第二十二話
朝を告げる鐘の音が鳴り響く。
「私を……?」
「ああ。シェリー様がお前のことを呼んでいる。大切な用事があるそうだよ」
鐘とほぼ同時にアリシャの部屋を訪れたゼルが言う。
「……」
†
アリシャは、社でシェリーと対面していた。
社の中に通されて、どれだけの時間が経ったか。
ずっと無言が続いていた。
「彼は、正に呪い持ちです」
ようやくシェリーが口を開いた。
「……それって、どう言う意味ですか?」
「そのままの意味ですよ。あなたは人間には人間の生き方が、鳥には鳥の生き方が、魔物には魔物の生き方があるとは思いませんか?」
「はあ……?」
シェリーの言葉に、アリシャは首を傾げる。
「彼は、恐らく呪い持ちとして、これ以上ないほどに正しく生きています」
「正しい……?」
ぴくりとアリシャが眉を吊り上げた。
「あんなのが、正しいってあなたは言うんですか……?」
「あくまで、呪い持ちとして、ですが」
アリシャの低い語気にも揺らがず、シェリーは微笑む。
「呪い持ちとは、邪神が自分の楽しみを満たすために、人間を苦しめるために生みだす存在です。呪いとは、そのために与えられる力です。彼はその力を使って、容易に人の命を奪い、人を苦しめ、自分を満たし、邪神を満たしています……それこそ、呪い持ちという存在なのです」
「なら貴方も?」
「私が呪い持ちであるということは聞いているのですね」
「ええ。それで……エリナも、そうだと」
「……」
一瞬だけ、シェリーの表情が曇る。
「……私達の呪いは、少し変わっています。呪いの内容までは聞いていませんか?」
「はい」
「そうですか。ならば簡単に説明すれば、私の呪いは他の誰かをではなく、私達の血族を主に苦しめるためのものです。悪魔による被害などは、あくまでもおまけのよなものなのですよ。おまけ、などという言い方は不謹慎かもしれませんが」
「あなたを……?」
「ええ。ゼルに聞くところによると、彼は人を救う度に命が削られる少女の話を歌ったそうですね? あれは、呪い持ちの話でしょう。貴方は聞きましたか?」
アリシャが頷く。
「あの呪いは、人を救えば自分の命が削られるということに自分と他人の命を天秤にかけ苦脳する少女の姿を見て邪神が楽しむためのもの。あるいは、少女が狂って自分の命を長らえるために他人を犠牲にする様でも見たかったのでしょうね。実に下劣な呪いです」
シェリーが悲しげな顔をする。
「……私達の呪いも、そういった類のものです。私は人を治療すればするほどに、自分を犠牲にしなければならない。その上、それが分かっているにも関わらず、人を治癒しないという選択肢をとれないようにされているのです。私は、私が犠牲を支払わなくてはならないと分かった上で、人を治癒するのです。それなのに、私は誰も恨むことができないようになっている……本当に、どうしようもないほどに悪趣味な呪いですよ」
「そんな……」
語られた事実に、アリシャは愕然とした。
「だったら、貴方は誰よりも邪神の呪いなんてものが無くなって欲しいんじゃ……」
「そうですね。ですが、それは不可能です」
シェリーが首を横に振るう。
「邪神とはこの世界とは異なる場所に存在するものです。それは殺しようがない。そして、呪い持ちは死ぬまで……あるいは死んだ後ですら、その呪いを解かれることはない。呪いは邪神を殺すしか解くことは出来ず、つまり呪いを解くことは、不可能なのです」
「……でも、あいつは呪いを解く方法があるって……」
「彼の言うことを、まだ信じているのですか?」
「……」
シェリーの言う通りだった。
クロトはこえまでに、大きすぎる嘘をいくつもついていた。
それなのに、呪いを解く方法があるという言葉が嘘ではない、などという言葉だけを信じることは難しい。
「呪い持ちは救われません。私も、こんな呪いの血を後世に残してはならないと試行錯誤したのですが……自殺は出来ませんでした。子を作らぬということすら、絶対に止められぬ愛情がこの胸に芽生えてしまったことで、出来なかった。そしてその愛は、邪神の呪いによって導かれた愛、偽りの愛なのです。そんな私を愛してくれるゼルにも、この呪いを受け継がせてしまったエリナにも、私はどう償えばいいのか分からない」
いつの間にかシェリーの身体は小さく震えていた。
悲しみと苦しさが、彼女のことを締めつける。
アリシャはシェリーの姿を見て、奥歯を噛みしめた。
邪神という存在が許せない。
こんなにも人を苦しめる存在に対して自分がなにも出来ないのは、悔しくてたまらなかった。
「……優しいのですね、貴方は」
シェリーが微笑む。
「だからこそ、貴方はきっと……」
だが、その表情が翳る。
シェリーは憂うような目をアリシャに向けた。
「あの……なにか?」
「アリシャ。あなたは村を出なさい」
突然の宣告だった。
「――っ!」
アリシャが動揺した。
「ど、どうして……!」
「あなたはこの村にいるべきではないのです」
「それは、私が他所者だからですか?」
「……」
アリシャの問いにシェリーは答えなかった。
「貴方には魔術の才があるのでしょう? ならば、王都に行ってそれを活かしていくのがいいでしょう。私に用意できるだけの金銭を貴方に与えましょう。それだけでも、しばらくは生きていけるはずです」
シェリーが懐から小さな麻袋を取り出すと、それをアリシャの目の前に置いた。
少し開いた袋の口からは、何枚もの金貨が覗いている。
「っ、そこまで、私にこの村にいて欲しくないのですか……?」
「これ以上関われば、死にますよ」
「脅しですか……」
アリシャが、真っ直ぐシェリーを見つめる。
「そんな風に脅されても、もう私は知ってしまったんです。だから止まらない。私は、私の力で誰かを救いたいんです!」
「それは傲慢ですよ。貴方は、貴方の心を満たしたいだけ。誰かを救いたいという欲を。それは正義ではなく……独善。欲望です。そんなことで命を落とすなど――」
「私の想いを、私のことを知らないあなたが語らないでください!」
アリシャが勢いよく立ちあがる。
「失礼しました……お話出来て、よかった」
それだけ言い残し、アリシャは社を出ていく。
シェリーは悲しげにその背中を見送った。
「……知っていますとも」
シェリーが俯く。
「貴方のことを、私はよく知っているのですよ」
†
社を出たアリシャは、そこで違和感を感じた。
近くを通りがかった村人が、真っ青な顔をしてアリシャに背中を向けて走り去ったのだ。
「……なに?」
村人の態度に首を傾げた。
「……」
なにごとか分からないまま、アリシャは家に戻った。
家の中は、妙に静かだった。
「あれ?」
不思議に感じて、アリシャは食堂を覗きこんだ。
食堂には、ロブフがいた。
椅子に座り固く目を瞑り、腕を組んでいる。
「叔父さん……?」
「……アリシャか」
ロブフが目を開けて、アリシャを見た。
「少し座りなさい」
「え……あ、はい」
言われるまま、アリシャは席についた。
妙な緊張感にアリシャは落ちつかなかった。
「あの……どうかしたん、ですか?」
恐る恐る、アリシャが尋ねる。
「……落ちついて、聞きなさい」
ロブフがそう切り出した。
「例の病で、十人が死んだ」
「――え?」
アリシャの口から、掠れた声がこぼれた。
例の病とはなにか、アリシャは考える。
考えるまでもないのに、考えた。ここで出る病気など、一つしかないのに。
アリシャの故郷を滅ぼした、忌々しい病。
「さらに悪魔に殺されたと思われる者も、三人……」
無表情でロブフは告げる。
その三人がクロトの呪いによって死んだことを知っているアリシャは、ただ拳を握りしめた。
「……」
アリシャが唇を震わせ、なにか言おうとしても、なにも言えないでいた。
「アリシャ……お前は悪くない。それは分かっている」
「……」
「だがな……村の者の間に、妙な疑念が生まれてしまった。それは、もう止められんのだ。聖女様がなんとか抑えてくださるとはいえ……やはり限界はある。だから、アリシャよ。お前の身の安全を守るためにも……」
「村を、出ていけ……と?」
「……」
ロブフが微かに頷いた。
アリシャが眩暈に襲われる。
ロブフにシェリーが手を回して自分を村から追い出そうとしているのだ、とアリシャはすぐに察した。
だが、聖女でも、他の誰でもなく、自分の面倒を見てくれたロブフに直接言われては、否と言えるわけがなかった。
シェリーはそこまで分かってやっているのだろう。
「……今すぐに、ですか?」
「そこまでは言わん。今はまだ、聖女様が抑えてくださっているし、ゼルも村の者達を宥めて回っている……だが、それもいつまで持つか」
その時、家の扉が叩かれた。
「……二、三日中には出た方がいい。クロトさんにも、悪いが出て行ってもらうしかあるまい。お前は旅のことなどなにも分からんだろう。もし許してもらえるのなら、お前はしばらくクロトさんに世話になるといい」
ロブフが立ちあがり、玄関に向かって歩き出す。
「すまないな」
食堂を出る直前に、ロブフがアリシャにそう言う。
「……いえ」
すぐにロブフが玄関の扉を開ける音がして、怒鳴り声が聞こえてきた。
あの娘を出せ。
あの娘のせいだ。
あの娘が病を運んできた。
「……っ!」
そんな怒りに満ちた声に追いやられるように、アリシャは二階へと階段を駆け上った。
「私は……」
階段をのぼったところで、アリシャは立ち止まる。
そこは丁度、クロトの部屋の前だった。
急に、怒りが沸いてきた。
クロトが来なければ、なにも起きなかったのに。
村を追い出されることもなかった。
「あなたのせいで……っ」
アリシャが奥歯を噛みしめた。
握り締めた拳を、ドアに向かって振り上げる。
「……」
だが、殴りつけるでもなく、アリシャは静かにその拳を下ろした。
アリシャの脳裏に、悪魔の姿がよぎる。
次いで、エリナの姿や、シェリーの姿も浮かんできた。
もしクロトがいなければ、アリシャは邪神の存在など知らず、この村で平和な顔をして生活していたろう。
それを知ることができたのは、クロトのお陰だった。
なにも知らないですぐ傍にいる誰かの不幸を見逃さないでいられたのはアリシャにとっては感謝すべきことだ。
もちろんそれで全て帳消しになどなるわけがない。
クロトの行ったことは、決して許されることではない。
「……そうだ」
ふとアリシャは一つクロトに確認しなければならないことがあったのを思い出した。
クロトの部屋のドアを見つめる。
「……」
僅かに逡巡してから、アリシャはゆっくりとドアをノックした。
「……?」
返事が返ってこない。
アリシャは怪訝に感じながら、もう一度ドアをノックする。
それでも、やはり帰ってくる声はなかった。
「……入るわよ?」
一応断ってから、アリシャはドアを開いた。
部屋の中に、クロトの姿はなく……フィナの大剣が収められた棺もなかった。




