4.伝説の終わり
伝説の勇者は伊達じゃない。だが、その伝説に縛られているからこそ、勝機がある。必死に伝承を思い出した。弱点がその中に含まれているはずだと。目立った記述は四つある。
『勇気は過ぎれば蛮勇となる』
『力は過ぎれば暴力となる』
『知恵は過ぎれば暗愚となる』
『七星の運命は何者をも変える事叶わず、七度其の敵を討つ』
教会の十字架の上に降り立った俺と対峙するように、鎧の力と元々の際立った身体能力でネムルは教会の屋上に難なく跳び乗った。
見下すように、相変わらず人の目をちゃんと見ないで余所見しながら語りかける。
「もう分かったよね。ダイリー、君じゃ勝てない。君のことを傷つけたくないし、国王にも僕が事情を説明して恩赦を願う。もうやめよう」
「いや、やめるのはお前の方だ」
「僕が本気を出せば、君が勝てるわけ無いんだ。無意味なことはやめるんだ」
「やってみなくちゃ分かんないだろ! 愚かだってんなら、ああそうさ! 」
「僕は誰にも負けないし、暗黒竜を倒す宿命にある。君がどこでどんな風に力をつけたとしても、僕の運命を変えることはできない」
「暗黒竜と差し違えになる運命もかよ! 」
弓で射られたように、ハッとネムルは顔を上げ、初めてこっちと視線を合わせた。どんだけ凄んでも強くても目が泳いでやがる。強がってるだけだ。
「なぁお前! おかしいと思わないのか! 神様が決めたことだから! その伝説通りに事を成さなきゃいけない! 七星の剣は振るって良い相手が決まってて、もう四度振るっちまって“伝説通り”にするためにゃ抜くことができない! 違うか! 」
「……あと三回だけ、竜の顎戸を開くのに1回、暗黒竜の首に1回、心臓に最後の一撃……七度使えば、僕は死んでしまう。それが七星の剣だ。けど、それを守らなく ちゃいけない。伝説を破ると、御神の威信に関わる。御神に王権を授かったと称する諸国にも泥を塗る。勇者の家系、末代に及ぶ汚点となる。第一、暗黒竜を倒す術だって……」
「そんな決まりきった川を流されるだけがお前の人生かよ! 」
「僕はその為に生まれてきた! これで満足なんだ! 自分の意志で戦ってる! 」
「東方にこんな話しがある。川の流れに逆らい、逆流することで龍になる魚が居るってな。俺がその龍だ! 俺は伝説に出てくるのか!? 来ないよな! 」
「だったらどうした、僕が負けるはずは無い。運命が僕を導いてくれる」
「知るか! ここでお前は負けるんだよ、分からず屋ァ! 」
一直線、俺は突進した。ネムルは鎧の力に頼り、神速の勢いと豪腕で鞘に納まったままの七星の剣を叩きつけてくる。俺は銅鑼言具を盾にして、三度その激音によって白竜の幻影を作り出した。
「それは利かない!」
クラージュの盾が光輝する。白竜の幻影を打ち消そうと。しかし幻影はそのまま頭からネムルを丸呑みにした。途端、ふらりとネムルは姿勢を崩してよろめいた。
盾は闇や恐怖、負の精神攻撃や呪い、毒や病を無力化する。幻影なども通じない。しかし、正の心に呼び掛けるものは防げない。竜の雄たけびは敵に畏怖を、味方に勇気を与える。俺は白竜の幻影で、その勇気を奮い立たせた。だが有り余る勇気は蛮勇となり、己を見失わせ、自滅に導く。
「……なんで! なんでそんなにしつこいんだ! 君はぁッ!! 」
狙い通り、ネムルは自分を見失った。鬼気迫る形相でこっち目掛けて迫撃してくる。それをひらりと軽く受け流してやると、力みすぎてネムルは銀製の重厚な十字架に頭から激突した。
プヴォワールの鎧は力を与える。その力が過ぎれば暴力となり、自制ができなければたちまち自滅の道を辿る。力任せでは空回りするだけだ。
「くっ! 僕に何をした! 答えろ! 」
「そいつァー俺の村に伝わってた盾だ! 俺が一番よく知ってる! 」
剣も盾も鎧も無力化した。白桃竜公主より授かった第一の宝具 光陰弓を使うのは今しかない。俺は飛燕の術で飛びあがり、太陽を背に、弦を引き絞る。
一方サジェッセの兜が閃き、即座に必要な知恵と魔法を与えて、その掌に強力な魔法陣を構築していった。知恵は過ぎたれば暗愚となる。賢すぎるがゆえに愚か な振る舞いを行うこともある。蛮勇と暴力と暗愚。全てが揃った今、ネムルが使おうとする魔法はただただ力任せの複雑怪奇にして超絶的威力を誇る極大魔法で あった。魔法を知りすぎているが為に。
ゆえに――遅い。
光陰矢の如し、時が過ぎ去ることは矢の速さに例えられる。光陰弓は光の矢、弓を射れば、当たるまでは刹那どころか須臾の間しかない。威力こそ短剣に刺されるようなものでこそあれ――。
一発、二発、三発、矢継ぎ早に正確に魔法を発動せんとする掌を射抜きつづければ、ズタズタにされた右手が必殺の一撃を解き放つことなどできなかった。
もう片方の腕を差し向け、ネムルは更なる魔法を撃とうとする。
四発、五発、六発。
無情にも狙い通りに光の矢に射抜かれた掌に光輝が宿ることはない。
七、八、九、十。
十一、十二、十三。
鎧の隙間を縫い、光の矢が次々と勇者を釘付けにしてゆき、盾と剣も握ることはできず、とうとう銀の十字架に四肢を磔となった。
勇者の完全敗北である。
次弾を弓に番えたまま、俺はネムルを見下ろして問いかけた。
「あの人は……どんな最後を遂げたんだ」
「僕の……ボクのお父さんは敵将と刺し違えて死んだ。立派に死んだ」
満身創痍、敗北の許されない勇者にあるまじき屈辱。声は上擦り、稚児が泣き出す寸前のようであった。降り立ち、その目前に佇むと、俺はなるべく優しく尋ねた。
「最後の言葉は? 」
ネムルはくしゃくしゃに乱れた泣き顔を上げ、俺の目を真っ直ぐに見て、ありったけの想いを振り絞って声にした。
『生きろ』
愕然とするしかなかった。てっきり、ネムルは『戦え』と言われたのだと思っていた。だから父の意に沿うため、世界の期待に応えるために戦ってきたのだと。 しかし、そうではなかった。勇者という役割としてではなく、息子としてあの人はネムルを愛してくれていた。それでも尚、勇者の使命を投げ出すことはなく、 戦い続けてきた覚悟と壮絶な想いは俺が察せられるものではない。
ただ、俺にできることはこれっきゃ無い。
「頼む! 俺を仲間にしてくれ! 」
地に膝をつき、頭を垂れて叫んだ。
「一緒に戦う! 最後まで! 『生きろ』って願いを一緒に叶えてやる! 勇者の伝説は俺たちで刻み直せばいい! 」
顔を上げ、魂に喰らいつくほど吠え狂う。
「なんでも一人で背負い込むなよ! 肯けよ! なぁ! お前をローストチキンにしてでも仲間になるまで許さねぇ! だからとっとと肯けよ!! 」
二人して、真昼間から土砂降りの雨ん中に居るみたいな顔してる。
「お前が死んでめでたしめでたしなんて伝説、俺は絶対に信じねぇ!! 運命なんて一緒に変えてやる! 御神の予言なんて知ったこっちゃねえ! だから! 」
何もかも空っぽになるまで、叫んだ。
『俺を仲間にしやがれよ! 』
沈黙。
静寂。
無言。
「よろしくおねがい、します」
バカみたいにぎこちない返事だった。一瞬、『はい』なのか『いいえ』なのか判断に迷ってしまった。ちゃんと理解できるまでにまた沈黙が続いた。
やがて盛大に大喜びした俺は咽るまで喜びの声を上げ、大騒ぎした。ボロボロのまま、肯いた当人も不思議そうにきょとんとしている。
なぜか分からないが、事の次第を見守っていた周囲からもなんとなく拍手が沸き起こっていた。世界中から祝福されているような心地だった。
やっと、ようやく、この不器用すぎる親友の力になることができる。こんなに嬉しいことは無い。
こうして、御伽噺みたいな勇者の伝説は御伽噺のまま、おしまい。
道標を蹴っ飛ばして、勇者ネムルは後に語られる新たな勇者の伝説を紡いでいくのだった。
仲間と共に。
――完――