84話 壊れ
私が望むものなんて一つしかない。
富でも、名声でも、力でも……才能でもない。
ただ、純粋な子供のような願い。
永遠に終わらない幸せが欲しいという自分勝手な願いだ__
その日は穏やかだった。PSY部の活動は落ち着いたもので、問題なんてなかった。
帰ってからも普通に夕食を作って普通に風呂に入って……いつもと変わらない日常を過ごす。
「和人くーん、アンヘルが全然構ってくれません!遊んでください!」
「しょうがないな……なにして遊ぶんだ?」
「ゲームしましょうゲーム!私のペンギンナイトが和人くんをやっつけちゃいます。」
風呂からあがるとティタニアとゲームをする。
「2人ともゲームしてるのね。私もやるわ。」
「もちろんいいですよ。みんなでやった方が楽しいですから。」
途中から千華がはいってくる。
これからやるゲームは、かの有名な大乱闘ゲームのオマージュ作品だ。ゆるっとした動物が剣やら鈍器やら物騒なものを持って戦う、作るゲームを間違えたとしか思えないものだ。
「そういえばアンヘルはなんで遊んでくれなかったんだ?」
「少しやることがあるからって外行っちゃいましたよ。買い物にでも行ったんですかね?」
「いやそれなら着いていってやれよ。夜に女の子を1人で出歩かせるな。」
「でもすぐ戻って来るって言ってましたよ。あと1人でいいとも。」
アンヘルがそんなことを……?なにか胸騒ぎがする。大丈夫だろうか?
「俺ちょっと探してくる。」
「えぇ行ってきなさい。このバカは私が相手してるから。」
「酷いです千華ちゃん!」
千華はガっと詰め寄るティタニアを適当にあしらっていた。
俺は千華に心の中でお礼を言ってから外へ駆け出す。
最近のアンヘルを見ていると、なにか違和感を感じる。なにかが壊れそうなような……そんな感じのものが。
この得体の知れない不安感は杞憂であってほしい。
「外に出る時にアンヘルの靴を見たけど、無かったってことは外にいるんだよな……どこだ?」
1月の夜なのでやたら寒く、彼女が外套を羽織っているのかも気になってくる。
とりあえず道場の方に行ってみるか……
そうして足をその方向へ運ぼうとした瞬間、一瞬だけアンヘルの声がした。周りを見るが誰もいない。それでも空耳ではないと本能が叫ぶ。
「声のした方は……こっちだ。」
俺は必死に声の方へ駆ける。アンヘルの元へ近づいてるのかはわからないが、胸騒ぎが大きくなっていく。
いる。確証はないけど確かにそこに。
そうして着いたのは家の裏庭だった。
(いた__)
広くて真っ平らなその場所に彼女は……アンヘルはいた。
アンヘルはただ夜の空を眺めていた。
「今日は曇りだぞ。こんなところでなにやっているんだ?」
見つけても焦らず、いつも通りに話しかける。まだ心は安心していない。
「先輩。あはは……今日は星が見えるかなって思って来たんです。……ここはよく見えますから。」
「曇りなのに?」
「はいっ、もうすぐ晴れそうだったので来ました。」
アンヘルはいたっていつも通りだ。目や表情は濁っていないし、服装だって暖かそうなものを着ている。
勘違い……だったのだろうか?
「早く戻らないと。みんな心配してるぞ。」
「……先輩、わがままを聞いてくれませんか?もう少しここで話したいです。」
そう言って微笑むアンヘル。
「……わかった、いいよ。」
なにかある……そう感じたので早々に連れ戻すのは諦めた。
「ありがとうございます。それじゃあ少し話しましょう。て言っても、私の話ばっかりになっちゃうんですよね。」
「いいよ、それでも。」
「ありがとうございます。まず私は先輩のところに来れてよかったと思います。」
声は弾んだように、表情は嬉しくて堪らないといった様子で話し始める。
「先輩も皆さんも、とても親しみやすくて楽しくて、ここに来れてよかったって思いました。」
「それに、」と続ける。
「いっぱいの思い出と幸せで私は……私は……」
その時のアンヘルは忘れられない顔をしていた。
流れる涙は儚くて……今にも壊れそうだった。
「アンヘル……?」
「すみません、思わず涙ぐんじゃいました。」
嘘だ……優しい思い出に囲まれた子があんな顔はしない。
「なぁアンヘル、なにか辛いことがあるなら話してくれないか?」
「……なにもないですよ。全然大丈夫です。」
「俺には嘘には思えないんだよ。さっきの顔見ちゃったらさ。」
「それは……」
急激に困った顔をする。それと同時にとてつもなく重い恐怖に襲われる。
ここで知らないといけないのに、知ったらなにかが終わってしまう。終わらせたくないのに……知りたい、知らなくてはいけない。
鼓動は高まり、心臓の音で世界の音が小さくなる。
これ以上聞くな、今すぐ立ち去れ……脳がそう警鐘を鳴らす。
ふざけるな、見捨てられるか……ゆっくり呼吸しろ……
「本当にいいんですか?」
「……あぁ、いいよ。」
この状況が寒さを忘れさせる。
「……わかりました。」
観念したのか、アンヘルはぎこちない笑顔で話し始める。
「私にはもう時間がないんです。」
「へっ……?」
アンヘルの口から信じられないような言葉が飛び出してくる。
「だから、暖かい思い出を一つ一つ噛み締めてたんです。」
「待って、それって一体……?」
「言葉の通りです。姉さんや先輩たちともお別れになっちゃうんです。」
「はぁ……?意味わからないぞ。昨日まで元気だっただろ。」
「はい、そうです。だから病気とかではないんです。ちょっと複雑な事情です。」
「複雑?」
「はい、もう……抑えられないんです。」
アンヘルの頬を涙がつたう。
「先輩、最後に一つお願いを聞いてくれませんか?」
「……いいよ、言ってみて。」
次の瞬間、世界から彼女以外の音が消えた。
「私のこと……忘れないでくださいね。」
彼女の放った言葉の余韻を味わう暇もなく、押し潰されそうなほどの闇が周囲を呑み込んだ。




