第六話
「聖女との……?」
僅かにクロトが目を見開く。
「はい。なんとも幸運なことに、聖女様はゼルを見初めてくださり……見事、この子が生まれたのです」
「……ということは、次期聖女ということに?」
「ええ」
嬉しそうにロブフが頷く。
「ふうん……次期とはいえ、聖女の顔をこうして拝めた他所者の俺は運がいいのか?」
「そうかもしれませんね……ほら、エリナ。クロトさんに御挨拶を」
ゼルが言うと、エリナがぼんやりとクロトの顔を見て、ゆっくりと彼の方に手を伸ばす。
「どうやらエリナはクロトさんのことが気に入ったようですね」
「そりゃ光栄だ。子供に気に入られたなら、もしかしたら親の聖女にも気に入られて頭痛を治してもらえるかもな」
「頭痛、ですか?」
ゼルがクロトの言葉を反芻する。
「ああ。持病みたいなものでな……よかったら、旦那のあんたから聖女によろしく言っておいてくれ」
「はは……夫と言ってもそうそう気軽に聖女様と言葉を交わすことなど出来ませんよ」
「そりゃ残念」
ゼルの返答にクロトが小さく溜息を吐く。
「おお、そうだ。アリシャよ」
ロブフがアリシャに声をかけた。
「……なんですか?」
「お前の魔術でクロトさんの頭痛がどうにかならないか後で試してさしあげなさい」
「……」
アリシャが顔を歪める。
「どうして私が……」
「魔術は人の為に使ってこそ、なのだろう?」
「……それは」
アリシャが怯む。
「いいね、アリシャ」
「……」
アリシャがクロトのことを睨みつける。
クロトはアリシャの敵意をどこ吹く風と受け流した。
「……分かりました。あとで、試してみる」
アリシャが溜息をついた。
「うむ」
ロブフが満足そうに頷く。
そこでキッチンからネーファが出て来て、料理の皿をテーブルの上に並べていく。
「では、いただきましょう」
「ああ」
結局、食事の最初から最後までアリシャは一言も語らず、ずっとクロトのことを睨みつけていた。
†
「歌?」
食後、クロトはロブフに一つの頼みをされた。
「はい。是非ともクロトさんの歌を聞きたいと」
ロブフが頷く。
「よければ、この子に聞かせてやりたいのです」
ゼルがエリナをそっと撫でる。
「……」
アリシャも、無言ながらもちらちらとクロトのことを窺っている。
「気が向きませんかな?」
「……いや」
クロトが首を横に振る。
「美味い飯も食ったことだし、一つなにか歌うとするか……」
「おお。ありがとうございます」
ロブフが笑顔でお礼を言う。
「それじゃ、早速……」
「おや、楽器などは使わないので?」
「この歌は声だけのほうがいいんだよ」
そして、クロトは呼吸を落ちつけると、歌い始めた。
優しい少女の歌。
自らが持つなにもかもを不幸な人々に与え、最後には命すら他人の為に捧げた少女の歌。
少女はとある夢を見る。
夢の中で少女は、あなたは人を救えば救う程に命を削られる、と告げられる。
けれど少女は人を救う。
彼女は善人だった。
悪い領主に苦しめられる街の人々に、彼女は自分の持つありとあらゆるものを与えた。
金も、食べ物も、衣服さえも。
ぼろ布一枚になった彼女は、夢で告げられたように、人を救うことで命を削られ、ついにはそれも尽き果ててしまう。
全てを失い死んだ少女。
けれど善良なる少女を神は祝福した。
少女の魂はこの世ならざる楽園へと導かれ、彼女の救おうとした街から悪い領主はいなくなり、人々は幸せになった。
――そんな話を、クロトは歌った。
その場の全員が、クロトの歌に聞き入っていた。
赤ん坊のエリナすらも、静かにクロトの声に耳を傾ける。
クロトの歌が終わり、しばらくの静寂の後……拍手が起きた。
全員がクロトに拍手を送っていた。
「……っ」
途中、アリシャがはっとして拍手をやめて、そっぽを向く。
「すばらしい歌でした、クロトさん」
ロブフが称賛の言葉を口にするが、クロトは苦笑を浮かべた。
「まだまだだよ」
「なにをおっしゃいます! 御謙遜なさらずに。エリナも素晴らしかったと言いたそうです!」
ゼルの言う通り、エリナは嬉しそうに笑っていた。
「吟遊詩人の方の歌を聞くのは初めてですが、こんなにも美しいものなのですね」
ネーファは目を瞑り、未だにクロトの歌の余韻に浸っていた。
「拙い歌ながらも喜んでもらえたなら幸いだね」
「それはもう。ありがとうございました、クロトさん」
「いや……さて。そろそろ俺は休ませてもらおう。旅の疲れが一気に出てきた」
「おお、そうですか。部屋の場所は覚えていますか?」
「ああ……」
クロトが立ちあがり、踵を返す。
そのままクロトは階段を上る、与えられた部屋へと戻った。