1 屋上からの光景
新浜だより
日本野鳥の会東京支部(現在は日本野鳥の会東京)支部報「ユリカモメ」 1992年10月号掲載
1 屋上からの光景
1992年8月1日、午後4時。双眼鏡とノート、腕には時計。いそいそと観察舎屋上へのぼる。このところ毎日のようにシギやチドリの群れが夕方頭上を越えて西に向かう。どこにねぐらをとっているのかを見届けてやるつもりだ。今日から3日続きの休日。このところ仕事に追われて、5月にカワセミの餌運びを確かめた時以来まっとうに鳥を見ていない。ノートと双眼鏡を持っただけで胸がわくわくする。
屋上から保護区を見渡す。ここは千葉県市川市の行徳鳥獣保護区。隣接する宮内庁の新浜鴨場と合わせ、行徳近郊緑地特別保全地区に指定されている。正面に広がる鈴が浦の海面と本土部の草原、その先はブロック塀に囲まれた周辺緑地で、花盛りのキョウチクトウのしげみがあかあかと見える。塀のすぐ外は湾岸道路、その向こうはJR京葉線。高層ホテルやゴルフ場のネット、倉庫群が東京湾との間をふさぐ。右に目を転じると、プラスチック工場の巨大なネオン塔と塩浜団地の高層住宅群が視界をさえぎる。右手から観察舎のすぐ裏は福栄4丁目の住宅街、そのうしろは江戸川広域下水処理場の建物群、更に軍艦のような14階のライオンズマンション。左手は新浜鴨場の林が行徳の高層マンション群を背景に黒々と沈んでいる。
不思議な光景だな、と思う。住宅、道路、工場群の中にぽっかりと開けた空間。
かつてこのあたり一帯にひろがっていた干潟と湿地帯。なかでも江戸川と江戸川放水路に区切られた地帯を鳥の愛好者たちは新浜と呼んでいた。中心に新浜鴨場があったためだろう。その新浜の代替として保存、造成された一角がこの保護区だ。地域開発を主張する地元住民と、自然保護を訴える保護団体とのシビアな対立の場、そしてその折衷案―中には東京湾三番瀬の干潟保存に関する内容もあったーの産物が現在の保護区である。
私と主人、蓮尾嘉彪は埋め立て前の新浜を知っている。保護運動の中心にもいた。そして今はこの野鳥観察舎の常駐嘱託として、17年近く前から住み込みで勤務している。
たいしたことはしてないなあ。あいかわらず。
さて、正面から左手に広がるウラギク湿地と呼ぶ干潟に、この保護区としてはかなりの数のシギやチドリが集まっている。屋上に上がる前に数えたが、メダイチドリ120羽余りをはじめ、キアシシギ、ソリハシシギ、オグロシギなど合計350羽ほどがいた。昨日は5時15分ごろ百羽以上の混群が頭上を越えて行ったが、今日はどうだろう。
4時38分、ウミネコを含めた全群が一斉に飛び立った。キアシシギやダイゼンの呼びかわす声が涼しげにひびき、クリ、クリリとメダイチドリが低く鳴く。群れは何度か低く旋回して、大半はまた干潟におりた。
潮はひたひたと上げている。さっきまでせっせとゴカイを引き出していたチドリの大半は干潟で休息し、オグロシギだけがしつこく採餌を続けている。
5時半、6時、6時半。あたりが薄暗くなってきた。ところがシギの群れはいっこうに飛ぼうとしない。コチドリを中心とした小型種が3羽とか10羽の小群で頭上を越え、下水処理場の敷地内に下りるところは見届けた。アオアシシギやダイゼンが数羽ずつばらばらと飛び、保護区の中のどこかに消えたところも見た。ところが数十羽単位で動いた群れはない。もっとしゃくなことには、暗くなる直前に見えたかぎりでは、干潟のシギやチドリは百羽前後にまで減っていた。どこにどう消えてしまったのか。
6時50分。東からの向かい風に冷えきって屋上から下りる。体は少しこわばっていたが、カウントを含めて丸3時間以上もシギを見ていられたことがうれしかった。サギが鴨場へ、ツバメが保護区の旧淡水池へねぐら入りするところも見届けた。期待していたシギのねぐら入りは見られなかったが、またいつか、きっとチャンスを作ろう。
屋上から見た光景は、狭いようで広かった。




