16:レピス、それはとても幸いな事。
「……ゲホゲホッ」
魔導要塞を解いて、私は夕立の中の店先に膝をついた。口から血を吐く。
体中が痛い。
体内のどこかが確実にかじられている。
外界の通り雨に影響され、私の魔導要塞にも雨が降っていた。構築時間の限界が来ていた証だ。
ほんの数分、しかも幻影100%と言う物理要素の無い空間でさえ、私程度の魔力ではすぐ限界がやってくる。
「………っ」
私は体を起こし、引きずりながら店内へ入っていった。
「おや……まあ……黒魔王の禁忌の魔術に手を出したと言う話は本当だったんだね」
「魔導要塞が無ければ……私たちは生き延びられませんでしたから………っ」
「それでそんな体になったんなら、どうかとも思うが……ヒヒ、まあ嫌いではない。私だって一族の為に片目を捧げたのだから」
マダムが黒いローブの隙間から見える私の義肢を見ては、片口を上げ笑った。
「で、あの魔族はどうなった」
「マダム……来たのが魔族だと分かっていたのですか?」
「これでも若い頃、一度魔族を見た事があるからの。さて……痛み止めくらいならあるぞ」
マダムは長椅子に座る私に瓶に入った薬を差し出した。
「……魔族は、私が殺しました」
「おやおや、怖いお嬢さんだ」
「連邦の刺客を生かしておいて良い事なんて、あるはず無いですから。それに奴ら、きっと巫女様の魔力を嗅ぎつけてきたんです」
受け取った薬は緑色の胡散臭い色をしているが、彼女の薬が効かないはずは無いとお爺様に聞いた事があったので、迷い無く飲んでみる。
スッと、体中の痛みが引いていった。
「ただの痛み止めだ。お前さんが失ったものを完全に治す訳ではないからそのつもりで」
「………それで十分です。それに、今回かじられた部分は時間があれば治りますから」
ゆっくり息を整え、体中の魔力の流れを調整する。
マダムの薬がそれを手伝ってくれている。流石は白魔術だ。こういった細かい作業はお手の物と言った所か。
「……巫女様はお変わりないですか?」
「ああ……お前さんが守ってくれたおかげで、いまだ夢の中だ」
「………」
雨に濡れたローブを脱いで、黒い薄手のワンピース姿になる。
人前ではあまりローブを脱がないが、マダムがタオルを持って来てくれたから。
「……義手に義足か。若い娘の体とは思えないな」
「私なんて……まだ全然マシな方ですよ。フレジールの戦場の最前線から外されたのですから」
「………」
ポタポタと、髪から雫が垂れる。
タオルで体の雫を拭きつつも、どこか手に力が入らない。
「私には兄がおりますが、すでに体の半分は無く、それでも日々魔導要塞を構築し研究し、戦場に出ております。毎日体の痛みに耐えながら……。兄は当主ですから、自分が一番リスクを負うべきだと思っているのです。エルメデス連邦に捕われた他の一族の者を救う為に。狂気じみた執念です」
「………」
マダムは視線だけをこちらに向けた。
「そう言えば……ヤンハンはどうなったのかね? 二代程前の当主だっただろう?」
「ヤンハンお爺様は、殺されました。連邦によって」
「………そうか……。あいつは良い男だったよ。器量も良く、才能もあった」
「お爺様も、よくマダムのお話をしておりましたよ。……美しい人だったと」
「よく言う。婚約者が居るからと私を振った男が」
ぽつりぽつりと、言葉数の少ない私にしてはよく喋る。マダムも声を上げ笑っていた。
このマダムはその大きな存在感と、混沌とした毒の魔術によって蝕まれた体が、どこか懐かしい空気を帯びている気がして安心する。
ザアアアアア………
夕立は今まさにとても強くこの町を打ち付け、その音はこの店の中までよく聞こえる。
そう言えば、マキア様たちが遅い。
雨に足止めされているのか。
「この通り雨はすぐに止む。夕立の後何事も無く晴れるのがここらの気候だ」
「大地が潤うはずです」
北の大地は、場所によっては年中雪と氷に覆われ、土地は枯れている。
本当に本当に貧しい大地。
東の大陸の一部にも大きな砂漠がある。南はうって変わって、豊かな土地しか無い。
これが聖域の恩恵の力である。
巫女様はその象徴であるが、いまだ目を覚まさない。
「ごめん下さい!!」
カランカランと店に入ってきたのは、マキア様とトール様の様だった。マダムが店の方へ出て行く。
二人ともかなり雨に打たれたらしく、歩く音が妙にキュッキュッと。水を含んだ靴を踏む音だ。
夕立にの中ここに来たのだろう。
「ここにペルセリスが居るでしょう。レピスは既に来ている?」
「ああ……お前さんたちが遅いものだから、招かれざる客をあの娘が退治してくれた所だ」
「………?」
バスタオルを持った二人が私と巫女様の居る部屋にやってきた。
二人は巫女様を見つけ、ホッとした反面、眠っている事に不信感を抱いたようだった。
「いったい……どう言う事なの?」
「緑の巫女は、今記憶の彼方さ……ヒヒ、起きた頃には、お前さんたちの知る巫女様じゃ無くなっているかもね」
「………マダム……いったいそれって……」
マダムはニヤニヤと笑うだけで、それ以上何も説明しない。
マキア様は、長椅子に座る私に気がついた。
「レピス……あなたも夕立とぶつかったの?」
「……あ、いえ……私は……」
私が口ごもっていると、トール様が私の前にやってきて、まじまじと私を見た後、なんだかとても複雑そうな顔をした。
私はしまったと思った。
義手と義足を、彼に晒してしまった。
「レピス……お前それ……まさか空間魔法……魔導要塞によるものか」
「………」
「さっき、ここら辺で魔導要塞を発動しただろう。空間の歪みがある。……かじられたのか」
「………たいした事はございません。この義肢も、長く降り積もったリスクの結果ですから」
「しかし……っ」
トール様は頭を抑え、何か考え込んでいる。
マキア様が心配そうに、私とトール様を見比べた。
「俺ですら、魔導要塞のリスクは重い。……まさかトワイライトの一族は、皆魔導要塞を使うのか」
「……ええ。それぞれ自分のスタイルにあった要塞を研究しております。リスクは承知の上でございます。……しかし、勘違いなされますな黒魔王」
私は少し強い口調で、トール様を見上げ言った。
彼はとても、似ている。
私のお兄様にとても似ている。いや、きっとお兄様がトール様に似ているのだ。
その顔が懐かしく、そして憎らしい。
「私たちはあなたの残した魔法によって、今まで生き残る事ができたのです。例えリスクが大きかろうと、この魔法には可能性がある。たかが痛みを負うだけで手に入る力があるのです。私たちは幸運だった……っ」
「………」
「私たちには連邦を抜け出し、生き残るために力が必要でした。ですから、あなたの作り出した禁忌の魔法“魔導要塞”に手を出した。この魔法が残されていた……私たちはあなたの血を色濃く受け継いでいたからこそ、この魔法を使う事ができた……それはとても幸いな事だったのです」
私の言っている事は、かつてお兄様に言われた事だ。私がいくらお兄様に止めるよう頼んでも、彼は力を得るためリスクを負う事をやめなかった。
トール様は、そんなお兄様にそっくりな顔で、否定したいような複雑な表情を向けてくる。
「淡々と言ってくれるな。体の一部がかじられるんだ、痛くないはずは無いだろうに。お前たちは俺とは違う………。必ずいつか、ガタがくるぞ………分かっているのか」
「………ええ。それでも……我々はやらねばならない事がありますから」
ポタ……ポタ……
トール様の髪からこぼれる雫が、目の前の床に落ちている。私はその部分をじっと見ながら、それ以上何も言わなかった。
彼の顔を見る事もできなかった。
「……レピス……」
マキア様が私の隣に座って、タオルで髪を拭きつつ心配そうにこちらを伺う。
トール様は黙っていた。
薄暗い、お香の籠った部屋の中で、打ち付ける雨の音と遠く聞こえる雷の音が聞こえてくる。
沈黙の中ただぼんやりとしていたら、いつの間にか夕立は去ってしまって、ほんのりとオレンジ色の光が窓から射してきた。
それでも巫女様はまだ眠っている。