98話 帰還
気がつくと雨に降られていた。バケツをひっくり返したような土砂降りの雨にうたれながら、抱きかかえた男を見る。彼は眠っており、もう起きることはない。そのことを胸から腹にかけての深い傷が証明している。
……私がつけた傷だ。吸血鬼の彼なら治るはずの傷なのだが全く治らず、絶命してしまった。
どうして……その言葉を何度も何度も繰り返す。目の前には信じたくない光景があるから……夢だと信じたいから……事態を正しく認識するのにたくさんの時間を要した。
今の彼の姿を見て、私は後悔した。私の選んだ決断は間違っていたのだ。もっと上手くやれたはずだ……そうすればこんなことにはならなかったのに……
絶望感にうちひしがれていると、いつの間にかじんわりと熱いものが頬を伝っていた。そしてそれはぽたぽたと彼の顔へと落ちていき雨と混ざる。
「私は、いつかまたあなたに会ってみせるから……そしたらちゃんと伝えるから……」
冷たい彼の体を抱きながら呟く。言えなかった愛の言葉……ようやく気づいてしまった。
私はなによりもスカルが大事だったのだ。皮肉にも彼が死んでしまったことでその大切さが痛いほどわかってしまったのだ。
「何年かかろうが絶対……あなたと再開するから……そしたら……」
雨はより一層強くなり、私の決意のこもった言葉は空の泣き声にかき消されていった……
そこからは永かった。彼のことを調べ、とある呪いのことを知り、私は輪廻転生を繰り返した。
と言っても、ただ魂に私という存在を固定するという呪いじみた術を使っただけなのだが。
繰り返していく日々の中で、私は奥底から彼を探した。転生した彼を探すのは、砂漠から1粒の砂糖を見つけるようなもので、何百年、何千年と時をかけた。
そして、やっと見つけた。ひと目見た時から私にはわかった。私が永い間追い求めた人なのだと。
私は夕焼けの平原で幸せな気持ちになっていた。
大変なこともあったけど……ようやくあなたと一緒にいられる。
「メルさん、久しぶり」
聞き覚えのある優しい声、振り返ると愛しい人がいた。
「スカル……やっと会えた」
私は彼を抱きしめて離さない。彼の体温が、匂いが、私の胸をときめかせる。
「メルさん、ごめんね。なにも伝えられなくて……悲しい思いをさせて……」
「ううん、私こそあなたを救えなかった……ごめんなさい」
謝罪を口にすることさえ嬉しかった。あの時はなにも伝えられなかったから……
「でも、これからはずっと一緒だよ……愛してる」
「……私も愛してる」
私は涙を流しながらも、満面の笑みで彼に伝える。
オレンジ色の空、風の気持ちいい平原で、私たちは誓いの口付けをした……
「あ……」
目を開けるといつもの天井が見えた。どのぐらい寝てたんだろ俺。
長い長い夢を見ていた。彼女のここまでの経緯と、優しい終わりを。
「今何時だろ……」
むくりと起き上がる。外の感じから夕方なことがわかる。
「先輩、起きたんですね」
俺が視線を横にすべらせると、隣の布団でアンヘルが寝ていた。
「アンヘル……体は大丈夫? 」
「はい、問題ありません。ちょっと怠いくらいです」
「そっか、よかった……」
アンヘルの顔を見ると、改めて実感する。日常が戻ってきたということが。
「先輩、ありがとうございました……忘れないどころか、助けてくれて。私、すごく嬉しかったです」
「当然のことをしたまでだよ。アンヘルは失えないほど大事な存在になってるんだから……もちろん家族としてだけど」
「当然でもなんでも家族って思われていたことが嬉しいです……先輩には頭が上がりません」
嬉しそうに話すアンヘルはとても可愛かった。
「先輩……一つわがままいいですか? 」
「いいけど、どうしたの? 」
「これを言ったら困らせてしまうかもしれません。でも、言いますね……先輩のこと、好きになってもいいですか? 」
「えっ……」
その言葉を聞いて数秒間固まる。
「えと……本気で言ってる? 」
「本気です。大好きです」
「……嬉しいけど、俺には千華がいるからアンヘルの気持ちには応えられない」
「知ってます、それでも好きでいたいんです。先輩は私を底から助けてくれた王子様ですもん」
「ほぼティタニアのお陰だけどな」
「私にとっては先輩のお陰なんです」
清々しいほどの笑みを浮かべるアンヘルを直視しずらい。実らないのに好きでいてって残酷だろう。
「できれば他の人を好きになってほしい。ちゃんと実る恋をしてほしいって思うし」
「そうですか……わかりました、」
アンヘルは納得したように頷く。
「じゃあ飽きるまでは好きでいますね」
「いやあの……」
「そんなすぐに好きな人なんてできませんよ。だから先輩のこと飽きるまで好きでいます」
そう返してくるか……これなに言っても引き下がらないな。
「それに、もしかしたら先輩の方が私のこと好きになっちゃう可能性もあるじゃないですか」
ずいっと顔を近づけるアンヘル。少しドギマギしてしまう。
「そんなこと、」
「ないとは言いきれないですよね? ……なので、精一杯アプローチしますね」
アンヘルは自分の口元を俺の耳に近づけて囁く。とりあえず本気ってことは伝わる。これからを考えたら胃が痛くなってくるんだけど。
本人が嬉しそうだからいいの……だろうか。
「あっ2人とも起きたんですね! 」
なんて反応したらいいか困っていると、ティタニアが部屋に入ってくる。
「アンヘル〜よかったよ〜! ごめんね気づけなくて」
ティタニアは勢いよくアンヘルに抱きつく。アンヘルは嬉しそうにティタニアの頭を撫でる。
「私こそ言えなくてごめんなさい。でも、助けてくれてありがとう姉さん」
「当然、なんたってお姉ちゃんだからね! 」
ティタニアは豊かな胸を張って得意気に唸る。ティタニアいなかったらアンヘルを助けられなかったな……本当に感謝しかない。
「和人くんも元気になって良かったですね! 今千華ちゃんがご飯作ってますからもう少し待ってくださいね」
「そっか……そういえば急にお腹空いてきたかも」
「ですね、私たちどのくらい寝ていたんでしょうか……」
「えっと、確か2日ですね。今日が月曜日なので2人は学校休んだんですよ」
かなり寝てたんだな……休んだのはしょうがないけど、睦月たちに心配されてたらなんだか申し訳なくなる。
「あっ2人とも起きたんだ。体調とかだいじょぶそう? 」
葉月がラムレーズンを連れて現れる。かなり懐いてるなあいつ……葉月に抱かれて寝てる。
「ちょっと怠いぐらいだから問題ないよ」
「私も似たようなものです」
「そっかそれならご飯食べれば治るね。この子最近私に懐いてるんだよね〜ティタニアには相変わらずだけど」
「うぅ〜ラムちゃん撫でたいです……」
まだティタニアには懐いてなかったんだな。葉月は好きに撫で回してるのに。
「あんたらご飯できたわよーって和人起きたの!? 痛いとことかない? 大丈夫!? 」
エプロン姿の千華はとても可愛く……と思っていたら心配した様子でこちらに来る。そして体のあちこちを触って調べる。すごい心配してくれてる……
「大丈夫、千華の顔みたら吹き飛んだ」
「そっそう、それならいい……のかしら……」
若干顔が赤くなった千華、照れてるっぽい。
「やっぱりお似合いですねお2人は。でもだからといってひきませんけど」
なんだか嫌な予感……
「千華さん、宣戦布告です。私は先輩のことが大好きになっちゃいました。なので、とる気でアプローチしちゃいますね♪」
「えっちょっアンヘル!? 」
「わぁぁぁ!! なに言ってるんですかアンヘル!? お姉ちゃんはそんなこと許しま、」
「姉さんは黙ってて」
アンヘルの据わった声にティタニアはさらに慌てる。
「和人くん〜アンヘルが不良になっちゃいました!! どうしましょう!? 」
「ちょっ、なんで抱きついてくるんだよ!? 頼むから離れてくれ! 」
半べそのティタニアが抱きついてきて戸惑ってしまう。せめて葉月に抱きついてくれ……
「姉さんはなんでこう無自覚にやるんでしょうね……自分の破壊力をわかってやってるんでしょうか」
「わかってないでしょ。あれに恋愛感情がないのが救いね」
なぜか千華とアンヘルが意気投合してる。話してないでこの子どうにかして……
「ふにゃあ……」
俺がティタニアをどうにかしようともがいていると、ラムレーズンが起きる。俺の姿を認識すると、目を輝かせてこちらに近づいてくる。
そして、ラムレーズンの周りに魔法陣が展開され、姿が人型に変わる。俺たちを援護してくれた時の姿だ。
「ご主人、ようやく起きたかにゃ! 早速頭撫でてくれにゃ」
「いやなんでよバカ猫、アホなの? 」
千華の言葉にラムレーズンは憤慨する。
「失礼な奴だにゃ! おい女、今の私はお前より強いぞ! いつでもぼこぼこにできるんだからにゃ? 」
「そんなこと言うとかつお節あげないわよ」
「今のは嘘に決まってるじゃにゃいか。かつお節欲しいにゃ〜くれにゃ〜」
と思ったら素早い手のひら返しだな。こいついつの間にか躾られてる。
「こいつ猫又のくせに煮干しやかつお節に釣られるのよ、上手く使ったら躾られたわ」
「なんかこう……プライドとかないの? 」
「食料不足だからにゃ、プライドとか言ってる場合じゃにゃいにゃ」
そういうリアルなところ知らなくてよかったやつ。あの時かっこよかったのに……
俺が複雑な気持ちでいると、誰かのお腹がなる。そこで空腹なことに改めて気づく。
「ご飯食べよっか」
「そうね、2人にはお粥作っといたから、病みあがりでも食べやすいと思うわ」
「ありがとうございます千華さん」
「ご飯ー!! 」
「メシだにゃー!! 」
「2人とも似てるね。それにしても……よかったよかった」
葉月の表情からなにを言いたいのか大体わかる。ほんとによかったよ……戻ってきて。
俺たちの日常は完全修復とはいかないが、多少の変化をしてもいつものように回り出したのであった。
~エピローグ~
射し込むは気持ちいほどの日差し、吹き込むは爽やかな風、私は彼との愛の巣で優しい時間を過ごしていた。
「メルさん、今日は大漁だよ。こんなに収穫できちゃった」
愛する彼は100点の笑顔を見せる。その顔を見る度、その声を聞く度に好きの気持ちが大きくなる。
「ねぇ、今日は森でピクニックしない? 綺麗な湖を見つけたの」
「いいね、でもかなり遠いんじゃない? バスケットの中身が崩れちゃいそうだけどね」
「そこは大丈夫、私が崩れないように持つから。それに……2人で水浴びしたいし」
その言葉を聞いた彼は嬉しそうに、でも意地悪に笑う。
「メルさんってちょっぴりエッチだよね。まぁそんなところも愛おしいんだけど」
彼は私を優しく抱きしめ、紫の髪で作られた川を堪能する。
「水浴びは一緒にできないけど、その分なにかしようか……話とか」
「そうね、それでも十分楽しいわ」
私と彼は手を繋いで家を出る。テーブルに置いてあった置物にはこう書いてあった。
『Je t’aime Formel』
『Je t’aime Skull』




