8-7:冷たい雪の中へ
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その日、グーズグレイ山脈の麓は、本格的な冬の訪れを前に吹雪いていた。
半壊した人間側のヴォルフケイジ大双壁は、復旧の目処が立たず、あちこち開いた大穴を、テント用のシートで補強している。
未だ混乱している大双壁の警備はガバガバで、雪に埋もれつつある”魔導破城槌”の砲針の横に佇むアデルの存在に、誰も気が付いていなかった。
全身を黒いローブで覆い、口元もマスクで隠したアデル。そのフードの下から覗く金色の双眸が――遥か下の地面。国境線を睨んでいる。
その国境線すれすれに、紅い髪の少女――ルヴィの姿があった。
この猛吹雪の中、いつもの民族衣装のみで晒され、両腕を後ろに拘束されて、積もった雪の上に立たされている。
その背後には――ずらりと並んだ数十人の兵士と女隊長ヴァイオレッドの姿。
「人狼族に告ぐ!」
ヴァイオレッドの鋭い声が響き渡る。
「ただいまを以て、貴公らの眷族を返却する!
国境を不当にまたいだこの者の処遇は――其方らに委ねたい」
ヴァイオレッドの言葉に、アデルは目を細めた。
彼女は知っている筈だ。以前にここを訪れたルヴィが、どんな目に会ったかを。
「何か言い残す事はないか?」
ヴァイオレッドに問われたルヴィ。少女は何も答えず、ただ目の前の人狼戦士たちを見つめている。
語る事など――何もありはしない。
無言の少女に肩を竦め――ヴァイオレッドは、ルヴィの背中を強く押した!
両手を拘束された少女を、水に突き落とすも同然の所業……。
そのルヴィの脚が――国境線を踏み越える!
待っていたとばかりに、人狼戦士の放った”光弾”が次々と降り注ぎ……
その内の一発が――ルヴィの眉間を撃ち抜いた!
小さな少女の身体が大きく揺れ、前のめりに突っ伏す……。
真っ白な雪の上に、真っ赤な血が飛び散った!
既に動かなくなったルヴィの身体に、なおも無数の”光弾”や矢が撃ち込まれる!
やがて――
――攻撃の音は止み、物言わなくなったルヴィに興味を失った様に、抑揚もなく公国軍と人狼戦士たちが、元の持ち場へ戻って行く。
アデルは――黙ってその様子を見つめていた。
血塗れになった少女の姿は――ただただ、雪に埋もれて行った……。
***
夜を迎え――。
ヴォルフケイジ大双壁も、寝静まる。
陽が落ちて、気温はますます下がり、雪はますます吹きすさぶ。
人狼領側の、大双壁の背後に広がる広大な雪と灰色の、岩山の銀世界。
空はどんよりと黒い雲に覆われ――月明かりなど見た事もない。
そんな、白と灰と黒が覆う雪原に、ぽつりと落ちる一点の紅。
それは――雪原に打ち棄てられたルヴィの背中だった。両腕を背中で拘束されたままの姿で斃れた少女は、雪に埋もれ、その深紅の髪が僅かに顔を覗かせている。
「やあ、こんなところに棄てたのか……。まったく酷いね」
倒れた少女に歩み寄り、アデルがその身体に降り積もった雪を払いのける。
ルヴィの肌は、完全に凍り付き真っ白に変色していた。
「フェズ……ボクは間違っていたかも知れない。ボクはボクなりに、一族の事を考えたけれど……結局は子どもの命ひとつを消しただけで終わるところだった」
真っ暗な空の下に佇む大双壁を睨みつける。
「でもボクは考える事を止めはしない。このまま人間と戦えば、人狼族は負ける。そして彼らはいつかその事に気付く。その時に手遅れにならない為に――ボクはボクなりのやり方で、準備をして行くよ」
立ち上がり、ルヴィの身体を見下ろして――にっこりと微笑む。
「もう良いよ。中々の名演だったよ」
アデルの言葉に応えて――ルヴィが起き上がった。
腕を拘束された姿勢で器用に立ち上がると――眉間に大きな穴が開いた顔をアデルに向ける。
真っ白に凍り付いた顔をいびつに歪めて――少女はケラケラと笑った。
その姿が黒く染まってぐにゃりと歪み――”巨人”の姿を形作る!
「お褒めいただき光栄です、アデル様!」
焦げ茶色ローブをはためかせ、『ゴーレム』が深々と頭を下げた。
「どちらかと言うと、ガーネットの大根役者ぶりの方がヒヤヒヤしたね」
『ゴーレム』とともに、アデルは高笑いを上げた。
役目を終えた『ゴーレム』の姿が眩い光の粒子となって消えて行く。光は風に乗る様に虚空へと散る。その中に混じって――
――紅い髪の束が、吹雪の中に舞い上がって行った。
「まったく……。何がどこで役に立つか、分かったものではないね」
「……中々面白い余興を見せてもらったよ」
「!」
不意に――アデルの背後から若い女の声が響く。
その声に耳を動かし、アデルは振り向いた。
いつからそこにいたのか?
雪に埋もれた小さな岩の上に、ちょこんと人影が座り込んでいる。
群青のローブをはためかせ、その小さな手に銀と金で出来た立派な錫杖を持っている。その錫杖の先端には、深い碧色の魔導石が埋め込まれていた。
フードを深く被った顔は隠れて覗き見る事が出来ないが、裾から金色の髪が風に煽られているのが分かる。
「やあ、”蒼衣の魔女”。余計な手伝いをしてくれてありがとう」
「なに……。『ゴーレム』を操る事など、わらわには容易い事よ」
「色々と手を借りたのに……結局何ひとつ成し得なかった。本当に申し訳ない」
深く頭を下げるアデルを”蒼衣の魔女”と呼ばれた女が見つめる。フードの影に隠れた相貌は、魔導石と同様に澄み切った深い碧色をしていた。
「其方の成す事など、わらわの知るところではない。わらわが欲するのは、アイオライド商会の”VERDIGRIS”のみ」
「約束通り引き渡すよ。届け先は――テユヴェローズ共和国で良かったかい?」
「ああ! 楽しみじゃ、楽しみじゃ……!」
くすくすと笑うと――”蒼衣の魔女”は、吹雪の中に姿を消した。
誰もいなくなった空間を仰ぎ見て、アデルが肩を竦める。
「ボクもしばらく、チャロ・アイアとお別れだね。
フェズ……借りは返したよ。ルヴィとガーネットを……よろしく頼むね」
遠くから――吹雪の音に混じって、砲声が響く!
「”停戦延長協定”が切れたか……」
薄暗い雲海を見上げるアデル。
”VERDIGRIS”は失われたものの、魔導石と言う武器を持った人間に――人狼族は勝てるだろうか?
”戦”と言う冷たい雪の中に埋もれて行くチャロ・アイアに首を垂れて、アデルはその姿を吹雪の中へと消して行った。
次回、ラストです。




