3-3:アテナの手紙
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ヴォルフケイジ大双壁へ向けて出発まで三日、到着まで二日――。
計五日後の昼過ぎ――
レッドベリル魔導石製造商会の馬車商隊が、いよいよヴォルフケイジ大双壁の下へと辿り着いた。
本館所属のパプリカやアテナ、その他の魔導師に加え、近隣の支店からもメンバーが合流し、ひとつの商隊を組む。彼女たちは、数日間かけて町や村を回り、魔導石の営業やらメンテナンスやらをして回るのである。
そのキャラバンに、フェズとルヴィは紛れ込んだ。
レッドベリル商会の商隊がウロウロしているのは良く見かけていたが、その一団に自分が乗り込む事になろうとは、思ってもみなかった。
帆馬車の中から、窓を通じて天高くそびえる分厚い”壁”を見上げる。
「大双壁が見えて来ましたよ!」
興奮した声色ではしゃぐのは、フェズでもルヴィでもなく――レッドベリル商会の新人魔導師アテナ。
「いよいよですね!?
ルヴィちゃん、故郷に戻れると良いですね!」
目を輝かせ、胸の前で両手を握り拳にして鼻息を荒くする。
「はあ……」
ノリに着いて行けず、曖昧に返事するルヴィ。
「アテナ、いい加減にしなさい! 貴女の仕事はそんな事じゃないでしょ!」
荷台の奥でその様子を見ていたパプリカから叱責が飛ぶ!
ちろっと舌を出し、肩を竦めるアテナ。
パプリカに当て付ける様に、ドサッと音を立ててフェズとルヴィのあいだに腰を下ろした。
「ねえ、アテナさん」
そのアテナにフェズが声をかける。
「アテナって呼んでください! フェズさんのが年上なんだし!」
「じゃあアテナ。一応さ、あたしとルヴィがやろうとしている事ってイケナイ事なんだよね?
だからさ、こう――もう少しオブラートに包んだ方が良いと思うよ?」
フェズの言葉に、アテナは難しそうに表情を歪めて唸る。
「わたしはそうは思わないけどなぁ……。ルヴィちゃんをこのまま人間界に置いておいても、良い事なんてないじゃないですか?」
もちろん、こんな危険を冒さず、公国を通じた正規ルートでルヴィを人狼領に返還する手段もある。
人狼族が人間界に迷い込むのは、これが初めてではない。以前にも公国が人狼族を人狼領に返還した事例がいくつかあった。
これを使わない理由はひとつ。
公国を通せば必ず、アイオライド商会にルヴィの情報が流れるからだ。
「アテナ! ちょっとこっちに来なさい!」
フェズの横で、ルヴィにあれこれ話しかけていたアテナに、今度こそパプリカのお呼び出しがかかる。
不満げな表情でアテナが腰を上げた。「またね!」と屈託なく笑って手を振り、パプリカの方へと寄って行く。
パプリカの前に正座して、何やら小言を言われている彼女の後ろ姿を見つめるフェズ。アテナがどいた隣のスペースを埋めてルヴィが横に寄って来る。
「変な子だね。ルヴィの事、怖くないのかな?」
「実際、実力があるんだろうな。いい娘だし、仲良くした方がいいと思うぞ?」
腕を組んで枕にし、帆馬車の壁に寄りかかる。
そこへ、お説教を終えたパプリカがどかどかと近寄って来た。明らかにご機嫌斜めな様子だ。
「や! 大変だね、引率の先生!」
目の前にぺたんと座り込んだパプリカに、フェズが軽く手を上げる。そのパプリカがずれた眼鏡を小指で直しながら、睨みつけて来る。
「あまりウチの新人に余計な事を吹き込まないでくれない?」
「人聞き悪いなぁ。あたしは折角ルヴィと仲良くしてくれているんだからって思って静観しているのに?」
言ってアテナの方を見れば、反省の欠片も見せない笑顔でこちらに手を振る。
その様子を見て歯ぎしりするパプリカ。
そんな彼女らを他所にして、フェズは荷台の窓から再び外を覗き見る。
既にヴォルフケイジ大双壁は、窓の視界を覆い尽くす程に近づいていた。
「さて、ヴォルフケイジ大双壁に到着だ。ルヴィ、いよいよだぞ」
「うん……」
小さく頷いて降りる準備を始めるルヴィ。
馬車が止まり――魔導師たちも各々準備を始める。
例のアテナも流石に仕事モードに入り、真面目な表情で自分の荷物を整え――床に広げた紙切れに何やら筆で描き込んでいる。
フェズは馬車を降りて外に出た。続いてルヴィも降りて来る。
太陽は頭上に位置し、早朝の様な寒さは無い。だが、それでも真っ白な雪に覆われたグーズグレイ山脈の麓は、吐いた息が白く凍るほど寒かった。
小雪がちらつくその向こうに聳える、巨大な城壁を見上げる。
キャラバンの周囲は既に公国軍の支配地域であり、武装した兵士たちがウロウロしている。
想定通り――キャラバンに紛れた事で、楽々大双壁に近づけた。
フェズとルヴィのふたりだけでは、遥か手前の検問で、呼び止められてしまうだろう。
急激に冷えて行く身体を震わせ、フェズはローブの裾を引っ張って身体を覆う。
今着ているのは、レッドベリルの紅いローブではない。アイオライドの紋章が入った碧いローブだ。
ルヴィも、これと言って特徴のない藍色のローブを纏わせている。
「いいかルヴィ。あたしはこれからアイオライド商会の魔導師として、大双壁に入り込む。お前はあたしの助手だ。うまい事合わせてくれ」
「……うまく行くかな?」
「大丈夫さ。任せておけって!」
ルヴィの赤いくせっ毛をくしゃくしゃと撫でて、フェズは笑った。
遅れてパプリカが馬車の荷台から姿を現す。
「さて、それじゃあ頑張りなさい」
ローブのしわを伸ばし、埃を払って佇まいを直しながら素っ気なく言う。
「……もう少しくらい興味持ってくれたって良いじゃないか?」
フェズの言葉にパプリカが肩を竦める。
「あのね。わたしは元々、ルヴィをグーズグレイに還すなんて作戦には反対なの! ウチの商会にとって何の利益にもならないどころか、一歩間違えば公国軍とモメる事になりかねないのよ!」
言うだけ言うと、「さっさとそいつを還して来なさい!」と捨て台詞を言って、くるりと背を向け、大双壁の入口へと歩いて行ってしまった。
パプリカの向かった先に、見上げる程に巨大な鉄扉――”大城門”がある。
東から西へ――地平線の向こうまで連なる巨大な石の壁だが、地名としての『ヴォルフケイジ大双壁』は、この巨大な門を差す。”大城門”を解放すると、人間界と人狼領とが行き来出来ると言う訳だ。
最もそれは建前で、ヴォルフケイジ大双壁建設以来、この”大城門”が開かれた事は一度もない。
封鎖された巨大な鉄扉の前で警備している複数の公国軍に声をかけ、手続きの準備をしているパプリカ。
その後姿に、フェズのため息が漏れる。
「ホントにレッドベリルとしての営業しかしないみたいだな」
「……いいよ。手伝ってくれなくって……」
そっぽを向くルヴィ。
その向いた方向に、「よいしょっと!」と勢いよくアテナが馬車から飛び出して来る。
ふたりの姿を認めると、アテナはきょろきょろと辺りを見回す。
「あれ? パプリカ先輩は?」
「あそこ。もう入城手続きやってるよ」
城門前にいるパプリカを指差す。
アテナも手を額に当て遠くを見る様な仕草をする。
「あー。先輩、仕事人間だからなぁ……」
くるりとルヴィの方を向き直り、胸の辺りにある少女の顔の高さまで、腰を屈めてアテナは微笑んだ。
「それじゃあ、頑張ってね」
「……うん!」
激励に、ルヴィもはにかむ様に笑う。
うんうんと頷いて、アテナはローブの胸元から何か取り出して、ルヴィの目の前に差し出した。それは折り畳まれた一枚の紙―――。
さっき馬車の中で描いていたものだろうか?
「これ、ルヴィちゃんにあげる」
「これは……?」
開いて中を見るルヴィ。一通り目を通して眉根を寄せる。
「……読めないよ?」
「それはそうよ! 人間の文字だもの!」
くすくすと笑ってアテナがルヴィに耳打ちする。
「?」
その様子を、疑問符を上げて見ていたフェズにアテナが向き直る。
「ホントはフェズさんに渡すのが手っ取り早いんだけど、そのまま渡したら情報漏洩になっちゃうから……」
なるほど、そう言う内容の手紙か……。
アテナの意図を理解し、フェズは黙って頷く。
「心配してないけれど、もしヤバい状況になったら、ルヴィちゃんからその手紙を受け取ってください」
「分かった、ありがとう!」
手を大きく振ってパプリカの下へ向かうアテナの後姿を見送る。
懐にもらった手紙を仕舞い込みながら、ルヴィも小さく手を振り返した。
その視線をフェズに向ける。
「往こう、フェズ! ルヴィは人狼領に還るよ」
アテナとの関わりで――何か思うところがあったのだろう。
珍しく前向きな言葉を発した少女に、フェズは深く頷いた。




