第七話
クロトに与えられた部屋の窓は、固く閉ざされ、さらにその上から金属の板をかぶせられていた。
これだけしっかり閉じないと悪魔が入り込んでしまうと、ネーファがしたものだ。
「……そろそろか」
しばらくベッドに横になっていたクロトは不意に起きあがると、ベッドの横にたてかけてあった棺に手を伸ばした。
その時、部屋のドアがノックされた。
「誰だ?」
「私」
「……」
クロトが溜息をつく。
ドアを開け、廊下にいたアリシャと顔を合わせる。
「なんだ?」
「……頭痛の治療」
「ああ……そういえば、そんなことも言っていたな」
「とりあえず部屋に入れて。どんな感じか診るから」
感情の籠もらない声でアリシャが告げる。
「……」
クロトは肩をすくめて、アリシャを部屋の中に通した。
「それじゃ、とりあえずベッドに座って」
「ああ」
座ったクロトの頭に、アリシャが手をかざす。
すると淡い輝きがアリシャの手の中から生まれた。
「……あれだけの攻撃魔術が使えて、治癒魔術も使えるのか?」
「大抵の魔術は使えるわよ」
「……へえ。そりゃ凄い。普通は攻撃魔術を使う魔術師ならば炎なら炎、氷なら氷と、一つの系統だけを極めたりするもんだろ? いくつもの種類、系統の魔術を使えるなんてな……しかも、さっきの攻撃魔術を見た限りでは、器用貧乏じゃなく、かなりの練度だ」
「随分と詳しいのね」
「旅をしてりゃ自然といろんなことに詳しくもなる」
「そう」
アリシャの手から輝きが消える。
「まあ、ある程度の才能があれば、誰でも血を吐くくらい努力をすればこのくらいは出来るようになるわ」
「それだけの努力を誰でも出来るわけじゃないと思うがね」
クロトが小さく笑う。
「……ところで」
アリシャがクロトに鋭い目を向けた。
「あなた、本当に頭痛なんて持ってるの?」
「と言うと?」
「……そんな症状、ないみたいなんだけど?」
「そりゃ困った。俺の頭痛は魔術でも見つけられない奇病だったのか。こうなったらほんとに聖女様の憐れみに期待するしかないかね」
クロトがにやりと笑う。
「……」
アリシャの瞳に、冷たい光が宿った。
「あなた……なにが目的なの? どうしてこの村に来たの?」
クロトがわざとらしく小首を傾げた。
「なにを言っているんだ? 俺は、旅の途中で偶然この村に来ただけだが?」
「嘘ね」
アリシャは迷わず断言した。
「あなた、私と最初に会った時に私になんて聞いたか覚えてる?」
「……」
「ラヴィエって村はどこか、って聞いたのよ。あなた、偶然この村に寄ったって言うなら、どうしてこの村の名前を知ってたの? この村の名前なんて、普通は他所者が知ってるようなものじゃないでしょ?」
クロトが目を細める。
「……馬鹿の癖に、妙に頭が回るな、お前」
「なっ……なんですって!?」
「ああ、そうだよ。確かに俺の目的地は他でもない、この村だ」
あっさりとしたクロトが告白する。
それにアリシャは身体を緊張させた。
「……なんのために、この村に……やっぱり、聖女?」
「そうだ」
面倒くさそうにクロトは頷いて見せた。
「それ以外になにがある? こんな村、聖女の話を聞いてなければわざわざやって来ない」
「どうして聖女を……なにが目的なの?」
「……お前は聖女についてどう思う?」
「え?」
問われ、アリシャが困惑する。
「どう、って……そりゃ、凄いんじゃないの。私はまだ会ったことないけど、この村の殆どの人は、いろんな怪我や病を聖女に治してもらってる。正直私は魔術でもなくそんなことが出来るのか未だに半信半疑だけれど……少なくとも、なにも出来ない人よりかは、ずっといいでしょ」
「なら、悪魔については? そんなのいると思うか?」
矢継ぎ早にクロトは質問を投げかけた。
「聖女が封じてる悪魔? そりゃ……それこそ見たこともないし、実在するかなんて……私もここに来てまだ間もないし村の人達に馴染んでないから、そんな状況でわざわざ決まりを破ってまで確認しようとは思わないし……分からないわよ」
「そうか」
クロトが顎に手を当てて、なにか考え込む。
「なんでそんなことを聞くのよ?」
「……」
クロトがアリシャの顔をじっと見つめる。
その状態が短くない時間続いて、アリシャが居心地が悪そうにした。
「……さっきの歌の裏話を聞かせてやろう」
突如、クロトがそんなことを言いだした。
「なにを――」
「いいから聞け。あの話に出た少女だがな……実は、邪神という存在に呪われていたんだ」
「邪神? 呪い?」
「そうだ」
クロトの口元が歪む。
「少女は邪神によって、人を苦しめれば苦しめるほど命が長くなり、人を幸せにすれば幸せにするほど命が短くなる呪いを受けていた。邪神は人間を苦しめ、利用し、時に叶いもしない希望を持たせたりして、自分の暇をつぶしたり、快楽を満たす……少女は偶然そんな存在に目を付けられた不幸な人間だったってことだ。あの話の最後、覚えているか?」
「……女の子は死んでしまったけれど神様に楽園に連れていかれて、悪い領主はいなくなり街の人々は幸せになった、でしょ?」
「それは本当は、悪い領主を少女が殺し、そのお陰で街の人々が幸せになり、その幸せのせいで少女の命が尽きたってことなんだよ。少女は間違っても楽園になんかいっちゃいない。邪神に呪われた人間の死後なんて、そんな幸せなものかよ」
クロトが皮肉っぽい笑みを浮かべる。
アリシャは妙に背筋のあたりが寒くなった。
「……それって、まさか実話だったりしないわよね?」
「だったらどうする?」
「そんな馬鹿な話、実際にあるわけ……」
「この村の話も他所の人間からしたら大概馬鹿な話だとは思わないのか?」
クロトに言われて、アリシャがはっとする。
「……じゃあ、もしかして聖女とか悪魔って――」
「さてな」
アリシャの言葉を、クロトが遮る。
「まあ、その可能性はゼロじゃないだろうな」
「……」
アリシャが生唾を飲み込んだ。
「……あんた、一体何者?」
「ただのしがない流れの吟遊詩人さ。ただ、ちょっとばかし邪神関係の話を集めている、な」
意味深に、クロトは笑う。
「ほら、もう出ていけ。用事は済んだろう? いつまでも部屋に居座るつもりだ。それとも、なんだよ、誘ってるつもりか?」
「な――!」
アリシャの顔が一気に赤くなる。
「ば、馬鹿じゃないの!? 出てくわよ! 今すぎににぇ……っ!」
「すぐにね、って言いたかったのか? ちょっとからかっただけだろうが。そこまで慌てることないだろう」
「うるさいっ!」
アリシャは部屋のドアに手をかける。
「と、そうだ。最後に一つだけ聞かせてくれ」
「なによ!?」
「そう怒るな……噛んだのは俺の責任じゃないぞ?」
「なによ!?」
さらにもう一度、乱暴にアリシャが聞く。
クロトは苦笑しながら、尋ねた。
「聖女は聖女を生むってのを聞いたんだが……今の聖女より前、先代の聖女とかって、どこかにいるのか?」
「……いないわよ」
「いない?」
「ええ。聖女は、悪魔の力を抑えるために、命を削っているの。だから、短命なのだそうよ。そして死んでしまった後は、亡骸も残らない、って……私はそう聞かされた」
「ふうん……」
クロトが顎に手を当てる。
「……ほんとに、この村に関わってるの? その……邪神、っていうの」
少し不安げに、アリシャが尋ねる。
「さて。それを調べたくてここまで来たのさ」
「……」
最後にクロトを一瞥して、アリシャが部屋を出ていく。
一人になって、クロトは吐息した。
「……さて」
クロトの手が棺に伸ばされ……途中で止まる。
「まあ、今日はいいか」
クロトは立ち上がり、窓をふさぐ金属の板に手をかけた。