27 国際ツル財団(ICF)訪問
新浜だより
日本野鳥の会東京支部(現在は日本野鳥の会東京)支部報「ユリカモメ」 1994年12月号掲載
27 国際ツル財団(ICF)訪問
ゆるやかな上り坂のかなた、200メートルほど離れた繁殖ケージ群(クレーン・シティと呼ばれている)の端のほうで、はばたく姿がちらっと見えた。
「来ますよ」ここ、アメリカのウィスコンシン州バラブーにある国際ツル財団(ICF)で4月からボランティアをしている石川君がそっと言う。30名ほどの観客が待ち受ける中、坂道をかけおりてくる若い女性スタッフと、後を追う鶴の若鳥が見えた。若鳥は翼を広げて走り、すぐに舞い上がって道の両側に広がる草原の上に大きく輪を描く。観客の前で息を切らしているスタッフを見ながら飛び、頭上を悠然とまわってから、彼女のすぐかたわらに舞い降りた。
「帰りはどうするの」「一緒に歩いて帰りますよ、ほら」「すぐに帰りたがらなかったら?」「テゥルルルっていう呼び声があるんです。それから魚を小さく切ったのを持ってますから」「あなたも呼べる?」「いちおうできます。今やるとツルがこっちに来ちゃうからだめ」
ここ、ICFは絶滅に瀕しているアメリカシロヅルの保護と増殖を目的として、1972年にジョージ・アーチボルドとロン・サーウェイの2人によって設立された。サーウェイ氏は早逝されたが、アーチボルド博士は世界を股にかけた活躍を続けられている。飼育していた鶴の大半をウィルス病に奪われたり、合衆国から借り受けた雌のアメリカシロヅル、テックスが人工授精によってようやくヒナを残した後、アライグマに殺されたり、と様々な紆余曲折があったが、ついに今年は飼育中のアメリカシロヅルの親鳥に初めて自力でヒナを育てさせ、4羽が成長する(うち1羽は後に死亡)までに至った。人工授精でつがいに受精卵を産ませ、擬卵と入れ換えてふ卵器で暖め、ふ化直前に親鳥に戻すという方法だそうだ。
飼育されている鶴は渡りをしないため、アメリカシロヅルの野生群を復活させるにはまだまだ多くの年月がかかるだろう。しかし、大きな一歩が進められたと言える。
「このあたり一帯にプレーリーや湿原を回復させて、そこでアメリカシロヅルを繁殖させたい。」見渡す限りひろがっている牧野やトウモロコシ畑をさして博士が話してくれた。スケールが大きすぎて、夢なのか、実現性を帯びたプランなのかはよくわからなかったが、車で走っていると休耕地がけっこう目につく。離農や過疎といった問題はアメリカでもあるのだろう。そうした事情を含めると、博士の話はただの夢ではなく、十分な可能性があるように思われた。
ICFは世界の鶴の全種、15種類を一度に見られる唯一の施設だ。アメリカシロヅル、ソデグロヅル、タンチョウを中心に増殖をはかり、増えた鶴を世界各地に送るまでになっている。ICFの業績はそればかりではない。日本、韓国、北朝鮮、中国、ロシアを結んで衛星によるマナヅルの渡りが記録されたことは記憶に新しいが、それに先立って、鶴を中心に世界各国の鳥学者を結びつけたのはアーチボルド博士の働きといってよい。ICFの中にはゲストハウスの設備があり、各国から研修や見学に訪れた人たちが宿泊できるようになっている。私が参加させていただいた例会にも、アメリカ、カナダ(博士はカナダ人)、の他日本、ロシア、南アフリカと5ヶ国からの参加者があった。まさにインターナショナルの名にふさわしい。
冒頭の「フライト・ショー」は、大空を飛ぶ鶴を見たいという希望で始められた。親がわりの人間に寄り添う若鳥の姿は、理屈ぬきで鳥と人の共存を訴えている。その上、ツルが舞った草原は、この10数年来ICFが取り組んでいるプレーリーの回復実験の現場なのだ。火入れ、耕耘、種蒔きなどもボランティアを含むチームが当たっている。
アーチボルド博士とICFが進んできた道のりは、決して平坦なものではなかった。多くの冒険や失敗をくりかえしながら、うまずたゆまず続けられてきた結果が今ここにある。
共感と言っていいのかしら。うれしかった。




