21:ペルセリス(エイレーティア)、追憶4。
(追憶・4)
聖地・ヴァビロフォス
エイレーティア:26歳
シュマ:8歳
「すまない……でもこれは、私の罪だから。あの男を止めるのは、私でなければならない」
「……行ってしまうのね。私とシュマを置いて」
白賢者ユノーシスは、白賢者であるが故、その責任を果たしにいくと言った。
彼の選んだその勇者は、確かに勇者たる人物であったはずだ。むしろ彼以外にその役目を果たせる者が居たのだろうか。
それなのに、どうしてこんなことになったのだろう。
「………ごめん」
彼は一言謝って、膝を地につけシュマと視線を合わせた。
愛しい我が子と。
「全てが終わったら、父様と一緒にあの場所へ行こう。約束だ。それまで、お前が母様の側にいるんだよ………シュマ」
「はい、父様」
ユノーシスはシュマの頬を撫で、変わらず優しく微笑んだ。
今までも、何度も彼を見送ったのに、今回は何かが違う。
全然違う。
長い長い夢が覚めたのではないかと思わされる程、私は不安だった。
「じゃあ行って来るよ、エイレーティア。シュマを……頼んだよ」
「きっと帰ってくるのよね」
「………」
「どんな事になっても、あなたは死なない……そうでしょう。なら、ここへ帰ってきてくれるのよね。たとえ、何も上手く行かなくても」
「………ああ。勿論……私が全てを終わらせ、きっとここへ帰って来る。待っていてくれるかい」
「当然よ」
でも不安そうな顔をしてはいけない。私はもう、この人の妻であり、シュマの母なのだ。
待つと決めたのだから。私だけが彼を待ち続ける。彼を決して置いては行かないと。
約束の場所……いったいどこだったっけ。
あれ……。
彼の背が遠ざかっていく。
「どういう事よ……」
「………」
「どういう事よ!! 答えなさい、勇者カヤ!!!」
現実を突きつけられたのは、それからすぐの事だった。
勇者カヤは、既に人々の希望と言う勇者の立場ではなく、東の王室への反逆者であり、仲間たちを騙した裏切り者であり、恩師である白賢者と、敵であった北の黒魔王を刺し殺した魔王殺しであった。
聖地にやってきた彼は、その二人の魔王の遺体を持っていた。
今まで、彼をこんな恐ろしい存在だと思った事は無かったのに、元々本当はこうであったのだと言う様に、彼は誰より冷たい瞳をしていた。
驚いた事に、聖域の住人たちは元々この者の存在を認めていたかの様に、彼に深く頭を下げていた。
白賢者が殺されたのに……それが必然だったと言う様に。
「どういう事なのよ……いったい……」
何もかもが分からなかった。
カヤはただ黙って、聖域の住人たちに指示し、聖域に収められている棺に二人の遺体を移動させた。
勇者カヤが何か呪文を唱え、棺の蓋を外す。元々収められていた遺体……その遺体を意識した時、私は目を見開いた。
似ている気がする……元々あった遺体の顔も、どこかユノーシスに。
何度も棺の遺体を見てきたし、今までそんな風に思った事が無かったくせに。
何も知らない、何もできない。
私はユノーシスが死んだのだと言う事実を受け入れる事ができずに、その場に座り込んだ。
「なんで……なんでユノーシスが……」
棺の遺体が入れ替えられる。前の遺体が水の棺の底に覗く地中の泉に落とされた。
そして、代わりにユノーシスが収められる。
真っ白で、眠っているような彼を。
「……っユノーシス……」
足が動かない。体を引きずる様にしてその棺に這い寄って、彼の姿を正面から見る。
水に浸った彼の頬を触り、その冷たさに涙を流した。
「どうして……だって言ったじゃない……死なないって」
自分は決して死なないと。だから、永遠が怖いって。
「何で……っ。何で殺したのよカヤ!! ユノーシスはあなたの親も同然でしょう!!」
「………」
「許さない……っあなたを絶対に許さないわ」
「かまうものか」
カヤはその冷たい視線をまっすぐ私に向け、腰にさした黄金の剣を抜いた。
「白賢者の元へ行きたいと言うなら……緑の巫女、あなたをここで殺そう。あなたの棺も、ここにはあるのだから」
「……!?」
そこには既に、私の知っているカヤは居なかった。
幼い頃から、同じ人に導かれて育ったと思っていた。カヤと私は兄弟のようなものだと。
でも、そこに居るのは私やユノーシスの知らない彼。
一緒に成長してきた……?
違う。きっと全然違う。彼は元々こうだったのだ。
私たちは完全に騙されていた。
「やめて下さい勇者様!!」
私の前に立ったのはシュマだった。
彼は尊敬していた勇者が父を殺したのだと言う事実をきっと分かってない。でも、剣を向けられる母の前に立つ勇気が、この子にはあったのだ。
「………」
「……」
カヤはシュマをじっと見つめると、何を思ったのか剣を腰に収めた。
「……緑の巫女、あなたはまだやるべき事を成し遂げてはいない。白賢者のもとに行きたいなら、緑の巫女としての使命を果たす事だ」
「………?」
そして、彼は自分の殺した白賢者の収められた棺の傍らに立ち、遺体を見下ろした。
彼がなぜユノーシスを殺したのか、この時の私は何も知らない。
カヤは告げた。
ただ一つの確かな事の様に。
「お前たちは、また会える」
「………?」
何の事だか分からなかった。
彼はその遺体からすぐに顔を背けると、棺に蓋をするよう住人に命じる。
私はユノーシスの遺体の前で未練がましくそれを拒否し続けた。泣きながら、彼の遺体の上に白い桔梗の花を添えた。
ああ……そうだ。
白い桔梗の花言葉は、永遠に君を愛する。
「でも……死んじゃった……」
永遠は存在しない。
それは白賢者が望んだ事で、私の望まなかった事だ。
悲しくて仕方が無いのに、どこかホッとした。
彼はやっと、全てを終える事ができたのだ。
どれほど泣いただろう。
毎日棺水の中で眠る彼の顔を覗き、変わらない姿を確かめる。
この棺の遺体は腐らない。魔力による仕組みなのだろうけれど、白賢者の遺体に添えた白桔梗の花も枯れる事が無い。
「………ユノーシス……」
でも、ただずっと泣いているわけにもいかなかった。
私にはシュマが居る。
私と共に父の遺体を見るシュマは、既に何かを決意していつような強い表情だった。
何でこの子はこんなに逞しいんだろう。こんなに小さな体なのに。
「父様、大丈夫です。……僕がこの地を、母様を守りますから」
「……シュマ」
まるで私がこの子に支えられている。いえ、きっとそうだった。
私はまだ全てを失ったわけではない。
シュマが居る限り、ユノーシスとは繋がっている。
ただ泣きながら、シュマを抱きしめた。
勇者カヤは、その後西に向かった。
西の紅魔女を殺しに行った。
紅魔女と勇者がどのように戦っているのか。それを私に教えてくれる者は居ない。
前に紅魔女の事を聞いた事がある。
姿は17、18歳程の若い少女で、真っ赤なドレスと長い赤毛。三角帽子を被った恐ろしく魅力的な魔女であると。
遊ぶ様に、無邪気に多くを壊す者だと。
ただ、私は一つ、彼女に対し疑問を持っていた。
西の紅魔女、北の黒魔王、東の白賢者と言う三人の中でも、彼女だけは何かが違う。
少なくとも、黒魔王には国家があった。魔族の軍勢を持ち、ハーレムもあったそうだから、権力者としてもイメージも強い。彼には仲間や身内が居たのだ。
白賢者もそうだ。もともと白魔術の第一人者として弟子もいたし、彼を尊敬する者も多く居た。勇者一行と共に魔王討伐に赴いていた。そして私やシュマもいた。
だけど、紅魔女には誰もいなかった。彼女はただ一人、その身だけで彼らと戦っていたのだ。若い少女の姿をしていながら。
その姿を見た事は無いから想像するしかできないけれど、それはとても違和感を感じる事だった。
同じ女性として、彼女に対し少し興味があったのだと思う。
彼女はなぜ戦っているのか。
夫である白賢者が死んで、1年経った頃だった。
シュマは頼りない私と違って、本当に立派な子だった。
まだ10歳にも満たない少年だったのに、自分の意志を持ち、示し、強く生きようとしていた。この子の持つ存在感に心酔する者も現れていた。
その姿はあの人にそっくりだ。
聖域の住人は私に新たな夫を迎える様に要求してきた。この1年は心の整理もできなかったからまだ待つ様にと言ったけれど、そろそろ私は、私が緑の巫女であるが故の役目を果たさなければならないと思う様になっていた。
ユノーシスがそれを果たし死んだ様に。
そんな事を考え始めた矢先の事だった。
それは突然、地響きと共に起こった。
大きな大きな火の柱が、空を割っている。
「……母様……あれは……」
その異変に気がついたシュマは、空を見上げ、ただただ圧倒されている。
「いったい何が起こったと言うの……」
私は側のシュマを引き寄せ、真っ赤に染まった空と、落ち着きの無い森に不安を覚える。聖地が震えている。
でも私は、この世界に何が起こったのか、あの炎の柱が何なのか、きっと知らなければならない……とっさにそう思って、聖域を抜けた。シュマを連れ、森を駆けて、あの海へ行った。私たちにとって特別な海へ。
「…………何て事なの」
世界の終わりでも来たのかと思わせる。そんな大爆発が、西の大陸で起こったようだった。
開けた海からは、それがはっきりと見える。
炎の柱がずっとずっと消えない。高く高く、空へと立ち昇っている。
随分と遠くのはずなのに、南の大陸から見えるのだから相当なものだと思う。
そして、その時悟った。
ああ、戦いが終わったのだと。
長かったここ100年程の魔王たちの戦いが、このような形で終わったのだ。
真っ赤だ。
空の色が、終焉と始まりを予感させる。
紅魔女と勇者の最後の戦いが引き起こした大爆発は、西の大陸のほとんどを死の大地にしてしまった。
そしてこの惨事が、その後のメイデーアを大きく左右することになる。