8-3:勝敗の境界線
「きゃあああッ!」
全身に鋭い衝撃と激痛が走り、フェズの身体が大きく跳ね飛ばされる!
石畳の上を何度も転がり――視界が空転した。
抱えた”VERDIGRIS”をしっかりと抱き締める!
ふと――身体を浮遊感が包み込む!
「え…………!?」
眼を開ければ――殴り飛ばされたフェズの身体は、大双壁の石畳を転がり、勢いそのまま空中に放り出されていた!
遥か下の眼下に、雪が降り積もった真っ白い大地が広がる!
「いけないッ!」
アデルの叫び声!
重力に引かれ、落下するフェズの身体。
雪が降り積もっているとは言え、この高さから地面に叩き付けられれば、間違いなく彼女の身体は砕け散る!
もちろん、抱いている”VERDIGRIS”も……!
恐怖が全身を包み込む!
フェズの視界を真っ白な大地が埋め尽くした瞬間――
轟音とともに大双壁の壁が崩れ落ち、猛煙の中から伸びた巨大な腕が、フェズの身体を抱き止めた!
城壁を破って現れた『ゴーレム』が、彼女を受け止めたのだ。
……が、完全には受け止めきれず、弾かれたフェズの身体がバウンドして雪の上に叩き付けられる!
最後まで握り締めていたダガーが……彼女の手を離れて雪の上に転がる!
「ぎゃ……ッ!」
短い悲鳴を上げて、フェズの身体はようやく積雪の上で安定を取り戻した。
倒れ伏したまま、フェズはゆっくりと目を開ける。
遥か頭上に、自分が落ちた大双壁の屋上が見えた。そこから覗くアデルの顔。
「大丈夫か!?」
彼の声が響き渡る。
まさかフェズの身を心配した訳ではないだろう。
「はい。”VERDIGRIS”は無事です」
地上まで落下してもフェズが抱き締めて離さなかった紅く輝く魔導石を覗き込み、『ゴーレム』が答える。
だが、衝撃を抑えたフェズの身体は、無事では済まない。
『ゴーレム』が受け止めてくれたおかげで、身体が砕け散りはしなかったが、あちこちに大きな痛手を受けている。
「げほ……ッ!」
咳き込んだフェズの口から真っ赤な血が、白い雪に飛び散る!
「ボクをそこまで連れて行くんだ!」
「承知しました」
屋上のアデルの言葉に従い、『ゴーレム』が空中を登って行く。
「ダ……ダガーは……?」
ぐらぐら揺れる視界で、ダガーを捜す。
彼女の武器は――衝撃で遥か遠くの雪の上に弾き飛ばされていた。
痛む身体に鞭を打って、フェズは雪の上を這いずる。
彼女が身体を這った後に真っ赤な血の帯が続く。
右腕を伸ばし、ダガーのグリップを掴む!
薄れる意識を必死に覚醒させ、魔導石に魔力を流し込んで”マギコード”を組み上げる!
アデルが地上に降りて来る前に――体制を立て直さなくては!
だが――――!
ダガーを掴むフェズの右手を、目の前に降り立ったアデルの靴底が踏み潰す!
「ぎゃああッ!」
フェズの悲鳴など気にも留めず、何度も……何度も……、フェズの手をアデルが踏み砕く。
硬い音が響き――ダガーの魔導石が粉々に砕け散り、彼女の右手も大きく変形してしまった。
涙の溜まった目で見上げれば――鬼の形相でこちらを見下ろすアデルの姿。
脇腹を押さえ、肩で大きく息をしている。
彼の脚が――今度はフェズの胸を踏み潰す!
「ぎゃあ……ッ!」
胸に走った激痛に、彼女は仰け反った。落ちた衝撃で肋骨が折れているのだろう。
地面の上でのたうつ彼女の顔に向けて、アデルが指を突き付ける。
「さぁ、”VERDIGRIS”を渡してもらおうか?」
枯れた声で凄むアデル。
その声に、フェズを威嚇出来る程の凄みはない。彼とてダメージが大きいのだ。
もっとも、フェズにももう抵抗できる余力は残されていないが……。
それでも、小脇に抱えた”VERDIGRIS”をぎゅっと強く抱き締めて、抵抗の意思を見せる。
「そうかい……」
アデルの組み上げた”マギコード”が、彼の指先に集約して行き――漆黒の光弾を生み出す。
顔に近づけられた”光弾”の熱が、皮膚を焼くのが分かる。フェズは、奥歯を強く噛み締めて眼を瞑った!
風切り音とともに、フェズの頭に衝撃が伝わる!
顔に、べっとりとした液体が纒わりついて行く。
フェズはゆっくりと目を開けた。
視界に映ったのは、右肩を撃ち抜かれ驚愕の表情で凍り付く、アデルの姿!
背後から、彼の身体を貫通した”光弾”が、フェズの顔のすぐ横に着弾したのだ。
「何……だ……って……!?」
撃たれた右腕はちからを失い、指先に集めていた魔力も無散して虚空に消える。
愕然でした表情で――アデルは背後に振り向いた。
彼の背後には――人狼領側の大双壁。
その城壁に並び立つ人狼族の戦士たちが、魔法や武器を構えている。ある者は”光弾”や、炎の塊――またある者はボーガンなどの飛び道具。
そのすべてが、アデルに向けられていた。
「動くな! 貴様は国境線を越えている!」
人狼戦士の高らかな声が響く!
間に合ったか……。
ちからの抜けたアデルの脚を払いのけ、ゆっくりと上体を起こすフェズ。
胸に走った痛みに咳き込んで、涙を浮かべながらアデルを見上げた。
「足元……見てみなよ」
フェズの言葉に従い、アデルがゆっくりと視線を自分の足元に移した。
ダガーの魔導石を踏み砕いた彼の脚が――地面の引かれた”国境線”を――踏み越えていた。
「撃てッ!」
アデルが何か言うより早く、人狼戦士からの猛攻撃が始まる!
彼目掛けて次々に”光弾”や矢が撃ち込まれた!
「アデル様ッ!」
絶叫を上げたのは『ゴーレム』!
素早くアデルの背後に回り込むと、その巨体で彼の壁となる。
『ゴーレム』の身体に次々と、”光弾”がヒットし、炸裂音が響き渡る!
「アデル! こっちに来い!」
フェズは、彼に手を伸ばした!
そのまま人狼領側に立っていれば、『ゴーレム』の防御はすぐに崩れてしまう!
「…………!」
一瞬、躊躇う様に表情を歪ませたアデルだが――フェズの伸ばした手を握った。
彼の腕をちから一杯引き、その身体を人間界側に引きずり込む!
「撃つな! こいつは人間界側に入った! 撃つなッ!」
地面に倒れ伏したアデルの身体を抱き抱え、フェズは大双壁上の人狼戦士たちに叫んだ!
ぱっと、攻撃が一斉に止む。
地面には魔法弾の攻撃による穴が開き、ボーガンの矢が無数に突き刺さっている。
その攻撃を文字通り矢面に立って受け続けた『ゴーレム』は――言葉すら発せず地面に崩れ落ちた。
「……ボクが、”国境線”を踏み越える様に――ワザとダガーをあの位置に落としたのか」
フェズの身体にしがみつき、脂汗を流してアデルが唇を噛む。
もはや――大双壁の最上階にある、”魔導破城槌”の下まで辿り着く体力は残っていまい。
次の瞬間――。
大双壁の壁をぶち破り、爆炎とともに『ゴーレム』が姿を現す!
「!?」
新手か――!? と一瞬身構えたが、現れた『ゴーレム』は炎に巻かれ、音を立てて地面に倒れ伏した。
「ボクの『ゴーレム』たちが――人間どもの反撃を抑え切れなくなっているんだ」
燃え落ちる『ゴーレム』の姿に、アデルは顔を歪ませる!
「長居は無用だ! 逃げるぞ!」
アデルに肩を貸し――立ち上がる!
大双壁の手近な扉を蹴破り、内部に侵入する。幸い、公国軍は未だに『ゴーレム』の攻撃を完全に抑え切れておらず、大双壁の下層には人の姿はない。
目指すは――ここへやって来る時に使った”ハイパーゲート”だ!
この戦闘で、破壊されていなければ、だが……。
幸い、ゲートは無事だった。
流石に頑丈に造られた”ハイパーゲート”の部屋はびくともしていない。
壁の魔導石も、床の”転送陣”も無事である。
「さあ、行け!」
フェズは、アデルの背中を突き飛ばす。
「……ボクを逃がすのか?」
「アイオライド商会の”ハイパーゲート”の使い方は分かっているんだろ?
後がつかえているんだ。早く行ってくれ!」
「……この借りは必ず返すよ」
部屋の鉄扉を閉め、扉にロックをかけるフェズ。
その彼女の背後で――青白い光が充満する。振り向けば――アデルの姿が虚空に消えて行くところだった。
小脇に抱えた”VERDIGRIS”と――光となって消えたアデルの姿を見比べて、フェズは苦笑いする。
小走りに壁の魔導石に駆け寄り――フェズもまた自身の目的地に向けて、転送先の書き換えを始めるのだった。




