緑川独特の間を見ていると別に俺も自然体でいいんだなって力を抜いた結果そうなったと思ってる。別に今までも無理してた訳じゃないけど、多少力は入っていた所はある。
「夏休み一緒に海に行かない?」
女子が四人で顔を見合わせる。あれ?俺って緑川にだけじゃなくて誰に対しても言葉足らずなのか?ちゃんと四人の顔をそれぞれ見て言ったんだけど、誰を誘ってるの?って雰囲気が伝わって来る。
「俺と洋太、後ここに居る四人。六人で海行かない?」
「私もいいの?」
そう聞いたのは八坂だった。この流れは八坂はこっちがいいって言えば行く流れだ。
「逆に来て欲しい。一緒に行こうぜ」
手応えを感じたからか洋太が入って来た。素直に一緒に行きたいって言えよって思いながら緑川を見ると緑川は深刻そうな顔で俺の方を見ていた。やっぱり他の女子と海とか抵抗あるよなって思ったけど、もう後には引けない。
「えー、行きたい。皆も行こうよ」
こういう時って男女の数一緒にした方がいいのか?とか考えてたら
「彼氏も誘ってみていい?」
って川岸が聞いて来た。あっ、川岸は彼氏いんのか。いない前提で考えてしまったのは申し訳なかった。富田も川岸も派手さはないけど、可愛い。それでも緑川の強烈な個性のせいで俺には二人が緑川に染められている変わり者みたいな感じで思ってしまっていた。でも、川岸がそう言うって事はきっと富田にも彼氏がいるはずだ。じゃないと明らかに八坂狙いの洋太とその他がカップルだと富田が気まずくなる。そんな事を考えていると
「私も彼氏に声掛けていいなら」
と予想通り富田が言った。これ、まさか八坂もじゃあ私もとか言い出さないよな?って心配したけど、それはなかった。この流れで緑川は何て言うんだろうってちょっとワクワクしながら聞く。
「緑川は?」
「行きたいけど」
「けど?」
やっぱり水着持ってないのか?それとも日焼けするから嫌なのか?けどに続く言葉は多分こっちが促さないと返って来ない。
「行きたいけど、何?」
「泳ぐよりバーベキューがしたい」
まさかの答えだった。緑川がこんなにはっきりと自分の意思を言ったのって俺の記憶の中では初めてな気がする。それ程までにバーベキューがしたいのかもしれない。
「いいじゃんバーべキュー。しようぜ。ついでに花火もして夏満喫しようぜ」
「いいね」
「でも荷物持ってくの大変じゃね?」
「そこは俺が何とかするから任せとけ」
洋太がそう言うならもう後は何も考えなくていい。日にちだけ決めようと皆で連絡先の交換をした。俺は緑川が本を読んでいる写真を送りたい衝動に駆られたけど、何とかガマンした。
「昨日の話しってそういう事だった?」
次の日、弁当を食べているといきなり緑川が聞いて来た。俺は直ぐに聞き返さないで質問の意味を考える。最近緑川が何について話しているのか当てるのが楽しくなっている自分がいる。昨日の話しって言うのは多分本屋か海のどっちか。そういう事?って聞くって事は多分本屋の方。つまり緑川は後で俺が海に誘ったから昼もそういう話しの流れだったのかって後で気付いたって事だ。そう考えるとあの時の険しい表情にも説明がつく。聞かれて俺はシンキングタイムに入るからこういう時は会話が途切れる。緑川もいつも頭の中こんな感じなのかなってちょっと理解出来る様になった。まぁ、実際緑川の頭の中がどうなってるかなんて分からないんだけど。
「うん、緑川は夏じゃなくても本屋には行くだろ?」
「言われてみればそうだね。でもキャンペーンがある時に行く本屋はいつもと違うから」
俺がちゃんと理解して答えを返しても緑川は驚かない。伝わるのが当たり前って思ってるのかもしれない。ちょっとは分かって貰えて嬉しいみたいな顔してくれたら俺も嬉しいんだけど。
「誘っといてなんだけど、緑川が行くって言ったのは意外だった」
「だって夏の海にバーベキューはベタでしょ?」
その答えに俺は笑った。俺のベタブームに緑川はちゃんと乗ってくれたんだって嬉しいって言うより面白い。
「メッチャベタだな。ベタついでに祭りも行かない?」
いつもだったらお小遣いがって言われる所だよなって思いながらも聞いてみる。
「行く」
おっ、行ってくれるんだ。なんか今日の緑川は積極的だ。たまになんかスイッチ入る時あるのか?ただ単に夏だからテンション上がってる説もある。何にしてもこうやって誘いに乗ってくれるのはいい事だ。
「今年の夏はベタな夏休みが過ごせそう」
「じゃあさ、ベタに勝負しない?」
「勝負ってなんの?」
「期末テスト」
「あっ、それはマジでベタかも」
「でしょ」
緑川はたまには私いい事言うでしょ?って感じの顔をした。たまにこの歯を見せないで少し口角を上げる笑い方するんだけど、その控えめな感じがいかにも緑川って感じで俺は結構その笑い方が好きだ。
「じゃあ勝った方が負けた方の言う事聞くとかやる?」
「やっぱりそれがベタだよね?」
「だな。じゃあ決まりでいい?」
その言葉に緑川はしっかりと頷いて答えた。
「俺、マジで勝ちにいくから」
テストまで後一週間しかないけど、緑川とはそんなに差がないから頑張れば勝てる。たまには学生らしく真面目に勉強でもするか。
「マジかよ」
テストの結果はマンガのベタみたいに貼りだされたりしない。それぞれ成績表として配られる。昨日の帰りのHRで成績表が配られて、さすがに今日は一緒に帰るだろって思ってたけど緑川はいつもの様に川岸と富田、そして最近はそこに八坂が加わっていつも通り四人で帰って行った。帰ってから順位の写真でも送られてくんのかなって思ってたけど、それもなかった。緑川はどうやら学校では昼、休みの日はデートに行く時だけ俺と話すってスタンスらしい。ちなみにメッセージはたまに返って来るけど、ほとんど返って来ないし電話はした事がない。俺からしたらこれって付き合ってんの?状態なんだけど。会う回数は少なくても別にいいんだけど、メッセージぐらいはって最初は思ってた。たまに電話もって。でも緑川がそれでいいならまぁいっかって思う様になった。
夜に何もなかったって事は明日の昼だなって事は予想出来たからちゃんと成績表は持ってきた。そして弁当を食べ終わったら緑川は当たり前の様に見せ合おうと成績表を取り出し、せーので開いた。緑川の順位を見て出て来たのがマジかよって言葉だった。前までは確かに緑川の方が上だったけど、大して変わらなかった。なのに今回は圧倒的に緑川の方が上だった。緑川は五十位で俺が百位。後一個でも上だったら二桁だったのに。
「私の勝ちだね」
「俺も結構頑張ったと思ったんだけどな」
自分の順位を見て勝ちを確信してたのか緑川は特に喜ぶ様子はなかった。
「約束だから緑川の言う事なんでも聞くよ」
「うん」
そのまま何をして欲しいのか言うのかと思ったけど、緑川は黙ってしまった。えっ、今から考えるパターン?俺も今の緑川の状況を考え始めようと思ったけど、これはもしかしたら言いにくい事なんじゃ?って気もしてきた。確かに勝負に勝ったらって話しだったけど、勝ったもののどう切り出したらいいか悩んでる。そんな感じがしてきた。これは俺が聞くのが正解な気がする。
「なに?そんなに言いにくい事?」
俺まで深刻になってしまえばきっと緑川は余計に言い出しにくくなるだろうなって思ったからわざとらしく明るい声で聞いた。それでも緑川は口を開こうとしなかったから
「勝負に乗った時点で何でも聞く準備は出来てるから遠慮なく言って」
って笑って緑川を見て言った。多分、海にも本屋にも行く約束をしているから別れて欲しいって事ではないと思う。だからきっと本人以外にとってはそこまで躊躇わなくてもって事を言われるんだろうなって俺は勝手に思ってる。あっ、やっぱり本屋は一人で行かせてとかかも。それはあり得る。
「本屋さんに行こうって言ってたでしょ?」
やっぱりそういう事か。一回約束したものを断るって緑川からしたら相当言いにくい事なんだろうな。
「その時にさ、私本選んでいい?」
おっ、断られる流れじゃなかった。でも、直ぐに言葉の意味を理解する事が出来ない。本屋に行って本を選ぶって自然の流れだ。何なら自分の世界に入るって宣言されてるんだから今更俺に許可を取る必要もない。って事は緑川は自分の本を選ぶ話しをしてる訳じゃない。そうなると考えられる可能性は一つだ。
「えっ、もしかして俺に?」
「そう」
なんでこんなにも嬉しい事を言ってくれてるのに緑川は怒られた子供みたいな顔をしてるんだろう。
「マジで?メッチャ嬉しいんだけど。逆に俺から頼みたいぐらい」
そう言うとやっと緑川は安心した顔になった。俺の為にしてくれるって聞いて怒る奴なんて居ないだろって思うけど、きっと緑川は前に話した事を気にしてたんだ。自分が本を読むのを隠しているのに俺に本を勧めるのはおかしいって思ってたからわざわざ勝負を持ち出してまで提案してくれたんだ。で、その為にメッチャ勉強したんだと思う。その気持ちが嬉しい。でも、ちゃんと緑川には言っておかなきゃな。そもそも俺が先に言っておけば緑川にこんな思いをさせる事はなかった。
「俺、緑川におすすめの本教えてもらいたいって思ってたから嬉しい」
「そうなの?」
「うん、そういう流れだっただろ?」
言ってからそういう流れに気付いてなかったからこういう状況になったんだって気付いた。
「そういう流れだったんだ?」
「俺的にはそうだったんだけど、もっとストレートに言えば良かった。いつ行く?」
一緒に行こうって約束はしてたけど、いつ行くってのは決めてなかった。こうなれば今日にでもって言いたい所だけど、放課後二人でってのは緑川の選択肢にはないんだろうな。
「一ノ瀬君、今日はバイト?」
まさかの今日って選択肢あんの?ってマジで驚いた。夏の緑川はやっぱ積極的だ。やっぱり夏は人を開放的な気分にさせるのかもしれない。
「今日は休み」
これは今日行く流れだよな?って思ってるけど、緑川の事だからもしかしたらとんでもない方向に行ってしまうかもしれないと思って先手を打つ事にした。
「今日行く?」
「テストも終わったし」
「じゃあ、帰りに行こう」
「うん。ちなみに一ノ瀬君が勝ってたら何を言うつもりだったの?」
そこはしっかりと聞いて来るんだ。正直に言うか悩んだ。でも、これは今度勝った時の為に置いておこうと思って
「海に行く時の水着俺に選ばせてって言おうと思ってた」
と咄嗟に出て来た嘘を言った。緑川は俯いて小声で勝って良かったって言った。水着を選ぶってのは結構ベタだと俺は思うんだけど、緑川はなしの様だ。
「俺は今負けて良かったって思ってる」
ちゃんと意味が通じたみたいで、緑川は照れながら頷いた。緑川は照れると髪の毛を手で梳かし出す。たまにそこで照れるんだって思うけど、分かりやすくていい。緑川と居ると頭フル回転させないといけない事が多いけど、それでも一緒に居るのは楽しい。
どうせなら大きい本屋がいいと緑川の家とは反対方向の駅前の本屋に来た。教室から一緒に行くと思ってたけど、緑川はさっさと一人で出て行ったから昼の話しって幻?ってマジで焦った。でも、ちゃんと緑川は靴箱の前で待っててくれた。聞くと二人で出て行く所を見られたくなかったからって言った。もうマジで佐々山いい加減にしてくれって思った。緑川と俺が普通に付き合える様にしてくれって。佐々山の事がなくても緑川は変わんないかもしれないけど、それでも今は佐々山のせいでって思ってしまう。夏休み終わっても状況変わんなかったらちゃんと俺から話そう。
「今年は何が貰えんの?」
「しおりとブックカバーとストラップ。出版社によって違うの」
「ストラップ?全然本と関係ないじゃん」
「でもちゃんと出版社のキャラクターだから」
「あのラッコか」
「うん、可愛いよね」
「まぁ、可愛くない事はない」
もうちょっとメジャーでもっと可愛いキャラクターっていっぱいいると思うんだけど。でもそこにいかないのが緑川らしくていいんだよな。
「思ってたよりすごいんだな」
ヒッソリと展開されてるかと思ってたけど、夏の文庫キャンペーンは入口の直ぐ近くに大々的に展開されていた。そこにはノベルティの見本が飾られていて緑川は吸い寄せられる様にその前に立った。何が貰えるって知ってたって事は事前にネットで見てるはずだ。それでもサンタにプレゼント貰った子供みたいに嬉しそうにする緑川を俺は保護者の様な気持ちで見守っていた。このまま緑川を見つめてるのもなって思って俺は先に本に目を移す。
「緑川、ここ見て」
ジャマするつもりはなかったけど、どうしても言わなきゃ気が済まない物を発見して声を掛けた。
「ここに置かれてる本の作者、赤坂速人と黄田なつめ。ここに緑川の名前並んだら信号になる」
こんな事でテンション上がる俺も大概は子供だ。緑川どんな反応するかな?って見てみると少し離れて本を見始めていた。これは怒ったのか?それとも後で何か言ってくるパターンか?とりあえず今はこの話題には触れない方が良さそうだ。本屋を出てから何も言わなかったらとりあえず謝るとしよう。
「お待たせ」
緑川が自分の世界に入って一時間、ようやく戻って来た様だ。俺は十五分ぐらいは面白がって見てたけど、黙って見てる事に飽きて近くのカフェで待つ事にした。本屋から出る事はないって思ってたけど、本屋に行く前に見たカフェの看板にあったフロートに惹かれてしまった。二人で話しながら選ぶのなら一時間でも付き合えたけど、緑川は全てをシャットアウトして本を選び始めたからカフェにいるって事だけを何とか伝えて先に本屋を出た。最初に自分の世界に入るって言ってたけど、それでも俺に本を選んでくれるって言ってくれたから楽しく選ぶ物だと思い込んでいた。後にあれが緑川なんだよなって思うけど、それでも俺は今回はって期待してしまう。いつもちょっとガッカリするけど、最終的に思うのが緑川はそうじゃなきゃダメだって事だ。いつか俺はこうやって選びたいって言いたいけど、最初は緑川の世界でいい。その後で俺の世界に連れて行く。そうやって俺達の時間を積み重ねる。
「なにか飲みなよ。疲れただろ?」
なにか飲む?って聞いたら絶対に緑川は悩むからこうやって勧める。そうしたらちゃんと緑川は素直にメニューを受け取る。
「楽しかったよ」
「楽しくなかったら一時間も居れないか。決まった?俺、腹減ったからなんか食べたい」
そう言ったら大体の人はメニュー貸してくれると思うんだけど、緑川の場合は
「このサンドイッチ美味しそうだよ」
ってお勧めしてくれる。俺は結構それが好きだ。何食べようかなって口に出したら絶対にこれが美味しそうだって言ってくれる。自分が食べたい物を勧めて来てるのか?って思ってたけど、食べる?って聞いても緑川は首を横に振る事が多い。百パー俺の為に選んでくれるんだって最初は笑ったけど、たまに俺以上に俺が食べる物を真剣に選んでくれて今は嬉しいって気持ちの方が大きい。そんな緑川は俺がお勧めした物を選ぶ確率は三十パーぐらいだ。
「じゃあそれにする」
注文をしてしばらくしたら
「あそこに私の名前が並ぶ事なんてないよ」
って緑川が言った。これは直ぐに何の事を言ってるか分かった。
「並んだらいいなって思わない?」
「思わない。私に小説は書けないし、書こうとも思わないから」
「そっか。でもさ、緑川椿って名前は絶対に大物になるよ」
そう言って俺はインスタに上げられている写真を見せた。
「俺、この絵結構好きなんだ」
見せたのは水彩画で描かれた絵。風景画で、この風景を実際に見てみたいって思わされた絵。
「うん、すごくいい」
「この絵の作者、緑川椿さん」
緑川はどういう事?って感じで首を傾げた。
「緑川と全く同じ名前なんだよ。漢字も同じ」
そう言うと緑川はもっと見せてって珍しく身を乗り出してきた。スマホをテーブルに置いて緑川椿さんのインスタを二人で顔を寄せ合って見る。珍しく普通にカップルっぽい雰囲気なんだけど、今このカフェには一人客が多くて勉強をしたり仕事をしているのかパソコンを開いている人が多い。やっぱり俺達は周りの雰囲気とは逆の所に居る流れになる。
「すごく生き生きしてる」
「有名人じゃないけどさ、この人と同じ名前ってなんか誇らしくない?」
「うん、嬉しい。でも、一ノ瀬君なんでこの緑川さんの事知ってるの?」
言いたくないけど、正直に言うか。
「俺、これが緑川のアカウントだと思ったんだよ。鍵掛かってたし、アイコンじゃ判断出来なくて。緑川椿ってそうある名前じゃないと思って友達申請したら違ったって訳」
緑川は一瞬ポカンとした表情をした後、笑い出した。緑川と付き合って二か月ぐらい経つけど、こんなに声を出して笑うのを初めて見た。普通に可愛くあははって笑う緑川は俺の知っている緑川じゃないみたいだ。緑川にもこんな一面あるんだなって嬉しくなって俺も笑う。
「一ノ瀬君にもそういう所あるんだね」
「あるよ。完璧な人間よりいいだろ?」
「うん、安心する」
この勘違いで緑川が笑ってくれた上に安心感を与えられたなら結果オーライだ。それに勘違いしなければ俺と緑川椿さんの交流も始まらなかった。まぁ、別に交流は始まらなくても良かったんだけど。サンドイッチが届いて食べようとした所で
「あっ、そうだこれ」
と言って緑川が袋を差し出してきた。本当にわざとやってんのかな?って思うぐらいの間の悪さだ。俺がインスタ見せたから届く前にってのは難しかったかもしれないけど、それなら食べ終わってからって流れだ。多分、忘れない内にって事だと思うけど。
「ちょっと待って」
一口だけ口に入れて、手をおしぼりで拭いてから受け取る。
「いくらだった?」
財布を取り出しながら聞いたら緑川は何故かフリーズした。ここでフリーズする理由を考えられるだけ考えてみる。まずは自分の分と一緒に買って値段が分からない。レシートも貰ってない。これが一番有力だ。ってかこれ以外にないか。俺には考えつかない。
「レシートある?」
「あるけど」
あるんだ。って事は値段が分からないって事ではなさそうだ。けどに続く言葉を俺は考える。あるけど一冊ずつの値段は書いていない。これはないか。マンガ十冊とか買ったらちゃんと十行印字されるもんな。店によって違うって場合もあるか。ってかもうここまでごちゃごちゃ考えんだったら直接聞けって話だ。
「あるけどに続く言葉はなに?」
「お金払ってくれるの?」
「そりゃ払うだろ。俺、後で一緒に買いに行くって思ってたから金の事何も言わずに出たんだよ」
「でも私が選ぶって言った」
ん?これはあれか。緑川の選ぶって言うのは選んでプレゼントするって事なのか。
「そういう流れだったんだ?」
「そういう流れだったでしょ?」
昼と立場が逆転した。多分緑川も気付いて俺に合わせてくれている。マジで緑川のこういうノリに乗ってくれる所いい。
「私的にはそういう流れだったんだけど、ちゃんと言えば良かった」
「ってかさ、テストで勝って俺にプレゼント買うって罰ゲームじゃね?」
「でも一ノ瀬君が勝ってたら私はプレゼント出来なかったし、私が一ノ瀬君に本をプレゼントしたいって思ってるから全然罰ゲームじゃないよ。寧ろ嬉しい」
確かに俺が勝っても本を選んでとは言わなかった。緑川が勝ったからこそこういう流れになったんだ。俺は選んでもらうってだけで十分だけど、緑川はそれ以上の事をしてくれた。それをする為に勝負を挑んできた。緑川っていい奴過ぎね?
「遊びに行く時ご飯奢ってもらってるし」
「俺はバイトしてるしそれぐらいは普通だって思ってるけど」
遊びのお金を全部を出すのは緑川が遠慮するからしないけど、ご飯を食べる時は券売機なら先にお金を入れて、後で払うタイプなら伝票を先に取って緑川には払わせない様にしていた。
「私にとっては特別だから」
「そっか。ありがとう」
何とも嬉しい事を言ってもらったから素直に受け取る。中を見ると『僕たちの青空』と『彼女を殺した日』というジャンルが違いそうな本が二冊入っていた。そしてノベルティのストラップも入っている。
「これは緑川が貰っといたら?」
これが欲しくて夏のキャンペーンを楽しみにしているのにと俺はストラップが入っている袋を差し出したけど、緑川は大袈裟に両手を前に出して首を振った。
「いいの。それを含めてプレゼントだから」
そんなに大袈裟なリアクションされたら貰いにくい。本当は欲しいけど、必死にガマンしてる感じがする。でも、メッチャ欲しいって思ってる物をガマンして俺にくれようとしてるんだなって緑川の気持ちを察して素直に受け取る事にした。
「ありがとう」
ストラップは全部で六種類。何が入っているかは分からない様になっている。せっかくだから開けてみようって開けると本に顔を挟まれたラッコのストラップが出て来た。これどういう状況だよって思ってたら
「わぁ、シークレットだ」
って緑川が嬉しそうな声を上げた。袋に描かれたラインナップを見ると一種類だけ黒いシルエットになって上にハテナマークが描かれていて俺が手にしているこれがそのシークレットの様だ。緑川がいいなー。欲しいなって顔をしてたから
「緑川もストラップ貰った?交換しようか?」
って聞いた。緑川はもしかしたら私もって独り言の様に言って三つ開けたけど、どれもシークレットではなかった。分かりやすくガッカリしてたけど
「それは一ノ瀬君が持ってて」
って言った。これ以上言ってもこれはこれで可愛いからって言われそうだったから分かったって答えたけど、あまりにも名残惜しそうに見るからマジで気まずい。
「じゃあカバンに付けるからいつでも見て」
その場でカバンに付けたら緑川は嬉しそうな顔をした。それがいつでもストラップを見れる嬉しさなのか俺が自分の好きなキャラを付けたからなのか俺には判断が出来なかった。どっちにしてもストラップをカバンに付けただけでこんなに嬉しそうにしてくれるなら俺はいくらでも付ける。
※
「ベタに浴衣じゃないんだ?」
夏休みに入って十日、海は夏休みのクライマックスだって洋太が日程を決めたから先に祭りに来ていた。別に俺はいつでもいいけど、早く海に行って八坂に告白してオッケーもらえればその後も八坂と二人で遊びに行けんじゃね?って思ったけど、一々言わなくていっかと思ってそのままにしておいた。海に八坂を誘った事で俺の借りはなくなったからそこまで言う義務はない。
「浴衣で来たらベタに靴擦れしそうだし」
「そうなったらベタにおぶるのに」
「それは恥ずかしい」
まぁ、それは俺も恥ずかしい。祭りは高校の最寄駅から電車で二十分の所だから知り合いに会う可能性がメチャクチャ高い。おんぶしてる所なんて見られようものなら二学期から緑川は学校に来なくなるかもしれない。
「じゃあはぐれない様にベタに手でも繋ぐ?」
俺、手繋ぐ?なんて聞いたの初めてかも。こういうのって自然の流れに任せるものなのに。口に出すと結構恥ずかしいもんなんだなって初めて知った。これ、断られたらもっと恥ずかしくね?って戸惑ってる緑川を見て思ったから返事を待たずに緑川の手を取った。
「なに食べたい?」
「からあげ」
緑川って弁当は小さいのに遊びに行くとビックリするぐらい食べる。見ていて気持ちいい食べっぷりだ。一回、牛丼を食べに行った時に大盛りを完食して俺を驚かせた。本人曰く普段食べられない物を食べるとなるとテンションが上がって普段より食べるらしい。
「全然ベタじゃないじゃん」
「じゃあたこ焼き」
「別に無理しなくていいよ。食べたい物食べよう」
「あっ、でもベタにかき氷は食べたい」
祭りって雰囲気がそうさせるのか、やっぱり夏だからか緑川のテンションは高い。
「それでベタに舌に色付いたの見せ合う」
「うん、それがベタだね」
からあげとたこ焼を買って用意されているテーブルで食べる。残念ながら花火の打ち上げはない。祭りと花火の組み合わせこそベタだと思うんだけど、近くに打ち上げ場所がないらしい。
「夏休みはいっぱい遊びに行ってるの?」
俺が日焼けしてたらそう聞かれるのは分かるんだけど、俺は別に日焼けを気にしている訳じゃないのに夏休み前と何も変わらない。なのになんでそんな事聞いたんだろうって思ったけど、俺が休みの日は遊びに行くって言った事を覚えてくれてたんだって気付いた。
「バイト行く時以外、外に出てない。今日久し振りに外に出た」
「なにしてたの?」
それはもうちょっとしてもっと雰囲気の良い所で言おうと思ったけど、聞かれたからにはもう答えようって思った。
「あれ、流じゃん」
緑川以上に空気の読めないタイミングで声を掛けて来たのは佐々山だった。浴衣を着て、髪の毛もメイクもバッチリで前までの俺だったら可愛いじゃんって言ってたと思う。
「私、友達とはぐれちゃってさ」
その展開も結構ベタだな。でも、スマホあんだから何とでもなるだろって思った。
「一緒に探してくれない?」
マジで頭のネジ飛んで行ってね?バカだろって喉元まで出て来た言葉を必死に飲み込んだ。
「俺、緑川以外と二人で歩かないから」
本当にはぐれたのか俺と祭りを回る為にわざと一人になったのか。俺は後者だと思ってしまう。もう佐々山に対してプラスの思考は一切なかった。
「緑川さん居たんだ」
絶対に気付いてた。普段と雰囲気違うけど、俺が一人で祭りに来てるはずがない。さすがの佐々山でもそれぐらいは分かるだろう。その今気付いたみたいな感じ痛すぎて見てらんない。せめていつもと雰囲気違うから分からなかったって言葉があれば大分印象も違うのに。
「じゃあ三人ならどう?」
マジでバカじゃねぇのって思った。佐々山の頭の中どうなってんだよ。これ、俺がこの事を言いふらしたらマジで友達居なくなんじゃね?ってレベル。でも、きっとまだ佐々山と一緒にいる奴らは同レベルなんだろうなって思う。一緒に悪口、陰口言ってそれで楽しんでんだろうなって。俺も最初は佐々山いい奴じゃんって思ってそこそこ仲良くしてたけど、それは俺が佐々山の事を好きだと思い込んでたからいい顔をしてただけ。化けの皮が剥がれるっていうのはこういう事を言うんだろうな。
「今から飯食うから」
緑川は居心地悪そうにずっと下を向いてる。普段もこんな思いをしてるのかって目の当たりにして俺は腹が立ってしょうがなかった。
「悪いけど、ジャマされたくない」
一緒に食べるとか言い出さない内に先に言う。これでダメならマジでキレるしかないけど、緑川に余計に嫌な思いをさせそうだからそれはしたくない。
「冷めたかな?もう一回買いに行く?」
佐々山を無視して緑川に話し掛ける。緑川はまだ下を向いたままだけど、首を横に振った。
「なんで緑川さんなの?」
マジかよ。ここでそれ聞く?ってかしつこ過ぎ。こんなに可愛い私を好きにならないなんておかしいって思ってんのがおかしいんだよ。
「佐々山の百倍心がキレイだから。もうマジで踏み込んで来んなよ」
最後は思わず出て来た言葉だった。ここまで言うつもりはなかったけど、言わずにはいられなかった。もう何を言われても無視しようって決めてたこ焼きを食べる。腹が立ってたし、冷めてたけど、普通に美味かった。美味いって感じられて良かった。
「緑川も食べなよ」
ずっと下を向いたままじゃ佐々山になめられっぱなしだぞって言いたかったけど、ちゃんと緑川は手を伸ばして来た。
「私、猫舌だからちょうどいいかも」
その言葉に俺は思わず笑った。確かに緑川はラーメンもそこまで冷ます?ってぐらいに息を吹きかける。冷めた事をポジティブに変えてくれる発言をしてくれるのってマジでいいなって思う。俺がもう佐々山と話す気はないと分かったのか佐々山は何も言わずに立ち去って行った。
「ゴメンな」
「なにが?」
「もっとカッコ良く後を引かない感じで言えたら良かったんだけど」
「佐々山さんに?」
「そう」
「何を言っても同じだと思う」
緑川もそんな事言うんだな。ちょっと安心した。
「それに一ノ瀬君ちゃんとカッコ良かったよ」
緑川もそんな事言ってくれんだな。全く構えてなかったから普通にちょっと照れてしまった。
「普通にカッコ良くはなかっただろ?」
「普通にカッコ良かったよ」
「まぁ、緑川がそう思ってくれたんならそれでいい」
「それで何してたの?」
いい流れだったのに急ブレーキがかかった。ちょうどからあげを口に入れた所だったから飲み込むまでの間に考える。
「夏休み」
答えを出す前に先に緑川が言ってくれた。そう言えばそういう話しをしてたんだった。
「本当はさ、もっとちゃんとした所で渡そうって思ってたんだけど」
カバンから袋を取り出す。ちゃんとプレゼントらしくしようか悩んだけど、そこまで大袈裟にしたら緑川が遠慮するかもって思ってそれは止めた。袋を見た緑川は中に何が入っているか想像出来たみたいだ。
「見てもいい?」
「もちろん。プレゼントだから」
袋の中を見た緑川の目が分かりやすく輝いた。渡したのは本屋の袋でその中にはノベルティのラッコのストラップを五個入れていた。
「一個だけシール貼ってるのあるだろ?それ見て」
こういう袋も大事に取っておくタイプかな?って考えて跡がつかない方がいいよなってこれだけの為にバイト帰りにマスキングテープを買いに行った。そしてそれを手に取った緑川は感動のあまり泣き出すんじゃって思わず思ってしまう程の顔で俺を見た。
「ありがとう」
シンプルな一言だけど、それだけで緑川の嬉しいって気持ちが俺も嬉しくなるぐらいに伝わってくる。
「ちゃんとさ、読んでから買いに行ったんだ。だから夏休み入ってからはひたすら家で本読んでた」
どうしても緑川にシークレットのラッコをプレゼントしたいって思った。最初はフリマアプリで買おうとしたけど、それって反則だよなって自力で手に入れた。もう間に合わないかと思ったけど、五個目にしてようやくシークレットが出てくれた。
「ここで渡す事になるとは思ってなかったけど。つくづく今日はカッコつかないな」
「一ノ瀬君はそう思ってるかもしれないけど、私から見た一ノ瀬君は今日はいつも以上だった」
「やっぱシークレット当てたのはカッコ良すぎ?」
「最高に」
「これで夏休み中でもシークレット見れるだろ?」
「毎日見る」
毎日見て俺の事思い出してって言うのはベタか?それとも寒過ぎ?そんな事を考えてたけど、ダイヤの指輪を貰ったみたいに緑川は指にストラップの紐をかけて本当に嬉しそうな顔でストラップを見ていた。きっと緑川にとって今日は祭りに行った日じゃなくてシークレットのラッコを貰った日になった事だろう。
※
「海だー」
なんで人って海を見て当たり前の様に海だって言うんだろう。普段見ないからか?珍しく雪が降ったら雪だって言うから多分そうだな。
洋太は海の近くにバーベキュー場がある場所を調べてくれた。電車で二時間って言われて固まったのは俺だけじゃないはずだ。でも、最終的に洋太の兄ちゃんと友達も海に行くってなって俺達も一緒に車に乗せてもらった。人数多いからって大きい車をわざわざ借りてくれた。海に着いたら別行動。で、帰りはまた乗せて帰ってもらえる。マジでありがたい。ちゃんと皆で車代を用意したけど、高校生から金は貰えないって受け取ってもらえなかった。それで美味い物でも食えってベタな台詞まで言ってくれてカッコいいって思った。川岸と富田が彼氏を連れて来たから必然的に並びは決まって来る。緑川は初めて会う二人の彼氏を前に見るからに緊張してたけど、二人とも気さくで俺が普通に話してたらちょっと会話に入って来る様になった。思わず笑ったのが二人付き合ってんだよね?って質問にだと思いますって緑川が答えた事。それには川岸も富田も笑っていた。急に聞かれたからの答えだと思うけど、未だに緑川が俺と付き合ってるって思ってなかったら大問題だ。
「八坂どんな水着かな?」
男四人は女子が着替え終わるのをレジャーシートを敷いて待っていた。
「八坂だったらどんな水着でも似合うだろ」
どんな水着か気になるのはやっぱり緑川だ。まさかスクール水着じゃないよな?って思うけど、そうであっても緑川だよなとも思う。
「やっぱそうだよな」
一体どんな想像をしてるのか洋太はニヤケている。もうこの感じマジでベタな男子高生って感じで寧ろ清々しい。この感じで間違いなく今日初対面の二人も洋太が八坂の事好きってのは言わずとも伝わってると思う。
「流はさ、なんで緑川さん?」
そう聞いて来たのは富田の彼氏である幸広。一目見て絶対にスポーツやってるよなって体格の良さで思った。それでいて爽やかな感じだからバスケかサッカーってのが俺の予想だったんだけど、空手部だった。ちなみに川岸の彼氏は優斗。二個上で大学生。見るからに勉強出来そうなタイプだなって思ったらちゃんと偏差値高い大学に行ってた。真面目な印象だったけど、気にせず呼び捨てにして。ため口じゃないと俺の方が緊張するからって言ってくれた。
「俺と緑川ってそんなに合わない?」
なんで緑川?って質問は緑川に失礼だろって思うけど、言い方に嫌味がないから腹は立たなかった。
「いや、雰囲気はバッチリ合ってる。二人の空気感あるなって思ってた」
おっ、悪くない答え。そして俺と緑川もやっとそういう風に見てもらえる様になったのかってちょっと嬉しくなる。
「緑川さんって大人しいじゃん?流ってもっとノリのいい女の子と付き合ってそうなタイプだから。だから緑川さんが悪いって意味じゃない。気悪くしてたらゴメン」
「いや、大丈夫。緑川と付き合うまではそういう女の子が好きだったんだけど」
「やっぱあれか。今までなかった物を求め始めたんだな」
洋太が腕を組んで自分で言った事に一人納得して勝手に頷いている。緑川と俺が付き合い始めた理由は二人だけの秘密だ。なんか二人だけの秘密っていいな。そんな事を考えてたら女子が歩いて来るのが見えた。遠くから見て緑川がスクール水着ではない事が分かった。嬉しい様なちょっと残念な様な。
「後ろ向いとくか」
洋太は後ろを向いた。幸広と優斗はどうすんだろって思って見ると二人は前を向いたままだったから俺もそうする事にした。
「今日は八坂さんと洋太が付き合う流れに持って行けばいいんだよな?」
まだ女子には俺達の声は届かない距離だったけど優斗が小声で聞いて来た。
「俺達が何もしなくても洋太は自分で流れ作るよ」
「そっか。まぁ、聞いたけど俺に何が出来るって訳でもないしな」
「ってか、俺達と一緒で良かった?幸広も優斗も二人きりの方が良かったんじゃない?」
「咲がさ、緑川さんと流を見て欲しいって言ってたから」
「それ恵も言ってた。意外って感じなんだけど、意外にもお似合いでいい感じだからって」
川岸は咲、富田は恵。初めて下の名前を知った。緑川は二人の前では何て呼んでるのかは分からないけど、俺の前では川岸さん、富田さんって呼ぶ。
「お待たせー」
その八坂の声に洋太が振り向く。そして誰もがそう言うだろうなって思ってた事をそのまま口にする。
「メッチャ可愛い。いいね。夏って感じ」
夏って感じまでは想像してなかったけど、そこまでストレートに大声で可愛いって言えるのは最早才能だと思う。俺は俺自身が恥ずかしいのもあるけど、そんなに大袈裟に褒めたら緑川はもっと恥ずかしがるだろうと思って後で言う事にする。ちなみに緑川は水色の生地に白の花が描かれたスカート型の水着だった。ちょっと控えめな感じが緑川って感じだ。他の三人も自分に似合うのがどれか分かってるって感じでいいけど、俺はつい緑川ばっかり見てしまう。恥ずかしそうにしてるのがまた初々しくていい。佐々山だったらここぞとばかりに自分を見せびらかしてくんだろうなとか考えてしまった。
「なぁ、八坂ってさ佐々山と仲良かったよな?」
洋太は砂に埋められ、カップル二組と緑川は飲み物を買いに行っている。まさか緑川が四人の中に入って行くなんて思ってもなかったけど、川岸と富田に声を掛けられて小動物みたいな感じでついて行った。八坂がレジャーシートに座ったからここしかないと思って話し掛けた。俺が八坂の横に座ったのを遠くから見た洋太は砂から抜け出そうと必死にもがき始めた。
「そうだね」
楽しい夏休みに開放的な海で気分が良くなってる時にする話しじゃないってのは分かってるけど、俺はどうしても聞いておきたかった。
「一ノ瀬なら理由分かるでしょ?」
この理由ってのは佐々山と離れた理由って事だよな。傍から聞いたら佐々山と仲がいい理由って勘違いしそうだけど、多分俺の解釈で合ってるはずだ。
「やっぱりそういう事なんだ?」
「聞いてて気分いいものじゃないからね。愚痴とか悪口とか誰だって言うけどさ、メッチャ嫌な感じなんだよね。棘と毒しか感じない」
その言い方で嫌という程分かった。本人に直接嫌味を言うって事は周りにも言いまくってんだろうなって思ってたけど、やっぱりその通りみたいだ。
「その割に佐々山の周りって人居るよな」
「今周りに居るのは同じ様に悪口言って楽しむ様な人達。ここに居たら毒されるって思って私は離れたって訳」
ちゃんと八坂はいい奴だった。そして佐々山が一人にならない理由も分かった。いわゆる類友ってやつだ。
「それに椿って綾の百倍はいい子だから一緒に居て落ち着く。もちろん咲とメグも」
佐々山は綾。これは知っていた。下の名前で呼んでいいよって言われたけど、俺はずっと佐々山って呼んでいた。俺はもう出てくるままに佐々山より緑川の方が百倍心がキレイって言ったけど、八坂もそう言うって事は大袈裟じゃなくてマジで百倍なのかもしれない。
「ねぇ、一ノ瀬ってなんで椿の事名字で呼ぶの?」
「椿より緑川の方が口馴染みが良いって言うか」
確かに付き合ってんだから名前で呼ぶべきかとは考えた事がある。でもやっぱり緑川は緑川なんだよな。
「でもそれが綾を調子に乗らせてるんだよ」
「どういう事?」
「椿の事名字で呼ぶって事はまだそんなに仲良くないって思われてる。だから私にはまだチャンスがあるんだって」
まさかそんな事で。でも多分俺が椿って呼び始めたらそれはそれで嫉妬すんだろうな。
「なんの話ししてんの?」
自力で砂から脱出した洋太が入って来た。砂だらけなのもお構いなしに座ろうとしたからさすがに止めた。
「名前の呼び方について」
「下の名前で呼んで的な?」
「そんなとこ」
「じゃあ俺、八坂の事下の名前で呼んでいい?」
洋太ってそういう事一々口に出すタイプなのか。勝手に下の名前で呼ぶものだと思ってた。
「いいよ。ってか私の名前知ってる?」
「結だろ?」
八坂は結。これは知ってた。思えば俺が下の名前を知ってる女子は佐々山が名前を呼んでるのを聞いた事がある女子ばかりだ。
「俺も洋太って呼んで。なんなら特別に洋ちゃんでもいいけど」
これ、俺がいない方がいい流れだなって思って黙って立ち上がった。もしも二人の物語に帯をつけるのなら『行きは友達、帰りは恋人』って、ダサすぎか。
一人で海ってする事ないし、もしかしたら緑川がカップル二組と一緒で肩身の狭い思いをしてるかもしれないって思って迎えに行く事にした。
「あっ、一ノ瀬君」
そう言って手を振ってくれたのはもちろん緑川ではない。そしてちゃんと男二人と女子三人で歩いている所を見て余計な心配だったなって思った。川岸と富田はちゃんとそこに気を遣えるんだ。それを分かってるから緑川も一緒に行ったんだ。俺が合流すると並びは自然にそれぞれの組み合わせになった。
「持つよ」
緑川の手には缶ジュースが二本あったから手を出した。俺からしたら当たり前の流れなのに緑川はなんでか困った顔をした。ジュースを持つって事に譲れないこだわりでもあるのか?それとも別の理由?ってか、普通ならありがとうで済む所をなんでこんなにも頭をフル回転させなきゃならないんだよ。友達ならそう思ってちょっと腹立つ所だけど、緑川ならこれが緑川だからなって思える。
「手、冷たいだろ?」
「大丈夫」
多分俺が気遣ってそう言った事に緑川は気付いていない。これはマジで謎だ。どんな名探偵でも解決出来ないんじゃないかって思える程に謎だ。
「なに買ったの?」
緑川は抱きしめる様に缶を持ってたから何を買ったかは見えなかった。その質問をすると困った顔が少しだけ嬉しそうになった。どうやら謎を解くヒントは何を買ったかに隠されているみたいだ。
「サイダーとリンゴの炭酸」
なんかちゃんと夏って感じのチョイスだ。俺は何がいい?って聞かれて任せるって答えたけど、お茶とかコーヒーじゃなきゃいいなって思ってた。任せるって言った以上は何でも飲むけど、夏の海ってやっぱ炭酸が似合う。
「緑川はどっち飲もうと思って買った?」
その質問に緑川はまた困った顔に戻る。それで分かった。もうこれしかないって答えが出た。
「俺、両方飲みたいから半分ずつしない?」
そう言うと緑川は嬉しそうな顔で頷いた。どうやら正解みたいだ。俺の推理はこうだ。買う時に緑川は両方自分が飲みたい物を選んだ。そして俺と半分こって思ったけど、自分からは言い出せない。だから聞いた時に困った顔をした。そして俺から半分こを提案したら正解だったって訳だ。俺は緑川専門の名探偵になれそうだ。
バーベキューは海から歩いて五分の所にあるバーベキュー場で。ここでは機材のレンタルはもちろんの事、食材も買えるから手ぶらでバーベキューが出来ると洋太が誇らしげに言っていた。別にお前が作った訳じゃないだろって思ったけど、予約してくれたから全力で褒めておいた。
「一ノ瀬君って椿の事よく分かってるね」
洋太が張り切って焼いてくれているからとりあえず先に食べて後で代わるかって思ってたら川岸に言われた。緑川は少し離れた所で富田と肉を見せ合って笑っている。どういう状況だよとは思ったけど、楽しそうで何よりだ。
「ジュース買う時にさ、椿があまりにも悩むから最初一ノ瀬君が何飲みたいか分からなくて悩んでると思ったの。でも、聞いてみたら自分が飲むのを真剣に悩んでてそれなら一ノ瀬君と半分ずつしたら?って言ったの。それでも何をそんなに悩むんだろうってぐらい悩みながら買ってて。二人の会話聞いてて椿は半分こしよって言えないんだってやっと気付いた。盗み聞きしてゴメンね」
単純に俺が両方飲みたいと思って言ったって可能性を考えずにそう言ってくれる辺り川岸もよく分かってる。
「それは全然いいんだけど、普段の緑川ってどんな感じ?ちょっとちょうだいとか言わないの?」
俺だから言えないのか緑川の性格の問題なのか。普段の緑川がどんな感じか聞くいいチャンスだと思って聞いた。
「私達から言ってたなって後で気付いた。これ食べる?とか分けっこしようって。だから一ノ瀬君がちゃんと椿の言いたい事を理解してあげるの凄いなって思った」
メッチャ想像できる。緑川って自分から行くんじゃなくて誰かに引っ張ってもらうタイプ。それは俺に対してだけじゃないんだな。そしてやっぱり緑川の事よく分かってるって言われんの嬉しい。分かろうって必死に毎回考えるけど、それがちゃんと成果として表れてる。そしてそれを見てくれている人がいる。なんか今まで付き合っていた感じと違う。ちゃんと向き合ってるって感じがする。
「でもやっぱりまだ緊張してる感じはするけどね」
「やっぱそう?」
今日、女子三人と話す緑川は俺が見た事ないぐらいスラスラと喋っていた。俺と居る時は慣れない英語を頑張って話してるけど、仲のいい友達とは母国語で話している。印象的にはそんな感じだ。でも、映画に行った日は一回スイッチ入ったんだよな。あれからスイッチが入る事はない。
「私達とも最初あんな感じだったから。でも、雰囲気から幸せって感じが出てる。今日とかいつも以上に幸せそうにしてる」
普段から一緒に居る川岸が言うならそうなのだろう。今日の緑川は幸せオーラが出てる。でも俺からしたら結構いつもの緑川なんだよな。もしかして常に幸せオーラ出てるのか?いや、さすがにそれは都合のいい考えか。でもそうであって欲しいって望むぐらいは許されるだろう。
「まだ完璧には理解出来てないけどさ、理解しようとしてるし、したいと思ってる」
そう言うと川岸は自分の事の様に嬉しそうな顔をした。なんか自分の大切な人を他の人にも大切に思われてるっていいなって思った。
「もしも何か聞きたい事とかあったらいつでも聞いて」
「あっ、じゃあ今一個だけいい?」
緑川に聞こえない様に小声で川岸にずっと緑川に聞きそびれていた事を聞いた。答えを聞いて聞きそびれてたけど大丈夫だったなって安心した。
「洋太君、ずっと焼いてくれてるね。代わった方がいいかな?」
えっ、ちょっと待って。緑川って洋太の事名前で呼ぶの?マジでビックリした。いや、確かに洋太なら名前で呼べよって言いそうだけど、言われたからって名前で呼ぶんだ。俺は一ノ瀬君って呼ばれるの心地いいなって思ってるから嫉妬とかはしないけど、ビックリはする。緑川と付き合いだして一番って言ってもいいかもっていうぐらいの驚きだ。
「後で俺が代わるよ」
そう言いながら洋太の方を見ると八坂が近付いて行って、洋太が手が塞がってるからと肉を食べさせてもらっていた。丸見えだし、丸聞こえで緑川が見てはいけない物を見たという感じで視線を逸らした。もう二人の雰囲気で付き合いだした事は分かる。そして手が塞がってるから食べさせてってメッチャ自然な流れだし、それに対してはちょっと羨ましいって気持ちになった。
「やっぱ代わらなくてもいいかも」
俺がそう言うと緑川は黙って頷いた。緑川そういう所はちゃんと分かるんだなってこれは緑川をバカにし過ぎか。
「椿と一ノ瀬君で分けて」
富田が焼けた肉と野菜を一つの皿に乗せて持って来てくれた。これはチャンスだって思って
「俺、玉ねぎ食べたい」
って言いながら箸で肉をつかんだ。俺なりに手が塞がってるから食べさせてってアピールしたつもりだったけど、緑川は
「いいよ」
と言って俺の皿に玉ねぎを入れてくれた。やっぱ伝わんないよな。そうなると燃えてくる。絶対に緑川に食べさせてもらう。そんな気持ちになっていた。そもそも玉ねぎってチョイスが間違ってたのかもしれない。
「ウインナー食べたい」
ウインナーは一本しかない。これは半分ずつ食べる流れだろって思ったけど、緑川は迷う事なく俺の皿に入れてくれた。
「後はどれがいい?」
そう聞かれると俺メッチャ食い意地張ってるって思われてんのかなってそれを否定したくなるし、そろそろ分かってくれって気持ちになる。
「タレにつけないで肉食べたい」
そう言ってからちょっと必死になってるのカッコ悪くね?素直に俺も食べさせてって言えば良かったって思った。
「じゃあそのまま食べる?」
そう言って緑川は皿を差し出してきた。
「手、塞がってるから食べさせて」
箸と皿で両手は塞がってるから事実なんだけど、洋太の真似みたいになってしまってあまりにもあからさまでちょっと恥ずかしくなった。
「あっ、そういう流れか」
緑川は本当に小さい声でそう言って俺以上に恥ずかしそうにする。それが流れを読めてなかった恥ずかしさなのか俺に食べさせる恥ずかしさなのかは分からない。それでもちゃんと緑川は俺に肉を差し出してくれた。
「うん、美味い」
お返ししようって思って俺も肉を持ったけど、緑川はそのまま富田と川岸の元へと行ってしまった。俺は宙に浮いたままの箸をそのまま自分の口へと運んだ。
残念な事にどこも花火は禁止でする事が出来なかった。だからバーベキューが終わって俺達はまた洋太の兄ちゃんと友達の運転する車に乗せてもらっていた。行きは洋太と兄ちゃんが気を遣ってくれて洋太を除く高校生七人を洋太の兄ちゃんが乗せてくれたけど、帰りは洋太が八坂と一緒がいいって言ったから俺と緑川、洋太と八坂の四人と富田と幸広、川岸と優斗の四人で分かれて乗せてもらった。後で知ったけど、幸広と優斗は同じ中学でバスケ部だったらしい。それを聞いて幸広がバスケ部って思ったのは間違いじゃなかったんだなって思った。三十分程経った所で楽しそうに喋っていた二人の声が聞こえなくなった。八坂の頭が洋太の肩に乗っているから多分寝ている。言うならここしかないって思って
「水着、可愛かった」
ってずっと言おうと思ってタイミングを逃していた事をやっと言った。初めて緑川に可愛いって言った。これはお世辞じゃなくてマジで思った。
「三人と一緒に買いに行ったの」
「今日の為に?」
「そう」
「ありがとう」
「なんのお礼?」
「今日楽しかったお礼」
俺も何のお礼なのか自分でもよく分かってなかった。でも、それでもなんかありがとうって言いたくなった。別に俺の為に水着を選んだって言われた訳じゃない。きっと今日緑川が居てくれて良かった。俺は最高に楽しかったってお礼だと思う。
「流君も椿ちゃんも着いたら起こすから寝てていいよ」
洋太の兄ちゃんが運転席から声を掛けてくれた。自分も疲れているはずなのにそうやって声を掛けてくれるってカッコイイ。洋太の兄ちゃんを見て俺も免許取りたいって思った。そして俺もいつか車に乗せた人に同じ事言う。
「良かったら」
そう言って俺は自分の肩をポンポンと叩いた。そうしてからまさか良かったら肩叩いてくれていいよって思わないよな?って不安になった。
「ありがとう。でも楽しかったから大丈夫」
緑川の短い言葉で分かった事と分からない事がある。まず分かったのは緑川は俺の肩を借りないって事。そして分からないのが楽しかったから大丈夫と言った意味。楽しかったから肩を借りないってよく分からない。俺は名探偵だからこの謎も絶対に解いてみせる。まず緑川の顔を見る。眠たいって感じは一切ない。って事は肩を借りないのは寝ないからって事だ。何故寝ないのか?ここで楽しかったが繋がるはずだ。楽しかったから寝ない。楽しい気持ちのまま寝た方が良くね?って思うけど、緑川は違う。って事は楽しかったから寝れないが正解な気がする。アドレナリン出て寝れない的なやつか。これは本人には聞かないけど、恐らく正解だ。なんてったって俺は緑川専門の名探偵だから。そんな事を考えてたら俺が眠くなって来たから勝手に緑川の肩を借りて目を閉じた。そして緑川も楽しかったのかと幸せな気分で眠りに落ちていった。