第二十三話
「さて、こっちにもない、か」
クロトは森の中にいた。
額に浮かんだ汗を袖で拭い、クロトは溜息を吐く。
「森の中じゃないのか?」
顎に手を当てて、クロトが考え込む。
クロトはあるものを探していた。
悪魔の巣だ。
夜にあれだけの数がいた悪魔が一体昼間どこにいるのか。
必ず、悪魔が昼間に隠れている場所があるはずだった。
クロトはそれを探して、朝からずっと棺を引きずって歩きまわっている。
「としたら……社か。地下があれば十分に――」
「違いますよ」
クロトの声を遮るように、声が響いた。
「……こんな森の中に、聖女様がなんの用だ?」
ゆっくりとクロトは振り返り、そこにいたシェリーに視線をやった。
「私も、散歩くらいはしたくなる時があります」
「悪魔とやらを社で抑えているんじゃないのか?」
「あんなものは言い訳ですよ。こんな私が、あの村の者達に顔向けなどしづらいではありませんか。だから、引きこもるための、言い訳です」
「……へえ?」
クロトが目を細める。
「ところで、あなたは悪魔の巣を探しているのでしょう?」
「なんでそう思う?」
「簡単なことです。普通にぶつかったのでは、貴方の呪いでは悪魔達を破るのは難しい。ならば奇襲をかければどうか。そう考えているのではないのですか?」
「……ま、だいたい正解だ」
「だいたい、ですか? 強がるのですね」
「……」
クロトが肩を竦める。
「悪魔の巣ならば、こちらです」
言って、シェリーが踵を返した。
クロトが眉をひそめる。
「どういうつもりだ?」
「別に……知りたいのならば、案内してあげますよ」
「そりゃあ、御親切なことだな」
「別に私は悪魔を隠す理由などありませんから。それとも、私が貴方を騙すとでも?」
「あんたも呪い持ちだしな。人を騙すくらい、いくらでもするだろう?」
「別に、ついて来なくても構いませんよ?」
「……ふん」
クロトが苦笑を浮かべる。
「まあ罠だとしたら、嵌ってやるさ」
「それはどうも」
シェリーが微笑む。
「こちらです」
シェリーが歩き出し、クロトもその後に続いた。
「飴、舐めるか?」
唐突に、クロトが腰に下げた袋の中から飴玉を一つ取り出した。
「……いきなりどうしたのですか?」
「なんとなく、さ」
「やめておきます。毒でも盛られていたらたまらないので」
「信用がないな」
クロトが飴玉を自分の口に放り込んだ。
「それで、巣ってのはどこらへんなんだ?」
「すぐそこですよ」
「すぐそこ、ねえ」
「それも信じないのですか?」
「ま、歩きまわらせて疲労を溜めさせようとしている、って可能性もあるからな」
「貴方より体力のない私がそんな愚策をとるわけがないでしょう」
呆れたようにシェリーが言う。
「それもそうか」
クロトが口の中の飴玉を噛み砕く。
「……ところで、あいつになにを吹きこんだんだ?」
「あいつ……ああ、アリシャのことですか。別に、ただ私のことを少し……それと、村を出て行くように、と」
「厄介払いか」
「……有り体に言えば、そうなるのでしょうね。ですが、これはアリシャにとっても一番幸せな道ではありませんか?」
「さてね。俺は、人の幸福を勝手に決めるほど傲慢じゃない」
「人の命を傲慢に奪う癖に、ですか?」
「俺はただ借りるだけさ。傷つけているのはあくまで、フィナを害する者だ」
「屁理屈ですね」
森が、少し開けた広場のような場所に出る。
シェリーがそこで足を止めた。
「私は、貴方が気に入らないのです」
一気にシェリーの声色が低くなる。
「私の愛する村の人々を殺す、貴方が」
「おいおい、それをあんたが言うのか? 聖女である、あんたが」
含みを持たせて、クロトは告げた。
「……」
シェリーの目から感情が失せる。
「気付いていたのですね」
「そりゃまあ、俺は馬鹿じゃないからな。あれだけの量の悪魔――いや、呪い持ちがどこから出てきたのか。考えれば、推測ぐらいは出来る。そして、今あんたの反応で確信した」
クロトは口元を歪める。
「悪魔の正体は……歴代聖女だな?」
「……」
「沈黙は肯定と同じとみていいんだな?」
「……ええ」
シェリーが広場の真ん中にあった小さな岩に、腰を下ろす。
「その通りですよ。悪魔は、歴代聖女。私の母、祖母、曾祖母……その前に呪いの血を受け継いだ者達、全員の成れの果てです」
「ま、意地の腐った邪神のことだ。あんたが村人を治療すればするほどに、あんたが悪魔になるまでの期限が迫るとか、そんな感じの呪いか?」
「……その通りです。よく分かりますね」
「伊達に邪神専門の吟遊詩人をやっちゃいないさ」
クロトが棺を地面に置いて、その上に座る。
「つまり聖女ってのは村人を救う者でありながら、同時に将来の化物ってわけだ。皮肉なもんだな」
「ええ……本当に、最低の呪いですよ。いつか私もあのような醜い化物になってしまうなど、考えたくもない」
「なんなら、今ここであんたを殺してやろうか?」
クロトの口角がつり上がる。
「……遠慮しておきます」
「死ぬのは怖いのか?」
「いいえ……ただ、私はいずれ、エリナに伝えなければならないのです。私達の運命を」
「そうしてまた続けるんだな。呪われた血の連鎖を」
「咎めるのですか?」
「まさか。俺に咎める権利なんてない」
「当然ですね……貴方も所詮は、私と同じ穴の狢なのですから」
今にも消えてしまいそうな儚い笑みをシェリーは浮かべた。
「俺としては、あんたが自分を犠牲にしてくれたらなにもかも楽に済んでよかったんだがな」
「馬鹿なことを。あなたは、邪神の呪いを解く方法があるなどという虚言でアリシャを騙したのでしょう? ですが、私はそうはいきませんよ。そんなものはありません。ありえません」
「……」
クロトはただ怪しげに笑む。
「これ以上アリシャを惑わすことは許しません。彼女は村を出ていくのです。貴方は彼女の力を利用するつもりなのでしょうが、そうはいきません。私は……貴方にこれ以上好き勝手をさせない」
その時。
無数の気配が、クロトの周囲の木々の上で生まれた。
「……」
クロトが見回せば、無数の瞳が木々の木の葉の影に浮かんでいる。
悪魔だった。
「そういえば、言うのが遅れましたね」
悪魔が、クロトを凝視している。
「ここが悪魔の巣ですよ。そして、ここに足を踏み入れた人間は、私を除いて、例外なく悪魔達に襲われます」
「やっぱり罠かよ」
「当然でしょう?」
悪びれもせず、シェリーは肯定する。
「ま、分かってたがな」
クロトがゆっくり立ち上がる。
「どうします? あの邪神の写し身を出しますか?」
シェリーが問うが、クロトはフィナの腕を作り出そうとはしない。
「出来ないのですよね?」
確信めいた様子でシェリーは聞く。
「貴方の呪いは、周囲の人間の魂を材料に邪神の写し身を作り出すこと。であれば、周囲に人がいなかったら? ここは随分村から離れています。いるのは、貴方と私だけ。私は呪い持ちですから、当然貴方の呪いの直接的な対象には成りえません……となると、どうです? 貴方の呪いは発動しないでしょう? 油断が過ぎましたね」
「……」
無言のまま、クロトが拍手をした。
「正解、大正解だ。俺が人から魂を奪える範囲は、せいぜいあの村一つ分。ここからじゃ、とてもじゃないがあの村の人間の魂を持ってこれない」
「随分と余裕なのですね?」
「そりゃまあな」
クロトが肩を竦める。
「お前、罠ってわかっててどうして俺がここまでついてきたと思う?」
「……どういうことですか?」
「お前こそ油断しているんじゃないか? 俺がこんなところにのこのこ無防備のまま誘い出されるとでも?」
クロトの口が、弧を描いた。
「ほら、耳を澄ませてみろよ」
「……?」
言われ、シェリーは耳をすませた。
すると微かに、草を踏む音が聞こえた。
それも、複数。
「これは……?」
「あー!」
その時、幼い声が聞こえた。
「見つけた、お兄ちゃん!」
草むらから、小さな影が飛び出して来る。
その姿を見止めた瞬間、シェリーは愕然とした。
「な……っ!」
それは、十数人の子供達だった。
他でもない、ラヴィエの村の子供達だ。
「なんで……!」
「あー! 聖女様だっ!」
「ほんとだ、聖女様だっ!」
シェリーの姿に気付いた子供達が、彼女の元へ駆けていく。
子供達に囲まれ、シェリーは困惑していた。
「どういう、ことですか……!?」
「おいガキ共。よく俺を見つけてくれたな」
口元を歪めながら、クロトが子供達に声をかけた。
子供達の中でも一番年長者らしい少年が胸を張った。
「兄ちゃん、飴の欠片が道の途中に落っこちてたぞ! あれじゃあすぐに見つかっちまうよ! 兄ちゃんはかくれんぼ、下手だなあ」
「はっ、そうだな。ほら、ご褒美だ、好きな味を持ってけ」
クロトが飴玉の入った皮袋を少年に投げ渡す。
「やったぁ!」
少年に子供達が群がる。
「俺この味!」
「私これがいい!」
「あっ、なんでとるのー!」
「それ僕の!」
子供達が一斉に飴玉の取り合いを始めた。
「子供ってのはいいもんだ……手懐けやすいからな」
言いながら、クロトが片腕を掲げる。
「っ、やめ……っ!」
シェリーが制止するより、早く。
「さあ――行くぞフィナ」




