田舎の寺の化け狸
あの古いお寺の境内で、よくみんなでかくれんぼしてたよね
田舎だから他に遊び道具もなくて
丸顔でほっぺが赤いわたしは、まるで狸みたいだとからかわれた
きみだけが笑わずにかばってくれた
狸のわたしはあの日、恋をしました
でもその早熟な恋に、わたしの身体が追いつく前に
きみは遠くの都会へ行ってしまった
何年かに一度、夏になるときみはここに戻ってくる
わたしはそれが楽しみで
ただそれだけが楽しくて
今でもあの列車が田舎の駅にすべり込んでくる
軋むブレーキの音さえ心地よく夢に響く
想像していたとおりきみは大人っぽくなったね
背も伸びて、ちびのわたしを見下ろす視線は
思っていたよりずっと深くわたしの胸を穿ったんだ
出迎えるわたしは今も大勢の中のひとりのまま
仲間はずれが怖かったはずなのに、きみの前でだけは特別でいたい
きみと会えないあいだに積み重なったこの想いさえ
きみにはきっと気持ち悪くて重いだろうね
わたしは醜い田舎の狸
鏡を見るたび、そう突き付けられる
だからメイクをおぼえて化ける練習をたくさんした
葉っぱのかわりに前髪にカーラーを乗っけて
牛乳を飲んで運動もして、胸もふくらんだ
わがままを言って新しい浴衣も仕立ててもらった
だってこの田舎にはおしゃれな服屋さんなんてないんだもの
都会にはきっと、かわいい子がたくさんいるんだろうな
村祭りの夜、わたしは化けてみせる
他の男の子たちがわたしを見る
でもわたしが騙したいのはきみだけ
ただひとり、きみだけ
祭りなんて言ってもぜんぜん大したことなくて
何百発も花火が打ち上げられたりはしないけど、それでいい
今だけは、わたしを見ていてほしいから
甘くてふわふわの綿菓子が、わたしは好きなんだ
胸の中のザラザラした氷みたいな粒が、きみの熱で溶けてきっとそれになる
きみにとってここは懐かしい場所?
失くしたものを探しているの?
だったらそれはきっとわたしが持ってるものだよ
きみを好きな女の子が都会にいたって関係ない
きみが好きな女の子が都会にいたって問題ない
こんな山奥じゃ見えるのは夜空の星と蛍だけ
ビルの灯なんて見えやしないでしょう?
おあつらえむきの雨がわたしに言い訳をくれた
雨宿りを理由にわたしはきみをお寺の境内に誘う
星はまだ見えているのに、これも天気雨っていうのかな
晴れているのに雪が降るのは狸の嫁入りと言うんだって
風花が舞う中をきみと歩いてみたかった
でも冬には、きみはここにいない
じっとりと湿り始める土の地面
きみは山道を歩くのが少し下手になったかな?
わたしもよろけたふりをして手を引いていこう
ふたりでなら、獣道だってかまわない
罠にかかるのはどっち?
きみが傷を負ったなら、わたしが舐めてあげる
片脚を踏み抜いてしまったのがわたしなら、きみは憐れんでくれる?
お寺の軒下できみと並んで座り
この雨がもう少し続いてと願う
このままきみの恋人になりすまして兎に復讐されてもいい
濡れた肌を拭くため、わたしは浴衣の胸元を少しはだけてきみを見る
子供だったあの日のように、きっと頬が赤くなってるけど
きみが欲しくてわたしは待ち構えている
甘えた鳴き声なんてよくわからなくてじっと黙ったまま
きみの手が頬を撫でる。まるで獣を馴らすみたいに
もっとたくさん撫でてくれてもいいんだよ
だってきみに差し出せるものなんて、狸はこれぐらいしか持っていない
ここまでやって拒絶されたら一生ものの傷が残りそうだけど
でも、きみがいない一生に比べたらその傷さえも価値がある
――きみの幸せを望まないなんて、そんなわけはもちろんないけど
できることならわたしのそばで幸せになってほしい
だけどそんな時間もやがて終わってしまうんだ
雨と涙で化けの皮が剥がれてしまうよ
帰らないで、ここにいて、ずっと
山の狸のわたしにはとてもそんなこと言えなくて
駅のホームには入れなくて、わたしは遠くから列車を見送る
「またね」の約束もできなくて、わたしはただ次の夏を待つ
狸じゃなくて人間だったらあの列車に乗れたのかな
息苦しいこの山に繋がれたまま、わたしはただ次の夏を待つ