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最後の夏

作者: 大矢 章乃

 昭和最後の夏、僕らは今よりずっと、若かったんだ。


 一九八八年、四月十日。岡山県倉敷市と香川県坂出市を繋ぐ、初の本州四国連絡橋である瀬戸大橋が開通した。


 大阪育ちの僕にとっても、九州出身の親にとっても、四国は滅多に行くことのない場所だ。山とお寺と、あと川くらいしか知らない。それでも漠然と四国は船で行くものだと、皆そんなイメージしかなかった。

 開通が決まったのは……何年前だったかな、とにかくそんなに最近でもなかったように思う。話自体は僕が生まれる前からあったらしい。ただテレビで特集が組まれているのを見ることもあったから、高校生の時にはもう知ってはいた、と思う。本当にできるとは思ってなかった。こう言ったら語弊があるけど、なんというか、本州と四国が海を越えて繋がるっていうのが信じ難かった。

 西ドイツと東ドイツは昔は一つだったとか、ソ連は昔はバラバラで、ロシアという国があっただとか、そんな話も歴史の授業で聞くけれど、僕らにとっては生まれたときからドイツは二つだし、ソ連はソ連だ。


 戦争なんてずっと昔の話。当時両親はまだ子供だから戦争には行ってないし、記憶自体がおぼろげらしくほとんど話を聞くことはない。けれど、綺麗とは言い難い瀬戸内海を眺めながらふと思ったのは平和についてだった。でも高校の授業以来で知識なんて全然残ってないし、柄でもないことを考えるのは早々にやめた。


 そう、瀬戸内海。夏の雲ひとつない晴天の下で、僕は今、できたての瀬戸大橋を山から臨んでいる。

 僕は鉄道が大好きだ。中学生、高校生の時は一人で遠出なんてできなかった。でも大学生になって、同じ趣味の友達もできて、長い休みを狙っては鉄道で旅をしている。今日は友達に誘われて、岡山まで来てしまった。それも随分突発的に。

「車が海の上を走ってる……」

「バカ、そんなの東京にだってあるやろ」

「でもあんなのは大して距離ないじゃないか。こっちは海だよ、半島とか小さな島じゃなくて」

「確かに……あそこ走ったら帰れるのか? 想像つかん……」

 誘ってくれた友人は、愛媛出身の同級生だ。僕等の大学は神戸にある。彼は帰省はいつも船で、でも船酔いしやすい体質らしい。この橋ができたらバイクや車で、いつか通る電車で、地続きの場所のように地元に帰ることができるのだと、完成が迫ってくる中で熱く語っていた。

「はは、さすがに走れはしない……そうだ、次の帰省はバイクにしたら?」

 軽く言ってみて気付いた。僕達は今、大学三年生。そろそろ就職活動について考えないといけない時期だ。事故とまではいかなくても、何かあれば困る。そう思い慌てて付け足した。

「余裕があればな」

「次の帰省か、正月かな……でも今でこの混雑やろ、年末とか絶対混雑やばいって……」

「あー確かにね。この辺は雪積もらないとは思うけど、慣れない道で混雑は危ないかも」

「やろ? 今年は電車にしとくけん、いつか一緒に電車で遊びに行こうな」

「楽しみにしてるよ」


 今日は本当にいい天気だ。遊園地なんて何年ぶりにきただろうか。

 海と橋を臨みながらジェットコースターを楽しみーーいつもは女の子が誰かしら横にいるため少し物足りない感は否めなかったがーー満足して帰路についた。趣味と実益を兼ねて鷲羽山まで登ってきたが、これがなかなか面白かった。

 僕たちは神戸からJRで岡山まで来て、そこから児島駅、つまり橋のふもとまで乗り継いだ。昼食をとりながら食堂で聞いたところによれば鷲羽山からよく見えるそうで、そこには遊園地もあると。ちょうど電車があったので、帰りの時間に気を付けながらやって来た。

 今乗ってるこの路線は、再来年には廃線になるらしい。社会は経済成長の真っ最中、円の価値は上がり、日本経済は発展してゆく最中だ。けれど地方では過疎化も進み、採算の取れない路線はどんどん消えていく。

 それでも車内は決してガラガラではなく、お年寄りも、小さな子供連れの親子も、いろんな人が乗っていて賑やかなくらいだった。

「岡山からさ、四国まで、あの橋で電車が新しく通ったよね」

「ああ」

「なのにこの路線はなくなるんだ」

「……」

「なんなんだろうね、好景気って言うのに、全然そんな感じがしないや」

「……そういうこともあるんだろ」

 因果関係はなくとも、華々しい出来事の裏でこんなこともあるということに、いわゆる鉄道好き、ローカル線好きとして何も思わない訳ではない。それに、これからまた十年かけて、もう二つ橋がかかるそうだ。その時はどうなってるんだろうか。


「また鉄道旅行しよう」

「もちろん。電車で俺の地元とかどうや、さびれてるけど風景が良くてーーあれもいつ廃線になるかわかららへんから」

 そう言って彼は寂しそうに笑った。

「いいね、計画は任せるよ。間違っても彼女実家連れてく時にそんなの乗せるなよ?」

「わかってるわかってる。いつになるかわからんけどその時はちゃんとタクシーな。大体あんなの乗せれるのお前くらいだって」

「ならよし。あーあ、彼女できないかな」

「別れたばっかだろ? 今回は続かなかったよな。いつも周り女ばっかなんだから、また適当に作れば?」

「なんかめんどくさくなって……」

「贅沢な発言すんなや……」

 そのままたわいもない話をしながら夜まで電車を乗り継ぎ、終電を逃し、家に着いたのは翌日の昼だった。家に連絡していなかったから母には叱られるし、反抗期真っ盛りの妹が横で笑って見ている。お前もよくやるだろ、と思ったが何も言わずにおいた。夏休みでよかった。


 それから半年が過ぎ、年が明けた。そして間も無く昭和が終わった。

 当然といえば当然だけど、六十年以上も続いたのだから当然だと、頭ではわかってはいた。けれど長かっただけに、終わることなんて心構えなんてしていない。大変な衝撃だった。

 新しい元号は『平成』。なかなか慣れず、履歴書で何度も日付を昭和と書き間違えた。それでも就職活動は落ち着き、大学もゼミに通うばかりとなり、そんな中でも新しい恋人もできた。卒業、そして就職の足音が迫ってくる。考えてみたら昭和最後の夏、たまたまとはいえ彼女がいなかったのは少し残念な気がする。


 そんな中で再び、今度は世界を揺るがすくらいの衝撃が訪れた。僕がテレビで見た時は、人々がつるはしや斧など、何かを手にし、叫びながらめいめいに壁を壊しているところだった。画面の端にはクレーンも映っていた。さすが馬力が違うなと変な所で感心してしまった。

 中継にかじりつき、数時間後には、崩された壁の上を歩いている人すら出てきた。相変わらず画面の中からはドイツ語の喚き声が聞こえる。


 一九八九年十一月九日。ベルリンの壁、崩壊。


 こうしてなんやかんやあって、僕の大学生活は無事に終了した。後半は、というより最後は特に、国際的に波乱の一年になったと思う。僕の小さな世界には大きすぎる衝撃がたくさん訪れた。卒業旅行はドイツだったけれど、ベルリンに行かなかったためさほど混乱はなかった。ただ余波は伝わってきていて、生で感じられたことは貴重な経験だったと思う。

 そのまま就職して、あっという間に忙しくなった。その間も世界は動いていて、ドイツは統一したし、ソ連は崩壊した。ロシアと他の小さな国がたくさんできた。バブル経済は崩壊し、僕の会社でも大量にリストラされ、僕自身も何度か危なかった。

 世界が目まぐるしく変わっていった。僕の世界も塗り替えられていった。



 ……で検索、っと。

電話越しに娘に言われるがままに画面を操作する。

「ブラジリアンパーク?」

 かつて行った遊園地の名に、余計なものが追加されている。なんだそりゃ、と声が出てしまった。時代とは変わるものだ。


 就職して、結婚して、子供もできた。娘は大学生。今は夏休みの真っ最中だ。今年の合宿先は岡山、宿を聞いてみればそれは、過去に訪れたことのある地名だった。大学生の、昭和最後の夏の暑い日に。


 ふと思い出話をしてみたところ、意外にも食いついてきてどうでもいいことまで話してしまった。あの時まだまだ先だと思っていた二本の橋ができたのは、娘の生まれたちょうど前後だと今更ながら知った。

 ソ連もベルリンの壁も、生まれるより遥かに前、それこそ何十年も前の出来事だと思ってた、というのは受験の時に聞いたことだが。どちらも平成の出来事だと言っても半信半疑だったことを思い出す。

 あの路線はやはり、予定通りに廃線になったようだ。ホテルから街までのアクセスが不便だと電話の向こうで嘆いているのが聞こえる。バスで同じ児島駅まで向かい、そこから岡山市内や香川など、めいめいに好きなところへ向かうらしい。バスの本数が少ない、時間が早いと言うが、そこを今はないあの路線が走っていた時も大して違いはなかったように覚えている。ローカル線なんてそんなものだ。都市部の電車が遅くまで走っているだけなのでは、と思ってしまった。


 考えてみれば自分達のときはこうしてスマホで、というよりそもそも携帯電話がなく、旅先で家族と話すこともなかった。部屋や海の写真も送られてくるが、それも自分にとっては社会人になってずっと経ってからのことだ。時代の流れをひしひしと感じる。

 あれだけ慣れなかった平成も、計画的にではあるがもうじき終わろうとしている。今は平成最後の夏だ。二度目の、最後の夏。


 あいつは元気だろうか。結局約束は果たせないまま、四半世紀が過ぎてしまった。年賀状のやり取りしか今は残っていない。

 お互いにいい歳だし、生活もある。会えるとは思ってない。ただ来年はもう少し、何か言葉を添えてみようと思った。


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