1-4:禁忌の侵入者
アイオライド領。
チャロ・アイア島の東の一角に広がる工業都市だ。
山の斜面に沿って築かれた街並みは、一本の大通りを中心に広がる。青い屋根瓦と街のあちこちから飛び出す工房の煙突が特徴的な街だ。
その最奥には、この都市を支配するアイオライド家の屋敷兼巨大魔導石製造工廠が街を眼下に見下ろしている。
元々、アイオライド家は鍛冶屋の家柄であり、領主でもなければ貴族でもない。
しかし、魔導石産業により一大財産を築き、また下手をすれば公国軍の一部隊にも匹敵する魔導師集団を抱える事で、この地の支配権を確立していた。
アイオライドは、そんな企業城下町である。
街のほぼ中央――大きな噴水を中心に、乱張りされた石畳が広がる円形広場。
それを取り囲む商店は、既に店仕舞いとなっているが、ひとつだけ入口のランプを煌々と輝かせる石造りの建物。
これが首都チャロ・アイアとアイオライド領を繋ぐ”ハイパーゲート”である。
チャロ・アイア側とまったく同じ構造の”転送陣”に光が灯り――やがて光が収束し、人の姿を形作る。
光はしなやかな女の身体を描き――実体を伴ってフェズの姿が現れる。
体感時間にして五分程で彼女の身体は、歩けば数日を要するアイオライド領へと帰還していた。念の為、細い身体をしならせて問題が起きていない事を確認する。
”転送陣”から離れ、ペペローネが転送されて来るのを待つ。
同じくらいの時間が経過し――ペペローネの姿が光の中から現れた。
「お待たせしました」
にっこりと微笑んで、眼鏡を直すペペローネ。
鉄扉を押し開け、“ハイパーゲート”の外へ出ると、街並みは既に夜の闇に覆われ、星空の下で眠りについている。
時間帯が遅い為、門番の姿も見当たらない。
「やっぱり遅くなっちゃいましたね」
街並みを見渡すペペローネ。
「少し遊びすぎちゃったな! まあ、やるべき事は終わっているし、会長への報告は明日でもいいだろう」
「そうですね」
フェズの言葉に笑って同意しつつ、ペペローネは物珍しげに辺りを見回し続けている。
その様子から、あまりアイオライドの街に馴染みがない事が伺えた。
おそらくこの街の出身ではなく、フェズ同様に遠方から出稼ぎに来ているのだろう。後輩として配属されてまだ数日しか経っていない為、そうした深い身の上話が出来る関係には至っていなかった。
夜の街を、ふたりが並んで歩く。
街を縦断する坂を北へ登ると、行き着く先に彼女たちの向かう場所がある。
『アイオライド魔導石製造商会』。
小高い丘の上を占有する広大な敷地を持ち、その広さはどんな貴族の屋敷でも敵わない。そこに、青い屋根瓦と複数の尖塔がそびえる四階建ての立派な本館と、複数の別館から成る本店を構えている。
別館は、魔導石の製造・開発研究を行う魔導石製造工廠と、その研究者である魔導師たちの宿舎が入っていた。
正面門を潜り、広々とした芝生の庭を突っ切る石畳の道を、本館へ向かい歩いて行く。既に終業時間を過ぎた本館は、ひっそりと静まり返っている――筈だったが……。
「公国軍……?」
煌々と明かりの灯った本館。
その正面入り口の前に、無骨な鎧を纏った何人もの兵士たちが屯していた。
彼らのひとりが門を潜って敷地に入って来たふたりに気付き、近寄って来る。
黒髭を蓄えた屈強な男の兵士だ。
月明かりを鈍く反射する重装鎧と長大な槍。そして、右の腕には魔導石をはめ込んだ”魔装甲手”を装備する。
「こちらの商会の関係者ですか?」
「はい。アイオライド商会の魔導師フェズです。こちらは同僚のペペローネ」
フェズとペペローネは、”記録結晶”を取り出し、魔力を組み込んで起動する。
空中に光の粒子で投影された、ふたりの身分証。
「失礼いたしました」
確認した兵士が、姿勢を正して敬礼する。
「何かありましたか?」
「”アイオライド鉱山”に、人狼族が逃げ込んだとの情報があったのです」
「人狼族が……!?」
”アイオライド鉱山”とは、商会本館の裏手に広がる鉱山だ。
ただし、今は別の鉱脈が発見された為、廃坑になっていて誰も近寄らない。
一兵卒である彼では詳しい事情は分からない為、会長の下へと向かう事にした。
見上げれば会長の執務室にも、明かりが灯っている。会長は在席の様だ。
がらんと静まり返ったロビーを抜け、立派な階段を登って行く。日中は来客専用の正面階段だが、閉店後の今なら遠慮は無用だ。
本館の四階――つまりは最上階の一室に、アイオライド商会会長の執務室がある。
執務室の扉の前に立ち、フェズがノックする。
扉が開かれ、中から顔を覗かせたのは、金髪の男。
二十代半ばの、中々好青年と言った顔立ち。フェズと同じくアイオライド商会のローブを纏っている。
「やあ、お帰りフェズ、それにペペローネ」
「ただいま、バリス」
彼に軽く手を振って挨拶する。
もちろん彼は、会長――ではない。
会長ヴェニッタの秘書を務める魔導師バリスである。魔導師界隈では珍しい”男”の魔導師だ。
「ご苦労だったな、フェズ、そしてペペローネ」
果たしてアイオライド商会会長ヴェニッタは、深夜であるにも関わらず、きっちりとした正装でフェズたちを迎えた。
青い高級な絨毯の敷かれた先に、重厚なデスクを構え、そこにどっしりと座る女会長。
ヴェニッタ=アイオライドは、帰還した部下ふたりを笑顔で出迎えた。
齢三十代半ばにして、チャロ・アイア公国有数の大商会アイオライド商会を統べる女当主。青い髪をきりっとショートに纏め、金の刺繍が施された藍色のドレスを纏う。
ばっちりとしたメイクに銀のフレームの眼鏡をかけた、如何にもキャリアウーマンと言った出で立ちだ。
「”VERDIGRIS”の商談は、首尾よく終わった様だな」
「はい。これと言った波乱もありませんでした」
サンプルの”VERDIGRIS”をヴェニッタに返却する。しかし、フェズのその目は、明後日の方を見ていた。
気になったのだ。執務室の端で控えているもうひとりの人物が。
紫がかった癖の強い銀髪を持つ、軽装鎧姿の女。細面の美人だが、その鋭い瞳には軍人然とした強い光が宿る。
面識はないが、得意先の責任者なので顔は良く知っていた。
公国軍国境警備隊の女隊長ヴァイオレッドだ。
フェズは、ヴァイオレッドと目を合わせる。
「人狼族がアイオライドの敷地に迷い込んだって聞いたけれど……?」
「お耳が早いですね」
笑みを浮かべて頷くヴァイオレッド。
「お騒がせして申し訳ありません。我が公国軍が、ヴォルフケイジ大双壁で防止しなければいけないところ、人狼族の突破を許してしまいました」
女隊長の説明に、フェズは唾を飲む。
関係の悪化以来、人間・人狼族ともに、個人レベルでの越境は禁じられている。それを知っていてなお”越境”して来ると言う事は、何か良からぬ事を企んでいる証だ。
「人狼族は何故、アイオライドに来たのでしょう?」
同じ疑問を、フェズの背後からペペローネが問う。
しかし、ヴァイオレッドは首を横に振る。
「まったく不明です。手傷を負っている筈なので、単純に逃げ延びた――、と言う可能性もあります」
「……そうですか……」
何やら腑に落ちないと言う表情で頷くペペローネ。
「まあ、そう言う訳だ」
イスに座り直してヴェニッタが頬杖を付く。
「今夜は公国軍の調査を邪魔しない様に、全従業員に外出禁止を命じてある。お前たちも、自分の宿舎に戻っていてくれ」
「分かりました」
今朝の商談について、ヴェニッタと話をしたかったが仕方がない。
ヴェニッタに促され、ペペローネを伴ってフェズは会長室を後にした。
フェズは、人狼族の事など自分には特に関係のない話だと、深く気に留めていなかった。そのせいか……
背後を着いて来るペペローネが――鋭い視線で会長室を睨んでいる事には、気がつかなかった。