第八話
「……ん?」
朝、起きたクロトが一階に降りると、そこには誰の姿もなかった。
「……あれだけ早く寝て、まさかまだ起きてない、なんてことはないよな?」
少し家の中を見回るが、やはり誰の姿もない。
クロトは一旦家を出て見た。
すると、数人の村人がある方向に駆けていくのを見つける。
「悪魔が出たってよ!」
村人の口からそんな言葉が出た。
「……」
クロトはその言葉を拾い、村人達が駆けて行った方に足を向けた。
しばらく歩くと、人混みを見つけた。
近付いてきたクロトの存在に気付いて、村人達が道を開ける。
あちらこちらで、小声の言葉が交わされた。
「あいつのせいじゃないのか……」
「やっぱり他所者なんて……」
「そういえば村長の姪もいるじゃないか……」
「悪魔を刺激したんだ……」
クロトがそちらを見れば、話し声はぴたりと止んだ。
「……」
無言のまま、クロトは前に出た。
一軒の民家がそこにはあった。
だがその民家の壁の一角は粉々に砕け、荒れ果てた家の中の様子が見えている。
さらにもう一つ、普通ならば目を背けたくなるようなものが転がっていた。
――腹を開かれ、内臓を徹底的に破壊された死体だ。
赤黒い肉片が辺りに飛び散っていた。
濃密な血の臭いにクロトが顔を僅かに顰める。
「クロトさん?」
顔色の悪いロブフがクロトの前にやってきた。
「どうしてこんなところに……」
「起きたら家に誰もいなくてな……探しに出たら、これだ」
「そうでしたか……」
「それより、これは?」
「……悪魔の仕業です」
恐怖を滲ませながら、ロブフが言う。
「悪魔の?」
「はい。これまでも、幾度となく見てきました。こうして悪魔に殺された人間を……」
「けど、夜中は家の中にいるから大丈夫なんじゃ……?」
「窓を完全に塞いでいなかったのでしょう。悪魔がその隙間を見つけて……殺したのです」
ロブフが片手で顔を覆う。
「……そうか」
「とりあえず、クロトさん。家に戻っていては貰えませんか……村の者の中には、他所から来た貴方が悪魔を怒らせたのだ、などと言う者もおりまして」
「俺が来た翌日にこれじゃあ、そう言われるのも仕方ないか」
クロトが溜息をついて、頭を掻く。
「悪いな、騒動を起こしちまったみたいで」
「いえ……」
「支度をして、すぐに村を出よう」
「すみません」
申し訳なさそうにロブフがクロトに頭を下げる。
「いいさ。その代わり、せめて朝飯だけでも貰えるか?」
「すぐに準備させましょう」
「頼む」
ふと、クロトが辺りを見回す。
人混みのなかに、ネーファやゼル、エリナの姿を見つける。
しかし、一人だけ見当たらなかった。
「……あんたの姪は?」
「少し、森の方に散歩に行くように言いました。この村では……まだあの子も他所者扱いですから」
「そうか……難儀なもんだな」
「いえ。いずれ、村の皆も受け入れてくれるでしょう……それよりあの子がこの村を飛び出す方が、早いかもしれませんが」
ロブフが自嘲した。
†
朝食を摂ったクロトは、すぐに村を出た。
そして村から少し離れたところで、木の根元に座って考え込んでいた。
「さて……どうするかな」
一人ごちて、クロトは空を見上げる。
偶然、視線があった。
「……あ」
「……おい」
空に、アリシャが浮かんでいた。
前回のことを反省したのか、その手はしっかりとスカートをおさえていた。
「いろいろ言いたいことはあるが、とりあえずおさえるくらいならスカートをはくのはやめてズボンにしたらどうだ?」
「うるさい。ネーファ叔母さんが、折角女の子なんだから、ってスカート以外許してくれないのよ」
「ふうん……で、どうしてこんなところにいるんだ?」
「あんたこそ、どうしてこんなところにいるのよ?」
アリシャが音もなく地面に着地する。
「俺の目的はあの村なんだから、馬鹿正直にいなくなるわけないだろ。村を出たのはやむを得ずだ。ただでさえ他所者ってだけで警戒されてるのに、あんな状況で残ってたら怪しいって喧伝してるようなもんだろ」
「だからってこんなとこにいてどうするの? まさか、夜にでも忍び込む気? そんなことしたら……」
途端、アリシャが口を噤んだ。
その表情は青い。
「悪魔に殺される、か?」
アリシャの肩が小さく跳ねた。
「あの死体、見たか?」
クロトが問うと、アリシャが小さく頷いた。
「……初めて、悪魔が殺した死体を見たわ……あんなの、普通じゃない」
アリシャが、自分の身体を抱きしめる。
彼女の身体は、微かに震えていた。
「ああ、普通じゃないな」
「あれって……やっぱり、悪魔って、あなたが昨日言ってた……邪神、ってやつなの?」
「……さて。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないな」
クロトが肩を竦める。
「っ、人が死んでるのよ! ふざけてないでちゃんと答えなさいよ!」
「答えろと言われても俺にだって分からないんだから、答えようがないだろう」
「だったら調べなさいよ!」
「どうやって?」
「それは……」
アリシャが言葉に詰まる。
「考えなしに発言するな、馬鹿が。そもそも、自分の村で起きた事件を他所者に調べろなんて高慢に言うなんて、お前どんな神経してるんだ。ちょっとは自分でどうにかしようとかは思わないのか?」
「っ……!」
クロトに言われ、アリシャがたじろぐ。
「ほんと、どんな育ち方をしたんだお前は? 親の顔が見てみたい……って、ああ。そうだったな。そういえば身寄りはいないとか言ってたな。死んだのか? こんな娘一人無責任に遺して死ぬなんて、とんでもない親がいたもんだよ。自分でそう思わ――」
「うるさいっ!」
アリシャが憤怒に満ちた叫びを、クロトに叩きつける。
「なにも知らない癖に、そんな風に……何様のつもりよ!」
「他所者様だぞ?」
「っ、もういい! あなたなんかに頼ろうとした私が間違いだった!」
振り返り、アリシャが空に飛び上る。
「ふん、どうするつもりだ?」
「そんなの教える義理はないわ!」
吐き捨てて、アリシャが村の方向へと飛んでいく。
その姿を見送り、クロトはにやりと笑った。
「これで村の方に動きが起こればいいが……まあ、期待しないで、こっちはこっちで動くとするか」
立ち上がって、クロトが伸びをする。
「しかしあいつ……今日は水色か」
思い出し、クロトが呟く。
「怒っておさえるのを忘れたりするから馬鹿だって言うんだよ」
クロトが棺を手にしようとした、その時。
「……ん?」
クロトの視線の先に、旅人らしき風体の二人組があった。
「なんとまあ、良い時に来てくれたもんだ」
クロトの口元が歪んだ。