3-6:人狼族のオキテ
しばらくルヴィは、立っていた――。
ただ呆然と目の前の仲間たちを見つめて。
その胸には小さいが深く穴が開き――背中を貫通した穴から白煙が広がる。
わずかな時間差を置いて、真っ白い雪の上に赤い血が飛び散り、少女はその場に崩れ落ちた!
「ルヴィッ!」
悲鳴の様な声を上げて、フェズがルヴィの身体を抱き止める!
その腕に暖かい大量の血液が纏わりついて行く。抱き上げたルヴィの顔はあっと言う間に蒼白に変わって行く。
口からも鼻からも真っ赤な血が逆流し、少女はフェズの腕の中でもがいた!
「貴様! 一度ならず二度までも我らが領域に踏み込むか!?」
ルヴィを撃った人狼戦士の矛先が、再び人狼領の土を踏んだフェズに向けられる。
「ふざけるな! 何でルヴィを撃った!?」
威嚇など意に介さず、フェズは怒り任せに叫んだ!
広い空間を轟かせる程の声量に、一瞬怯んだ人狼戦士の女だったが、すぐに切り返す。
「それが、我が眷族の掟だ!」
「掟だと……!?」
「……我らは、一度人間側に踏み入った者の帰還を許しはしない」
フェズが事情を知らぬと把握したのか、人狼戦士は声色を落ちつけて語りかけて来る。
「我らにとって、人間側の領域に踏み入る事は、一族への裏切り」
「何を言っているんだ!? ルヴィは無理やり人間側に連れて来られただけだ!」
「例えどんな理由だとしても――」
フェズの腕の中で――血に塗れてもがく少女を見据えて――
「――人間のニオイが染み付いた子どもなど、近寄るに耐えん!
吐き気を催すのだ!」
――人狼戦士の女は吐き捨てた。
その言葉に、フェズはルヴィを抱く腕にちからを込めた。唇を血が滲むほど強く噛む。
「臭いだと!? たかがそんな事で……」
「お止しなさい」
落ち着いた口調でフェズを制するヴァイオレッド。
「彼らは極めて排他的です。
彼らの言う”臭い”とは、人間を取り巻く文化や思想を指し――それに少しでもまぐわった者の帰還を許しはしないのです」
城壁の人狼族に蔑む視線を送るヴァイオレッド。
「それが彼らの慣習です。一切の口出しは無用」
腕の中で痙攣するルヴィを見下ろし、ここに連れて来た自分を呪う。
何とか顔を上げ、人狼族に言葉を放つ。
「……分かった。ルヴィはあたしが引き取る!」
「自由にするが良い」
人狼族の女が頷き、片腕を高々と上げる。
話し合いは着いた、と言う合図だろう。
他の人狼族たちも魔法や武器を納める。
ルヴィの身体を抱いて、フェズはゆっくりと人間側に立ち戻った。
「……その子どもの亡骸をどうするつもりですか?」
「まだルヴィは生きてる!」
ヴァイオレッドの言葉に、彼女を睨みつける!
フェズの腕に伝わるルヴィの体温は、未だ失われてはいない。
「……ですが時間の問題です。間もあらず、命を失うでしょう」
「あんたの"VERDIGRIS"があれば……この傷を治す回復魔法は使える筈よね!?」
「………」
目を閉じて銀髪を腕で搔き上げるヴァイオレッド。
ため息を着いて告げる。
「出来ますわ。出来ますが……何故わたくしが人狼族の子どもを蘇生させなければならないのですか?」
「時間がない……! やってもらうわ!」
こうしている間にも、ルヴィの身体から温かみが失われて行く。
既に少女に意識はなく、うっすらと開いた目は視点が定まっていない。
ルヴィの身体を地面に降ろし、フェズはダガーのグリップに手をかけて”マギコード”を組み上げて行く――!
――天照星の赤光よ! 紅蓮と成りて集え! ――
フェズの魔導石に書き込まれて行く"マギコード"の羅列を見て、ヴァイオレッドが嘆息する。
「愚かな事ですね。貴女の目的が純粋に人狼族の娘を還す事だと分かった以上、見逃しても良いと思っていたものを……!」
片手剣をすらりと引き抜く。
――光刃猛よ! ――
「発動せよ!」
フェズがダガーを引き抜き、振り被る!
しかし、その瞬間にはヴァイオレッドの剣閃は、フェズの眼前に迫っていた!
鋭い金属音が木霊し―――
「莫迦なッ!?」
叩き折られたヴァイオレッドの剣が、地面に突き刺さった!
「"殻紅光刃"……!」
傍観していた人狼族の面々からさえ、感嘆の声が上がる。
そのまま身を翻し、愕然とするヴァイオレッドの背後に回り込むと、フェズは彼女の首筋に紅く輝くダガーの刀身を突き付けた!
「あたしの言う通りに動いて! さもなくば、あたしのダガーはまったく手応えもなく、あんたの首を跳ね飛ばせるわ!」
「……不覚ッ!」
両腕を上げ、平伏のポーズを取るヴァイオレッド。
「隊長ッ!」
「動いてはなりません!」
援護しようとした兵士をヴァイオレッドが制する。
彼女は状況を良く理解している様だった。
「魔力を刀身に込め、切断力を強化する魔法か! 器用な事をする!」
「早くしてッ! あたしの魔導石は長く持たない。魔導石が限界を迎えたら、あんたの首を斬り飛ばす以外、あたしに選択肢がなくなるわ!」
ヒビの入ったフェズの魔導石は、"殻紅光刃"の発動に悲鳴を上げ、青い火花を散らしている!
流石に、自分の命とルヴィの命を天秤にかける気はなかったらしい。
ヴァイオレッドはゆっくりと腰を落とし、右腕の"VERDIGRIS"に魔力を走らせる。手のひらに生んだ淡い緑色の光を、少女の胸元にあてがう。
――乳飲み子護る其方の御手、傷付き者を抱きて口付けを――
「発現せよ、"治癒光泡"」
正直なところ――如何にも武人然としたヴァイオレッドの回復魔法の回復力にあまり期待出来なかったが……。
「出来たわ……」
ヴァイオレッドが腕を引くと同時に、ルヴィが大きく咽て起き上がる!
高性能魔導石"VERDIGRIS"は難なく女隊長の拙い術を補って見せた。
「ルヴィっ!」
「フェズ……!」
胸を抑え、肩で大きく息をしながらゆっくりと立ち上がるルヴィ。
顔色は蒼白だが、傷は確かに完治している様だ。
振り返り、背後の城壁の上に揃っている仲間たちを一瞥する。
その表情は見えない。
「ルヴィ、行こう。ここから逃げるんだ!」
「………」
首を縦に振って欲しい――。願う様な気持ちでフェズはルヴィの返答を待つ。
「……うん! 行こう!」
ローブの袖で顔を拭いて振り向いたルヴィに、フェズは笑顔で頷く。
そのやり取りに、ヴァイオレッドは渋い顔だ。
「巫山戯ないで下さい。このまま逃げ果せるとでも思っているのですか?」
「出来るわ! ルヴィ、隊長の魔導石を外して!」
「分かった!」
ヴァイオレッドの右腕から、"VERDIGRIS"のはめ込まれた”魔装甲手”を外す。透き通る様な"VERDIGRIS"の結晶構造を見つめていたルヴィだが、”魔装甲手”を大きく持ち上げると――地面に叩き付けた!
重い音を立てて、"VERDIGRIS"が粉々砕け散る!
「く……ッ!」
明らかに動揺を浮かべるヴァイオレッド。
剣を失えば剣士は無力。魔導石を失えば魔導師は無力だ。
優勢を確保したフェズは、手早くヴァイオレッドの両腕を背中側で拘束する。
「さあ、一緒に来てもらおう!」
兵士と人狼族たちが見守る中、フェズはヴァイオレッドを人質に、大双壁内部へと戻って行く。
行く先は――"ハイパーゲート"だ。
城壁の通路には、大勢の兵士たちが三人を待ち構えていた。しかし、ヴァイオレッドを人質に取られた彼らは、通路を行くフェズを見守る他にない。
"ハイパーゲート"の扉を解放させ、ヴァイオレッドを押し込んで部屋の中に滑り込む。
外から開けられない様に、鉄扉につっかえ棒をして、ようやく両手が空いた。
大きく息をついて、フェズはダガーの刀身に込めていた魔力を解放する。
硬い音を立てて、ダガーの魔導石が砕けたのはほぼ同時だった。
「ぎりぎりだったな……!」
これで、フェズも丸腰同然だ。
「……それで、どうしようと言うのですか? "ハイパーゲート"を使って逃げたとしても、到着する先は、我がチャロ・アイア軍の指揮所ですよ?」
分かり切った事を叫ぶヴァイオレッドを尻目に、フェズは”ハイパーゲート”を見上げた。
壁に埋め込まれた碧い魔導石、床に彫り込まれた"転送陣"。
典型的なアイオライド製"ハイパーゲート"である。
「ルヴィ」
「ん?」
呼ばれてフェズを見上げるルヴィ。
「アテナから渡された手紙を見せてくれないか?」
「ああ、これ?」
折り畳まれた羊皮紙を受け取る。
ゆっくりと羊皮紙を開き、そこに書かれた達筆な文章を読み込んで行き――。
フェズは笑みを浮かべた。
疑念の表情を浮かべるヴァイオレッドに、大きな疑問符を浮かべるルヴィ。
ふたりを尻目に、フェズは"ハイパーゲート"の魔導石に手をかざす。
魔力を流し込み、組み込まれた”マギコード”を書き変えて行く。
アテナの手紙に書かれていた通りに――
やがて作業が完了し、フェズはルヴィを手招きして呼んだ。
「さあルヴィ、"転送陣"の中央に立つんだ」
「え? でも、この"ハイパーゲート"の先は……!?」
「大丈夫、後から追うから、出た先で絶対あたしを待っているんだよ!?」
「……うん!」
ルヴィが力強く頷いたのを確認して、フェズは"ハイパーゲート"を起動させる。
青白い光が少女の姿を包み込み、光の粒子に変えて虚空へと消し去った。
転送が終わるまで数分程か――。
光の扉の向こうにルヴィが消えたのを見届け、フェズは手元の羊皮紙に目を落とした。
そこに走り書きされたのは、レッドベリル製”ハイパーゲート”の位置情報とパスワード。どこか近くの街の”ハイパーゲート”に繋がる様だ。
まさに命の恩人だが、後でパプリカに叱られるアテナの姿が目に浮かぶ。
部屋の外では、締め出された兵士たちが鉄扉をこじ開けようと躍起になっている様だ。
しかし、"ハイパーゲート"の部屋はひと際頑丈に造られている。立て籠るにはもってこいだ。
「お礼を言うよ、ヴァイオレッド隊長。ルヴィを助けてくれてありがとう!」
両手を縛られたままの女隊長は、礼を言うフェズを鋭く睨みつけた。
「勝手な事を……! 他人の魔導石まで破壊しておいて……!」
そうこうしている内に、"転送陣"の光が消える。
ルヴィの転送が終わったのだ。
「お! 無事に終わったみたいね。
それじゃあ、ヴァイオレッド隊長、色々お世話になったわ!」
手を振って、自分の"転送陣"の上に立つ。
「あ! もう一つ謝っておくね」
転送が始まった光の中で、フェズは苦笑いしながら頬を掻く。
「このゲートも壊しちゃうから……後で修理依頼を宜しくね?」
やがて、彼女の視界を真っ白な光が包み込み、次第に意識はぼやけて行った……。




