1-6:追跡の末に……
「さっきのは……確かにペペローネだった」
アイオライド鉱山の登山道の入口に立ち、フェズは山奥へ続く道を見上げた。
鬱蒼とした森の真ん中にぽっかりと口を開けた登山道は真っ暗で、数メートル先も見渡す事は出来ない。
月明かりに照らされているとは言え、ペペローネはこの漆黒の闇の中へとひとりで進んで行った。こんな真夜中に何をしていると言うのか?
振り返って宿舎を見上げる。
すっかりと寝静まった宿舎の窓に、明かりは灯っていない。フェズの自室の窓も真っ暗だ。
姉のロザリオも、既に寝入っていた為、起こさずに出て来た。
「ちょっと様子を見に行くだけだから、大丈夫さ」
フェズは足早に夜の登山道へと脚を踏み入れた。
空から差し込む月明かりの逆光で、木々は真っ黒なシルエットとなり、視界を遮る。
魔法で"照明球"を生み出しても良かったが、目下のところ追跡中だ。
煌々と辺りを照らせば、それこそ追っている相手に気取られてしまう。
「どこに行ったんだ、ペペローネは……?」
少なくとも、新人である彼女が深夜にひとりで裏山に潜り込む、真っ当な理由など思いつかない。それどころか、この森は公国軍が人狼族を捜して山狩りをしている真っ最中である。どう考えても、不穏な空気が漂っていた。
山はそこまで大きい訳でもなく、フェズの脚でも十数分で頂へと昇り着く。
ちょうど、その山頂へと辿り着き、視界が開ける――そう思った矢先だった!
ふと、向かう先の草むらで大きな影が動く!
「何だ……!?」
声を潜めて、身を藪の中に隠す!
木々の合間から、黒い大きな影がゆっくりと動いている様子が見て取れた。
ペペローネか?
一瞬頭の中に、森に消えた後輩の顔が浮かぶが、その可能性はすぐに消えた。
木の影から見え隠れするその”物体”は、どう見ても身の丈数メートルはある。そのシルエットからは、巨大な頭部と太い一対の腕を持っている事が伺えた。人間に近い体形をしてはいるが、人間ではあるまい。
その"巨人"は、草が生い茂る森の中をゆっくりと音もなく移動している。歩いていると言うより、空中に浮いてスライドしているかの様だ。
まさか、これが噂の人狼族か――!?
……いや、そんな筈はあるまい。
人狼族と言えば、首都チャロ・アイアで見た様な狼の如き風貌をした獣人だ。
ならば――いま目の前で、闇夜の森をうろつくこの"巨人"は何だ?
息を潜めて藪の中から顔を覗かせているフェズの方に――巨人が顔を向ける!
顔のかたちをした真っ黒なシルエットに、三角形のかたちに並んだ、三つの青白い光が輝いていた。
これは、こいつの眼か――――?
その眼が、フェズの目と合った――気がした。
「見つけたぞッ!」
黒い影が、野太い声を発する!
フェズの心臓が飛び上がった!
見つかった!?
反射的に身体を跳ね上げ、その場から走りだ――そうとしたが…………。
「きゃあッ!?」
フェズの耳に聞こえたのは――甲高い悲鳴!
「!?」
身体は逃げ様とした方向に向けたまま、顔だけ”巨人”の方へと戻す。
「逃がすものかッ!」
木々の向こうで、”巨人”のシルエットが太い腕を縦横無尽に振り回す!
その動きを避ける様に飛び回る小さな影がひとつ!
追われているのはフェズではないらしい。
小さな影は、”巨人”の振り回す腕にだんだんと追い詰められて行く。
そして――――。
「ぎゃあッ!」
鈍い音とともに、”巨人”の腕が逃げ回る小さな影を遂に捉えた!
小さい影が悲鳴を上げて突き飛ばされ、木の幹に叩き付けられる!
その様子を唖然と傍観していたフェズは、その小さな悲鳴を受けて我に返る!
声色からすると襲われているのは女だが――ペペローネか!?
そうであるならば――助けなくては!
腰のダガーを抜き放ち、――刀身に埋め込まれた魔導石に意識を集中させる!
唇を滑らして”マギコード”を描き出し、魔力を魔導石に流し込む!
――天照星の赤光よ! 紅蓮と成りて集え! 光刃猛よ! ――
魔導石の結晶構造を通過した魔力は"マギコード"に従って魔法へと変換され――高熱を帯びた紅色の光が奔流となってダガーの刀身に巻き付く!
纏った灼熱の光が放つ鈍い振動が、グリップを通じてフェズの手に伝わる!
腰を低く落とし――脚にちからを込めて、大地を蹴った!
狙いは――地面に倒れた小さな影を追撃する、”巨人”の腕!
「発現せよ! "殻紅光刃"!」
向こうからすれば、完全な不意打ちだっただろう。
突然、茂みの中から飛び出したフェズに、驚愕の声を上げる!
「何……ッ!?」
完全に虚を突かれた”巨人”は、まったく反応出来ず――フェズのダガーがその右腕を、音も衝撃もなく斬り飛ばした!
「ぐあああ……ッ!?」
悲鳴を上げて上半身を仰け反らせる!
近づいて、月明かりに照らされて、ようやく”巨人”の姿が垣間見える。
ぼろぼろの焦げ茶色のローブを纏い、身体は立体感さえ掴めない黒一色。フードを被った顔には、のっぺりとした白い仮面が張り付き、相貌に当たる部分から、青白い光を放っている。そして、その額には、鈍く輝く魔導石が埋め込まれている。
下半身はなく、その巨体は幽霊の様に空中に滞空していた。
「何だ、貴様はッ!?」
「それはこっちのセリフだ!」
“巨人”の吐いた言葉に、フェズが返す!
少なくとも、まともな生物ではない。
“巨人”が残った左腕をフェズ目掛けて振り下ろす!
その一撃を、半身を捻って回避し――ダガーの紅刃を、その胸に突き立てた!
「そんな……ッ!?」
胸にダガーを突き立てたまま、”巨人”が腕を振り回してもがき――崩れ落ちる!
――かと思ったが、”巨人”の姿は仰向けに倒れながら、光の粒子となって虚空に消滅してしまった!
後には――額で輝いていた碧い魔導石が、地面に転がるのみ……。
「……何だったんだ、あれは……?」
地面に落ちたダガーを拾い上げる。フェズの手から離れた事で、魔力の供給が断たれた刀身は輝きを失い、金属の光沢を取り戻していた。
深呼吸をして――昂った心臓を落ちつける。
「そうだ! さっきの女……!」
ダガーを腰の鞘に納め、”巨人”に殴り飛ばされた女――だと思われるものに駆け寄る!
果たしてそこには――木の幹にもたれかかって、ちからなく倒れる女の姿。
どうやらペペローネではない様だ。
そして、女と言うより女の子か?
小柄な少女が、地面に尻を付き、脇腹を押さえて苦しそうに呻いている。
ぱっと見、十二、三歳くらいの子どもだ。
真っ赤な髪に、ところどころ黒いメッシュを入れた癖の強い独特の髪型と、見慣れない民族衣装の様な出で立ちが目を引く。
「大丈夫か……?」
声をかけて少女の身体に手を伸ばしたフェズに――彼女の視線が向けられる。
その視線に――フェズは息を呑んだ!
人間にはあり得ない、血の様に真っ赤な瞳に、深紅の縦長の瞳孔。
髪の隙間から覗く、細長い耳。
腕を伸ばした姿勢のまま――フェズは固まった。
「こいつ……人間じゃない。人狼族だ……!」