2-2:月下の密会
「久しぶりだね、ヴェニッタ」
アデルと呼ばれた男が深く一礼する。
その様子を、フェズは崖の上から静かに見守った。
ヴェニッタが何故ここに……?
何故、あんな怪しげな男と、こんなところで密会している!?
頭の中を必死で整理するフェズ。
だが、彼女の理解を置き去りに、話は進んで行く。
「さて……取引を始める前に、謝っておかなきゃね」
アデルが、肩を竦める。
「それは、”実験体”が一匹しかいない……と言う事かしらね?」
不満げに、ヴェニッタが腕を組んで呟いた。
「そうなんだよ。ひとり逃がしてしまってね。不測の事態と言うやつだよ……」
「逃がしただけでは済んでいないわ」
ヴェニッタが、アデルに詰め寄る。
「お前は公国軍に、人間界への侵入を目撃されたわ! おかげで昨日はどんな騒ぎだった事か!」
「申し訳ないと思っているよ。
でも、"VERDIGRIS"はキミの商会が開発した魔導石じゃないか。人間たちの軍隊に支給されているのなら、言っておいて欲しかったな。
おかげで、ボクの『ゴーレム』が一体、撃墜されてしまったよ」
隣の"巨人"を指差し、低く笑うアデル。
『ゴーレム』とは、あの"巨人"の事か?
しかも、今のヴェニッタの話振りからすると、このアデルと言う男は……。
顔を上げたアデルの瞳が、金色に輝く。
"照明球"の光を受けて、その毛皮に覆われた顔や細く尖った耳が見える。
人狼族か……!?
民間人の人狼族との接触は硬く禁じられている筈である。ヴェニッタは、そのを人狼族相手に何をやっているのだ?
取引とは何の事だ?
ヴェニッタが、吐き捨てる様にアデルを叱責する。
「言い訳はよしてちょうだい!
どんな理由があれ、商品を満足に用意出来なかったのだから、今回の支払いはまけてもらうわよ?」
ヴェニッタの言い草に、イラつきを見せたのは、意外にもアデルの従えている『ゴーレム』だった。
「貴様……人間の分際で、図に乗るなよ……!」
無機質な外見とは裏腹に、存外しっかりと感情のこもった口調で牽制する。
その『ゴーレム』を手で制するアデル。
「止しなよ。彼女の言う通り……非があるのはボクたちの方だよ」
「……失言でした……」
出過ぎた『ゴーレム』を下がらせ、アデルはヴェニッタたちの方に向き直る。
「……けれど、キミたちにも、問題がないとは、言えないと思うけれどねぇ……」
「……? どう言う意味かしら……?」
「余計なお供を連れて来ている、と言う事さ!」
「!?」
フェズの心臓が跳ね上がる!
バレていたか!?
咄嗟に身体を後ろに下げ様とするが、それより早くアデルが手にした杖を振りかざす!
杖の先端の魔導石が輝き、青い炎が渦を巻いて噴き出した!
炎の渦は―――鋭く孤を描いて、ヴェニッタたちの背後に突き刺さる!
「え……!?」
青い爆炎が噴き上がり、草や木の葉が火を纏って舞い上がる!
アデルの狙いはフェズではない!?
「きゃあああッ!」
大木の影から、人影が甲高い悲鳴を上げて飛び出して来る!
それは、地面を転がって、身体に付いた火を必死に消し止めようとした。
出て来たのは、栗色の髪を巻き毛にした、眼鏡の女。あれは―――!
「ペペローネ……!?」
その女は――フェズが森に入った、そもそもの理由であるペペローネだった!
どうにか火を消し止め、身を起こした彼女はアデルたちを見据える。
「バレてたか……!」
「貴様は……スパイだったか!? 何処の手の者だ!?」
バリスが身構える!
舌打ちして飛び上がり、軽い身のこなしで体勢を立て直すペペローネ。
足元の草むらに隠していたらしい、錫杖を振りかざして身構える!
しかし、四対一である。
「おっと! 動かない方がいいよ」
ヴェニッタの横をゆったりとした動きで通り過ぎ、アデルが彼女に杖の先端を突き付ける。
「少しでも動けば、君は人の形をした炭に変わる。
ま、動かなくても命が数分伸びるだけだけどね……!」
「ちくしょう……っ!」
明らかに追い詰められているペペローネ。
このまま、見過ごせば――目の前で彼女の命が奪われる!
「逃げろッ!」
思わず――叫んだ!
「何!?」
フェズの叫び声に、全員が驚愕の視線を向ける!
その隙をペペローネは見逃さない!
素早い身のこなしで反転すると、森の奥へと走り去って行った!
「待てッ!」
慌ててヴェニッタが彼女の後を追おうとするが、ペペローネはロングスカート姿とは思えない跳躍で藪を軽々跳び越え、森の暗がりに消えて行く!
「まだ仲間がいたのか……!?」
アデルがフェズに杖の先端を差し向ける!
「やばい……!」
身を翻し、崖から離れる!
「今のは……まさか、フェズ!?」
ヴェニッタの声が背後から聞こえる。完全に正体は気付かれてしまった様だ。
「バリス、彼女を追いなさい!」
「はいッ!」
崖下から響くヴェニッタとバリスの声。
もはや足音など忍ばせる余裕もなく、フェズは元来た草むらを駆け抜ける!
整理の付かない頭の中に浮かんだ言葉は唯ひとつ!
捕まったら無事には帰れない!
どうする!?
人狼族の少女が倒れた場所まで戻る。
彼女はまだ木に寄りかかり、荒い息をしていた。
もう、こんな子どもに構っている場合ではない!
逃げなくては!
少女を棄てて――フェズは森の奥へと走った!
何が起きているのか、まったく理解出来なかった。
ひたすら生い茂る草と木のあいだを走り抜ける!
だが、特別体力に自信がある訳でもないフェズの脚はすぐに悲鳴を上げた。
脚が止まり、その場に立ち尽くす。
額からぽたぽたと滴る汗を、手の甲で拭う。
膝に両手をついて、荒い息を整えた。
「くそ……ッ! もう走れない……!」
辺りを見回すが、そこはまったく見た事もない森の中。闇雲に走ったせいで、来た事もない山奥に迷い込んだ様だ。
立ち止まっている訳には行かない。すぐにでもヴェニッタたちが追いついて来るかも知れない。
ふらふらと、足を前に踏み出した――その時!
「見つけたぞ!」
空気を震わす声とともに――目の前の木々を薙ぎ倒される!
粉々に吹き飛ぶ木片を撒き散らし――『ゴーレム』が姿を現した!!
「きゃああッ!?」
悲鳴を上げて、尻もちを付く!
ゆっくりと空中を浮遊する『ゴーレム』の無機質な仮面が、フェズを見下ろす。
仮面に開いた蒼い相貌と、額に輝く碧い魔導石が、ぎらりとフェズを睨む!
「お前は、崖の上から取引を覗いていた女か?」
「と……取引なんて知らない! あたしは……何も見てない!」
震える声で、通りもしない嘘を叫ぶ。
当然――
「何でも良い……! 我が姿を見られた以上、始末するのみ!」
――『ゴーレム』の太い腕がフェズに伸びる!
「自分から出て来て勝手な事を――!」
意を結したフェズは涙を拭き払って――ダガーを引き抜き、”マギコード”を組み立てる!
――が! それより早く、『ゴーレム』の腕がフェズの頭を鷲掴みにした!
衝撃に耐えられず、ダガーを取り落とす。
「痛い、痛いッ! 止めて……ッ!」
凄まじいちからで頭を押し潰され、フェズは濁った悲鳴を上げた!
圧迫された脳が割れる!――そう感じた瞬間!
「”光爪”ッ!」
鋭い叫び声とともに裂光!
フェズの背後から飛び込んだ、幾重もの光の"爪"が『ゴーレム』の身体に突き刺さる!
「ぐあ……ッ!?」
地響きを立て、『ゴーレム』が地面に崩れ落ちる!
その衝撃で拘束が解け、フェズの身体が地面に叩き付けられた!
「げほ……! げほ……ッ!」
激しくせき込んで、混濁した意識を揺り戻す。
頭を振って視線を向ければ――そこには人狼族の少女の姿!
「お前……!」
今の魔法はこの娘のものか?
脇腹を押さえ、苦しそうな表情で身構えている。
左半身がうまく動かないのか、左足を引きずってフェズに近寄って来た。
「……大丈夫?」
横にしゃがむ少女の顔を覗き込む。
「助けてくれたのか……?」
「さっき、貴女も助けてくれた……」
「……でも、見捨てたんだよ?」
紅い髪を揺らして少女は首を振る。
「でも、助けてくれた」
「ふははは……ッ!」
ふたりの会話を他所に、『ゴーレム』が高笑いを上げて起き上がる!
かなりの勢いで吹き飛んだ筈だが、大したダメージにはなっていないらしい。
「これは幸運! 目撃者の女と、捜していた”実験体”が同時に見つかるとは!
これで、アデル様もお喜びになるだろう!」
「……実験体?」
「これでなお、逃がす訳には行かなくなった!」
フェズの疑問符を無視して、『ゴーレム』の腕が人狼族の少女に伸びる!
咄嗟に少女を背後に庇う!
しかし――取り落としたダガーが草に埋もれて見つからない!
魔導石がなければフェズは、抵抗手段を持たないそこらの町娘と大差ない!
「待ちなさい!」
覚悟を決めて目を瞑ったフェズの耳に、鋭い女の声が響く!
「!」
脇の草むらから、フェズの前に飛び出す影!
「ペペローネ!」
威勢よく現れた赤縁眼鏡の女魔導師!
フェズに背中を見せ、腰に手を当てて立ち塞がったペペローネは、大きく杖を振り被って見せる。
「わたしも混ぜてもらおうかしら!?」
「貴様ら……! 仲間だったのか!?」
余裕が一転、『ゴーレム』が焦りの様相を見せて大きく後退する。
ペペローネが、錫杖の先端を『ゴーレム』に差し向けた。
「まさか! さっきフェズに助けられたからね! 今度はわたしの番!」
ペペローネに詰め寄られ、じりじりと、『ゴーレム』が後退して行く。
「く……! 人狼族を含めた三対一では……っ!」
不利と悟ったか、『ゴーレム』が木々の中に逃げ込もうと動く!
「おっと! まだ、さっきの言葉のお返しをしていないわ!」
姿を消しにかかる『ゴーレム』にペペローネが宣言する!
「姿を見られた以上、始末するのみよッ!」