第二十二話
――それは、クロトが初めて村を訪れた日。
「さて、と」
なんの後ろめたさもなく、クロトは夜の村に出ていた。
「悪魔とやらをおがませてもらうとするか……」
クロトが辺りを見回す。
しかし炎に照らし出される民家と、炎の光から外れた暗がりだけ。
「しかし、あの炎は……」
クロトが聖女の社の屋根に灯された、巨大な炎を見上げる。
「なにも知らない旅人なら、これを目印に寄ってくるだろうな……」
クロトは歩き出す。
「本当に静かだな……」
物音一つしない村を、クロトは歩きまわった。
しばらく、なにも見つからなかった。
「……悪魔ってのはでたらめか?」
クロトがそう疑いはじめた時のことだった。
なにかの軋むような音が、すぐ側の物陰から聞こえてきた。
クロトが視線をそちらに向ける。
「……」
無言のまま、クロトは物陰に足を踏み入れた。
狭い路地に怖気づくこともなく入って行く。
ほとんど視界も確保できないような暗闇を、淀みのない動きですすんで行く。
再び、軋みが聞こえた。
「――!」
クロトが後ろに跳ぶ。
直後、なにかがクロトの立っていた場所に落ちてきた。
異形だった。
「こいつが悪魔か」
異様な姿から、悪魔が呪い持ちであることは一目瞭然だった。
「なら……さっさと終わらせてもらうぞ!」
クロトの背後に、フィナの腕が現れる。
フィナの腕が悪魔に向かって振るわれた。
悪魔はそれを素早く回避すると、身を低くしてクロトに向かって駆けだす。
狭い路地で、クロトの逃げ場はなかった。その上、狭い路地では、フィナの大きな腕は振り回しづらい。
クロトは身を翻して、一目散に路地を飛び出した。
地面を転がるようにして飛び出したクロトの首筋を悪魔の爪が掠める。
路地から出たクロトはすぐさま振り返り、フィナの腕で背後を薙ぐ。
フィナの腕は悪魔を近くの民家の壁に叩きつける。
壁が崩れ、その向こうに悪魔の姿が消える。
「……」
立ち上る土煙の向こうを窺う。
すると、なにかの潰れるような、引き裂かれるような、こぼれるような音が聞こえた。
土煙の中から赤い塊がクロトに飛んできた。
フィナの腕がそれを払う。
「……これは」
内臓の一部だった。
土煙が晴れると、その向こうに血染めの悪魔と、腹を開かれ、内臓を徹底的に破壊された死体が転がっていた。
「戦闘中にお遊びとは、随分と余裕だな」
死体などまるで気にした様子もなく、クロトは悪魔に向かってフィナの腕を振るう。
悪魔は民家の屋根に上りフィナの腕から逃れ、クロトを見下ろした。
「ァアアアアアア!」
叫び声を残し、悪魔が闇に消える。
「っ、待て……!」
すぐに気配が消えてしまう。
「……ちっ」
クロトが頭を掻く。
フィナの腕が霧散していった。
†
「へえ、吟遊詩人?」
旅人二人組のうち、金髪の男が感心したように言う。
「ああ。あちこちを渡り歩いて、歌いながら、話を集めている」
「吟遊詩人をしながら世を渡り歩くというのは、楽ではないんだろうな」
赤髪の男の言葉にクロトが頷く。
「まあ、それはな。それでも、なんとかやっているさ。そうだ、あんたら、面白い話をなにか知らないか?」
「あー……そうだなあ、なんかあるか?」
金髪の男が赤髪の男に尋ねる。
「さてなあ……ああ、でも俺の故郷に未練を遺して死んだ女の霊の話ならあったぞ。ありきたりな内容だがな」
「へえ? そりゃ是非聞きたいね」
「だったら、一つ頼みがある」
赤髪の男がクロトの肩を軽く叩く。
「一つ、なにか歌ってくれ。それと、我が儘を言えば美味い飯と酒があれば、なおいい」
「……ああ」
クロトの口元に笑みが浮かんだ。
「丁度いい。前の村を出る時に荷物を多く持ちすぎてな。丁度、処分したいと思っていたところなのさ」
「ほぉ、そりゃあ、本当に丁度いいな」
「ああ、確かに丁度いい」
金髪の男と赤髪の男も笑う。
「それじゃ、今日は大分早いがここで野宿するとするか」
「だな」
「なら夜までたっぷり話を聞かせてやるよ」
そして、クロトは男達に惜しげもなく食料を与え、酒を飲ませ、歌った。
クロトの歌う物語に男達は夢中になり……すぐに日が沈んだ。
「――はっはっはっ、人の思い出を奪う化物か! そりゃいい、俺も昔森の中に魔物に出会って小便を漏らした時の思い出を持っていって欲しいもんだ!」
「あの時か。あの時はお前、情けなかったよなあ。いくら魔物が怖いからって、逃げりゃあいいのに震えてばっかりでよ」
「なに言ってやがる! お前だって腰抜かしてたじゃねえか! あんとき狩人のおっさんが魔物を仕留めてなかったら、お前だって俺と一緒に死んでたよ!」
「そうだったかねえ?」
クロトの歌を肴に、男達は酒を飲む。
「ん?」
と、赤髪の男が暗くなった森の向こう側に視線を向ける。
「なんだ、ありゃ?」
「あん?」
金髪の男も目を凝らしてそちらを見た。
「火、か?」
「なんだあ? あそこに村でもあんのか?」
二人が見つけたのは、ラヴィエの村の聖女の社の炎だった。
「へえ、あんなところに村が。目と鼻の先じゃないか」
さも今初めて知ったかのようにクロトが言う。
「なんだよ、これならこんなとこで野宿する必要なんてないじゃないか?」
「しかしあの火はなんだ?」
「夜道に迷ってる旅人様を案内してくれているんだろうさ」
クロトが言うと、二人は納得したように大きく頷く。
「なるほどねえ、親切な村もあったもんだ」
「まったくだ」
男達が荷造りを始める。
「お前さんも一緒に行くか?」
「いや、俺は歌い疲れたんでな、少し休んでから行くさ。あんたらは気にせず先に行ってくれ」
「ははっ、そりゃ悪かったな。ついお前さんの歌がいいもんでな。歌わせすぎちまったか」
「悪いと思うなら荷物だけでも持って行ってくれよ」
言って、クロトが食料は金品の入った麻袋を男達に放り投げた。
「っとと……おいおい、荷物を他人に預けていいのか?」
金髪の男が麻袋を受けとめる。
「信じておくよ。もしそのまま持ち去られたら、それはそれで話のタネにでもするさ」
「へえ、そうか。まあ、持ち去る気なんてないから安心しろ。それじゃ、荷物は先に村に運んでおいてやるよ」
「悪いな」
「気にすんなよ、これくらい安いもんさ。それじゃ、また後でな」
「ああ」
男達がクロトに手を振って、村へと向かい歩きだす。
「……はっ」
邪悪にクロトが笑う。
「悪いなあ」




