アートとは卵子である
犯罪を助長推進肯定するものではありませんのでご注意ください。あと、精液とか書いてますんで、小学生以下は見ないほうが無難かも。でも芸術無罪だよね♡
もうさ。君たち元気すぎ。
新潟県十日町市『大地の芸術祭』でクワクボリョウタ氏の「LOST#6」という芸術作品が破壊されたらしいです。
どうやら事故ではなく、故意に足で踏みつけたとか。このあたりはまだ捜査中なので不確定情報だと思ってください。
くだんの作品は織物機具の一部や農機具に光を当てて、影を見せるというような内容でした。
少し映像が残っているので、今も見れるはず。
それで、クワクボリョウタ氏は中学生のやったことだしと赦したというのがニュースの内容でした。
もちろん、社会的に見たら、中学生のやったことは(故意だとすれば)犯罪行為です。幼いからといって赦されるものではありません。
ですが、自分の作品を壊されたのだから、当然怒るところをクワクボリョウタ氏が耐え忍んだのだと読みこんでいるのは違和感を覚えます。
まるで、国語の教科書で、このとき作者は何を思っていたのか書きましょうというような。
いや、書けますよ。メタルールとして、そこに現れる文章ではAならばBというような規範が存在し、だから答えがこうなるというのが今の国語教科書だからです。
同じことです。クワクボリョウタ氏の提出した文章は、社会的生活を営む人間としては、ごく自然とAならばBと受け止められるものだったのです。わかりやすくできるだけ具体的に書いてみると、例えば、所有権とか著作権とかがそうなるのかな。クワクボリョウタ氏が作品に対して著作権なり所有権なりを持っている。その権利を侵害された。だから、彼には怒る権利もまたある。しかし、それを笑って赦した。これは利他的であり尊敬すべき行いである。
他者から侵害行為を受けたときに、それを赦すのは尊い行為である。
これがメタルール。正常人たちが無意識レベルまで織りこんでしまったプロトコルなんです。
いや、しかし、その賞賛すらも、クワクボリョウタ氏は芸術の確信を得たとして喜ぶのではないかと思うのです。
もちろん、妄想です。わたしは作者の考えなんてわかりません。メタルール上の作者の考え、国語で言う答えくらいはわかるのですが、それを本当に作者のこころとしていいのかは、疑問が残ります。わたしはテレパスではないので。ここで、クワクボリョウタ氏の本心を暴きたいとかそういう話ではありません。作者のこころというのは、妄想するしかなく、たとえ言葉で語ってもらっても、それは妄想なのですから。わたしは言葉というモノサシをつかって推論するのみです。
芸術家は芸術作品というものを、どのような形で受け手の眼差しの中に置くのでしょうか?
クワクボリョウタ氏という個人の話ではなく、一般的な、誰でもよい芸術家の話です。
ひいては芸術とはなんなのかという話です。
わたしのエッセイで、射精責任論とか書いてるけど、https://ncode.syosetu.com/n2136hr/
まず、この観点から言えば、アートを鑑賞した時、受け手は射精しています。
それは別に吉良吉影みたいに、モナリザを見て勃起したという意味ではなく、もちろんそういう意味も含みますが、要するに感動したということです。
アートを見て、受け手は感動した。これをより動的に捉えるために射精したと捉えました。
映画や小説やアニメ、などなど、なにかしらの感動を覚えたとき、我々はそれを言葉にしたがります。
つまり、感動が口をついて出ようとします。これを射精と表現しているのです。
当然のことながら、Aさんがアートに感じた感動と、Bさんがアートに感じた感動は異なります。
なぜなら、両者のリビドーは異なるからです。吉良吉影はモナリザの手に勃起したわけですが、一般人はなかなかモナリザの手に勃起しません。
これはアートというものはそこにただ在って、解釈されるという立場だからです。
アート←(射精)受け手。
まず、この構造があるということになりますね。
ところで、射精する作法に正しい射精方法なんてものがあると思いますでしょうか。わたしの射精こそが正しく、おまえの射精は正しくない。はい、いわゆる作品の解釈という話です。この解釈というのは、言語構造によって支えられているアートだと特に顕著に現れるのではないでしょうか。小説で、誰それの心情はこのように解釈するのが正しい。なぜなら、この言葉はこのように解釈するのが妥当であって……。
それはボクの精液だけはキレイなんだという幻想です。
要するに、アートに対する解釈に正しいもなければ間違いもないんです。
それをわかってもらうために、精液って書きました(半ギレ)。
ところで、射精という現象を捉えた時、それは忘我と法悦の一瞬です。もちろん、現実的な射精は時間制限があります。始まりもあれば終わりもある。無限に射精できるわけではありませんから当然です。しかしながら、忘我と法悦という観点から申し上げますと、それらは一瞬でありながら時間という概念がふっとばされています。
瞬間的に、「わたし」は「わたし」という意識を離れ、精液そのものになります。
受け取り手の感動という体験にフォーカスするならば、それはアートに向かう精液という現象そのものです。
ゆえに、アートとは卵子である。
なんか、書いてて、このごろのわたしは精液にゅるにゅるな文章が多い気がしてきました。なので、ちょっとキレイに装飾するために、X JAPANにDAHLIAという歌から『永遠の一秒に涙を飾らないで』とあるのでこれを引用させていただきます。この涙が精液であるということですね。YOSHIKIは涙ってかけるのにな。ベル子は精液。えっちなベル子ですみません。
ともかく、アートは時間性を越えるってことですね(ガチギレ)。
あとは、いとうかなこのスカイクラッドの観測者より、
『0が過去で1が未来。今はどこにもない』
という歌詞があるんですが、これもまた同様にアートの時間を越える機能を表しているように思います。
シュタインズ・ゲートという作品では、タイムリープモノなんですが、過去をかきかえることができるのであれば、過去もまた主観時間においては未来になる。よって、今=確定された自己というものは存在しないと解釈できます。これもまた解釈なんですが、射精の瞬間には忘我の状態にある。自己のない状態になるということも表しています。
しかし、ここでとてつもない問題がひとつ。
いったい誰が観測者になっているのだろうということです。
『時間性を超越し、わたしがいない』
これが卵子と精子が接合した瞬間であるならば、つまり芸術に相対したときの感動的な体験であるならば、それを誰が記述できるのかという話です。あとからいくらでも記述はできます。例えば、「すっごくよかったよ♡♡♡←これはアートじゃなくてハート」みたいな感じに。しかし、それは射精という永遠の一秒を、過去という言葉のなかに押しこめ、射精した瞬間のわたしを他者として記述してしまっています。本当の意味での記述は不可なのです。
存在の矛盾。これこそがアートの本質。人間の本質なのかもしれません。
話が長くなってしまいましたが、ここでアートが破壊されるという事象に戻ります。
もちろん、社会的ルールとしてダメゼッタイというのは、もはやいうまでもありません。
しかし、アートとは卵子であり、芸術的な感動が精子と卵子が出会うことで達成された。受精卵になったというのであれば、アーティストとしては本懐ではないかと思うのです。なぜなら、アートは卵子であり受精卵になりたいからです。作品は子どものようなものだという話はよくいわれますが、受け取り手によって解釈を施されなければ、鑑賞されなければ、あるいは観測されなければ、受精卵にはなりえません。なかには無精卵でもいいよってアーティストもいるみたいですけど、鑑賞されうる場に提供されている以上、受精卵になりたいというのが、ほとんどのアーティストの願いのはずです。
であれば、アートを破壊するというのはなんなのか?
これもまた射精のはずです。中学生はモヤモヤしたか、なにかイライラしていたか、鑑賞というほどの時間はなかったかもしれませんが、しかし、少なくともアートを視界にいれた。いれたからこそ、破壊しようとした。モノを壊したらスッキリしますもんね。
よって、その瞬間に、アートは受精卵になったのです。
アートは、出産されたのです。
であれば、母親であるアーティストは何を思うか。
これもひとつで推測であることは先に述べたとおりですが、子が生まれたのを見て喜ばない母親はほとんどいないでしょう。しかも、望んで鑑賞されうる場所にある。犯される場所にいることからすれば、それは望まれた子のはずです。
したがって、アーティストは、アートが破壊されて喜ぶのではないかと思うのです。
なお、蛇足になってしまいますが、そのあとの作者の赦すという行為への称賛ですが、これも精液ぶっかけ祭りですね。
破壊されて失われてしまった現実のモノとしてのアートは、想像上でますます元気にたくましく、精液を受け止め、子を出産しつづけています。これも嬉しいんじゃないかなと思うんです。もちろん、それは名誉欲とかではなく、アーティストとしての本性によって。
追記。
あ、そっか。このエッセイって、
アートをSとして、それに斜線を引くという動的現象を芸術だと言っているわけか。
だから、自作品に欲情したら、自分の娘をレイプする父親になるわけだな。
なんで、アートは斜線なしSなのって、純粋なアートは斜線がついていないからなわけだな。
なぜなら、/を最初から引いてしまうと、去勢済みという劣化芸術になっちゃうからか。
数理として捉えたら、めっちゃ簡単なこと言ってるやん。これ。
ほとんど直感で書いてるんで、なんか書いててフワっと感あるわ。
わたしはたぶん、くだんの作品に転移してて、壊されたい(犯されたい)と願っている幼女作家なんだろうな。この作品も受精卵になるのを願ってる卵子なので、コメ☆いいねよろ~。