23:マキア、共鳴する糸。
お久しぶりです。
マキアです。
ここは魔法雑貨ミッドガルド。
夕立に降られてドレスはびしょびしょ。髪はべしょべしょ。
私たちはマダム・エグレーサの用意してくれた古くさい魔術師のローブを借りて、体を拭いてしまった後それに着替えました。
レピスはマダムの勧めで魔法薬の湯につかってから、少し横になっている。
本人は必要ないと言っていたけれど、マダムに押しきられたようでした。
「………」
トールはマダムが用意した温かく濃いコーヒーを飲みながら、屋根のあるミッドガルドの店先に出て、雨の降る様子を見ていました。
何だか険しい顔をしているものだから、私は静かに背後に立ちます。
「何怒ってんの」
「…………」
トールはぴくりと反応した後、振り返りもしないで「怒ってねえよ」と。
なんかそう言ったやり取りをする芸人が居たななんて、場違いに思い出したり。
私はコーヒーのマグカップを両手で持って、彼の隣に立つと、横目にその様子を見た。
「ねえ知ってる? あんたの着てるそのローブ、昔メディテ先生が着てたやつなんだって」
「ブッ」
何がそんなに衝撃的だったのか、トール、コーヒーを吹き出しましたよ。
「うえええ……何か嫌だ。別にメディテ卿は悪くないけどなんか……」
「……トールは胡散臭さが10上がった……」
ゲームのナレーションの様に、淡々と言ってのける。
まあ、トールが妙な顔になるのも分からなくもないけどね。彼がこういうゆったりしたローブを着てるのは妙な感じです。
どうしても背後にメディテ先生がちらつく……。
「レピスの言ってた事が気になるの? それとも魔族の事?」
「……両方だ」
トールはどこか遠くを見ながら、コーヒーをすする。
屋根のある所だけど、細かなミストがここまでやってくるのが少し気持ち良いです。
「お前、俺がつくった魔族の国を知っていただろう。雪と氷に閉ざされた、あの国……」
「ええ、魔族の理想郷“アイズモア”でしたっけ?」
「理想郷だったかどうかは、知らないがな。俺は居場所のなかった弱い魔族に国を与える為に……魔導要塞を生み出したんだ」
「……そうだったわね。あの国は理想郷。普通なら辿り着けない……なぜなら、あんたの作り出した“魔導要塞国家”だったから」
「あの時代、魔族は人間に害をなす存在として、弾圧されていた。確かに人間を食う魔族はいたし、あいつらは凶暴だった。だが……あのままだとあいつらは全滅してしまうと思った」
「だから、統治して国を与えようと思ったの?」
「……俺も似たようなもんだったからな」
人間と魔族の戦いの歴史は、当時既に長く語られていた事でした。
魔法が生活の一部として活発に使われ、誰もがその可能性を信じていた時代。冒険者や開拓者も多く、魔族を狩る者が英雄視されていた気がします。強い魔力を持つ者は魔族を討伐すべきと言う風潮の中、黒魔王は人でありながら魔族を統治していました。
「しかしまあ、1000年前“青の将軍”に完全に討伐されたと聞いていたから、あの国も俺が死んだ後に消えてしまったんだろうな」
「でもあんた、よくあんな大きな空間作っておいて死ななかったわね。凄いリスクだったんじゃないの?」
「俺は空間を与えたまでだ。そこからは魔族たちに仕事をさせたからな。俺は囲いを造ったまでだ」
「囲いねえ……」
「でも、侵入不可の設定だったのに、お前だけが普通に入ってきたんだけどな。あの時は驚いたぜ……」
今でも覚えています。
北の大陸のずっと奥の森の中で、強い魔力の壁を見つけ、ちょっと命令してねじ曲げて侵入した時の事。
黒いマントの男を見つけた時、してやったりと思ったわ。
「しかしまあ……魔族の為に編み出した魔法が、今じゃ魔族から身を守る為の魔法になってるらしい。皮肉なもんだな」
「……結局あいつら、まだ生きてたのね」
「………」
魔族が完全に討伐されたと言うのは違っていたらしい。今はエルメデス連邦の完全監視下にあり、人間の血と肉無しでは生きられない体に改良されているとか。人間に擬態する能力も、私たちが生きた2000年前には無かったものです。人型の魔族は居ましたが、完全に人間になりきることは無かった。
今ではエルメデス連邦の言いなりになって、かつての王だった黒魔王の子孫であるトワイライトに酷く憎まれているのだから、何とも皮肉な話です。レピスは詳しい事を言わなかったけれど、魔族を憎み、そしてどこか恐れているようでした。
「えげつない話ね。どれもこれも……」
「………」
トールはトワイライトの一族が魔導要塞を使いリスクを背負っている事と、魔族がまだ存在する事を知って、色々と思う所があるのでしょう。
ちらりと彼の表情を伺う。相変わらずしかめっ面だわ。
「ふん。あんたもユリシスも、前世に色々としがらみがあると大変ねえ」
「まるで自分には無いみたいな言い方だな」
「おあいにく様。私には懐かしく思う人も国も無いもの」
「でもお前、西の国王に色々と贈られてたんだろう?」
「あんなの、私を恐れて色々な贈り物をしていたいただけだもの。お供え物よお供え物。生まれてくる王子に名を付けてもらうために機嫌取りをしていただけよ。割と綺麗な人間の娘とか贈ってよこした事もあったわね……私が娘の血を飲むとか、本当に思っていたのかしらね」
「………」
実を言えば、美しい娘をかえるに変えたという逸話はここに繋がります。
王国が送ってよこした娘とは、基本異端者であったり罪人であったり、いつか処刑される者でした。
だから私は、その娘をかえるに変え逃がしたのです。半分遊びでやっていたのですが「良い人のキス」で元に戻るわよと、ある種のチャンスを残して。私がかえるにした娘の中で、人間に戻れた者が居たのかは分からないですけれど。
「あ……」
夕立の勢いが緩くなって、細かなパラパラした雨に変わりました。雲間から光が刺し始め、色々と洗い流された清々しい空気になっていきます。
「そろそろ、ペルセリスも目を覚ますかしら……」
ふと、そんな気がして、空を見上げた時でした。
ドクン……
一瞬、全身の魔力が一気に震えるような、そんな衝撃に見舞われました。
私だけでなく、トールもそうだった様で、私たちは驚きの表情で目を見合わせます。
「い、いま……」
「お前も感じたのか? 全身に一気に魔力が駆け巡ったような……」
「ええ……」
ローブの胸元を抑え、私はその衝撃の波がやってきた方向に目を向けました。
まだパラパラと細かな雨の降る中、店先から商店街の道の真ん中まで出て。
「………教国……? いえ、魔導研究機関?」
ここからは見えにくいそちらの方向のようでした。世界は何の影響も受けていない様に相変わらずなのに、私とトールだけが、その魔力の衝撃を感じ取り、いまだに心をざわめかせているのです。
うっすらと、魔導研究機関で建築中の中途半端な形の魔導波搭から、ちらちらした光が立ち上っている様に見えました。
「もしかして、魔導回路システムか?」
「……どう言う事?」
「ユリが言っていた。今日は四国会議中に魔導回路システムの小規模な試運転をしてみせるって。しかし、あれはまだ研究機関の一部にしか敷かれていないはずだ。俺たちが影響を受けるはずは無いと思うが……」
「でも……」
何だろう。この言い様の無い感覚。
自分の全てが、まるで誰かに見られているのではないかと言うような落ち着きの無い感覚。
「……トール……」
私はトールの服の端を掴んだ。その瞬間、まるで電流が流れた様に私と彼の魔力が共鳴したのが分かります。
紅と黒の魔力が、まるで一本の長い糸のような魔力が、絡み合って結ばれ、そして、新たな色をつくる。
重なっていくのがわかる。その鼓動の音。
それを確認する様に、私とトールは手を取り合いました。
「な、なんだこの感じ……」
「魔力が繋がっている……?」
私たちは見つめ合い、この何とも言えない感覚に戸惑っていました。
しかし、お互いの感覚が手に取る様に分かる分、私たちはだんだん恥ずかしくなって、バッと手を離すと意図的に距離をつくりました。
「なんだこれ……」
「し、新感覚ね」
トールは壁に手をついて、私は跪いて心落ち着かせる。
今までこんな事無かった分、やたら照れくさい。
その時でした。今までは紅と黒の魔力しか無かったその魔力の糸のイメージに、柔らかな緑色の魔力を感じたのです。
私とトールは、それが何なのかすぐに察しました。
ミッドガルドの一番奥の部屋から、ジワジワと広がっていく様にその魔力は私たちに届いたのです。
「……ペルセリス……?」
私たちはその魔力に手招きされる様に、店に入って、ペルセリスの眠っていた部屋へ向かいました。
さっきの照れくさかった胸のドキドキは、予感のドキドキに変わっていきました。
「……ペルセリス!!」
きっと彼女は目を覚ましたのだ。
なぜかそう、分かっていました。私たちは今、魔力を共有している。
何かの感覚が繋がっている。
「…………」
ペルセリスは、どこか真っ白な、淡い光の中にいる様に思えました。
その表情は、生まれたばかりの何一つ知らない赤子の様にも思えたし、また、全てを知った瞳で、世界を確認している様にも思えました。
彼女はゆっくりと私たちを見て、そして、一言では言い表せない沢山の記憶と感情を零す様に、小さく微笑みました。
「……そう。あなたたちは、紅魔女と黒魔王だったのね……」
「…………」
「やっと分かった……あなたたちが、お互いを求めた理由が……」
瞬間、私たちの心に届いた感覚。
それは、彼女が全てを知ってなお、それを受け入れたという、穏やかなのに果てしなく強い意志。
恨みも憎しみも、喜びも哀しみも、全ての記憶をただ抱きしめているのです。あの小さな体に。
私は思わず涙が出てきました。
彼女の記憶の中には、きっと私の存在もあった。無いはずが無い。
憎くないはずが無いでしょう。
でも、彼女からその感情の鱗片が感じられなかった事に酷く驚いたのもあったけれど、記憶を思い出してなお何も変わらない、あらゆるものへの慈しみと愛情を、この子の魔力から感じる事に、緑の巫女の崇高な存在感を知らしめられた気がしたのです。
その事に酷く感動して、涙がこぼれた。
ペルセリスは寝台から降りて、店を出て行く。
そして、流れの早い、光るオレンジの雲を見つめながら、その大きな瞳に一生懸命世界を映していました。