1-2:島の原住民族
「我ら人狼族に、人間の軍門に下れとぬかすか?」
「軍門に下れなどとは言っておりませぬ。
ただ、其方ら人狼族の領土を割譲していただきたいと申し上げておる」
グラスに注がれた水で、乾いた喉を潤し――人狼王シュヴァルドは吠えた!
「笑止! グーズグレイ山脈は我らが聖地!
如何なる条件を出され様とも、貴様ら人間に明け渡したりはせぬ!」
空になったグラスをテーブルに叩きつけ、人狼王は目の前に広げられた紙切れ……”停戦延長協定”を握り潰し、破り捨てた!
「な……なんと無礼な!?」
驚き、怒り狂う人間の高官たち。
ここは、人間たちの国チャロ・アイア公国の首都。その元老院の会議室だった。
ゆったりと数十人が入れる大きな部屋には、これまた見上げる様に大きな窓がいくつもはめ込まれ、さんさんと太陽光が降り注ぐ。
深い雪山の奥地に棲む彼ら人狼族にとって、この部屋の温度は適温とは言い難かった。
部屋の中央に置かれたテーブルを境にして、権威を誇る立派な制服を纏ったこの国の頭脳が、ずらりと顔を揃えている。その背後の壁には、威圧するかの様に荘厳なタペストリやカーテンが設えられていた。
彼ら人間がチャロ・アイア島――それすら人間が勝手に付けた名前だが――に入植して来たのは、およそ百年前に遡る。
片やこちらは僅かひとり。
浅黒い肌に剛毛を纏った屈強な肉体を持つ、人狼族の王。
人狼王シュヴァルド。
粗削りな金属製の腕輪や首輪を身に着け、皮を鞣して造られた民族衣装を着こなしている。
グーズグレイ山脈に古くから棲む人狼族を統べる偉大な血族の末裔だ。
「無礼だと!?」
狼の如き金色の眼が、鋭い光を帯びる。
丸太の様な腕をテーブルに叩きつけて、吠えた!
「貴様ら人間は、我らが聖地の眼前に、石の城壁を築き、威圧する有様!
貴様らの方がよほど無礼である!」
故郷の方へと、その鋭い爪を持つ指をしならせる。
「ここに誓おう! いずれあの傲岸不遜な建築物に、我が一族が怒りの鉄槌を打ち込むとな!」
***
チャロ・アイアの屋根と称される雄峰――グーズグレイ山脈。麓を深い森に囲まれ、一年を通して雪に覆われる人狼族の聖地。
その霊峰の南側に――巨大な城壁があった。
ヴォルフケイジ大双壁。
硬い石の壁を何層にも重ねた堅牢な二列の城壁が東から西へ、グーズグレイ山脈の麓を横断している。
双壁は向き合い、その間には数十メートル幅の、何もない荒れ地が広がる。
その荒れ地の中央に、城壁に並行して埋められた鋼鉄の直線。
半ば雪に埋もれているが、直線は城壁とともに何処までも続いている。
この線が人間界と人狼領とを隔てる”国境線”だ。
この”国境線”を一歩でも越えれば――双方の城壁で睨みを利かせる兵士たちの無慈悲な攻撃を受ける事になる。
この緊張状態が、もう十年以上も続いていた。
その、人間側の城壁からいくつもの”照明球”が打ち上げられる!
魔法によって造られる照明弾だ。
同時に鋭い笛の音が、漆黒の夜空に鳴り響いた。
「どうしました?」
城壁の最上部に集まる重装歩兵たちに混じり、銀色の軽装鎧を纏った若い女がひとり、姿を現す。
やや紫がかった癖の強い銀髪を風になびかせた、端正な顔立ちの美人。
だが、その眼差しは軍人然として鋭い。
近くの兵士が敬礼して答える。
「ヴァイオレッド隊長! 城壁の内側に侵入者です。
おそらく――人狼族と思われます!」
眼下に広がる鬱蒼とした森林を指差さす。月のない闇夜では、漆黒の海にしか見えない。
「”照明球”を森の上空へ撃ってください!」
「了解! ”照明球”、撃ち方!」
ヴァイオレッドと呼ばれた銀髪の女隊長の指示に従い、城壁の上に並んだ兵士たちが一斉に腕を突き出して構えた。その腕に装備された魔導石を搭載した篭手――”魔装甲手”。
兵士たちの詠唱する”マギコード”に呼応し、魔導石が光り輝く!
各々の手のひらに、人の頭ほどの輝く光の球体が生み出され、次々と森林の上空に撃ち放たれる。途端に森は真昼の様に照らし出され、目覚めた森の動物たちが一斉に騒ぎ始めた!
ヴァイオレッドの眼が、照らされた森の上空を滑空する複数の影を捉える!
部下の兵士たちにも、当然それが見えたらしい。
「いたぞ! あそこだ!」
「撃ち落とせ!」
”照明球”を撃ち上げたそのままに、飛翔する影に向かって無数の”光弾”が射出される!
かなり距離がある為、影はおぼろげにしか見えず、どの様な形をしたものなのかも判然としない。
だが、その影は明らかな意思を持ち、こちらの対空砲火を躱していた。
「わたしに任せなさい」
背中のマントを翻し、ヴァイオレッドが前に出る。
城壁の淵に脚をかけ、右腕を突き出す。
その腕には、他の兵士同様、魔導石が埋め込まれた”魔装甲手”を装着している。だが、彼女のそれは、不規則な碧い光を常に放出していた。
「ちょうど良い機会です」
“マギコード”を詠唱し、指先を目標に合わせる。
「試験導入されたこの新型魔導石――”VERDIGRIS”の威力、確かめさせてもらいましょう!」
彼女の魔力が、”VERDIGRIS”を通じて魔法に変換され、指先に高密度のエネルギーの輝きを生み出す。
エネルギーの塊が火花を散らし、空気を震わせる!
「撃ッ!」
甲高いヴァイオレッドの声とともに、鮮烈な碧い光を帯びた”光弾”が超高速で発射される!
”光弾”は、不規則な軌道で逃げる影を的確に追跡し、その距離を詰めて行く!
「何と言うコントロールのし易さだ!」
思わず、感嘆の声を上げる!
次の瞬間には――”光弾”が影の内のひとつを捕え、轟音とともに夜空に巨大な爆炎が広がった!
空気を震わる衝撃が、時間差を生じてこちらまで届いて来る!
「そして何と言う威力!」
高揚とした叫びを上げ、ヴァイオレッドは”光弾”の威力に満足した。
「気に入りました。わたしの様な魔導に疎い武人が使ってこの威力! これが我が軍に普及すれば――人狼族など一網打尽!」
撃ち落とされた影が、煙を上げながら――それでもよろよろと飛行を続ける。
が、もはや墜落は避けられず、アイオライド領の方角へと高度を下げて行く。
「捜索隊を出しなさい。 侵入者を捕縛します!」
***
森を捜索する兵士たちの眼をすり抜け、草むらを走り抜ける小さな影――。
木の幹に身体を隠し、息を潜め、身体をすぼめて呟いた。
「待っててね……必ずお姉ちゃんが助けるから!」