第一話
森を歩く少年と男の姿があった。
先を歩く少年は、倦怠感と苛立ちに満ちた様子で舌打ちをした。
「いつまで歩けばいいんだ」
少年が頭を掻く。
そんな少年の後に続く男の身なりは、あまりに貧相なものだった。
身に纏うのはぼろぼろの衣類で、体つきは痩せこけている。
その首には、輪っか状の刻印がされていた。
奴隷の証だ。
男は、少年の所有する奴隷なのである。
奴隷とは、なんらかの理由でありとあらゆる権利を剥奪された者達のことであり、労働力として、慰み者として、時にはただ鬱憤を晴らすために暴力を振るうものとして売られる。
奴隷にも高い奴隷から安い奴隷まであるが、その男は身体の容姿、状態からして明らかに最低価値の奴隷だった。
男は奇妙なものを手にしていた。
自身の身長よりさらに巨大な、取っ手と車輪がついた長方形の箱――棺だ。
棺の側面には、一本の剣が鞘ごとしっかりと固定されていた。
男は重そうにそれを引いている。
「村はどこなんだ……?」
ぼやきながら、少年は歩き続ける。
その時、男の引く棺の車輪が太い木の根に引っかかる。
棺が横に倒れた音で、少年が振り返る。
「……お前、なにしてるんだ?」
少年が男を睨みつけた。
男の顔が一気に青ざめる。
「す、すみません、すみません!」
男が地面に這いつくばり、必死に謝罪を繰り返す。
「死にたいのか?」
「……っ!」
少年の言葉に、男が涙と鼻水を流しながら首を横に振るう。
奴隷の証とは、その者が奴隷であることを示すだけでなく、主が望んだ時にその奴隷を苦痛とともに殺す効果も持っている。
男が恐れているのは、それを使われることだった。
奴隷の証によって与えられる痛みは、ただ死ぬよりも恐ろしいものなのだ。
「……」
少年が男に手をかざすと、奴隷の証が怪しく輝いた。
「っ、あ、ぁああああああああああああああああああああああ――!」
男が悲鳴を上げながら地面を転がった。
のたうち苦しむ男の姿を数秒眺め、少年が手を下ろす。
奴隷の証の発光が止んだ。
殺す寸前で、証の効果を中断させたのだ。
「次になにか気に障ることをしたら、分かるな?」
男は声も出せず、呼吸すらまともに出来ないで苦しむ。
その姿を見下ろし、少年は冷たく告げた。
「さっさとそれを元に戻せ」
少年が横になった棺を顎で示す。
苦しみながらも、男は身体を引きずって倒れた棺に近づき、どうにか起こす。
「よし、それじゃあ……」
言いかけた少年の前に、なにかが飛び出してきた。
数匹の赤い狼だ。
それを見た途端、少年は眉をひそめ、男は腰を抜かした。
「魔物か」
少年が舌打ちをする。
「面倒臭い……奴隷を買っておいて良かったな」
魔物を前にして、普通ならば恐怖するところを、少年はまるで動じた様子を見せない。
ただ、面倒くさそうに唸り声をあげる魔物達を見ていた。
「おい、お前――」
少年が男に振り返る。
「ひ、ひぎゃ!?」
血飛沫が彼の足元に飛んだ。
草むらから飛び出してきた三匹の赤い狼が男の四肢を引き千切り、咽喉に食らいついていた。
一瞬で男の命が断たれた。
「……はあ、前言撤回か」
人の死を目の前にして、さらには前後を魔物に囲まれても、やはり少年は平然としていた。
「これならもう少し高くても戦える奴隷を買うんだったか……金をどっかで調達しないとな」
少年が棺の横についた剣を引き抜く。
魔物達が、少年に牙を剥いた。
「まあ、このくらいの魔物ならなんとかなるか……」
両手で少年が剣を構えた。
――刹那。
灼熱が、少年の頬を撫でた。
少年の前後、魔物達がいる場所で、巨大な爆発が発生した。
「っ……」
咄嗟に少年はその場にしゃがみこむ。
「なんだ……!?」
爆発の炎と煙が徐々に晴れていく。
あとには、大きく吹き飛んだ地面だけが残されていた。
「これは……魔術?」
魔力の残滓を感じ取って、辺りを見回す。
しかし、どこにも魔術を放った魔術師らしき姿は見えなかった。
「……どういうことだ?」
少年が首を傾げた時、頭上から声が聞こえた。
「大丈夫っ?」