2-1:人狼族の双子
人狼族――と思われる女の子が、弱々しく腕を伸ばし、フェズのローブの裾を掴む。
その腕は、あちこちに切り傷や打撲の跡が残り、中にはまだ血が溢れている傷もある。
表情も脂汗を流して、息をするのも苦しそうだ。
「……とりあえず、治療……だよな?」
傷だらけの少女を見下ろし、フェズはダガーを抜き――かけるが、ふと思い立って納刀したまま、鞘ごと腰のベルトから外す。
抜身のダガーを突き付けたら、怯えさせてしまう。
ダガーに魔導石を組み込んでいるのは単純に彼女の趣味の問題なのだが、こう言うシチュエーションでは、扱いに困ってしまう。
フェズは、ダガーの刀身にはめ込まれた、碧い魔導石に、意識を集中させた。
――乳飲み子護る其方の御手、傷付き者を抱きて口付けを――
「発現せよ、"治癒光泡"!」
胸の前でダガーを構え、回復魔法の”マギコード”を組み上げて行く。
ダガーの刀身に埋め込まれた魔導石が、フェズの魔力を吸収して碧い光を帯びる。魔力は、魔導石の結晶構造を通じて魔法に変換され――フェズの右手に集約して行く。
「回復魔法……あんまり得意じゃないんだけれど……」
魔導石を通じて生み出された光は、フェズの手のひらの上で泡立ち、光の泡がシャボン玉の様に生まれては、虚空へと消えて行く……。
言葉の通り、どこか不安定で揺らぎを持つ"光の泡"を手にし、フェズは少女の身体に手を伸ばした。
差し当たり、治療しなければならないのは――腕で庇っている脇腹の様だ。少女の小さな手をどかし、毛皮で出来た服をめくり上げて肌を露出させる。
脇腹には大きな傷が口を開いていた。
先ほどの”巨人”との戦いで負った傷――と言う訳ではないらしく、傷は膿んでおり、紫に変色している。
「これは酷いな……」
思わず目を背けたくなるが――それでは治療にならない。
意を結して傷口に意識を集中し、裂けた皮膚が繋がるイメージを描く。
傷口に、光の泡を押し当てる。
少女の傷口が光で満たされて、キレイな皮膚が再生されて行く。
さて、傷を治すあいだ――頭の中を整理しよう。
フェズは、"アイオライド鉱山"に姿を消して行く、ペペローネの姿を見かけて、追って来た。そうしたら、見た事もない”巨人”に襲われている、この人狼族の少女を見つけた、と言う訳だ。
シンプルだが、まったく筋の通らない状況に、フェズは眉根を寄せた。
とりあえず、大きな傷の治療が終わる。
しかし、不安定な回復魔法は、その傷を正しく縫う事が出来ず、歪な仕上がりとなってしまっている。
この出来では、激しく動くとまた傷が開いてしまうかも知れない。
「やっぱり回復魔法は苦手」
痛みが引いて、呼吸の落ち着きが戻った少女。――その深紅の瞳を薄く開いてフェズに向ける。
宝石の様に紅く透き通った瞳。
この少女が人間ではない――人狼族である証だ。
彼女が、公国軍の捜している人狼族だろうか?
「お前、言葉は分かるか?」
なるべくゆっくりと、少女に語りかける。
相槌を打つ少女。
「ガーネットを……助けなくちゃ……!」
「ガーネット?」
少女の口から出た名前に、疑問符を上げる。
人の名前の様だが、この娘の仲間だろうか?
「ガーネットって言うのは、お前の仲間か?」
「妹……、双子の妹……」
弱々しくと腕を上げ、フェズの背後を指し示す。
「あっちに……いるんだ……!」
釣られて視線を向けたその先は――アイオライド商会とは反対に、山を下って行く方向だ。
もしかすると、この少女の妹――ガーネットも、先程の"巨人"に襲われているのかも知れない。
フェズは一瞬、躊躇する。
人狼族との関係悪化以来、彼らとの交流は公国によって一切禁じられている。
この少女はたまたま出会ったで済むが、その妹までも捜しに行けば、厄介な事になるかも知れない。
考え込むフェズを待てなくなったか、少女が身を起こす。が――
激しく咳き込んで、うつ伏せに倒れてしまった!
「おい! 大丈夫か!?」
抱き起して、楽な姿勢を取らせる。
仕方がない――!
「あたしが様子を見て来るから、お前はここで安静にしてるんだぞ?」
頷く少女を見届けて、フェズは示された方向へと小走りに駆け出した。
"アイオライド鉱山"の反対側は、来た事がない。
鉱山として使われた時代の採掘によって、急な崖になっていたりもする。
足元に気を付けなければならない。
数分も歩いただろうか?
ふと、フェズは歩みを止めた。
「!?」
咄嗟に、草むらに腰を落とす!
声が――聞こえたのだ。
複数の声が、行く手の森の奥から風に乗って響いて来る。
足音を忍ばせて、藪の中へと草木を掻き分け入って行く。
少し進むと地面から光が――いや、向かう先は崖になっており、その下から"照明球"の明かりが広がっている様だ。
地面に伏せ、そっと崖から顔を出し、下を覗く。
「!」
崖の下の広場には、確かに複数の影がいた。
空中に揺らめく”照明球”に照らされた三つの人影。
まず目についたのは、身の丈三メートル程の"巨人"。焦げ茶色のローブにフードを被り、白い仮面をつけている。
先ほど斃した”巨人”とまったく同じ外見だ。
その隣に、同じ色のローブを纏った人影が見える。こちらは普通の人間サイズで、遠目で良く分からないが、黒いぼさぼさの髪と、手にした杖が見えた。
そして――彼らの目の前の草むらに倒れた少女。
彼女がガーネットだろうか?
ガーネットは気を失っている様で、巨人と男はその場に立ったまま動かない。
誰かを待っている様だ―――。
息を潜め数分程、様子を見ていると――男たちの正面の草むらが動く。
誰か来た様だ。
「……待たせたな、アデルよ」
――え?
思わず口を突いて出そうになった声を押し留める。
聞こえた声に、聞き覚えがあったからだ。
ふたりの影が、木々のあいだから姿を現す。
その姿を見て―――フェズは、言葉を失った。
「バリス!? それに……ヴェニッタ様!?」
アデルと呼ばれた男の前に姿を現したのは――ヴェニッタと、その秘書バリスだった!