第9話 決断らしい決断
「よっ」
いつものように面倒な一週間が始まり、これまたいつものように挨拶を交わす。
少しばかり違うところがあるとすれば、いいままで関わりの無かった小日向が少し前の方の席に座っていることに今更ながら気付いたことくらいだろう。
もちろん俺から話しかけに行くわけもなく、またまたいつものように静かにチャイムが鳴るのを机に突っ伏しながら待った。
だんだんクラスに人が集まりつつあり、騒がしさにイライラし始める。
週の始まりはいつにも増して騒がしい。
おそらく、休みの間に起こった出来事を冗談交じりに自慢し合うのが楽しいのであろう。
俺にも話せる相手がいたら是非女子と映画を観にいったことや女子とレストランで食事をしたことなどを楽しげに自慢してやりたいが、今のとこ俺の友達は隣の席で眠そうにあくびをしているユウタだけなので、如何せん盛り上がりに欠ける。
そんなことを考えていると、コンコンと俺の机を叩く音が聞こえておもむろに顔を上げる。
「おはよう。ユキト君」
そこにはつい最近まで手に入れようと必死に手を伸ばしたアノ笑顔があった。
きっとどこからか落ちてきてしまったのだろう。
取りやすいように俺の元まで落ちてくるとは…
一見良心的なシステムに見えるが、俺とその間には決して掴むことのできないように何重にも透明な強化ガラスが貼られており、イカサマと言わんばかりの鬼畜設定にされているのだ。
期間限定と思っていたが、またお目にかかることが出来ようとは。
「……」
俺はあまりの輝きに目を焼かれながらもその光景を目に焼き付け、それからゆっくりと先ほどのように机に突っ伏した。
「おーいおはようですよー。起きなさいユキト君ー」
ゆさゆさと俺の体を揺らすと、へばりついている机も一緒にガタガタと音を立てた。
「おーい」
徐々に声のボリュームが大きくなっていく。
「分かった!分かった。起きたから声のボリュームを落としてくれ。頼むから」
俺はあまりのうるささに顔をあげた。
だが、それは少しばかり遅かったようだ。
周りのクラスメイトの視線がいくつかこちらへと向いていたのだ。
そりゃー、今まで何も行動をしてこなかった俺が突然女子と楽しげに…いや、楽しげにではないにしろ話していたら少しばかり疑問を覚えたり不思議に思っても仕方がないだろう。
実際、当の本人である俺もこの状況に驚いているのだから。
「やっと起きたか少年」
「何の用だよ」
「いや、特に用はないんだけどね」
「はぁ?」
ちんぷんかんなことを言いやがる。
用もないのに話しかけるか?普通。
「ただ、おはよ‼︎って言いにきただけー」
そう言ってニシシと笑い、彼女は自分の席へと戻っていった。
「意味がわからん」
朝から頭がいたいよ。
全くもって女子の考えは理解しがたい。
俺はあれからどうなったのかを彼女に聞きそびれたことに気づき、少しばかり後悔してチャイムの音とともに眠りに入った。
隣であくびをしていたユウタが凄まじい驚きようで口を閉じれずにこちらを見ていたことは言うまでもないだろう。
ーーキーンコーンカーンコ〜ン‼︎
午前の授業が終わり、お昼休みのチャイムが鳴った。
俺はむくりと体を起こし、腕を高くあげて体を伸ばす。
「今日もよく寝た」
もちろん朝からずっと寝ているわけでは無い。
それぞれの授業が終わる度に起きてはウトウトと眠気の余韻を楽しみつつお手洗いや授業の準備などそれなりのことはしている。
授業が始まると先生の子守唄が始まってしまうので、抵抗することなく教科書を目の前に立てて眠りに入る。
俺は一体、一日に何時間寝れるのかと疑問になるが寝る子は育つと昔からよく言うのでそれほど気にはなら無い。
よく寝ることは良いことなり。
伸ばした腕を下ろそうとしていると、突然教室のドアがガラガラと大きな音とともに豪快に横へと動いた。
いきなりのことにクラスの視線がドアの前にいるメガネの女の子に集まった。
「ドーーン‼︎たのもーー‼︎二年三組5番 神在月雪斗さまはいらしゃいますかーー‼︎」
「はい?」
俺は驚きで腕を下ろせないまま、疑問と返事の両方の意味でその二文字を発した。
「そこにいましたか神在月先輩!」
どなたか分からないメガネの女の子がシュババと音を立てて猛スピードでこちらに近づいてきた。
相変わらず伸ばしたままの腕がそろそろ痺れ初めてきていた。
「初めまして神在月先輩!早速ですが私と付き合ってください‼︎よろしくお願いします‼︎」
「はぁ⁈」
彼女は何を言っているんだ?あれは日本語なのか?いや、そもそも俺はまだ起きてなくて、実は夢の中なんじゃ無いか?第一彼女は誰だ。あんな顔見たことないし、実は男の可能性が無きにしもあらず…とかナンとかカンとか……
目覚めきっていない頭をフルに回転させて何とかこの状況を理解しようと頑張った。
そして今のこの状況において最善の策は…
「ちょっとついてこい!」
この場からの脱出‼︎
俺は痺れ始めていた手で彼女の腕を掴み、クラスから連れ去った。いや、逃げ去った。
終始まとわりついていたクラスの視線が俺の座っていた席から扉の方に移動して、目で追っていた標的を失った途端クラスが一斉に騒がしくなる。
俺は走り去る中、色々な奇声がクラスから飛び交っているのが聞こえていたがそんな事よりこの状況に置かれても尚唸りをあげ始めた自分の腹の音に驚きと恥ずかしさを隠しきれなかった。
彼女を引っ張りながら階段を駆け上がり、屋上のドアを前回同様何とかしてこじ開けた。
「はぁ…はぁ、とりあえず君の名前は?」
彼女の手を離し、息を切らしながら質問を始めた。
「私の名前は小走 比。先輩を一目見たときから好きでした‼︎」
俺のことを先輩って呼ぶってことは一年生か。
「えっと、小走とはどこかであったことあるっけ?」
「いえ」
「ならどうして俺のことを」
「廊下を走っている時に偶然お見かけしました」
なるほど、道理で覚えているはずが無い。
つまりは俺に一目惚れしたということだろう。
俺も罪な男だ。
「それからというもの、どうしてもお名前を知りたくて色々な人に話を聞いて回りました!まさかこの学校の有名人だったとは…」
ん?俺が有名人?
俺が有名な事って…
脳裏を不安がよぎった。
普段から静かに暮らしている俺がやらかしたと言えば一つしか無い。
「まさか…一年の時にやらかしたことを聞いたのか…」
「はい!」
満面の笑顔でなんて恐ろしいことを。
「聞いた上で何故俺に告白を?」
「先輩が何をやらかそうと関係ありません!大事なのは顔です‼︎今まで色々な人を見てきましたが、先輩ほどイケメンな方は見たことありません」
ふむふむ。
なかなか分かるやつじゃないか。
それにしてもまぁ、よくもそんな恥ずかしげもなく言えたもんだ。
「どうか私と付き合ってください‼︎」
まっすぐな目がこちらに向けられる。
「気持ちはありがたいが…」
「どうしてですか‼︎」
「うーん…」
参ったなー。
気持ちは本当嬉しいんだけど。
「一度メガネを外して見てはくれないか?」
「えっ?メガネをですか?」
「そう」
いきなりのことに驚いている様子だが、これも仕方のないこと。
別に嫌われようとしてやっているわけでは無い。
「無理です!たとえ先輩の頼みでもそれは出来ません‼︎」
メガネをがっちりと抑えて、はっきりと断った。
「どうして?」
「メガネを外した顔を先輩に見られたく無いんです‼︎」
「困ったな。どうしてもか?」
「はい。どうしてもです!」
俺はポリポリと頭をかいて、小さなため息をはいた。
「俺、メガネをかけてる女子が苦手なんだよ。もはや嫌いってレベルで」
「そ、そんな」
「俺自身目が悪くて家ではメガネをしてるんだけど、そのせいかメガネをかけてる女子はどうも好きになれなくてな。何というかあんな邪魔なものよくつけてられんなって感じで、同族嫌悪みたいな考えになっちまったんだ。だから普段からメガネを外してくれれば…」
我ながら最低な返事だと思うが、こればかりはどうしようもない。
俺にとって、メガネはアクセサリーのような着飾るものではなくて顔の一部として認識しているのだから。
ちなみに、伊達眼鏡とかいう物を好き好んでかけているやつは何を考えているのか分からないし、掛けたくないのに掛けてるやつの気持ちをバカにしてるみたいで非常に腹立たしい。
「そうですか…」
「ごめんな。小走がいいやつなのは分かったんだが」
「いえ。しょうがないですよね!先輩は悪くありませんよ、私がコンタクトにすればいいんですから。ありがとうございました。それじゃあ」
「あ、あぁ」
彼女は来た時の勢いとは裏腹に、トボトボと静かに階段を降りていった。
彼女が見えなくなりお腹も減ったので、屋上のドアをきちんと締めて足早に階段を降りていった。
彼女を作る最大のチャンスを逃したことに気づいて頭を抱えたのは、昼食のビーフストロガノフを食べている時だった。
ーー午後の授業が始まり、担当のユキちゃん先生が点呼を取り始めた。
「出席番号5番神在月君…」
俺は窓から吹く風にウトウトしながら先生の声を聞き流していた。
「神在月君‼︎起きなさい!」
先生はいつの間にか俺の席まで近づいて来ていて、手に持った国語の教科書で思いっきり俺の机を叩いた。
「はっ‼︎」
ドーンという破裂音のような大きな音に驚き、眠気が風にのってどこかへ吹き飛んでいってしまった。
急いで教科書を適当なページに開き、真っ白なノートにシャーペンを構えた。
「まだ出席確認中です!第一その教科書は国語の教科書じゃありません‼︎お腹がいっぱいになってウトウトするのも分かりますが、もっと真面目に授業に取り組んでください!」
丸めた教科書を俺にグイグイと近づけながらここぞとばかりに説教を始めた。
だが、残念ながら俺には目の前で動くたびにポヨポヨと動く丸くて大きなものが気になりすぎて話が所々入ってこない。
しかもそのポヨポヨとしたものが教科書とともにポヨンポヨンと乱暴に近づいてくるのだから、男の俺には太刀打ちできようも無かった。
色々な意味で目がギンギンに覚め、ようやく俺は呼ばれていた名前に返事を返した。
「はい」
先生は少し怒りながら黒板の前へと戻っていき点呼を再開した。
しばらくして、先生と偶然にも起きていた俺の目が合い狙っていたかのように俺の名前を口にした。
「それでは神在月君、枕草子に出てくる『いとをかし』の意味を訳してください」
「むむむ」
この一件簡単そうにも見える問題だが俺にとっては実に難しい問題である。
何が難しいのかというと、普通に『とても趣深い』と答えれば先生に褒めてもらえることは間違いないが、俺は生粋のエンターテイナーなのでクラスのみんなをあっと笑顔にするのを生きがいにしている。
つまり、ここはあえて珍回答を言い放ちクラスのみんなを楽しませてやればいい。
のだが、残念ながら俺がその気だったとしてもおそらく笑ってくれる人はいないだろう。
かろうじで隣の席のユウタがクラスの反応に笑ってしまうくらいだろう。
そう!俺は今試されているのだ‼︎
己を守るか、己を捨て去るかの二択を。
指名されてから10秒がたった。
「分かりませんか?」
先生の問いに危うくウンと答えそうになる。
己の中でしばらく葛藤し導き出された答えは…
「…とても趣深いです」
自分を捨てきれず、いつの間にか口が動いていた。
「よくできました!」
先生の笑顔が俺の心を余計に惨めにしていく。
決断とは一体なんなのか。
俺は教科書の後ろの方に乗っている語集を開き、ペラペラとページをめくった。
『決断』とは迷わずに意思を決めること。と書いてあった。
「そうか、俺は迷ってしまったから決断出来なかったのか」
そんなことをボソリとつぶやき、午後の涼しげな風に吹かれていた。
放課後の鐘がなり、教室から人が減っていき徐々に静かになっていった。
「俺らも帰ろうぜ」
ユウタが机から教科書を詰め終わり、ボケっとしていた俺に話しかけて来る。
「そうだな」
俺はノートだけカバンに詰めてドアへと向かう。
ちょうど俺がクラスの教室を出た頃、どこからか聞き覚えのある音が聞こえて来た。
「神在月せんぱーい‼︎ドーーーン‼︎‼︎」
猛スピードで何かが俺に突撃して来て、衝撃に耐えられなかった俺の体は5メートルほど弾き飛ばされた。
「ゔぁくふっ‼︎」
「大丈夫かユキ!」
慌ててユウタが俺の元へと駆け寄ってくる。
「な…何が起きた」
フラフラしながらもユウタに手伝ってもらいながら起き上がり、パンパンと服のホコリを叩いた。
「お久しぶりですせーんぱいっ‼︎」
ありえない行動力とありえない言動。
そしてメガネ。
「何しに戻って来やがった小走。腹いせのつもりか?残念だが俺はそこまで強くない、できれば暴力は勘弁してくれ」
お昼に会ったばかりでもう戻って来たのか。
「そんなことしませんよー!せっかくのイケメンに傷が付いちゃうじゃないですかー‼︎」
「なら何をしに」
「私を先輩のお供にしてください!分かりやすくいうと…下僕?」
「はぁ?」
分かりやくなるどころか余計に意味が分からん。
それって頼むものか?
それ以前に、自分から言うものか?
「何が目的だよ」
「先輩の近くにいる権利を得て、尚且つ先輩にメガネをかけた私を好きにさせてみせます‼︎」
はぁ、何を言ってんだこいつは。
だが、答えはもちろん決まっている。
さっき教科書で学んだ通り…
「いいだろう!比‼︎お前は今日から俺のお供…いや、俺の下僕だ‼︎」
迷わず思った気持ちに正直に。
ーー俺はニヤッと笑いながら小走を指差し、初めて決断らしい決断をした。