第二十五話
「え……?」
アリシャは、視線を下ろす。
シェリーの瞼が動いていた。
ゆっくりとシェリーが目を開ける。
「ここ、は……」
死んだはずだった。
間違いなく、死んだ。
なのに、生きていた。
「――っ!?」
シェリーが勢いよく身体を起こす。
「これは……!」
自分の両手を見つめ、シェリーは愕然とする。
シェリーが震えながら、アリシャを見据えた。
「聖女、様……」
どうして生き返ったのかなんて、そんなことはどうでもよかった。
「よかった……」
「…………なにが」
震えるシェリーの唇から、僅かに声が漏れる。
「なにがよかったと言うのですか!」
シェリーの怒号に、アリシャが目を丸くした。
「貴方は、自分がなにをしたか……!」
シェリーが頭を抱える。
「言ったでしょう、願わないでと! 私の生など、願わずともいいと!」
アリシャがはっとする。
先程、咽喉に穴か相手まともに聞こえなかったシェリーの言葉。あれは、願わないで、と繰り返していたのだ。
「ど、どうして……そんな……」
「貴方は!」
シェリーが髪を振り乱しながら叫ぶ。
「貴方は、失われた命を取り戻すということが、どれほどの対価を求められることか、理解しているのですかっ!?」
ふらつきながら、シェリーが立ち上がる。
「貴方は……だから村を出て行けと……そもそも、どうして貴方のような存在がこの村に来てしまったのですか!」
シェリーが、感情をぶちまける。
アリシャが身に覚えのない叱責に困惑する。
「ああ……本当に、どうして……こんなことに……」
掠れた声で、シェリーは恨み言をこぼす。
「あ、あの……」
アリシャが声をかけようとすると、シェリーが鋭い視線を向けた。
「貴方が……!」
シェリーがゆっくりとアリシャに歩み寄る。
「貴方がいなければ……誰も……!」
アリシャのすぐ目の前にシェリーが迫る。
その気迫に、思わずアリシャは目を瞑った。
次の瞬間、アリシャは横をシェリーが通り過ぎる気配を感じた。
「最低」
シェリーがそんな言葉を残し、駆けだす。
アリシャは呆然と立ち尽くした。
「なんで……?」
意味が分からなかった。
どうして自分が、最低などと罵られなければならないのか。
自分がいなければ、とはどういうことなのか。
こんなこと、とはなんなのか。
「どうして?」
シェリーは救われたのに。
なんの奇跡か、死から救われたのに。
それでどうして、シェリーはあんなにも絶望しきった目をしていたのか。
アリシャには、なに一つとして分からなかった。
「……なるほどね」
アリシャの背後で声がした。
「――!」
クロトが立っていた。
「なにかと思えば……今の光は、つまりそういうことか」
クロトが村の方向に視線を向ける。
「どういう、こと?」
アリシャは問う。
今は、クロトへの嫌悪感もどうでもよかった。
「教えて……なにが、起きてるの?」
「……」
クロトがアリシャを見つめる。
「俺を追ってきたのか?」
「え……?」
「答えろ」
「え、ええ。そうよ……そしたら、ここで聖女を見つけて……」
「……追ってこなければ、こんな終わり方はしなかったかもな」
小さくクロトが肩を竦める。
「まあ、言っても遅いか……俺としては、もう別にお前がどうしようとどうでもよかったんだがな……なんで関わっちまうんだ」
クロトが渇いた笑みを浮かべた。
「……それもあるいは、呪いなのかもな」
「なにを、言っているの?」
「……」
身を翻し、クロトが歩き出す。
「行けば分かる」
「行くって、どこに?」
「ラヴィエの村だよ」
†
村は、様変わりしていた。
いや。そうではない。
様変わり、などと表現するような事態ではなかった。
全身を紫色の斑点に包まれ出血した人が村の入り口で死んでいた。
家の戸口に、井戸の脇に、道の至るところ、村のあらゆる場所で、同じ症状で命を落とした人々の亡骸が転がっていた。
「なによ、これ……」
アリシャが、地面にへたりこむ。
「嘘……どうして」
己の故郷が最後に見せた光景が、今アリシャの前に広がっていた。
「どうして、この病気が……!」
アリシャが弱々しく首を横に振った。
「嘘よ……こんなの、夢よ。だって、この病は、こんな早く死なないもの……数時間は生きていられるもの……だから、これは悪い夢よ」
「いいや、現実だ」
クロトが冷静に告げる。
「っ……!」
アリシャが立ち上がり、クロトの襟首を掴んだ。
「この病も……これも、あなたのせいなの!?」
アリシャが激昂する。
「……」
クロトは無表情な目をアリシャに向けた。
「確かにこれは、呪いだ。病の進行が早いのは……まあ、そこらも対価の内ってところか。僅かな余命すらも与えない」
冷静にクロトは分析する。
「あなたは、どうしてこんなことをするの!」
アリシャがクロトの身体を揺さぶる。
「違う。俺じゃない」
クロトが短く答えた。
「これは、俺の呪いじゃない……」
「嘘よ! だったら、誰の呪いだって言うの?」
「……」
クロトは無言でアリシャの手を解き、ロブフの家に向かって歩き出す。
「っ……」
アリシャも、ふらつく足取りでクロトの後を追った。
ロブフの家が見えてきて、その前に、シェリーがいた。
シェリーは地面に座り込んで、誰かの身体を抱き寄せていた。
ゼルだった。
病は、ゼルの命をも奪っていた。
「ぁ……」
近しい者の変わり果てた姿に、アリシャは目を見開く。
シェリーがゼルの身体を、そっと地面に横たえた。
「貴方が……貴方のせいで、ゼルは死にました」
「……」
クロト達を見もせず、シェリーは平坦な声で言う。
「どうして、ですか? どうしてゼルが死ななくてはならなかったのですか?」
「さてな……そういう呪いだったんだろ、としか俺には言えん。あんたも分かってるだろ?」
「……」
シェリーがふらつきながら立ち上がる。
「許さない……絶対に、絶対に……貴方だけは……」
ゆっくりとシェリーが振り向く。
アリシャが息を呑む。
シェリーの双眸に、黒い孔が開いていた。
陶磁器のように白かったシェリーの肌が渇き、罅割れていく。
手の先から、関節が一つずつ、逆に曲がって行く。
「許さない……」
シェリーの咽喉から、掠れた声が漏れる。
瞬く間に異形に成り果てたシェリーが、地面に両手を付けて、獣のように身構える。
その空孔となった双眸は、真っ過ぐに見つめていた。
――アリシャのことを。
「え……?」
「ユル、サ、ナ……ァ、ア、アア、ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
人のものではない叫び声を上げながら、シェリーがアリシャに向かって跳びかかった。
咄嗟に、アリシャは自分を魔術で魔力の膜を覆った。
魔力の膜をシェリーが殴る。
アリシャの身体が後ろに吹き飛ぶ。
民家の壁をぶち抜き、さらにそのまま民家一つ分ところか二つ三つと穿っていく。
恐ろしい威力だった。
「ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
土煙の向こうへと消えたアリシャを追って、シェリーはクロトに目もくれず、地面を蹴る。
「……」
アリシャとシェリーが消えた土煙の向こうを見て、クロトは身を翻した。




