3 とびはぜ ぴょんぴょん
新浜だより
日本野鳥の会東京支部(現在は日本野鳥の会東京)支部報「ユリカモメ」 1992年12月号掲載
3 とびはぜ ぴょんぴょん
待望の雨が降りだした。ススキ、オギ、セイタカアワダチソウ、ヨシー花盛りの花穂が雨に頭を垂れている。雨に足止めされた渡り鳥やトンボたちは、晴天を待って一斉に動くのだろうか。
昨日は私の休日だったので、雨の中で砂運びと干潟の生物調査をした。雨の日には観察舎を利用する人が少なく、正面の干潟に出るには都合がよい。午前中の雨止みに作業を始めた砂運びは、バイト生氏も私もはずみがついて、えい、降ってもやってしまえ、ということになった。
じつは「干潟の底質改良実験」という内容で、自然保護協会に申請していたPNファンドの助成が決まり、来年10月末日のレポート提出に向け、160万円の助成金が出ることになった。保護区の干潟に生物をふやす方策を実験的に調べる予定で、そのための現状把握と試験地設定というのが、雨天強行されたこの日の作業である。
人工的に造成された保護区の干潟は、通常のように砂と泥がまじった状態ではなく、粒子の細かいシルト質で生物が少ない。これは造成時の事情による。このあたりの埋立工事はあらかた「吹き上げ」-海底の土砂を海水ごとポンプで吹き上げ、囲いの中にサンドパイプで流し込むという方式―で行われた。泥水をかきまわして放置すれば大きい粒から先に沈み、細かい粒が上に残るが、シルトや粘土サイズの泥の粒子を多量に含んだ表層の泥水はなかなか乾かない上、海に流せば漁業被害を招く。そのため、土量が足りなかった保護区の造成地に邪魔ものの表層泥水を流し込んだ、というのが経緯。
漁業被害のもとを生物の保護区にためるなんて、というのは後のりくつ。干潟のことなど、当時は生物や自然の関係者でさえわかってはいなかった。ひょっとすると、今でも大したことはわかっていない、というべきか。
さて、シルト質の泥干潟「ウラギク湿地」の一角に砂を入れ、一部は掘り返して凹凸をつけ、底生動物の変化を調べるというのが今回の実験。まず現状把握と試験地設定、それから追跡調査。
ウラギク湿地の干潟には、長靴が何本か埋まっている。泥に足をとられ、ほうほうの態で脱出した人たちの汗と涙の跡である。右足が沈まないうちに左足を出す、の要領で前進すれば、やがては水の上も歩けるはずだが、先週、標識用の杭を立てた時には、しっかり沈んだ。
泥にはまって抜けない長靴をとるには、まずは落ちついてぬるぬるした干潟の泥にずっしり腰を下ろす。次は長靴をぬぎ、お尻でささえてひっぱり出す。出なければ掘るーそれでだめなら・・・・。
トビハゼがぴょんぴょんはねて逃げて行く。多いところでは、10m歩くうちに30尾近いトビハゼが逃げた。今年生まれの小さいものも、ふとった成魚もいる。正方枠の中の穴を数えるために立ち止まると、穴のふちから1尾顔を出した。鼻先をつついてやると、はじめはきょとんとしていたが、すぐくるりと向きを変えて穴にもぐった。
トビハゼがいる干潟は、東京湾ではこの保護区と江戸川放水路、それに谷津干潟だけになってしまったという(註;この稿が掲出された当時は。現在では荒川河口・多摩川河口・東京港野鳥公園・葛西臨海公園などにも分布)。昨年、江戸川放水路では堤防の沈下に対する護岸工事が行われ、干潟のかなりの部分が埋め立てられてしまうことになった。なんとかならないか、と質問状を出し、何度か話し合いを重ねた結果、1:埋立面積は当初の予定の半分 2:埋立予定地の干潟の表泥は保存し、後に戻す 3:更に、予定地のトビハゼは極力全数を捕獲・飼育し、工事終了後戻す、という方法が採られた。護岸もコンクリートブロックなどは用いず、昔ながらの蛇篭が使われた。
工事に携わった建設省江戸川工事事務所河口出張所では、半年以上にわたってトビハゼを飼育したばかりか、放流地にはまずカニを放し、カニの定着を見てからトビハゼを移すといったきめの細かい作業をされた。「生物や自然に配慮しないような工事は、これからはやれません」-建設省の方のことば。一つの意識革命と言ってよいのではないか。
とびはぜ、ぴょんぴょん。干潟にすむ生きものたちの生活保証にトビハゼくんがつけた先鞭は、ささやかでも大きな一歩だ。保護区の干潟でも、トビハゼや他の生物の住みごこちをよくしたい。そのための実験開始。目下、燃えている。




