18:ペルセリス(エイレーティア)、追憶1。
(追憶・1)
約2000年前
南の大陸ルーベルキア王国の最北端
聖地・ヴァビロフォス
エイレーティア:7歳
まだ、聖地が深い森に囲まれていた時の話。
私は幼くして緑の巫女と言う位を継承した。
その森は選ばれし聖者と神官、聖域の住人たちしか出入り出来ない深い惑いの森として、南の大陸・ルーベルキア王国の最北端に存在していた。
「ユノーシス!!」
「……巫女様……大きくなられましたね」
白賢者として名高いユノーシスは、東の大陸の出身者で聖地の住人ではなかったけれど、その聖者としての力が聖域に認められ、この地をよく訪れていた。聖域の長老にも深く信頼されている。
「巫女様、いけませんよ。……賢者様は長旅でお疲れなのです」
「でも母様、ユノーシスは前に言っていたもの。次にここへ来たときは、私を精霊に乗せてくれるって!!」
私はユノーシスに抱きついた。
私の父は私がまだ小さい頃に流行病で死んでしまった。
だからなのか、私は名付け親のユノーシスを父の様に思っていたのかもしれない。
「巫女様……その前に長老様に挨拶に行かなければなりません。少しお待ち下さい」
「ええーー」
ユノーシスは優しく微笑み、飛びついた私を降ろして頭を撫でた。
その時やっと気がついたのだけど、彼の後ろに若い少年が居た。
金色の髪をした、やけに綺麗な少年だった。
すでに腰に剣をさしている。
「……あなた誰?」
そう尋ねると、ユノーシスが少し振り返りつつ、彼を紹介する。
「彼の名は“カヤ”……私が勇者に選んだ少年だよ」
「……勇者?」
「ええ。今から長老の所へ行って、彼を勇者として認めてもらわなければなりませんので。それが“勇者”としての最初のイベントなのです。聖地が彼を認め、彼を旅路に送り出すと言う事がのちのち大きな意味を持つでしょう。私の若い頃の旅もそうでした。そもそも旅と言うものはこういった秘境にこそアイテムとフラグがあったり無かったり……精霊が居たり居なかったり。見かけた壺は基本ことごとく壊すと言うのがクエストの醍醐味であって……」
「賢者様、そろそろ行きましょう。その手の話は熱弁されても正直つまらないので」
「わあ、カヤ……君はこの私に対しても本当に遠慮が無いね。まさに勇者の器!! 大物になると思うよ……」
「………?」
私は途中からポカンとしていて聞いていたような聞いていないような。
白賢者の言葉を冷静に遮った少年は、私の視線に気がつくと口元に僅かな笑みを浮かべ「はじめまして巫女様」と。
不思議な青い、強い瞳をしている少年だと、幼いながらに思ったものだ。
そうだ。
この時代、北の大陸と西の大陸に居る魔王たちが戦争をしていたんだ。
黒魔王と、紅魔女。
二人の大魔導がその力を競って、メイデーアを混沌に陥れている。
それを止めるのが私の使命です。
ユノーシスはそう言っていた。
「長老は今どこに」
「……長老様でしたら集落の方に」
母様とユノーシスが言葉を交わした後、ユノーシスとカヤと言う少年は大樹の御元を去っていった。
「早く戻ってこないかなあ」
「……巫女様。賢者様はとてもお忙しい方なのです。きっとまた、すぐにでもここを去って、東の大陸へ戻られるのでしょう」
「そんなあ」
私は膨れっ面になって、嫌だ嫌だと大樹の周りを駆けていた。
ひとしきりごねた後母様の膝を枕に眠ってしまうのが、この頃のいつもの私。
この時、私は7歳程で、世界の何もかもを知らないでいたんだと思う。
それは12歳の頃の事だった。
母が病で死んだ。父と同じ病だったとか。
病がうつってはいけないからと死に目に会わせてもらう事もできなかった。
「………」
私は哀しみのあまり聖地の樹の根元でじっと座っている事が多くなっていた。
聖地には今と同じ様に棺が連なっていて、誰とも知らない遺体が収められている。
でも、私はその遺体の者たちにどこか安心を覚えていたのだ。
北と西の魔王たちの戦いに関与しない平和な南の国に住んでいても、南は南でルーベルキア王国の内政が不安定だった時代だ。
反乱があちこちで起こっていると、よく聖地の住人たちが話していた。
このころ聖地の住人たちも、新しい長老派と神官長派に別れてどこかぎすぎすしていたし、安心出来る母と言う存在を失った私は心寂しかったのだ。
その頃他大陸での魔王たちの戦いは激しさを増すかりだったが、カヤという勇者の少年が人々の希望として名を馳せつつあり、魔王を退治すべく戦いの旅を続けている。白賢者ユノーシスはそんな勇者の師匠として彼に力を貸していた。
聞いた話によれば、カヤは異世界から来た少年らしい。
メイデーアには古くから言い伝えがあるのだ。
“世界の救世主は、異世界から来た少年と少女である”
異世界なんて本当にあるのか分からないけれど、カヤは確かに異世界から来た少年だったらしい。
だから皆、彼を“勇者”と呼び、救世主たる力を信じているのだ。
勇者の持つ黄金の剣は“女神の加護”と呼ばれ、メイデーアの戦いの女神の力が宿っているとか。
「巫女様」
「……ユノーシス?」
前緑の巫女が死んだ知らせを聞いて、ユノーシスが聖地へ戻ってきた。
私は、最近聖地を取り巻く空気が悪いのと母が死んだ哀しみから、ずっと心を閉ざしていたけれど、ユノーシスの姿を見てどこかホッとして、ゆっくりと彼に抱きついた。
「……母様が死んでしまったの……」
「ええ……お若いのに残念な事です」
ユノーシスは幼い私の頭を撫で、視線を合わせる様に屈んだ。
私は不安な事ばかりで、それをどうしても彼に聞いて欲しかった。
ここ最近、聖地を取り巻く環境は変わってきた。他大陸の戦いが激しくなるにつれ、影響を受けないはずのこの大陸でさえ、どこか落ち着きが無い。
聖域の住人という、太古から聖地を守ってきた民の代表である長老と、聖域を崇拝しメイデーアの神に仕える神官たちの間に亀裂が入っている。
聖地ヴァビロフォスへの信仰を広めるため、聖地の教えを広く布教すべきだと言う神官たちに対し、森を閉ざしたまま聖地を守りたい聖地の住人たちの意見がぶつかっているのだ。
内政の不安定なルーベルキアの国王が、聖地の力を欲しがっているとも聞く。神官長派はそんなルーベルキアと繋がっているのだとか。
「きっと長老も神官長も、私の事なんて道具だと思っているのよ。母様が居た頃は、母様が守ってくれてたけど……今はあの二人が私を奪い合うの。……でも嫌だ。私二人とも嫌い……」
いつも私の顔色をうかがい、私の意を自分の元においておこうと笑顔を向けてくる長老と神官長。
昔はこんな風ではなかったのに。前の長老は私の事を、あんなに可愛がってくれたのに。
前長老と母様が死んでから、聖地は変わってしまった。
幼い私では、そんな大人たちの事情の波に飲まれていくばかりで、何もできない。
ユノーシスは、そんな不安そうな私に落ち着いた柔らかい笑顔を向けてくれた。
「大丈夫。私がおります……。こう見えて私は、あの二人より長生きなのです」
「………?」
「私は今の長老よりおじいさんなんですよ」
「そんなのおかしいよ。だってユノーシスは凄く若く見えるもの」
「………ふふ。でも、昔から私の姿は変わらないでしょう? もうずっとこの姿なんですよ……そうですね、約200年程」
「200年……?」
「ええ。私が“白賢者”と呼ばれる所以です」
「…………」
ユノーシスは、良く分からないと言う様に思いきり首を傾げた私の頭を撫で、少しだけ目を伏せました。
「もう何人も、緑の巫女を見送ってきました。……家族は既に居りませんし、かつて、精霊たちを探し“白魔術”の研究をした仲間たちもこの世に居りません。あまりに魔力があり過ぎて、ちょっとやそっとでは死ななくなってしまったのです」
「………」
白賢者ユノーシスの瞳は、どこか悠久の思いの中にある。
長過ぎる時間を生きて来た彼の孤独を、私は幼いながらに少し感じていたのかもしれない。
私はユノーシスの頬を両手で包んだ。
「……寂しい?」
「………」
彼は少し驚いた顔をしていたけれど、肩をすくめると困った様に笑う。
「寂しくはありません。あなたやカヤが居ますし。……それに、私と同じような人間も居りますから。決して、分かり合えないだろうけれど」
「……同じ人間?」
「ええ。黒魔王と紅魔女です。あの二人も私と同じくらい生きています。……おそらく、私が長く生きる理由はあの二人にあるのでしょう。あの二人が暴れる限り、私は歳をとれない。終われない……」
「………」
終われない。
その言葉が、この時私の心に強く刺さった。
何にも理解してないくせに、ふと思い至ったのだ。
「だったら、ユノーシスは私の前から居なくなったりしないのね。母様みたいに、死んだりしないのね」
「………巫女様」
私はぎゅっと彼の服を掴んで、その身に顔を埋め泣いた。ユノーシスは、私の小さな背中を、あやす様にさする。
「ええ。勿論です。……あなたが生きている尊い時の間、私は死なないでしょう」
「ずっとここに居てよ、ユノーシス」
「………巫女様……それは少し難しいかもしれませんが、できる限り戻ってきましょう……」
彼は私の我が侭に、困った顔をしていたっけ。
父が死に、長老が死に、縋るべき母が死んでいった。
皆私を置いて、どこか遠くへ行ってしまって、二度と目の前に現れてくれない。
私は死によって大切な者を奪われるのが怖くて仕方が無かった。
白賢者ユノーシスは、決して私より先に死ぬ事は無い。
彼と言う存在が、人でありながら既に普通の人間ではなかったから。
それは私にとって一つの救いであったけれど、ユノーシスはどうなんだろう。
どこに救いがあるのだろう。
この頃の私はあまりに子供で自分の事ばかりだったけれど、ほんの少し、その考えに至る感情の鱗片を持っていた気がする。