0-0:人狼族の少女
「どこに行ったんだ、ペペローネは……?」
暗く、鬱蒼と木々が生い茂る山の中を、フェズはゆっくりと進む。
地面を覆う木々に脚を捕られぬ様に、慎重にブーツの底を擦りつける。
頼りになるのは、木々のあいだから差し込む月明かりのみ。
魔法で”照明球”を生み出しても良かったが、目下のところ追跡中だ。
煌々と辺りを照らせば、それこそ追っている相手に気取られてしまう。
頭上の木が薄い場所に出て、彼女の顔を満月の月明かりが照らす。
癖のある赤毛をミディアムに纏めた、やや小柄な女。年齢の頃は二十歳前後だが、童顔な為か、実年齢よりも幼く見える。
フェズが、この深い森の中で捜しているペペローネは――仕事の後輩だった。
木の枝に捕らわれたローブを引っ張る。
そこに編み込まれた青い紋様は、アイオライド魔導石製造商会の紋章であり、彼女がそこに所属する魔導師である事の証だ。
日中に、とある騒ぎがあり、魔導石製造商会に属する魔導師全員に待機命令が下った。後輩が、その真夜中に唯ひとりで森の中へ姿を消して行く……。
これが怪しくない訳がない。
そこで、フェズはこそこそと跡をつけていると言う訳だ。
とある騒ぎ――それはこのアイオライド商会の裏山に”人狼族”と呼ばれる獣人族が侵入した事だった。この侵入者を追って公国軍が山狩りをしている真っ最中なのである。
その情報を、後輩のペペローネも当然に知っているが、知っていてなお、真夜中の森に姿を消す――と言うのは、何かあると考えて当然だろう。
ほぼ、山頂に差し掛かった時だった――。
ふと、向かう先の草むらで大きな影が動く!
「何だ!?」
声を潜めて藪の中に身を隠す!
木々の合間から、黒い大きな影がゆっくりと動いている様子が見て取れた。
まさか、噂の人狼族か……!?
フェズの心臓が高鳴る。
暗くて正体は分からないが、相手の身の丈は少なく見ても三メートル以上はありそうだ。
のそのそと音もなく動いており、人間の様な頭部に二本の腕も確認出来る。
人狼族か、他の動物か分からないが、そっと退いた方が身の為の様だ。
足音を立てない様に――フェズはゆっくりと慎重に、背後に下がって行く。
その瞬間――!
「見つけたぞッ!」
黒い影が、野太い声を発する!
「見つかった!?」
フェズは叫び声を上げて、草木の中を猛然と駆け出し――かけたのだが……。
「ぎゃああッ!」
耳に届いたのは、女の叫び声!
振り向くと、黒い”巨人”はフェズとは明後日の方向に向き直り、何かに対して拳を振り上げている!
「誰か襲われているのか!?」
暗闇に目を凝らせば、繰り出される”巨人”の拳を搔い潜り、逃げ惑う小さな影がひとつ!
ペペローネか?
――であるならば、助けなくては!
腰のベルトに差したダガーを引き抜き、胸の前に構えて集中する!
ダガーの刀身に埋め込まれた”魔導石”が、フェズの魔力に呼応して光り輝く。その光は、幾重もの光糸となって刀身に絡みつき――紅い光を放つ刃を成した!
――天照星の赤光よ! 紅蓮と成りて集え! 光刃猛よ! ――
「発現せよ! ”殻紅光刃”!」
身を屈め、一足飛びに”巨人”の背後に斬りかかる!
「何ッ!?」
相手にとって、完全な不意打ちとなっただろう!
逆手に構えたダガーが、音も手応えもなく、”巨人”の右腕を斬り飛ばす!
「ぐああああ……ッ!」
吹き飛んだ腕を押さえ、もがく”巨人”に向き直る!
その姿は――フェズの見た事がないものだった。
焦げ茶色のローブを纏った、漆黒の肌を持つ巨体。フードで覆われた顔には、顔の代わりにのっぺりとした白い仮面が張り付いている。
そして――その額には、碧く輝く魔導石!
これが――人狼族!?
いや――そんな訳はない!
人狼族ならば、以前にも見た事がある。少なくとも、こんな非生物的な外見ではない。
「何だ貴様はッ!?」
「それはこっちのセリフだ!」
雄叫びを上げて、残った左腕を振り上げる”巨人”!
無防備にがら空きとなったその胸元に飛び込み、紅い刃を抉り込む!
「そんな……ッ!?」
断末魔を上げ――”巨人”が藪の中に倒れ伏した!
――かと思ったが、”巨人”の姿は仰向けに倒れながら、光の粒子となって虚空に消滅して行く……。
「……いったい何なんだコイツは……?」
地面に残されたダガーを拾い上げる。
フェズの手から離れ魔力の供給を断たれた刀身は、金属光沢を取り戻していた。
森で突然見知らぬ生物に出会った衝撃に、胸が昂るが――それよりもさっき聞こえた悲鳴の主が心配だ。
「おい! 誰かいるんだろ、大丈夫か!?」
「う……うう…………っ!」
「そっちか!」
茂みの中から響いた呻き声に聞き耳を立て、フェズはそちらに駆け寄る。
果たして、草むらの中に倒れていたのは――ひとりの少女だった。
「ペペローネ……じゃないな」
暗がりで顔が良く見えないが、脇腹の辺りから出血しているのが分かる。
「大丈夫か!?」
傍に駆け寄って座り込み、腹を押さえて蹲っている少女の身体を、ゆっくりと仰向けに起こした。
月明かりが――少女の姿を照らす。
「――――!」
思わず息を呑んでフェズは退いた。
見慣れない民族衣装の様な毛皮を纏った、十代前半程の少女。
暗い赤と藍色のメッシュになったぼさぼさの髪。そして――人間にはあり得ない深紅の瞳と、尖った耳。
「こいつ……人間じゃない。人狼族だ……ッ!」
侵入者との思わぬ接触に、言葉を失うフェズ。
その人狼族の少女の小さな手が、弱々しくフェズの手を握る。
「お願い。妹を……妹を助けて……!」