1-3:宣戦布告の咆哮
「良く聞け、人間ども!!」
鋭い声が首都チャロ・アイアの大通りに響き渡る!
夕暮れ時を迎え、家路を急いでいた人々の眼がその方向へと集まった。
あまりの怒号に、フェズとペペローネは飲んでいたミルクセーキを噴き出してしまう!
大通り沿いの屋台で、ペペローネとともに買い食いしていたところである。
「な……なんだ!?」
口元を拭い、声のした方へと目を向ける。
元老院と下町とを隔てる大きな水路。
そこに掛けられたアーチ状の吊り橋の上に、大柄な男の影が複数認められた。
人狼族だ。
浅黒い肌、漆黒の体毛に覆われた屈強な肉体。狼の様な相貌と長い耳。
人間と比べると一回りも二回りも大きい巨躯の獣人が数名、橋の上に列を成している。
その先頭に佇む、威厳に満ちた民族衣装に身を包んだ、ひと際大きな巨体を誇る男。
フェズもその顔は良く知っていた。
人狼族の王――シュヴァルド。
「元老院は、我が神聖なるグーズグレイ山脈を魔導石の採掘の為に譲渡せよなどと抜かした! たかがひ弱な人間如きが笑止である!」
丸太の様な太い腕を振り上げ、絶叫する。
「我は今ここに、絶対抗戦を宣言する! 如何なる者も、我が領土へ踏み入る事は許されぬ! 貴様ら人間が、我が聖地に踏み入るならば、大量の血を見る覚悟が求められるだろう!」
腹の底に響く重低音の声を響かせると、シュヴァルドは振り上げていた右腕に魔法の光を集約させ、編み上げた"光弾"を一直線に放つ!
撃ち出された"光弾"は、鋭い風切り音を奏で、吊り橋に悠然とはためく公国の国旗を撃ち抜いた!
無残に焼けた国旗が、ひらひらと水路の水面に落ちて行く。
彼ら人狼族は、生まれながらに魔法を操る一族だ。
例えばフェズが腰に構えるダガーに、あるいはペペローネが携える錫杖に、それぞれ埋め込まれた魔導石。これらが無ければ人間は魔法が操れない。
対する彼らは、その肉体に魔導石と同じ様な仕組みの気管が備わっており、その身ひとつで魔法を行使出来る。
加えて、グーズグレイ山脈の過酷な環境で生きていけるタフさを備えていた。
人間が、真正面から立ち向かえる人種ではない。
「ま……、そんな人間の為に、あたしたちが造る魔導石があるんだけどね!」
カップのストローを咥えて、フェズは呟く。
このチャロ・アイアに人間が入植したのは約百年前。目的は、豊富に産出される良質な魔導石だった。
海岸に船が並び、街を造り、港を造り――鉱山の採掘が始まった頃、この島の原住民族と接触した。
それが、人狼族である。
幸い、雪深い山奥に棲む彼らとは利害の対立もなく、平穏な日々が両者のあいだで流れる。
だが、そんな状況に変化が訪れたのがおよそ十年前――。
人狼族が聖地と崇めるグーズグレイ山脈で、良質な鉱脈が発見されたのである。
魔導石産業を更に発展させ、世界に名を轟かせたいチャロ・アイア公国は、あの手この手で人狼族に領土の割譲を迫った。
当然、彼らが聖地を明け渡す筈もなく、両者の関係は悪化。
徐々に過激な武力衝突を繰り返す様になり、挙句の果てに、山脈の麓に両者を分断する分厚い壁――ヴォルフケイジ大双壁を築いてお互いを監視し合う様になったのである。
「そうか……、人狼族との"停戦延長協定”は決裂したんですね……」
いつになく神妙な面持ちで、人狼族の長を眺めるペペローネ。
「また戦争が始まるのか……」
フェズの言葉に、ペペローネは無言で頷く。
元老院への”VERDIGRIS”の売り込みが、とんとん拍子に進んだ事とも、無関係ではないだろう。
人狼族の棲む極寒のグーズグレイ山脈は、人間が活動する事の出来ない過酷な大地だ。体格、魔力に加えて生息域でも優位に立つ彼らと公国軍が対等にやり合う手段は唯ひとつ――強力な魔導石の火力で圧倒する事である。
元老院は言葉にこそしないが、アイオライド商会の高性能魔導石に期待がかかっている事が伺えた。
「さ、余計な見物してたら時間が経っちゃった! あたしたちも帰らなきゃ!」
悠々と大通りを闊歩して、故郷へ帰還して行く人狼族の一団を眼で追いながら、フェズはその先のペペローネと顔を見合わせた。
「そうですね」
ペペローネとともに、大通りの雑踏の流れに入り込んで行く。
と言っても帰る先のアイオライド魔導石製造商会は、星空となった東の地平線の向こうである。
向かった先は、――大通りから少しわき道に入ったところ。
やって来たのは、路地の一角に佇む白っぽい色をした四角い建物。
白い石のブロックを組んで造られた簡素かつ堅牢な構造物で、入口にはこれまた重厚な鉄扉が備えられている。
おおよそ、レンガ造りの民家が立ち並ぶ街並みから浮いたこの建造物の壁には――彼女らが纏うローブと同じ紋様――アイオライド商会の紋章が大きく描かれている。
扉の前には、公国軍の門番がふたり、直立不動で立っている。
「お疲れ様です!」
「ご苦労様です」
フェズの姿を認めて敬礼する彼らに、挨拶を返す。
兵士ふたりは、魔導師の女たちに道を開けた。
一般人であれば身分証が必要だが、アイオライド商会のローブを纏うフェズとペペローネは顔パスだ。
ペペローネを背後に、フェズが鉄扉の前に立つ。
横手の壁には、碧い魔導石が埋め込まれている。
フェズが、壁の魔導石――"魔道錠"に手を当てて、目を閉じ暗号化された”マギコード”を組み上げて流し込む。
魔導石の結晶構造に彼女の魔力が書き込まれて行くのが伝わり――やがて鉄扉が重い音を立てて開いた。
小屋の中に入り、鉄扉を閉じようと手をかける。
開ける時は自動だが、閉める時は手動だ。
頑丈な鉄の扉は、女のフェズにはいささか重い。それくらい、この建物は厳重に管理されていた。
「お閉めしましょう」
外の兵士たちが気を利かせて声をかけてくれた。
「ありがとう!」
可愛らしく微笑んで礼を言うフェズ。
しっかりと鉄扉が閉じられた事を確認して、小屋の内部へと振り返る。
小屋の中は、大人数人がゆっくり入れる程の広さ。
石の素材が剥き出しの壁には、大きくアイオライド家の紋章が描かれ、正面の壁にはこれまた大きな金属製のレリーフに納められた魔導石。
その床には複雑な"転送陣"が彫り込まれている。
魔導石のちからを借りて、離れた空間を結ぶ転送機――"ハイパーゲート"だ。
これもまた、彼女が所属するアイオライド商会の製品である。
「あたしが先に入るね」
「お願いします」
"転送陣"の中央に立ち、身体や衣装の一部が外にはみ出していないか良く確認して、再び魔導石に魔力を流し込んで行く。
彼女の魔力に呼応した魔導石から溢れた光が、壁を通じて床の"転送陣"をなぞる様に満たして行く。
やがて――光は柱となってフェズを包み込み――その姿を時空の彼方へと移動させた……。