第十五話
アリシャは一睡もすることが出来なかった。
それは悪魔と対峙したことへの恐怖感が今更に込み上げてきたせいであり、また衝撃の事実を知ったせいでもあった。
アリシャは、一体これからクロトとどう接すればいいのか分からなかった。
悪魔と同じような存在であるクロトに、僅かな拒絶を感じていた。
クロトもまた、悪魔のように人を殺すのだろうか。
そんなことを考えてしまう。
「……大丈夫、よね」
ベッドで天井を見上げながら、アリシャは呟く。
「だって、人を殺してなんか、ないし……」
アリシャはクロトが人を殺しているところなど見たことがない。
――だが、もし見ていないところで殺していたら?
クロトは、奴隷を物のように扱う男だ。
人を殺していて、不思議があるだろうか?
そんな不安がよぎった。
「……」
アリシャは、クロトが歌った物語を思い出す。
「話してたじゃない……人を救うために自分の力を振るった、悪魔持ちのことを」
邪神の呪い持ちでありながら、自分の命を削ってでも他人に幸福を運んだ少女。
だったら、呪い持ちだから人に害をなすとは限らない。
「……あ」
しかし、アリシャは思い出してしまった。
物語の最後……その少女ですら人を殺していた。
「……」
アリシャが、目を腕で覆う。
窓の外から、鐘の音が聞こえた。
朝を告げる音だった。
†
朝食の時間になって、クロトは部屋を出た。
そこでばったり、アリシャと出会う。
「あ……」
「よう」
クロトが声をかけると、アリシャは気まずそうな顔をして階段をおりて行った。
「……?」
クロトが首を傾げる。
「なんだ、あいつ」
クロトはアリシャがどうしてそんな態度をとるのか、まるで分からない様子だった。
「……まあ、いいか」
階段を降りて、食堂に入る。
「おはようございます、クロトさん」
「おはようございます」
「ああ」
先にいたロブフとゼルに挨拶を返し、クロトは先に食堂についていたアリシャに視線をやる。
アリシャは俯いて、顔をクロトの方に向けようとはしなかった。
「……」
クロトがなにか口を開こうとした時、ゼルの腕の中でエリナが泣き声をあげた。
「お腹がすいてしまったかい? もうすぐ出来るからね」
ゼルがエリナをあやす。
「はい、出来ましたよ」
キッチンから、ネーファが料理を運んでくる。
「クロトさんも、さあ、座って」
「……ああ」
ロブフに促され、クロトが着席する。
†
食事の後、家のドアを誰かが乱暴に叩いた。
「どなたかしら」
ネーファが玄関に向かったかと思うと、すぐに戻ってきてロブフの耳元に口を寄せた。
その顔色は悪い。
すぐにロブフの顔色もネーファと同じように変化していった。
「ゼル、ついてきなさい。エリナはネーファに預けておけ」
立ち上がり、ロブフがゼルにそう告げる。
父の様子に尋常ではないものを感じ、ゼルは頷いてエリナをネーファに渡した。
すぐに二人が家を出ていく。
「……なにかあったのか?」
クロトがネーファに尋ねた。
「いえ、大したことでは……」
「そうは見えないが?」
「……すみません、家事の続きをしてきます」
誤魔化すように、ネーファが家の奥に姿を消した。
食堂には、クロトとアリシャだけが残された。
「どう思う?」
「……」
アリシャは答えない。
「おい」
クロトが軽くアリシャを睨みつけた。
「なんだっていうんだ、さっきから。なに怒ってるんだ」
「……別に、怒ってるわけじゃ」
アリシャが小さく首を振るう。
「ただ……」
「ただ?」
「……」
「だからどうしてそこで黙る」
クロトが面倒臭そうな顔をする。
「なにかあるならさっさと言え、この馬鹿」
「……私は、どうしたらいいのよ?」
ここにきて、ようやくアリシャが顔をあげて、クロトを見た。
「邪神の呪いなんてものを受けてるあんたに……どう接したらいいの?」
アリシャの言葉がクロトにぶつけられる。
「はあ……?」
それに対して、クロトは心底不思議そうに首を傾げた。
「なに言ってんだ、お前」
「え……」
「そんなの知るか」
短く、クロトはそう言い放つ。
「知るか……って」
「そうだろうが。俺にどう接したらいいか、なんて……それをよりにもよって本人に聞くか、この馬鹿が」
クロトが溜息をつく。
「そのくらいは自分で決めろ」
「……そりゃ、そうだけど……」
消え入りそうな声を出すアリシャに、クロトはもう一度溜息をつく。
「俺はお前のことが気に入らん。奴隷の命程度で怒るような甘ちゃんでお人好しなところが、特にな」
「え?」
アリシャは目を丸くした。
「だがお前は役に立つ。だから俺はお前を利用する」
「え、え?」
アリシャが困惑する。
「それが俺のお前への接し方だ」
クロトが立ちあがる。
杖をついて、踵を返した。
「お前はどうする?」
「私……?」
「自意識過剰じゃなく、俺を利用したほうが、悪魔をさっさと処理できるぞ」
「……私は」
悩む。
アリシャは、クロトの言葉になんと返せばいいのか、必死に頭を捻った。
「私は……」
けれど……答えは、一つしかなかった。
ここでクロトと離れてアリシャが得るものは、ない。
「私だって……」
アリシャが、勢いよく立ちあがる。
「私だって……あんたのことは嫌いよ!」
「ふうん」
クロトは気のない声を出す。
「でも、私はね、人の……誰かのためになることをしたいの!」
「へえ」
「だから……この村を救うために、私はあなたを利用する!」
その言葉を聞いて、クロトが笑った。
「……それでいい。そういうのはいいぞ」
笑うクロトを、アリシャはじっと見つめた。
「……でも、一つ聞かせて」
「なんだ?」
「人を殺さない呪い持ちって、いるの?」
「……」
クロトがしばらくの間、口を閉じる。
「……どうなのよ」
「……さあ」
クロトが肩を竦める。
「どうだろうな」
「……じゃああなたは? あなたは、人を殺したことが、あるの?」
「……」
クロトが笑う。
「……さてな」




