2.弱い味方は要らない
勇者ネムル――そうアイツは呼ばれていた。世界がこうなり、幼い頃は絵空事と思ってたことが現実となり、今や勇者の存在を疑う理由はなかった。
見違えるように逞しくなり、既にネムルは各地で功績を立てていた。伝説の盾を手に勇ましく戦い、世界に希望を与えていた。
元々、ネムルの家系は勇者の血を引いている。勇者の血筋には三つの家系があり、その一つがネムルの一族だった。予言が下り、三つの一族はそれぞれ盾、鎧、兜を捜し求めて放浪をしていたのだという。
道半ば、父親は半人前のネムルを庇って死に、それ以来、決心を固めてネムルは飛躍的に勇者の血に目覚め、実力を伸ばしていた。魔法も剣術も、俺とは比べ物にならなかった。まさしく選ばれし者――天才という言葉すら軽すぎるほどに。
一大攻勢を食い止め、安定した国軍に守りを任せ、すぐにネムルは次の地へ旅立つことになった。俺と語らう間もなく、だ。
意を決した。ネムルの旅に同行する。俺は酒場で一緒に旅することを当たり前のように切り出した。返ってきた返事は――。
「やだ」
「……あー!? 」
「やだ、足手まといだもの」
「どういう意味だ、そりゃあ! 」
「文字通り。僕と君じゃ実力が違いすぎる。弱い味方なんて要らない。僕一人でいい」
伏目のまま、人の眼も見ないで冷淡なことを述べる。これでは友達なんて他に居ないらしい。その唯一の友である俺さえこの扱いとは、呆れ果てる。
一気に俺は激昂した。胸倉に掴みかかり、イスがガタンと音を立てて倒れた。片腕が折れたまま、半人前の治癒魔法では治すこともできず、片腕で引っ手繰る。
「ふ――ざけんな!! 俺が弱いだと!? 今はそうかもしれないが、すぐに追いついてやる! だから俺を一緒に」
「じゃあ思い知らせてあげるよ」
刹那の事だった。腹部に膝蹴りを打ち込まれたかと思うと、瞬きする間もなく掌に火の魔法陣を浮かべ――握り拳ほどの火球を俺の胸倉にぶち込んできやがっ た。鎧越しとはいえ衝撃と熱が凄まじいというのに、お構いなしに俺を組み敷き、短剣を首筋に沿えてネムルは刃より冷たくつぶやく。
「ね、弱いでしょ」
酒場の看板娘が悲鳴を挙げ、酔いの入った連中さえも突然の出来事に醒め切っている。そして俺は――頭の中が新品の羊皮紙みたいになっていた。
見下ろすネムルの瞳は、こちらと視線を交えることはなく、はぐらかしつつも侮蔑の意を含んでいた。
会計を勝手に済ませ、そのまま勇者ネムルは次の街へと旅立っていく。
俺は、街を出てって、すぐに追いかけることもできなかった。浅くない傷を喰らったとはいえ、癒しの力で治せないほどではない。壊されたのは自信だ。
本当に俺は弱い、らしい。
三日後、俺は旅に出た。ただし、ネムルを追いかける旅ではない。ネムルを追い越す旅に出ることにした。
強くならなくちゃいけない。あいつが仲間になってくださいと頼み込んでくるくらい強く。兄貴分らしく。
幼い頃に本で繰り返し読んだ東方の賢者の物語を思い出す。今になって、それが実在する可能性を信じていた。
一路、東へ。長旅が続き、間に色んな戦いや出会いがあった。語り尽せない三ヶ月に及ぶ旅の末に、俺は東方の仙女の元へと辿り着く。
白桃妙山は山水画の世界のように淡い。この世のものと思えない風景の中、滝のそばに屋敷は在った。
彼女は白い羽衣を身に纏い、香の焚かれた寝室にて寝そべりながら真っ白な水より澄んだ酒を煽っていた。書物に描かれていたより、ずっと色艶やかな白桃の肌に、罰当たりなことに思わず生唾を飲んでしまった。
「何じゃ……わらわの元を尋ね、西の彼方より旅してきたからどんな男[おのこ]かと思えばとんだ匹夫よな。まさか、わらわと添い遂げに来たわけでもあるまいに」
扇で口許を隠して、仙女は妖しげな眼差しを向け、こちらを試すように品定めしている。下手な振る舞いをすれば、即座に首を刎ねられても不思議ではない。だが、だからこそ怖気づいてはこの先やっていけない。
両手を組み、俺は深く一礼をした。
「私の名はダイリー、仙道を求めて遥々西国より参りました。ですが――噂に名高き不老長寿の仙桃よりも見目麗しい白桃につい目を奪われてしまいました。何卒、お許しを」
沈黙の一時。
冷や汗を流すことさえ許されない。
ぺちん、と軽く頭を扇が打ち据えた。
「くふふ、されば仕方なし。今ので許そう。わらわに興味が無いなどと嘘を申せば、山から突き落としてやろうと思っておったところじゃ」
清酒をまた一杯煽り、上機嫌な仙女は自ら名乗った。
「わらわは白桃竜公主、そなたの師となる仙女じゃ、心せよ」
こうして俺は弟子として内裏道士を名乗り、仙道を志すことになった。