目を奪われた春
目を奪われるってこういう事を言うんだなって窓から差し込む夕日に照らされて本を読む緑川の姿を見て思った。電気が点いていなかったから教室には誰も居ないと思っていた。それがまさかこんなにも美しい姿を見れるなんて。緑川はドアが開いた音にも気付かずに窓際の一番後ろの席で姿勢よく本を読み続けていた。俺はポケットからスマホを取り出して緑川の写真を撮った。ドアを開けた事には気付かなかったのにシャッター音には直ぐに気付いてこっちを見た。そして慌てて本を閉じて立ち上がった。いたずらが見つかった子供みたいな反応に思わず笑ってしまった。
「慌てすぎだろ」
なんで笑ってるの?って顔を緑川がしてたから言った。緑川って髪も結構明るめの茶髪で化粧もしてるけど、なんか無理してる感じがする。周りがそうしてるからそうしてますって感じ。
「ジャマしてゴメン」
別にジャマしたつもりはなかったけど、結果的にジャマした形になったから一応謝っておく。
「なんで写真?」
「インスタ映えしそうだったから」
「私が?」
「正しくは本を読んでる緑川が」
そう言うと緑川は見られたんだったって険しい表情になった。二年になって一ヶ月ちょっと。初めて緑川とちゃんと喋ったけど、メッチャ顔に出るタイプなんだな。顔を隠そうとしているのか肩より少し長めの髪を顔の方向に何回も手で梳かしていた。
「誰にも言わないでね」
「本を読んでた事を?」
緑川の前の席に座った。それを見て緑川も座った。ちゃんと顔を見て話せる様に椅子に跨って後ろを向き、背もたれに肘をついて緑川の目線の高さに合わせた。
「そう」
緑川は必死に俺の視線から逃げようとするみたいに机ばかりを見ていた。
「なんで?」
「本を読んでるだけで真面目で地味って思われるから」
「だから無理して髪染めて化粧してんの?」
ここ星藍高校は制服もあるけど、私服でもオッケー。でも、皆高校生って事を楽しみたいのかほとんどが制服を着ている。気分でたまに私服って感じ。髪型も化粧も自由。だからと言って荒れている訳ではなく、そんなに勉強が出来ない奴らが集まって楽しく学生生活を過ごしているって感じの高校だ。確かに地味で真面目だとこの学校では浮いてしまう。だから緑川の言う事は全く理解出来ない訳ではない。
「俺は別にいいと思うけど。好きな物隠して過ごすのしんどくない?」
「本を読んでるってだけで仲間外れにされる方がしんどいかな」
「そんなんでハブられたりしないだろ」
確かにちょっとはからかわれるだろうけど、だからと言ってじゃあつるむの止めようとは思わないって俺は思う。
「でも実際、趣味が読書ってダサいって思うでしょ?」
「ダサいな」
優しい言葉を期待していたのか緑川の表情は目に見えて暗くなった。でも俺は本を読む事を否定したくてそう言った訳じゃない。
「自分の好きな物を自分で否定すんのマジでダサい」
自分の好きな物とか思いとかとにかく自分の中にある物を自分自身で否定したら誰が肯定してくれるんだって話しだ。まぁ、人にバカにされてまで自分の信念を持ち続けるって難しいとは思うけど。さすがに今初めてまともに喋った緑川にそれは言わない。優しさや気遣いはもっと仲が良くなってからしかみせない。そうじゃないとただでさえ人が集まるのにもっと集まってしまう。すっげぇ自意識過剰な感じだけど実際にそうなんだからしょうがない。
「確かにそうだね。でも、もう堂々と本を読もうとは思えないかな」
「けど、今は読んでた」
「ずっと楽しみにしてた本だったから。昨日の夜にほとんど読んだんだけど、後少し読み切れなくて。帰るまでガマン出来そうになかったから持って来ちゃって。忘れ物取りに行くから皆に先に帰ってもらって、もう誰も居ないと思って油断した」
それがまるで悪い事みたいに緑川の声も表情も沈んだ。
「俺、カバン取りに来ただけだから続き読みなよ」
「今まで何してたの?」
気を遣ったつもりだったけど、伝わらなかったのかもうここでは本を読むのを諦めたのか緑川が聞いて来た。とにかく聞かれたなら無視は出来ない。それに俺はもうちょっと緑川と話してみたいと思っていた。
「佐々山にこき使われてた」
俺がクラスの男子で一番目立つ存在なら佐々山は女子で一番目立つ存在だ。そして多分佐々山は俺の事が好きだ。その佐々山がテニス部の部室の大掃除をするから重たい物を外に出して欲しいと頼んで来たので帰宅部なのにわざわざ体操服に着替えて重労働をこなした。お礼はジュース一本だけだったけど、別に予定があった訳じゃないし、もれなく女子部員に笑顔でありがとうって言われたから気分はいい。
「佐々山さんと仲いいもんね。って、一ノ瀬君は誰とでも仲いいか」
「ちゃんと俺の名前知ってんだ」
「クラスメイトの名前ぐらい覚えるよ。一ノ瀬君が私の名前知ってくれててビックリした」
「俺もクラスメイトの名前ぐらい覚えるから。ちなみに下の名前も知ってる?」
「ながるって呼ばれてるのは知ってるけど、字までは分かんない」
「流星の流でながる」
我ながらカッコつけた言い方だなって思う。カッコつけんなよってツッコまれる事もあるけど緑川は
「一ノ瀬流ってすごい主人公みたいな名前だね」
ってキラキラした目を俺に向けて来た。やっと緑川にプラスの感情が芽生えたみたいだ。そしてやっと目が合った。合ったけど、直ぐに逸らされる。
「でもちょっと変わった事とかしちゃうと一ノ瀬流って直ぐに言われんだよ」
「それはそれで師範みたいでカッコいいよ」
「入門生でも募集するか。緑川椿って大御所感あるよな。ベテラン作家とか演歌歌手にいそう」
そう言うと緑川は驚いた顔をしていた。変な事言ったかな?とりあえず怒ってなさそうで良かった。あまりにも目を合わせてくれないから壁を背もたれにして廊下の方を向いた。
「私の名前知ってるんだ?」
「クラスメイトの名前ぐらい覚えるって言ったろ?」
「言ってたけど、まさか下の名前まで知ってるって思わなかったから」
「これが一ノ瀬流だから。緑川も入門する?」
そう聞くとやっと緑川は笑った。笑ったって言うか微笑んだ。
「ジャマして悪かったな。そろそろ帰るよ」
空気も和らいだ事だし、今が帰るのにベストなタイミングだろうと思って立ち上がった。
「ねぇ、私ってそんなに変?」
質問の意味が分からなくて振り返って緑川の顔を見る。緑川の目は真っすぐに俺を見ていた。その目は自分自身を否定される事を恐れている様に見えた。
「別に変とは言ってないだろ?」
「でも無理してるって」
「それはそういう意味じゃなくてもっと自然体の緑川でいてもいいんじゃね?って事」
「それはやっぱり変って事なんじゃないの?」
「緑川の連絡先教えて」
話しの流れをぶった切ったけど、緑川は何も言わずにスマホを取り出した。登録して直ぐに俺はさっき撮った写真を緑川に送った。
「マジでダサいって思ってんならそれを変えろよ。好きな物ぐらい堂々と好きって言えよ。その写真一枚で誰か一人の感情ぐらい動かせるから。別に俺は緑川を否定した訳じゃない。でもせめて自分らしさを出せよとは思う。周りからの目を気にして自分抑えるぐらいなら周りの目を変える努力するか誰に何を思われても自分を貫き通せよ。ちゃんと俺が居てやるから。一人にはならないから安心しろ」
ちょっと上から目線過ぎたかなって思ったけど、これぐらい言わないと緑川には届かないだろうなって思ったから仕方ない。カバンを持って緑川の方を振り向かずに教室を出た。
「ちょっと緑川借りてもいい?」
次の日、緑川は劇的に変わった。なんて事はなく、いつもの緑川だった。別に期待してた訳じゃないけど、昨日の俺の言葉って一ミリも届いてなかったのかってちょっと虚しくなる。だからまずは俺が行動しようといつもの三人組で弁当を食べようとしていた所に入って行った。川岸と富田は好奇心むき出しにして俺と緑川の顔を交互に見ていた。
「私達はいいよね?」
「うん、椿行って来なよ」
一ノ瀬君が言ってるんだからって流れになるからクラスで目立つ存在って得だなって思う。でも俺は人気者でありたいからちゃんと髪の毛も身体も気を遣っている。見た目に気を遣って無理をせずに楽しい高校生活を送っている。やりたいと思った事は直ぐにやる。今は緑川と話したいからそうする。緑川は周りの目を気にしてる感じだったけど、ここで断った方が目立つと思ったのかちゃんと弁当を持って立ち上がった。
「人いない所のがいいよな?」
こういう時マンガとかだと大体屋上なんだけど、屋上は鍵が掛かっていて入れない。そしてこっそり合鍵を持ってる事なんてない。中庭なんて洒落た物もない。現実ってのは不便だ。
「ねぇ、なんで声掛けてくれたの?」
「緑川と話したいって思ったから」
「話しって?」
「それは食べながら話す。俺腹減って死にそうだから」
しょうがないから屋上に続く階段の踊り場に座る事にした。誰も通らないから電気も点いていなくて薄暗い。それに何となく埃っぽい。青春とは真逆みたいな場所に緑川と肩を並べて座った。緑川は俺の腹だと三分目にしか満たなさそうな小さい弁当箱を取り出した。小さいけど、彩りがキレイでそれでいて冷凍食品が使われていなさそうないかにも女子って感じの弁当だった。
「一ノ瀬君はいつもパンなの?」
話し掛けて来るタイミング悪すぎ。今、俺口いっぱいに焼きそばパン入れた所だ。でも、返事を待つ訳でもなく緑川も弁当を食べ始めた。昨日の私って変?発言も突然だったし、俺の突然の話題変更も受け入れるし、緑川ってなんか会話のペースが独特な感じがする。
「いつもは食堂で食べるけど、今日は緑川と食べようって決めてたから。緑川いつも弁当だろ?それに食堂だと人目も周りの声も気にするかと思って」
普通ならもしかして私の事?って思う所だけど、緑川はそうなんだって抑揚のない声で言っただけだった。
「その弁当って手作り?」
「うん、って言ってもお母さんのだけど」
やっぱり緑川の手作りって展開にはならないか。俺は小説もだけど今はマンガも読まない。それはあまりにも都合のいい展開ばかりだからだ。まぁ、そうじゃなきゃ物語は面白くならないんだろうけど、現実ってもっと不便で平凡な物だ。マンガみたいな青春だって実際にあるんだろうけど、それは本当にごく僅かな人間しか体験出来ない。
「これからも一緒に食べようぜ」
「なんで?」
「俺と二人なら食べ終わった後本読めるだろ?」
今日俺が緑川に一番言いたかった事。昨日少し話しただけだけど、緑川は窮屈に生きてるんじゃないかって思ったから学校でも人目を気にせず好きな物に没頭出来る時間があってもいいんじゃないかって思った。
「別にいいよ」
これは否定のいいよって事だよな。俺と一緒に食べてもいいよって事じゃないよなって思いながら理由を聞く。
「なんで?」
「家で読めるし」
「家でも読めばいいじゃん」
「家だけでいいよ。それに毎日一ノ瀬君と一緒だと色々言われそうだし」
本音はそこにあるらしい。でも俺はそう言われる可能性もあるとちゃんと予想していた。
「色々って?」
分かっていたけどこの後考えていた言葉を言う為にわざと聞いた。
「付き合ってるの?とか聞かれるでしょ?そう聞かれたら本読んでるって言わなきゃいけなくなる」
「じゃあ付き合えば良くない?」
頭の中で描いていた通りに事が運んで内心ガッツポーズをする。さすがに緑川の返事は予想出来ないけど、何を言われても付き合う流れには持っていけるはずだ。一度ぐらい俺と付き合ってみてもいいんじゃないか。そう思わせる力が俺にはある。緑川が口を開くのを待ったけど、俺の言葉が聞こえなかったみたいにそして俺の存在を消し去ったかの様にひたすらに弁当を食べ続けた。多分、今頭の中を整理してるんだろうなって俺もとりあえず食べる。
「一ノ瀬君ってクラスの人気者でしょ?」
黙々と食べ続け、ごちそうさまでしたと手を合わせた所でやっと緑川が口を開いた。
「まぁ、どっちかっていうと」
何なら学校単位で考えてもそこそこ人気はあると思う。身長は百七十五センチ、ごつくならない様に適度に鍛えた身体、そして何よりアイドルみたいって言われるちょっと甘めの顔、少し童顔っぽいからそれを存分に活かそうって髪も敢えて黒にしてる。インスタとかに写真上げたらカッコいいとか可愛いってコメントをいっぱい貰える。俺はそんな人間だ。
「そもそも私の事好きなの?」
「好きだよ」
俺は嫌いな人間の為に自分の時間も労力も使わない。面と向かって好きって言ったから緑川は少し照れたみたいだ。
「昨日初めて喋ったのに?」
「本読んでる緑川の姿がいいなって思ったから。それ以外に理由っている?」
「いるでしょ」
「例えば?」
「顔とか性格とか好みとか。そういうのを含めての好きなんじゃないの?」
「小説だと一目惚れとかないの?」
恋愛小説とか読まないからって言われるかなって思ったけど
「あるけどそれってフィクションだし、同じクラスに居たんだから一ノ瀬君のは一目惚れでもないでしょ」
って返って来た。恋愛小説も読むならきっと緑川の憧れの形もあると思う。もしかしたら色んなパターンに憧れてる可能性だってある。もしもそうなら俺に恋愛のこだわりはないから緑川の憧れを叶えられる自信がある。もう俺は勝手に勝ちを確信していた。
「でも同じクラスになってからの緑川と昨日の緑川は違った。だから昨日のも一目惚れでいいんだよ」
まだ何か言いたそうだけど、無理とか嫌って言葉が出て来ないって事は付き合ってもいいって気持ちの表れだって判断して
「緑川、ちょっとこっち向いて」
と俺の方を見た緑川にそっとキスをした。嫌われない様に拒絶されない様に本当に優しく。何ならキスって言うよりちょっと唇当たったみたいな感じ。
「ちょっとはドキドキした?」
その問いかけに緑川は戸惑いながらもしっかり頷いた。
「じゃあ俺と付き合って」
緑川は俺に洗脳されたみたいに無表情のまま頷いた。じゃあ改めてキスでもって思ったけど、緑川はやっと実感が湧いて来たのか照れた顔をしていたから今は止めておく事にした。
「なぁ、明るくて人が来なくてそれでいて弁当を食える空気がいい場所ってどこかない?」
さすがに毎日階段の踊り場では空気が悪いし、何より暗すぎて本を読むのに適さない。だから俺は俺のせいでクラス一のイケメンの座を逃したって言って来て鬱陶しいけど、男の中だったら一番心を許せる洋太に聞いた。
「そんなとこで何すんだよ?」
「だから弁当食うんだって」
「誰と?」
「緑川と」
俺達が言わなくてもいずれは噂になるだろうし、もう言ってもいいかなって勝手に判断した。まぁ、緑川と昼を食べるって言っただけで付き合ってるとは言ってないんだけど。それでも間違いなくそういう解釈をされるだろう。
「流っていつの間に緑川の事好きになってたんだ?」
やっぱりそういう風に受け止められた。これが当然の流れなんだよな。
「気付いたら気になってた」
昨日の事を話すとなればうっかり本の事も話しそうだったからそこは誤魔かす。
「佐々山は?」
「仲の良いクラスメイト」
別に俺達の会話を聞いてる奴なんていないだろうけど、周りに人が居る状況だったから俺は少し声を落とした。
「マジで?皆、流が相手ならって佐々山の事諦めてんのに」
「それは別に俺のせいじゃないだろ」
「いや、でも普通佐々山みたいな女子に好かれたら好きじゃなくても好きになるだろ。正直、緑川って佐々山と正反対じゃん。選び放題の流がわざわざ緑川と付き合う意味が分かんねぇ」
「意味なんて俺が分かってればいいんだよ。で、どこかいい場所ない?」
「つーか弁当ぐらい教室でも食えるだろ」
全く話しが進まない。きっとこれが佐々山だったら話しは違ったんだろうなとは思う。そりゃ二人っきりの方がいいよなって。でもそういう流れにならない。それぐらい俺と緑川って異色の組み合わせなんだと思う。ってかそうだ。それは俺も自覚はある。
「緑川が人目気にするから」
「あぁ、そりゃそうか」
そりゃそうなんだよ。万が一それで緑川が女子からハブられたりしたら申し訳ない。でもどんなに隠した所でいつかはバレる。その時は俺がクラスで孤立させない様にすればいい。緑川にも俺が居るって言ったし、それは守らないといけない。
「んー、これは俺のとっておきだからな」
「って事はどっかあんの?」
「ちなみに教えたらなんかくれんの?」
「クラス一のイケメンの座をやるよ」
「そんなん貰いたくても貰えるもんじゃねーだろ」
「俺に彼女が出来る事で自然と洋太に目が行くだろ」
「えー、そういうもんか?緑川ならって絶対チャンス狙う女子多いだろ」
あっ、さすがにそこまで考えてなかった。確かにそれはある。何なら二股でもいいからって。ってそれはさすがに自惚れ過ぎか。
「じゃあいずれ借りは返す」
「まぁ、しょうがねーな。流に貸しを作っとくのは悪くない。プールだったら人来ねぇぜ」
「プール?鍵掛かってるだろ?」
「それがだな持ってるんだよ鍵」
まさかのここで合鍵持ってる展開。マジでこんな事あるんだって驚いた。
「なんで?」
「俺一年の時水泳部だったんだ。で、鍵当番だった時に合鍵持ってて損はねーよなってこっそり作っといた」
「マジか」
洋太が水泳部だった事の驚きと合鍵を作った事の驚きが合わさったマジかになった。
「しょうがねぇから貸してやるよ」
財布から鍵を取り出して差し出され、俺はそれを遠慮なく受け取った。
「飛び込み台に座るもアリだし、プールサイドにベンチあるからそこに座るのもアリ。ちょっと寒いかもだけど、明るくて空気がいいって条件には合ってるだろ?」
「マジで最高。サンキュ」
とびっきりの笑顔で言ったけど、洋太はしかめっ面だ。きっとこれが女子ならって間違いなく思ってる。
「あっ、万が一合鍵の存在バレたとしても俺の事は言うなよ」
「分かってる。適当にごまかすよ。何ならこの合鍵で合鍵って作れねぇのかな?」
「それは分かんねぇ。まぁ、試してみればいいんじゃね?」
「そうするよ」
これで昼休憩問題は解決だ。毎日一緒に教室を出るのが気になるって言うならプールで待ち合わせをすればいい。あっ、でも雨だったら外はダメだ。その時はしょうがないから階段で食べる事にするか。
「ちなみに水泳部は何で辞めたんだ?」
「モテなかったから。割れてる腹筋見せたらモテんじゃね?って思ったけど、男はもれなく全員腹筋割れてるし、そもそも女子部員少な過ぎだしでやる気なくなった。今はちゃんと軽音部」
きっとちゃんとモテる様に軽音部って事だと思う。確かに軽音部ってモテるってイメージだ。俺は帰宅部だけどちゃんとモテるけどなって思ったけど、借りを作って恨みまで作るのは止めとこうって口にはしなかった。
「ここ入っても大丈夫なの?」
次の日、早速俺は緑川を連れてプールに来ていた。体育館の裏にあるプール前には人通りはなく、堂々と鍵を開ける事が出来る。俺だけならフェンスよじ登れそうだからもしも鍵がなくてもどうしても一人になりたい時はここに来る事にしようって決めた。
「大丈夫か大丈夫じゃないかの二択なら大丈夫じゃないかな。でもちょっとぐらい悪い事する方がいいんだよ」
「いいって何が?」
「ドキドキしていいじゃん」
きっと大人になってもイタズラする時のドキドキって感じるんだろうな。大人になればなる程、子供っぽい行動が楽しく思える気がしている。そう思うのは多分じいちゃんがそうだからだと思う。六十過ぎのじいちゃんは会えば必ずと言っていいぐらいイタズラをしてくる。一番最近では正月にお年玉をくれたと思ったら電気が走るやつだった。俺が痛がっているのを見てじいちゃんは大爆笑していた。ちゃんとお年玉も貰ったから俺は文句は言わなかった。
「見つかったら怒られるのに?」
「その時はその時。ちゃんと俺が怒られるから安心していいよ」
「そこは私もちゃんと共犯になるよ」
あっ、今俺の中の緑川好きメーターが少し上がった。俺が勝手に連れて来たのに一緒に居る以上は連帯責任って考えてくれるのはいい。
「ため池みたいだな」
プールの水は濁り、淵には所々にコケが生え、水には落ち葉が浮き、更にはアメンボまで泳いでいた。ムードなんて全くないけど、階段よりはマシだと思う事にしよう。
「でも悪くない」
「この池みたいなプールが?」
「そう。シーズンとオフシーズンで景色が変わるのって面白いなって思う」
「そう言われたらこのため池も悪くない気がしてきた」
「プールだけどね」
そこから俺達は黙々と昼飯を食べた。緑川は昨日と同じ手作り弁当。俺も今日は弁当にした。緑川何か言ってくるかなと思ったけど、何も言われなかった。本当にただ一緒に食べただけだった。別にいいんだけど、ちょっとぐらい会話あっても良くね?とは思う。いい天気だねとか夏になったらプール楽しみだねとか。話題なんていくらでもある。ってか俺から話さないとダメか。何となく話さない方がいい空気感を緑川から感じてつい黙ってしまった。勝手な想像だけど緑川はあんまり経験なさそうだから俺がリードしないといけない。それなのに空気に流されてしまった。俺の方が三倍は弁当の量あるけど、それでも俺の方がちょっとだけ食べ終わるのが早かった。緑川が食べ終わるのを待って話し掛ける。
「本持って来た?」
その問いかけに緑川は黙って首を横に振った。何でそこまで意地になってガマンすんだよって思ってたら
「スマホで読むから」
って緑川が微笑んで言った。ちゃんと嬉しそうにしてくれんだって俺も笑う。スマホで読むなら明るさ気にしなくても良かったなって思ったけど、暗い中でスマホを見るのは良くないはず。詳しくは分かんないけど、テレビだって明るい部屋で見ましょうって言うもんな。だからスマホも明るい場所の方がいいはずだ。あっ、でも映画館は暗いか。なんか矛盾してね?ってどうでもいい事を考えてしまった。
「紙派とかじゃないんだ?」
「置く場所とか限界来るし、ネット小説だと書籍化されてないのもあるから」
緑川がスマホを操作し始めたのを見て俺もスマホを取り出す。まだ五月中旬だって言うのに日差しが強くて長袖のシャツだと少し汗ばむぐらいだけど、ここは屋根があって水辺だからか少し肌寒く感じた。
「一ノ瀬君も何か読むの?」
「いや、アプリでもしようかなって思って。なんか読んだ方がいい?」
俺は好きな人が好きな物を自分も好きになるって事はない。音楽とかマンガとか勧められたら一回は読んだり聴いたりするけど。それでハマる事はもちろんある。でも自分から好きな人の好きな物を好きになろうとは思わない。
「それはいいよ」
「緑川ならそういうと思った」
「なんで?」
「自分は好きな物隠してんのに俺に読んでってなんか違う気がするから」
「そうだね。私が好きだから一ノ瀬君も好きになってって私は言わないし思わないかな」
その辺は俺と同じ考え方だ。
「ってか話してたら読めないだろ?」
「でも話したいと思ったら話させて欲しい」
さっきまでちょっとぐらい会話あってもいいだろって思ってたのに。今は喋ってないで小説読めよって思う。俺と緑川は話したいタイミングが違うらしい。
「まぁ、読むより話したいって思うならそれでいいけど」
「じゃあちょっと話して残りの時間読む」
「分かった。もしも読みながら話せんならそれでいいけど」
「そんな器用な事出来ないよ」
普通そういう事って笑いながら言いそうなものだけど緑川は大真面目な顔で言った。でも怒ってる感じではない。出来たらいいんだけどねって言葉が含まれている感じだ。
「俺も自分で言っときながらそれは無理だろって思ったわ。で、なに?」
「なにって?」
「話したい事あるんじゃないの?」
俺がそう言うと緑川はえっ?って顔をした。本を読んでたらハブられるとか言いながらこのニブさってか空気が読めないのはありなんだろうか。でもきっとそれが緑川の良さだって思って川岸も富田も一緒に居るんだろうって思う事にする。多分、これは人によっては可愛いって思うんだろう。俺はもうちょっとハッキリしてる方がいいけど。って誰かに言ったら絶対にじゃあ佐々山だろって言われるんだろうな。
「話したいって言ったから何か話したい事でもあるんじゃないの?」
「特にこれが話したいって訳じゃなくて何となく話したいなって思っただけ。私達って何も知らないでしょ?」
「何もって事はないだろ。名前と年齢と趣味は知ってるんだし」
「私は一ノ瀬君の趣味を知らないし、名前と年齢はクラスメイトなら知っててもおかしくないでしょ」
それは想定内の答えだった。多分そう言われるだろうなって思って言った。緑川ならこういう会話の流れの方がいいかなってちょっと計算が入ってる。
「俺は特別これと言った趣味はない。でも人と遊んだりすんのは好き」
「そうなんだ。でも想像出来るね」
普通ならこの流れでデートの約束が決まったりする。でも緑川が相手ならそうはならない。だから俺がちゃんとその流れに持っていく。そうやって緑川に流れを覚えてもらう。別にそんなの人それぞれでいいんだけど、こういうパターンもあるんだよってちゃんと教えていきたい。別に師匠にも先生にもなるつもりはないけど、なんなら本を読んでる分緑川は色んな事を知ってるかもしれないけど、俺が生きている世界を見て欲しい。緑川の世界を広げて欲しい。って緑川の事をほとんど知らないのにそう思う。そう思わされてしまう。緑川の持つ雰囲気がそうさせる。現実世界という海でもがいて必死に水面に顔を出している。そんな印象を初めて緑川を見た時から持っていた。きっと俺以外の人間が見たらそんな印象を抱かないかもしれない。考え過ぎって笑われるかもしれない。それでも俺は俺が感じたままに緑川と付き合っていきたい。
「俺、休みの日は大体遊びに行くんだ」
「どこ行くの?」
じゃあ私ともって言って来ないのが緑川なんだよな。
「カラオケとか適当にブラついたりとかその時の気分によって変わる。緑川はどこ行きたい?」
優しい口調で顔を覗き込む様にして聞いた。これはデートの誘いってちゃんと分かってくれよって心の中で願う。願うって大袈裟か。でも結局俺が願う事ってこんな事なんだよな。踏切に足止めされません様にとかテストで赤点取りません様にとか。願いって言うにはあまりにも小さい事。何なら自分の力でどうにでも出来る様な事。これぐらいなら神様も叶えてくれんじゃね?みたいなそんなノリ。あっ、でも一つだけ一生に一度の願いを叶えてくれるならこれって事はある。それに一生に一度使ってもいいの?って言われそうだけど、俺にとってはそれが一番だって事が。
「図書館かな」
その答えに思わず笑ってしまった。声にはしなかったけど、中学生かよってツッコんでしまった。いや、今時は中学生でも図書館デートなんてしないか。
「緑川は図書館デートがしたいんだ?」
「えっ?」
俺の願いは届いてなかったみたいだ。でもその方が安心する俺が居たりする。
「流れ的にデートの誘いだったろ?」
「そんな流れだったんだ」
「うん、そんな流れだった」
「そっか」
流れを読めなかったのが恥ずかしいのかデートに誘われて照れてるのか緑川は少し俯いた。
「で、どこ行きたい?」
「考えとく」
デートに行くまで一か月とか掛からないよな?って不安になるぐらい緑川の声も表情も暗かった。緑川の希望を叶えなきゃと思ってたけど、ちゃんとどこに行こうって誘えば良かった。そしてその帰りに次はどこ行きたい?って聞けば良かった。これは俺の頭の中に作った緑川の取扱説明書に書いておこう。緑川がスマホに目を向けたから話すのは終わりなんだなと俺もアプリを始めた。
「そう言えば今日お弁当だったね」
そろそろ教室に戻るかって立ち上がった所で緑川が言った。それ、食べてる時に言って欲しかったんだよ。
「俺が作ったんだ」
今日は弁当を持って行くって決めていつもより三十分早起きをして作った。食べ始める前にその言葉を言ってくれたら食べる?って俺の中にあった想像通りに事を運べたのに。やっぱり緑川ってやっぱり独特のペースで話す。
「料理出来るって凄いね」
それでも料理出来るの凄いねって笑顔で言われると悪い気はしない。寧ろ嬉しい。
「また明日も作るから食べてみてよ」
「うん」
大体、ならじゃあ私もお弁当作るねって流れになると思うんだけどそれも緑川ならそうはならないだろうな。作らないとしても私は料理苦手だからとかいつか私も作るねって一言があってもいいと思うけど緑川は次の授業の話題を口にした。でも現実ってそうなんだよなって思う。そんなキレイに事は進まないし、思い通りになんてならない。拍子抜けする事もあるけど、何となくそれが心地良かったりもする。緑川に色んな事を知ってもらいたいとは思う。でも変わって欲しいとは思わない。俺が描く世界と緑川が描く世界は別物であるべきだ。染められないのが、染まらないのが緑川だ。テンプレートに当てはまらないのが緑川椿だ。
昨日は声を掛ける暇もなく緑川は帰って行ったから今日こそはって思ったけど、緑川は俺の存在を忘れているかの様に川岸と富田と教室を出て行った。その姿を目で追っていると
「流、ちょっといい?」
って佐々山に声を掛けられた。これはあれだ。緑川との事を聞かれる感じだ。もう先に言ってしまおうかって思ったけど、佐々山からは好きって言われた訳じゃない。だから緑川と付き合い始めたからって言ったら告られてもないのに勝手に振った事になるかもしかしたら別の話しなのに聞かれてもない事を話すかになってしまう。それって俺のイメージ崩すよなってちゃんと佐々山の話しを聞いてから話す事にする。ちょっとお茶でもって感じでも良かったけど、佐々山は部活だろうと思って教室を出た佐々山に黙ってついて行く事にした。
佐々山はベタに体育館裏で立ち止まった。体育館裏って言えば告白の定番ポイントだ。って俺の考え古すぎ?今時はスマホ一つで簡単に告れる。わざわざ呼び出して告白ってあんまないか。俺は色んなパターンを経験してるから逆にスタンダードが分からない。
「流って緑川さんと付き合ってるの?」
やっぱりその話しか。もう洋太にも言ったし、隠して後でバレると面倒な事になりそうだし素直に話す事にする。
「まぁ」
「なんで?」
なんで緑川なの?ってか。逆になんで緑川じゃダメなんだよって聞きたくなる。佐々山とはこれからもいい友達で居たいからそんな事は言わないけど。
「緑川の事が気になったから」
「いつから?全然そんな感じじゃなかったじゃん」
洋太もだけど、いつって絶対に聞かれる。まぁ、それを聞かないといけない程に俺と緑川には今まで関わりがなかったからしょうがないか。
「気付いたら気になってたって感じ」
「気になってたって好きじゃないの?」
いや、例えどんなに好きでもストレートには口にしないだろ。する奴も居るんだろうけど、俺はしない。俺の中では気になってたイコール好きなんだよ。って心の中で言う。
「流は私の事が好きなんだと思ってた」
その言葉にビックリした。例え思ってたとしてもそれは絶対に口に出さないだろ。出したとしてももっと恥ずかしがるとか謙虚さを見せるとか。佐々山は挑戦的な目で俺を見ている。俺、やっぱり佐々山とは付き合えないなって思った。付き合っても佐々山の勢いに押されてしまいそうだ。ってか引いてしまいそうだ。佐々山と緑川の性格混ぜたらちょうどいいんじゃね?って出来もしない事を考える。
「佐々山は友達として好きだよ」
ただのクラスメイトって言おうと思ったけど、佐々山のプライドを傷つけるかなと思ってちゃんと好きって言葉を使う。友達として好きなら俺は周りに居る奴全員好きだ。だから佐々山だけが特別な訳じゃない。ってかそもそも特別扱いとかした事ないのになんで佐々山は俺が好きだと思ったんだろう。
「だからってなんで緑川さん?」
またそれか。思わずため息を吐きそうになる。緑川より自分の方が上って絶対的に思ってるんだろうな。まぁ、佐々山と緑川のどっちと付き合いたいかって質問をしたら大体が佐々山って答えるんだろうけど。そうは思うけど、それを口に出すって普通に嫌な性格だなって思う。もうちょっと軽い感じで言ってくれたらまだいいんだけど、今の佐々山は表情は怖いし、声にも棘がある。両想いだったのに緑川に俺を取られたとでも思ってるみたいだ。このまま話してたら佐々山の事が嫌いになりそうだ。いくら可愛くても性格悪いのマジで無理。人を下に見るとか最悪だし、自分が選ばれて当然って思ってる所も無理。自分に自信がある事を隠せとは言わない。俺もそうだから言えない。自分が好きな奴にだけ優しさやいい面を前面に押し出すのはいいけど、都合が悪くなったらこうやって豹変するって、もしも俺が緑川と別れたとしても絶対に佐々山はないなって思わされる。佐々山ってこんな人間なんだって現実を見せられた感じ。人間なんだから感情に波があるのは当然だ。誰だって周りから好かれたいって思う。いい顔をするのは当たり前だ。でも、嫌な部分が全く見えないって逆に怖いんだな。今まで佐々山は周りが愚痴を言っていても笑顔で聞いて自分は絶対に愚痴らない。佐々山って心広いなって思ってた。でも今は裏では色々言ってんだろうなって思う。ツイッターとか裏アカでメッチャ毒吐いてんだろうなって思ってしまう。もう佐々山とは話したくない。さっきいい友達で居たいって思ったのは取り消す。だから佐々山を納得させる言葉を考える。でも黙っていると
「緑川さんって流と正反対じゃん」
と佐々山に口を開かれる。納得するまで聞くべきなんだろうけど、それが優しさなんだろうけど、人の事を見下す様な発言をする佐々山に使う優しさを俺は持ち合わせていない。
「正反対だからいいのかもな」
「なにそれ?そんなの理由になってないじゃん」
「理由を言葉に出来なくても俺の心が動いた。それでいいんだよ。俺は緑川がいいと思った。緑川も俺をいいと思ってくれた。これ以上説明する事ってある?」
「あるでしょ。なんで緑川さんなのかちゃんと教えて」
えっ、これって佐々山が納得するまで無限ループパターン?
「緑川に俺の心が動かされたってだけじゃ理由になってない?俺はもうこれ以上は言えない。例え佐々山が納得出来なくても俺から話す事はもうない」
このまま帰ろうかなって思ったけど、今のままだとクラスで何を言われるか分からない。
別に俺はいいんだけど、緑川からしたら良くないかと思って帰るのは止めておく事にした。どっちにしても自分は悲劇のヒロインで俺が悪者になるんだろうけど。で、きっと慰めてくれた誰かと付き合いだして俺の事なんて元から好きじゃなかったみたいな感じになるんだろうな。
「佐々山だって気付いたら好きになってたって事あるだろ?」
その言葉に佐々山は何も言わなかった。黙るって事は肯定したって考えていいんだよな。
「頭で考えるより先に気持ちが動いた。マジでそれ以外言えない」
あー、もう。緑川が本読むの隠さなかったら、昨日の写真を見せれたらもっと簡単に説明出来るのに。それで納得するかは分からないけど、少なくても隠し事はない方がいい。って、これ俺の勝手な八つ当たりか。俺も佐々山の事言える立場じゃないな。まぁ、俺は自分でも性格悪いって自覚はあるからセーフって事にしよう。
「緑川さんとキス出来るの?」
「出来るよ」
さすがにもうしたって事は言わないでおく。俺の即答に佐々山は黙った。もうちょっとで解放されそうだ。
「私が流の事好きって言っても心動かない?」
あっ、やっと自分から好きって言葉が出て来た。最初から私も好きだったのにって言ってくれれば可愛げがあったのに。
「一ミリも動かない」
これも即答出来た。佐々山の本性を見た今、こう言う事になんの躊躇いもなかった。言葉さえ選び間違えなければ俺も佐々山に優しい言葉をかけたのに。
「流と緑川さんは上手くいかないよ」
まだ粘るか。そんな風に言われてじゃあ佐々山にするって言わないだろ。もう部活が始まった様で体育館からは走る音とボールの音、外からは野球部の掛け声が聞こえる。高校生って感じの音に安心する。今の俺の状況はどう考えても高校生らしくない。ドロドロとした昼ドラの修羅場みたいな感じだ。今はマンガも読まないし、テレビもあんま見ないけど、昔はオタクばりにマンガもテレビドラマも好きだった。でもある出来事をきっかけにもうフィクションはお腹いっぱい。そう思う様になった。
「俺と緑川がどうなるかはこれからの俺達を見といてよ。上手くいかなかったらやっぱりなって笑ってくれたらいいから」
さすがにそろそろ佐々山の事を立てといた方がいいかなって思い始めたけど、それをしたら余計に私の方がって思わせるかなと思ってそこは言わないでおく事にする。
「俺、今日バイトなんだ」
わざとらしくスマホで時間を確認する。佐々山とは仲がいいけど、何時からバイトって事は知らない。まだ余裕だけど、そう言えば解放してもらえるんじゃないかってさっき気付いた。
「私、彼氏作るよ」
別にいいんじゃないって反射的に言いそうになる。ってか何の宣言だよ。そう言えば俺が心変わりすると思ってんのか、緑川と別れてももう私は無理だからって宣言なのか。返事の正解が分からなかったからとりあえず頷いてそのまま佐々山に背を向けた。
「緑川って兄弟とかいる?」
今日は食べながら話そうって決めていた。昨日の佐々山の事があるからちょっとでも緑川との距離を縮めたいって意地になってる所も多分ある。
「妹がいる」
緑川が姉ってなんか想像出来ない。てっきり一人っ子って答えが返って来るとばかり思ってた。
「へー、妹の名前紅葉だったりする?」
今日も俺は弁当を作って来た。何も言わずに緑川の弁当に玉子焼きを乗せると代わりにウインナーをくれた。緑川でもこういう事してくれんだってちょっと嬉しくなる。
「えっ、なんで知ってるの?」
「えっ、マジで紅葉?」
「うん」
緑川は大真面目な顔で頷いた。俺はずっと緑川の髪色とか化粧に違和感を持ってたけど、喋ってみて分かった。中身と見た目が全然合ってないから違和感を感じてたんだって。きっとそれが滲み出てて俺にそう思わせたんだと思う。
「緑川紅葉って姉妹揃って大御所感あるな。着物とか着てそうな感じ」
「私は名前負けしてるけどね」
そうだな。なんて言えない。でもそんな事ないだろとも言えない。でも俺にも言える事が一つある。
「別に今から勝てばいいじゃん」
「どうやっても勝てないよ。ちょっとの幸せとかなら望めるけど、大御所までは絶対に無理」
自分の事否定する時は饒舌になるんだな。佐々山のあの百パーセントの自信を分けてやって欲しい。
「小説書こうって思った事ないの?」
俺の質問が聞こえなかったのか緑川は黙々と弁当を食べ続けた。多分、後で答えは返ってくると思う。食べ終わっても返事がなければもう一回聞くかと思って俺も黙って残りの弁当を食べた。
「読むの好きだからって書きたいって思う訳じゃないよ」
食べ終わったらちゃんと返事が返って来た。俺、ちょっと緑川の事分かって来たかも。ってか最初に教室で喋った時あんだけ喋ってくれたのは何だったんだ?本を読む事がバレた後ろめたさなのか?うん、その考え方はしっくり来る。
「緑川はなんで小説が好きなの?」
「シンプルだから」
「シンプル?」
緑川の答えもシンプルだよなって思う。でもシンプルだからこそもっと聞きたいって思うってのはある。今まで付き合ったのはノリのいいよく喋る子ばかりだったから緑川みたいなタイプは初めてだ。調子は狂うけど、悪くはないなって思う。
「文字だけで物語が描かれているのがシンプルでいいなって」
俺は緑川のその答えがいいなって思った。絵も映像もない文字だけで描かれる世界。それが物足りなかったら自分で描けばいい。
「もしもさ、緑川がその世界を描きたいって思ったら絶対に本名で書けよ」
「書く事はないけどね」
「でもいつ気持ちが変わるかなんて分からないだろ?」
「書きたいって思っても書ける物じゃないんだよ」
「そう言うって事は書こうとした事あるの?」
「ないけど、そういう物だって事は分かる」
「書いてないのに?」
「この世界にはいっぱいあるでしょ?どうやっても自分には出来ないと思ってる事が」
「俺は頑張れば出来んじゃね?って思うタイプだけど」
「それは一ノ瀬君が主人公タイプの人間だからだよ」
「でも、俺はちゃんと主人公になろうとしてなった人間。色々考えて今の一ノ瀬流になった」
そう言うと緑川はちょっと驚いた顔をした。これで緑川もちょっとは変わればいいけど、そうはならないんだろうなって思う。間違いなく生まれた時から主人公になれる人間はいる。でもそれってほんの一握りだけだ。大体はカッコ良くなるには可愛くなるにはって一回は考える。服とか髪型とか小さい所で考えてると思う。
「それでも生まれ持った物っていうのは絶対にあるでしょ?」
「見た目とか声とかそういう所だったらあるかもだけど、小説書くのは別に生まれ持った物とかいらないだろ」
「センスは絶対にいる。後は感覚。平凡な私には持ってない感覚って絶対にある」
その言葉に俺は言葉を返す事が出来なかった。緑川の言う事はもっともだ。スポーツでも音楽でも確かにセンスは必要だ。でもそれって磨こうと思えば磨けんじゃね?とも思う。けど、それを言った所で緑川の心には届かない。あんまりしつこいのもなと思って話しを終わらせに向かう。
「まぁ、気が向いたら書いてみなよ。で、プロフィール写真は俺が撮ったやつな」
「あれ、そんなにいい?」
「いいだろ。自分で見て何とも思わない?」
「思わないから聞いてる」
「なら、インスタとかに上げてみなって。自分で判断するんじゃなくて周りに判断してもらいなよ」
「そうしたら本読むのバレるから」
どんだけ本読むの隠したいんだよって思わず強く言いそうになった。言いそうになったけど、まだ言わない。とにかく俺が今しないといけない事は緑川との距離を縮める事だ。あんまりしつこく言ったり、口調をキツくしてしまうと緑川の心の壁はどんどん高くなりそうだ。
「じゃあ俺のインスタに似合うと思って緑川に本を読んでいるフリをしてもらいましたって上げるのはアリ?」
その言葉にまた沈黙が流れる。この沈黙は緑川のシンキングタイムだって事はもう分かってるから黙って返事を待つ。考えてもきっといい返事ではないんだろうなって思う。池みたいなプールがその雰囲気を余計に強くする。俺、散々緑川にインスタに上げろとか言ってるけど、そもそも緑川ってインスタやってんの?って今更ながら気になって来た。検索すると多分これだろっていうアカウントはあったけど、鍵が掛かっている。こっそり申請を送っておく。申請を許可されて投稿を見て実は同姓同名の人だったらメッチャ面白いなって一人で笑ってしまった。明らかに変な奴になってるのに緑川は全く俺の方を見ていないから気付いていない。そう言えば緑川ってマジで俺の方を見ないんだよな。直視出来ないぐらい俺カッコイイ?ってノリのいいタイプなら冗談交じりで聞くんだけどな。
「もうちょっとしてから」
ようやくシンキングタイムが終わったみたいだ。そして今度は俺がシンキングタイムに入る番だ。もうちょっとしてからと言うのはもうちょっとしたらいいという事なのかもうちょっとしてから答えを出すって事なのか。ちょっとの間考えて普通に緑川に聞けばいいのかって気付く。危ない。緑川のペースに巻き込まれるところだった。俺が緑川を変えてやるってスタンスだったのに俺が緑川に飲み込まれそうになってどうすんだよって話しだ。でもなんか緑川のペースってか雰囲気って引きずりこまれそうになるんだよな。ってこれ昨日も同じ様な事思ったよな。俺、学習能力なさすぎ。
「もうちょっとしたら上げてもいいって事?」
そう聞くと緑川は頷いた。
「なんで今じゃなくて今度ならいいの?」
「なんとなく」
これは俺の勝手な想像だけど、多分ちゃんとした理由はあるんだと思う。でもそれは言えないって事だ。まぁ、上げてもいいなら深く突っ込んで聞く必要もないか聞かないでおく事にする。緑川はそのままスマホで小説を読み始めて話しは終わった。
「映画が観たい」
思わず観に行けば?って言いそうになったけど、これはきっと二人で行きたいって事なんだろう。にしてもまた教室に戻る時に言うってマジでどんなタイミングだよ。普通、弁当を食べ終わった後に言って、そこからどこで観る?とか何観る?って話しになる所なのに。で、盛り上がって本読む時間なくなったなとか言ったりする流れだろ。まぁ、今日は俺が喋りだしたからタイミングを失ったって事にしておく。
「観たいのあるの?」
その問いかけに緑川はまた黙って頷いた。作品名を言わない所がもう緑川だ。俺からしたらこれが緑川って思うけど、女友達と居る時もこんな感じなのか今度こっそり調査してみるとするか。
「なぁ、緑川ってちょっと独特の間あるよな?」
ビックリするぐらい早くに聞くチャンスが来た。放課後、日直で先生の手伝いに借り出された緑川を川岸と富田が教室で待っていたから今しかないと思って聞いてみた。
「あっ、それ椿緊張してるんだと思う」
「緊張?」
それは考えてなかった。あれは緑川特有の間なんだと勝手に思い込んでたし、そう思い込んでもおかしくない雰囲気が緑川にはある。
「私達にも最初そうだったんだけど、今は普通に喋るよ」
「マジで?」
緑川が普通に喋るというのが想像出来なかった。普通に喋る事に驚くってそもそも何なんだよって話しなんだけど。
「あれでしょ?何か聞いたら黙るでしょ?」
「そう」
「あれ、何か悪い事聞いたかな?って不安になるよね。で、話しの流れ変えようって別の話し始めた後に普通に答え返って来るっていう」
「マジでそれなんだよ。だから川岸も富田もどうしてんだろって思ってさ」
最初そんな感じなのにハブらずに一緒に居れるって凄いなって言いそうになったけど、それは言っちゃダメだってギリギリの所で言葉を飲み込んだ。言ったらじゃあ緑川と付き合ってる俺は何なんだよって話しになる。
「一ノ瀬君は椿のどこがいいと思ったの?」
そう聞かれて緑川の事あんま知らないのに付き合ってるって宣言したのかって自分のうかつさに笑った。でも、別に話した事なくても好きになる事なんていくらでもある。じゃないと一目惚れなんて言葉は存在しないはずだ。
「なんか雰囲気に惹かれて」
「それはちょっと分かるかも。一ノ瀬君みたいなタイプだったら余計にそうかもね。最初はビックリしたけど、もう普通に馴染んでる」
そうなのか。でも、佐々山みたいになんで緑川?じゃなくて肯定してくれるってのはいい。
「ちょっと変わってる所あるかもだけど、嫌ではないでしょ?」
「そうなんだよ。なんか緑川だからって許せる」
そう言うと川岸も富田も分かるって言って笑った。緑川がちゃんと受け入れられている事に嬉しくなる。
「ちなみにさ、緑川ってインスタとかやってる?」
「ツイッターは見る専門でアカウントは持ってるみたいだけど、インスタはやってないよ」
「えっ、それってマジ?」
「うん、マジ。インスタのアカウント教えてって言ったらやってないからって言われた」
「実はこっそりやってるとかない?」
「なんで?そう思う事でもあるの?」
まさか同姓同名の人に申請を送ったなんて言えない。ってか俺が申請を送ったのはどこの緑川椿なんだよ。まさかマジで同姓同名だったなんてビックリだ。
「いや、今時インスタやってないってビックリしただけ」
適当にごまかす。この世のどこかに居る緑川椿さんはどんな生活を送ってるのか気になる。頼むから申請許可してくれって俺は心の中で願った。そんな話しをしていると緑川が戻って来た。俺が居る事に気付いて一瞬驚いた顔をした。
「椿、せっかくだから一ノ瀬君と帰りなよ」
確かにこの流れは緑川と帰る流れだ。でも、緑川はそんな流れは絶対に読めない。案の定
「皆で帰ろう」
と言った。緑川はいいかもだけど、俺気まずくね?って思った。でも緑川がそうしたいならそうするかって四人で帰る事にした。
四人で歩き出したけど、どうやっても二人ずつ横並びで歩く事になる。そうなると必然的に俺と緑川が並ぶ事になる。川岸と富田はアイドルの話しを楽しそうにしている。その二人の様子を緑川は後ろから楽しそうに見ていた。
「何観たいの?」
そう聞くと緑川は俺の方を向いて首を傾げた。あっ、こうやって普通に顔見てくれるんだなってちょっと進歩を感じた。
「映画」
「雨空って知ってる?」
「あー、あれだろ?原作がメッチャバズったやつ」
大人気アイドルが紹介した事で爆発的にその小説は売れた。俺もそれぐらいの情報は持っている。
「そう。それが観たい」
「へー、なんか意外。緑川もそんな流行りのやつ観たいんだな」
ちょっと変わっていてもちゃんと普通の女子高生の感覚は持ってんだなって意外って気持ちと一緒に安心したって気持ちも出て来た。
「私ってどんなイメージ?」
「大ヒットってつく物に興味なさそうなイメージ。陰の名作とか好きそう」
素直に答える。緑川が流行りの物を追いかけているイメージがつかなかった。俺の答えに緑川はそういうのも好きだけどってギリギリ聞こえるぐらいの声で言った。
「原作は読んだの?」
別に大ヒット作品なんだから本好きじゃなくても読む奴は多いだろって思って聞いた。でもそれでも緑川は人差し指を唇に当てた。
「いや、それは別に読んだって言ってもいいだろ」
本人が嫌がるから俺は気を遣って小声で言った。それでも緑川は首を横に振った。そこまで頑なに隠すってもう色んな感情を通り越して尊敬に値する。
「じゃあ詳しい事は明日決めようぜ。緑川ってどこに住んでんの?」
しょうがないから話題を変える。普通は初デートの約束とかテンション上がるんじゃねーのってちょっと心の中で拗ねる。緑川が口を開く前に川岸が後ろを向いて
「一ノ瀬君は電車?」
と聞いて来た。俺はって事は誰かは電車じゃないって事だ。
「そう」
そこでどこに住んでるの?って富田に聞かれて結局俺は本人じゃなくて富田に緑川の住んでいる場所を教えてもらった。緑川はバスで十分、俺は電車で三十分の所。そして正反対の場所に住んでいる事が分かった。
※
何とか話しを進めて緑川と映画に行く日を迎えていた。お互い住んでいる所と使う移動手段が違うから映画館が入っているショッピングモールで待ち合わせする事にした。緑川ってどんな服で来んだろ?ってちょっと楽しみにしながら待っていた。
待ちながらインスタで緑川椿さんの投稿を見る。何故か見知らぬ俺の申請を許可してくれて晴れて俺は緑川椿さんと友達になった。さん付けで呼ぶのはもう七十過ぎぐらいのおばあちゃんだったからだ。おばあちゃんがインスタとか若過ぎね?って思ったけど、孫に教えてもらってるらしく、今時はそんなもんなのかって納得したし、何より上げられる写真がどれも最高でインスタ始めてくれてありがとうって気持ちになった。俺もこんな老後送りたいって思うぐらい笑顔に溢れている写真ばっかで、たまに趣味で描いた水彩画の写真が上げられていた。それを見てまさに緑川椿って名に相応しいなって勝手に思っていた。別にそれで食ってる訳じゃないし、本当にただの趣味なんだろけど、それでも作品の一枚一枚に俺は魅せられて思わずコメントをしてしまった。そしてご丁寧にDMで感謝を送ってくれ、俺は二人の緑川椿と形は違うけど付き合う事になった。
「一ノ瀬君」
後ろから声がして振り向くと
「えっ、メッチャいいじゃん」
って思わず声が出てしまうぐらい、普段の緑川からは想像出来ないぐらい私服姿が良かった。薄いピンクのセーターにベージュのロングスカート。そして白のスニーカー。俺も白のスニーカーだからお揃いだ。今日はいつもとメイクの感じも違う。気合は入ってるんだろうけど、力が入り過ぎていない。ザ・ナチュラルって感じ。今日の緑川はマジでいい。これがいわゆるギャップ萌えってやつか。素で褒めたのに緑川に特にリアクションはなかった。これはメッチャいいの意味を考えているのか単に通じていないだけなのか。そんな事を考え始めたから初デート開始数十秒で謎の沈黙が生まれる。ここはもう一度素直に褒めようと決めた。
「服もメイクもメッチャいい」
そう言うと緑川は照れた顔をして俯いた。当たり前なんだけど中身はちゃんと緑川なんだよな。
「行くか」
緑川はセーターで俺もジャケットを着ているけど、もう春って存在しなくなったんだっけ?と思わされる程の日差しの強さ。このまま外に居続けたら熱中症になりそうだ。
「一ノ瀬君に変って言われたから」
建物の中に入って五階にある映画館に向かう為にエスカレーターに乗っていると緑川がいきなり言った。俺は緑川の後ろに立っていて自分でもよく聞こえたなって思うぐらい拾うのが大変な小さな声で緑川が言った。そして俺は緑川の言葉の意味を考えた。別に聞けばいいんだけど、緑川相手だとちゃんと考えて答えないとって気持ちにさせられる。緑川の事分かりたいって気持ちがそうさせる。
「あっ、もしかしてメイクの事?」
そう聞くと振り向きもせずに頷いた。そしてさっきの俺の言葉にようやく返事が返って来たのかって思わず笑った。いつもの緑川だけど、あんなにストレートに褒めたのにそのリアクションが遅い上にネガティブな感じで笑うしかなかった。
「だから別に変とは言ってないだろ」
「でも私にはそう聞こえた」
「前も変じゃないけど、今日は最高にいいよ」
俺、可愛いって言わないんだよなって自分で気付いてた。なんか可愛いとはちょっと違うんだよな。でも、いいのは間違いない。
「あの日からずっと練習してた」
「学校にもそれで来いよ」
五階に着いて横に並んで歩き始める。緑川は俺の頭一個分背が低い。手を繋ぐよりも腕を組んだ方が収まり良さそうだなって思うけど、腕を組むって自分から出来ない。だからと言って腕組む?なんてバカな事は聞けないし、聞いたら緑川は一人で腕組みしそうな気もする。でもまさかデートで腕組む?って聞いてそういう発想にはならないよな。そんな事を考えると一回試したくもなる。
「そんな事したら一ノ瀬君と付き合ってるからって言われそうだから」
「それって悪い事?」
「悪くはないけど」
「けど?」
「良くもないかなって」
「どういう所が?」
映画館に入ってまでこの話題を引きずりたくないのか映画館を前に緑川が立ち止まる。今の俺達の雰囲気には合わないキャラメルポップコーンの甘い匂いがする。いつか俺達でもキャラメルポップコーンの甘さに勝てる日が来るのだろうか。いや、来ないだろうなって自分で結論を出す。俺は緑川とそういう付き合いがしたい訳じゃないし、緑川もそうだと思う。
「私を見て一ノ瀬君を思い出して欲しくないって言うか」
さすがにこれは考えても意味が分からなさそうだったから
「どういう事?」
って聞いた。きっと今緑川の頭の中は色んな言葉が回ってるんだろうな。って思うぐらい緑川は難しい顔をしている。それでもしかしてって思う事があった。
「誰かになんか言われた?」
思わず佐々山にって言いそうになった。でも個人名を出したら俺と佐々山に何かあったって言うようなものかって一瞬で判断して誰かって言い換えた。
「自分が一ノ瀬君と釣り合うとでも思ってるの?って」
やっぱそうか。緑川は佐々山を悪く言わない様に言葉を選んでたんだ。確かにそれを言われた後に見た目変えたら余計に反発買いそうだ。頑張れば頑張る程佐々山には当てつけと捉えられるだろう。そして絶対に私の方がって嫌味が返って来るに違いない。
「じゃあ今の緑川は俺だけの特権って事で」
本当は何言われても気にすんなよって言いたいけど、きっとそうは出来ない。でも俺と緑川が付き合っている以上、緑川を見て俺を思い出さないってのはまだ難しいと思う。佐々山にも彼氏が出来たらきっと状況は良くなる。それまで緑川には我慢してもらうしかない。もうさっさと彼氏作って俺に当たってくれってマジで思う。俺なら簡単に流せるし、マジで何とも思わない。何とも思わないは嘘か。お前の彼女腹黒女だぞって相手に対して思ってしまいそうだ。
「でもさ、我慢出来なくなったら直ぐに言えよ。多分何とか出来るから」
絶対に守ってやるなんて出来るか分からない事は口にしない。出来る限り力を尽くす。頼りないかもしれないけど、緑川は微笑んで頷いてくれた。
「じゃあ行くか。ポップコーン食べる?」
やっぱ映画デートでポップコーンは外せないよなと思いながら聞いた。もう食べるだろ?って聞いてもいいぐらいだ。
「そういう映画じゃないからいい」
財布を取り出そうとしていた俺の手が止まる。食べないって言葉は使ってないけど、食べないって事だよな?って自分に確認する。緑川はもう話しは終わりだとチケットの券売機へと足を向ける。
「そういう映画じゃないってどういう意味?」
「楽しくポップコーン食べながら観る様な映画じゃないから。ポップコーンってアクション映画とか派手な映画で食べる物でしょ?」
いや、別にどの映画でも食べていい物だと思うけど。えっ?俺の感覚が変?いや、多分緑川の感覚が変わってるだけだ。変わってるって言い方は良くないか。考え方は人それぞれか。俺的には映画館に来てポップコーンを食べないなんてあり得ないけど、今日は我慢するとしよう。
「あっ、俺ちゃんと予約しておいた」
緑川が券売機に手を伸ばした所で言うと緑川は驚いた顔で手を伸ばしたままフリーズした。それぐらい当たり前だろ?って顔で緑川を見ると
「えっ、私も予約したんだけど」
と今度は俺が驚きでフリーズした。後ろに並んでいる人が居たから一旦後ろに下がった。
「緑川も予約したの?」
「うん」
「十時半の回だよな?」
「そう」
「こういう時は男が予約するもんなんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
いや、俺がそうだっただけでそうじゃないのかもしれない。実際緑川はそう思ってなかった訳だし。
「言わなかった俺が悪い。ゴメン」
そもそもそれが原因だ。ちゃんと俺が予約しとくよって言えば済んだ事だ。俺の中の当たり前があったから言わなくても分かると勝手に思ってしまった。
「私も確認しなくてゴメン」
「どうする?チケット誰かにあげる?」
同じ時間だからもうそれしか方法はない。緑川もそうしようって言うかと思ったけど
「ちなみに座席どこ?」
って聞いて来た。
「ちょっと待って」
大体この辺が好きってのはあるけど、何列目って決まってる訳じゃない。スマホで予約した座席を確認する。
「H列の十二と十三」
「うそっ、私十四と十五」
「Hの?」
「うん」
「マジで?」
一番広いスクリーンで一緒に行く者同士が隣の席を取る確率ってどれぐらいなんだろう。大人気の漫画家だってこんな展開思いつかないだろってぐらいの神展開だ。
「予約しなきゃって思った時、結構座席埋まってたから横に人居るけどいいかなと思って」
そう言いながら緑川がスマホで予約画面を見せてくれる。そこには確かに俺が取った席の横の座席番号が表示されていた。
「マジか」
「すごいね」
「マジですげーわ。もう贅沢だけど、両隣に人居ない状態で観るか」
「うん、そうしたい」
マジで嬉しそうな顔で緑川が言った。そんなに嬉しそうにされると俺も嬉しくなる。
四枚分のチケットを発券して俺達はマジで隣だって改めて驚きながらも二人で顔を見合わせて笑った。もうポップコーンが食べれないとかマジでどうでもいい。こんな奇跡を起こす以上の事なんてもうない。映画を観なくても俺はもう満足していた。とんでもない初デートの始まりになった。これがピークにならないといいんだけど。とか思ってたらフラグ立ちそうだからこんな奇跡がまた起こったら面白いって考える事にしよう。
映画のエンディングロールが終わって何か感想でも言うのかと思っていたけど、緑川は黙って席から立ちあがった。周りのグループは楽しそうに話しているのに俺達は無言だった。俺と緑川っていつも周りの雰囲気とは逆に居る。まだ慣れはしないし、戸惑うけど不思議と嫌ではないんだよな。
「昼どうする?」
映画館を出た所で聞いた。緑川もどこに向かうのか悩んだのかようやく足が止まった。
「そもそも緑川の好きな食べ物って何?」
「こういう時はファストフードかな」
最早こういう答えが返って来るのが楽しく感じる。聞きたい事は二つある。とりあえず一つずつ聞いていく事にする。
「こういう時ってなに?」
こういう時って答えるって事はその時によって好きな食べ物が変わるって事だ。好きな食べ物って聞く機会多いけど、そんな答えは初めてのパターンだ。
「普段はお母さんが作ってくれるから友達と出掛ける時ぐらいしかそういうの食べれないから。たまに食べるとハンバーガーとかフライドチキンとか凄く美味しく感じる」
あっ、もう一つ聞こうと思ってた事は聞く前に答えてくれた。ちなみに俺はなんでファストフード?って聞こうと思ってた。美味しいから好きなのは分かるけど、なんか緑川には合ってないって思った。でも、なんか好きな理由がちゃんと緑川で安心した。そしてちょっと背伸びしてとかじゃなくてメッチャ気軽に食べれる物が好きって安心した。
「じゃあハンバーガーにする?」
俺もハンバーガーは好きだ。きっと緑川は頷くだろうと思っていたけど、何か考えている感じがする。もう腹が減ったし、答えを待ってるのはしんどいと思って質問を続ける事にした。
「なにか他に食べたい物ある?」
そう聞くと緑川は分かりやすく表情だけであると答えた。よく分かってくれたねと言わんばかりの嬉しさが滲み出ている様に感じた。
「ラーメン」
「ラーメン?」
これまた意外な答えだった。マジで緑川って理解するのに時間が掛かりそうだ。
「一ノ瀬君、ラーメン屋さんって行った事ある?」
「そりゃあるけど。そういう聞き方するって事はもしかしてない?」
緑川は実は私、緑川椿じゃなくて緑川ローズなのって衝撃告白をした後かの様に気まずそうな顔で頷いた。いや、その例えはおかしいか。でもこの例えメッチャ気に入った。緑川ローズって音の響き的には悪くない。緑川が華やかな世界に行く時はローズもありかもしれない。
緑川って言葉は直ぐに返って来ない事が多いけど、表情に出るから分かりやすいし、面白い。
「家で何回かインスタントのは食べた事あるんだけど」
「マジで?俺、多かったら週五で食べてるのに」
「そんなに?家でご飯作って貰わないの?」
「ちゃんと作って貰ってるよ。でも、夜とか腹減った時の為にラーメンは常にストックされてる。せっかくだからさ、ちょっと時間掛かるけど、電車でとびっきりのラーメン食べに行かない?」
どうせなら絶対に美味しい所に連れて行きたい。緑川のラーメン屋デビューを微妙な物にしたくない。なんかこれ、彼氏って言うより親心みたいなものかも。
「行く」
珍しく即答だった。普段のペースも悪くないし、嫌いじゃないって思うけどこの即レスも悪くない。結果、緑川なら何でもオッケーって事だ。富田と川岸が緑川を受け入れている理由が今なら分かる気がする。
「映画面白かった?」
電車に乗って空いてたから並んで座ってようやく映画の話しをする事が出来た。
「ストーリー知ってたから」
「知ってても面白いかそうじゃないかはあるだろ?」
また緑川は答え探しの旅に出てしまった。答えが返って来るまで俺は窓からの景色を眺める。山とか海とかキレイな景色は何もない。見えるのは住宅街。もう少し進んだらそれがビルに変わっていく。なんか俺と緑川の関係みたいだなって思った。ビルだらけで一見殺風景に思えるけど、いざ足を運んでみたら楽しい場所がいっぱいあって案外悪くないって感じが似ている。
「悪くはなかった」
結構長く考えてた割には曖昧な答えだ。まぁ、良かったよの一言よりは会話は続けやすいか。
「って事は良くもなかった?」
「多分、原作読んでなかったら良かったなって思ってた」
「原作でいいと思ってた所が映画ではなかったって事?」
「うーん、そうじゃなくてなんかキレイ過ぎ?」
もうどういう事って聞かずに俺も原作読んでみようかなって思って来た。緑川はそういうつもりじゃないんだろうけど、こんな形で本を読む様に仕向けるなんて新しいなって思った。
「ちょっと俺も原作気になって来たんだけど、貸してくれたりする?」
友達とかだったら気軽に貸してよって言う所だけど、緑川って自分の好きな物を一時でも手放したくないタイプっぽいなって思ってちょっと遠慮しながら聞いてみた。
「月曜持って行く」
即答だった。これは遠慮せずに借りていいやつだ。月曜は俺も緑川と一緒に本を読む事にしよう。
「マジ?ありがとう。俺も映画の感想ぶっちゃけて言っていい?感想ってか疑問」
自分の監督作品を批評されるぐらいの真剣な顔で俺の顔を見て頷いた。横並びで俺の顔を見てくるってメッチャレアなんだけど、もうちょっと優しい顔とか笑顔の時に向いて欲しい。
「なんかやたら走って美空の元へ向かうシーンあったじゃん?あれ、タクシー拾った方が早くね?って思わない?後、雨の中走る所もさとりあえず傘買えよって思ったんだけど。雨の中濡れるって結構色んな作品であるよな。その方が画的にいいんだろうけど、そういうの観る度に傘買えよって思う」
「でもさ、コンビニで傘買ってタクシー待ってるシーンがあったら、早く行ってって思わない?」
返事メッチャ早いのにメッチャ納得出来る答えが返って来た。これは緑川のスイッチ入ったかも。でもこんなに早く返事が返って来ると既に物足りない感じがする。子供の成長を見守る親ってこんな感じなのかも。子供の頃はあんなに可愛かったのにこんなに生意気になってみたいな。別に緑川は生意気になった訳じゃないし多分、また独特のペースに戻るんだろうけど、いつかはあの時の緑川はって思う日が来るんだろうな。ってそもそも緑川に対して親目線になってるのヤバいかも。今後は親目線にならない。ちゃんと彼氏目線になる。
「言われてみればそうかも」
「映画だからある程度の演出は必要なんだよ」
「納得した。でも、今日の俺と緑川に勝る奇跡って中々なくね?現実なのにフィクションに勝ったって感じしない?」
「うん、する。今まで読んだどの本にもあんなシーンなかった」
「だよな?あれはマジで奇跡。お互いそれぞれ好きな席買って観ようぜって言って予約しても隣を取る確率ってメッチャ低そうだよな」
「いつも同じ席とかならありえなくもないけど、何も知らない状態で隣の席だったらすごいね」
すごい。俺、緑川と普通に会話してる。友達と居る時はこんな感じなんだろうな。表情も柔らかいし、いい感じだ。
「今度やってみない?」
「やってみるって座席予約?」
そして察しもいい。話しの流れからして分かってくれるのが普通の流れなんだけど、分かってもらえないのが緑川だ。通常の緑川ってこんな感じなのか。それともいつものが通常で慣れたらちょっと頑張って普通になるのか。どっちなのかは分からないけど、普通に喋るだけで一々すごいなって思えるのは面白い。
「H列なしで」
「あっ、それ面白そう」
更にノリもいいと来た。普通なら離れて映画観る事になるなんてあり得ないって拒否されてもおかしくない。
「今日ぐらいの混み具合のがいいよな。人少ない映画だったら大体分かるもんな」
「でもさ、ここの人一人だから一ノ瀬君かもって思って取って、実際行ったら太ったおじさんって事もありえるよ」
嘘だろ。まさか冗談まで言うなんて。やっぱり今日がピークなのか?いや、今日みたいな日をこれからも作っていけばいいだけの話しだ。
「ガラガラの映画館で真隣に人が座るっておじさんには申し訳ないけど、それはそれで笑えるからあり」
「確かに。それするならアクション映画にしよう。で、一ノ瀬君はおっきいポップコーン買って入って。それで私が横に座れたら分けて」
うわっ、俺かなり緑川の事いいって思った。親目線じゃなくて彼氏目線でいいって思った。今度佐々山にからまれたら言ってみようかな。映画行く時、それぞれで座席予約するスタイルだけどいい?って。それでいいって言われたら佐々山も悪くないなって思うかもしれないけど、絶対にいいって言わない。今後、どんな子がタイプなの?って聞かれたら映画の座席予約を各自でって言っても文句を言わずに楽しんでくれる子って答える事にしよう。
「緑川決めた?」
ラーメン屋に着くと昼のピークから少しずれてるからか店内は空いていた。俺は一刻も早く食べたかったけど、緑川が入口前にあるメニューにもう十分は足止めされていた。味噌ラーメンが美味い店だって言ってるのに緑川は醤油ラーメンと悩み、更にはトッピングする物によって味噌か醤油か変わらない?と命に関わる問題かの様に深刻に聞いて来た。さっきまであんなにいい感じだったのに今は腹が減っているせいもあって笑えなかった。
「そんなに悩むんならまた来て違うの食べたらいいだろ。俺二杯は食べれるから緑川のと合わせて三杯選びなよ。そしたら三種類食べれるだろ?」
最初からこう言えば良かった。味噌ラーメンが有名なんだから味噌を選ぶのが当然って考えが俺の中であった。トッピングだって全部乗せれば解決だ。緑川が食べきれないって悩むのなら俺が限界突破すればいい。そう言ったらあんなに悩んでたのが嘘みたいに軽快な足取りで券売機の前へと向かった。
俺が先にお金を入れると緑川は戸惑った様に俺を見た。今そんな悩むポイントある?って普段でも分かりにくいのに腹が減ってる状況だから余計に分からない。
「緑川が何選んだか分からないから押して」
「三つ押していいの?」
あっ、この表情は奢ってもらってもいいの?って顔だったのか。俺は緑川の事理解出来ない事多いけど、緑川も俺の事よく分からないって思ってるかもしれない。
「無駄に映画代払わせちゃったからここは俺が出すよ」
ちゃんと言葉にして伝える。分かってもらって当たり前って思わずに俺もちゃんと言葉にしていかないとな。
「ラーメン三つとトッピングとかサイドメニューとか何でも。食べきれない分は俺が食べるから」
緑川はまるでそこからラーメンが出てくると思っているかの様に嬉しそうな顔でボタンを押して食券が出てくるのを見ていた。
やっと席に着いて水を飲んでいると緑川が
「無駄じゃなかったよ」
といきなり言った。回転が遅くなっている頭を水を飲んで何とか回転させて言葉の意味を考える。
「あっ、映画代か」
「ちゃんと二人分の映画代以上の価値はあった」
確かにあの経験は二人分の映画代以上の価値はあった。でもそれ以上に
「確かにそうだな。俺は緑川がそう言ってくれた事でもっと価値は上がった」
って思えた。そしてちゃんとそれを言葉にして伝えた。さっき学んだ事をちゃんと活かした。そしたら緑川は嬉しそうに笑って
「一ノ瀬君がそう言ってくれて私の価値ももっと上がった」
って言ってくれた。そんな言葉を貰った後のラーメンは最高だった。緑川もこの世の中にこんな美味しい食べ物があったなんてって顔をしながら驚く事に俺の分を合わせて一杯半を食べた。
「今日はありがとう。楽しかった」
俺は晩も一緒に食べるつもりだったけど、緑川はそうじゃなかったみたいで晩ご飯はお母さんが作ってくれてるからと夕方には解散する流れになった。家まで送って行くって言ったけど、緑川の表情を見て誰かに俺と一緒の所見られたら嫌なのかな?って思ったからバス停がある通りまで送って来た。
「俺も楽しかったよ」
素直に言う事が出来た。俺は緑川に色んな世界を知ってもらいたいって思ってたけど、今日は俺も学ぶ事が多かった。まぁ、それは緑川に対してだけの事なんだけど。
バスに乗ると俺が立っている方の席も空いていたのに緑川は俺から遠い方に座って、こっちを見る事なくバスに揺られて行った。最後までちゃんと緑川だった事に俺は一人笑ってバスが見えなくなるまで見送った。