3.決闘
下山が許されたのはじつに三年後、齢二十の事だった。それしきで仙術が極まるわけもなく、実力は半人前も良いところだった。不老不死へ至る練丹術を会得などできるはずもない。
宝貝 光陰弓[こういんきゅう]と銅鑼言具[どらごんぐ]と玉風扇[ぎょくふうおう]の三つを授かるのがやっと。事を終えれば、必ず白桃山に帰ってくると誓いも立てさせられている。
三ヶ月を費やした東西を結ぶ通商炉である絹の道を、帰りは三日と経たずに西へ帰りついた。飛燕の術にて文字通り、燕の如く雲の翼にて空を切る。片田舎で暮らしていた頃は、見下ろす世界がこれほど広いとは思わなかった。
西の大陸は三年の月日が経ち、戦乱極まり、暗黒竜リュミエールの降り立った祖国を中心に荒廃した大地が広がり、暗雲が晴れることはない。
クラージュ村は影も形も無く、空から見下ろすだけで廃村なのだと理解できた。かつて自分自身の手で守ろうとした南の隣国ルシェドは軍門に下り、暗黒竜に従うことで繁栄を謳歌している。恐怖と懐柔。強大な力に屈することを責める気にはなれなかった。
渡り鳥の言うことにゃ、勇者の三家系のうちサジェッセの兜を受け継ぐ家系がとうとう途絶えてしまい、勇者ネムルは数少ない希望の一つとなっている。熾烈な戦いの果てに、ついにネムルは七星の剣をも得たという。
伝説通りならば、暗黒竜を打ち滅ぼす用意は整っているはずだ。プヴォワールの鎧とサジェッセの兜を両家から譲り受ければ、一式が揃う。小さな頃から聞いていた伝承を、振り返る。
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御神に選ばれし勇ましき者 七星の剣にて竜の顎戸を開く
力と知恵と勇気を身に纏い 其の命に代えて暗黒竜を討ち滅ぼし 地上に光をもたらす
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北の大国ルノールにて、出陣の儀式が行われることを風の噂に聞いた。今こそ師の下で積んだ功夫を披露するべき時だ。
翌朝――王宮前の広場にて、任命式が今まさに執り行われていた。人々は一身に勇者に期待を寄せ、希望を抱いていた。華々しい式典、沸き立つ聴衆、老若男女が興奮の渦に呑まれていた。
王の下、二人の勇者、どちらが四つの神具を手に暗黒竜に挑むことになるか、選定が下されようとしている。
とても気に食わない。誰しもが皆、御伽噺の勇者伝説を信じ切っている。本当に信じているとしたら、その結末まで知っている事になる。勇者は死ぬ。命に代えて暗黒竜と討ち果たすという伝承通りならば、確実に、だ。
生贄だ。迷信だ。狂信的だ。暗黒竜も勇者も神具も実在していて、俺の父は盾を守るために犬死した。俺の村は盾を守るために存在していた。だけど、全てが伝 説通りになるだなんてありえない。俺は“御神”をこの目で見たわけじゃない。いや、仮に居たとしても、この世界は俺が知ってるよりずっと広い世界だった。
白桃竜公主の下で功夫を積み、西の大陸には無い伝説や文化に山ほど触れた。たった一つの言い伝えだけが正しいだなんて、間違っていると叩きつける証拠は揃った。
『汝、勇者ネムルに暗黒竜討伐を命ずる。御神の加護のあらんことを』
絶大な期待をその寂しげな背に受けて、勇者ネムルは白装束を身につけた。
『七星の剣』
『プヴォワールの鎧』
『サジェッセの兜』
『クラージュの盾』
絢爛豪華な純白の神具、御神の威光を示す神々しき姿が――俺には東方で目にした死者の着る白装束に見えていた。
暗黒竜を討ち滅ぼす救世主、壮大なる生贄――。考えてみれば、俺を仲間にしてくれなかったことは当然だった。肉親も死に、友と居なければ、この世に未練も ありはしない。ただ期待と希望に従い、世の為、人の為に命を尽くすことができる。何もできずに犬死する平凡な人生よりは名誉があるかもしれない。本人は運 命だと覚悟を決めているのかもしれない。
きっと父親にもそれを望まれたはずだ。死に目の言葉は「戦え」だったはずだ。誰もに死を望まれて、逃げ出すこともできず、それを受け入れることで自分を無理やり納得させてきた。そんなアイツを俺は許せない。
たった一人の親友に、水臭いこと抜かしやがったアイツが許せない。
ひらりと宙返りと共に、俺は晴れ舞台に乱入して大見得を切った。
「あいや暫く! 俺様ァ東方遥か霊験高き白桃妙山の仙女白桃竜公主の弟子! 」
ざわめく聴衆、取り囲む衛兵、狼狽する王侯貴族や神官、そして誰より目を白黒させていたのは他ならぬネムルだった。
一世一代、俺は大見得を切る。
「遠からん者は音に聴け! 近ば寄ってしかと見よ! 内裏道士たァ俺様のことよ! 」
静まり返る真昼の王都。
予定調和をぶち破る番狂わせに、誰もが度肝を抜かれていた。
盾を背負い、兜を抱きかかえたまま身構えもせず、唖然としたままネムルの伏目がちな視線をぱちくりとリスみたいに瞬きさせていた。だからつかつかと歩み寄り、一発景気よく――。
乾坤一擲ぶん殴った。
道士として鍛えた一撃、鎧を身につけた勇者様が景気よく聴衆の中へと放り出される。誰しもが思わず身を退き、ネムルは石畳に叩きつけられた。
「どうしたネムル! 立ち上がってこい! 俺は強くなった! ここでお前らの信じる下らない伝説を打ち砕いてやる! なにが勇者だ! 神様になった訳じゃあるめぇし! 痛いもんは痛いんだろうがよ! 」
言うが早いか、衛兵が俺目掛けて手に槍や剣を構えて殺到してきた。すかさず懐より小さな銅鑼を取り出して、叩きつけられるブロードソードを防ぐ。グワァンと凄まじい銅鑼の音が響き渡り、大気を震撼させた。
宝貝 銅鑼言具は竜の雄たけびに等しい音色でたちまち耳にした者を怖気づかせる。騒音が白竜の幻影となって、兵士や聴衆をコケ脅す。逃げるか、気絶するか、腰を抜かすか、まともに立っていられるのは一握りの人間だけだった。
プヴォワールの勇者は傍観を決め込み、王は側近に連れられて舞台を立ち去る。式典は滅茶苦茶、残ったのはネムルと数名の腕利きの騎士ぐらいであった。
銅鑼言具をものともせず、再び舞台に上がってきたネムル目掛け、俺は宣戦布告した。
「勝負しろ、ネムル! 俺が負けたらお前の好きにしろ! 俺が勝ったらお前の勇者気取りはここまでだ! 」
「……やだ」
視線を合わせようとせず、そっぽ向きながらネムルは盾と兜を身に纏い、剣を手に四つの神具を装備した。純白の装いが、激しく威圧してくる。
「僕は勇者だ。生まれてくる前から決まってるんだ。僕が暗黒竜を倒して世界に光をもたらす救世主だと。この世界を救えるのは僕だけだ。みんなのために、僕は戦わなくちゃいけない! 君の自分勝手なわがままなんて聞いちゃいられないんだ! 」
「うるせえ! こいつで黙らせてやる! 」
裏拳で激しく、銅鑼言具を打ち鳴らす。ネムルにだけ音を集束させ、白竜の幻影がその身体を頭から噛み砕こうと強襲する。
『クラージュの盾』
盾を構えた刹那、幻影は打ち消された。闇や恐怖を退け、心を支える勇気の盾の名の如く、精神や肉体に対する攻撃を無力化したのだ。
その心に害成す悪意を、呪いも幻術も毒もただ手にしているだけで無力化するのだ。ゆえに恐れるに値するものなど何もない。
『プヴォワールの鎧』
一転、力の名を冠する鎧が光り輝き、ネムルの身に御神の加護を与えた。まさしく神速の勢いで迫り、痛烈な拳打でこの身を抉った。教会のステンドグラスをぶち壊したところで飛燕の術を用い静止、空高くに舞い上がった。
「はっ! こんな真似ができるか! これるもんならこっちに来いよ! 」
「……うるさい」
ネムルは掌を天高く掲げた。魔法か。
対抗して扇を手にする。一薙ぎで風の剣舞を作り出す宝貝 玉風扇だ。
『サジェッセの兜』
知恵の名を冠する兜――その力は伝説通り、ネムルに御神の知恵と魔法を与える。白銀の光輝と共に、掌に築かれた魔法陣が急速に緻密なものへと変ずる。
玉風扇を大きく振りかぶって、俺は極大の風刃をぶつけようとした。
刹那、一条の細い光輝が伸びるや否や、それを辿るように氷塊の華が咲き誇り、風の刃と激突、相殺する。いや、それでもなお止まることはなく、俺目掛けて迫る。直撃すれば串刺し、氷漬け、粉々――どうなるかわかったものじゃない。
死ぬ。
一陣、真上に向けて玉風扇を扇ぐ。その反動で真下に急降下してやり過ごすのが精一杯だった。正直、勇者というのがここまで化け物だとは思っていなかった。道士として超人的な力を得たはずなのに、まるで桁違いなのだ。
この世界を救うと運命づけられた勇者の実力、御神の加護、盾、鎧、兜、どれも完璧だった。
勝てない。
そう感じざるをえなかった。