プロローグ
「母さん! 父さん!」
アリシャの悲鳴じみた叫びが、彼女の生まれ育った家に響く。
両親の寝室にアリシャの姿はあった。
彼女の目の前には、ベッドに横たわる母と父の姿がある。
その肌はところどころに紫色の斑点が浮かび、それが特に酷いところからは出血をしていた。
吐く息は異様に熱く、痙攣が断続的に起きている。
二人を苦しめているのは、村を襲った流行り病だった。
病が発生してからの期間……実に、三日。
たったの三日で、既に村人の半数以上が命を落としていた。
生き残った中でも、九割以上が病に冒されている。
これからも患者は増えていくだろうと言われていた。
噂では、村の外に逃げた者も、その先で病を発病したということだった。
そして何故か、この病は村人以外には絶対に発症しない、という。
もはや村の存続は絶望的な状況だった。
病で人が減り、残された人も病に罹るのを待つような状態。もし万が一助かったとして、こんな奇妙な病が流行った村の生き残りだというだけで、人から忌避されるだろう。
だが、そんなことアリシャにとってはどうでもいいことだった。
故郷がなくなることよりも、自分が病にかかるかもしれないことよりも、今こうして目の前で両親が苦しんでいることに、アリシャは耐えられなかった。
発病からたったの数時間だというのに、アリシャの両親は既に病の末期症状を見せている。
助からない、と……これまで死んでいった隣人達を見送ったアリシャの経験が物語っていた。
「死なないでっ!」
最後の望みを賭けて、アリシャは二人に手をかざす。
ぼんやりとした光が、両親の身体を包む。
魔術である。
アリシャは、魔術の才能を持って生まれてきた。
彼女の夢はいつか優秀な魔術師になり、王宮に召し上げられ、たくさんの人の為になることをすることだった。
それこそ、まるで英雄譚に出てくる魔法使いのように。
両親もそんなアリシャの背中を押し、どこからか高価な魔術の教本などを手に入れてきたりもしていた。
だが、その魔術すら、目の前の病には無力だった。
アリシャの両親を侵す病は治らない。
これまで治療しようとした村人達にも、魔術は意味をなさなかった。
自身の力不足か、それとも元から魔術ですら治癒の望めない不治の病だったのか。
どちらにせよ、アリシャは自分の力が通用しないことに絶望した。
人を救うことのできる力だと信じていた魔術が、なんの役にもたたない。
目の前で死に向かう両親を、どうやっても救えない。
こんなものだったのか、と。
アリシャの双眸から涙が溢れだした。
「お母さん、お父さん……!」
その時、母の手がゆっくりと持ちあがった。
「母さん!?」
アリシャが母の手を握り締める。
斑点から滲んだ母の血がアリシャの手を汚す。
「なに、どうしたの、母さん!」
アリシャは必死に問いかけ、耳を澄ませた。
顔を近づけて、母の言葉を一つたりともこぼすまいとする。
「……アリシャ、あい、してるわ」
そう言って、アリシャの母は微笑みを浮かべた。
次の瞬間、その身体から力が抜けた。
アリシャの手の中から母の手が滑り落ちる。
「……母さん?」
それがどういう意味なのか、考えたくなどなかった。
「アリシャ」
背後から父の声が聞こえ、アリシャは弾かれるように振り返る。
そこには父の笑顔があった。
今しがた母が浮かべていたものと、よく似た笑顔だった。
「頑張り、なさい」
「父さ……!」
アリシャが手を伸ばすより早く、父は笑顔のまま、もう二度と動かなくなった。
「あ……ぁ」
――そうして。
ただ一人、アリシャだけを遺し……彼女の村は、絶えた。
†
小高い丘の上に一本立った木の根元に腰を下ろし、アリシャは空を見上げていた。
そよ風が吹いて、草花や木々の葉が揺れる。
「……」
アリシャはゆっくりと目を瞑り、胸元に手を当てた。
「母さん……父さん……」
手をきつく握り締める。
立ち上がって、アリシャは全身に風を受けとめる。
「私、頑張ってるよ」
丘から一つ森を挟んで離れた所に、村が見えた。
アリシャは村が絶えてから、叔父のもとに引き取られた。
その村――ラヴィエの村を視界に収め、アリシャは深呼吸をこぼす。
自分だけ生き残ったのはきっと両親が守ってくれたからだ、とアリシャは信じている。
だからこそ、そんな両親の想いに報いるためにも、アリシャは今度こそ誰をも救える魔術師を目指した。
どんな苦しみをも取り除く、歴史上のどんな魔術師をも越える大魔術師を。
「頑張ってるから……見守ってて」
天の国の両親に告げて、アリシャはゆっくりと前に歩み出した。
数歩いけば、そこは断崖絶壁。
眼下には森が広がっている。
すると、アリシャの魔術によって強化された視力が森の木々の隙間を駆けるいくつもの赤い影を捉えた。
赤い毛並みの獣だ。
魔物、と呼ばれるものである。
普通の獣と違い、その身に魔力を秘め、より優れた能力を備えた凶悪な生物だ。
その森には、ラヴィエの村人が薪を集めや狩猟の為によく足を踏み入れる。
魔物を放置すれば、いずれ村人に害が及ぶ可能性もあった。
アリシャがそれを見逃すはずもない。
「ふ――っ」
アリシャは迷わず……丘から飛び下りた。
彼女の身体は一直線に、森へと落ちていった。
結構前に小説の大賞に出して落ちちゃったやつです。
なんとなく読み返して、折角だし誰かに読んでもらいたいなあ、と思ったのでポイっと投下!