09:ユリシス、一周して愚か者。
「ありがとうバスチアン……やっぱりバスチアンの入れたハーブティーの香りは気分が安らぐね」
「殿下、お疲れの様でしたからブレンドを変えてみました」
「………本当だ。カモミールかな?……少しシナモンが入ってる?」
スンと香りをかいで、そのブレンドを確かめてみます。
僕はその香りを嗅いでいる時、どうしてもホッとしてしまうのです。
「では殿下、ごゆっくり」
「うん……おやすみ」
バスチアンが品のある紳士的な出で立ちで頭を下げ、部屋を出て行くのを見送った後、僕はそのハーブティーをゆっくり飲んで、大きくため息をつきました。
「……ほうほう、ユリシス様はご病気ですな」
「うふふ、それは何の病かしら?」
「てやんでい、男なら当たって砕けるのみでい!!」
「砕けちゃ駄目じゃないのよ」
「………」
どこからとも無く聞こえてくる声。
精霊たちが噂話をしています。丸聞こえですが。
僕は指をパチンと鳴らし、彼らを具現化しました。
いくつかの魔法陣が彼らを形あるものにします。
「……何が言いたいんだい君たちは」
「いえね、ユリシス様………前もこんな風でしたなと思って……ほう」
「賢者様ったら、普段は冷静で余裕があるのに、こういう事になったらとことんヘタレよね。頭良すぎて、考え過ぎて、一周してバカよね〜」
「…………」
ベットの上で、僕はファンを掴んで手のひらの上でひっくり返しました。
「な、何をユリシス様!? フクロウは裏返しにされると動けないんですぞ!?」
「動かなくてよろしい」
そのままにぎにぎコロコロしながら、僕はファンをいじめつつ、ベットをやっとこさ登ってきたピノー・ドラを捕獲し引き寄せました。
宙に水場を作って、唯一第二戒召喚の姿のセリアーデは、そんな様子をじとーっと見下ろしています。
「まったく……賢者様もそう言う所、まだまだ子供ね」
「まあ、君たちから見たら僕ら人間なんて赤ん坊みたいなものだろう? この世界にずっと居るんだから」
「まあねえ……」
セリアーデは髪をいじりながら。
「でも賢者様? 巫女様に対してこのままでは、あんまりに不器用すぎるわよ。他の事はなんでもスマートにこなすのに、色恋沙汰には本当に駄目駄目ね。黒魔王様の方がよっぽどスマートだったわ。だって、2000年前だって巫女様と結婚話が出たとたんぎくしゃくしちゃって」
「ええい、うるさいな。トール君と比べるのがそもそもおかしいよ。それに君たちはクスクス笑ってたじゃないか」
「だって……巫女様が賢者様のことをじじいじじいって言うもんだから」
ええ、覚えていますとも。
かつての緑の巫女は、今のペルセリスの性格より少し気が強い娘だったのです。
当然僕は200年近く生きていましたから、彼女にとってじじい以外の何者でもなく、また生まれた時から彼女を見ていた僕にとって、彼女は孫みたいなものだったのです。
それがいきなり結婚しろ、ですから。
彼女は最初、白賢者を毛嫌いし拒否していましたから、どんなに長生きして何でも知っているはずの賢者であっても、黒魔王のようなすけこましスキルを持っていた訳でもなかったので、彼女と打ち解けるのは時間がかかりました。
あの時、僕らはどうやって打ち解けたんだっけ……。
「………」
僕が黙ったままで居ると、ひっくり返ったまま動かないファンがじっと見ていました。
ドキッとするくらい、まんまるの瞳で。ちょっと怖い。
「……なに、ファン」
「いいえ別になにも……ほう」
「なんだよみんなして寄ってたかって」
「てやんでい、旦那は考え過ぎなんでさあ。緑のお嬢ちゃん、記憶が無いのに旦那にべた惚れじゃないですか。それが答えなんじゃないですかねえ……あんちきしょう!!」
「……あらピノー良い事言うじゃない」
セリアーデはピノーに向かって指差し、ウインク。
何なんだこの精霊たちは。
考え過ぎ考え過ぎって、仕方が無いじゃないか。
どうしたって考えてしまうのだから。
一周回ってバカだと言うならそれでもいいよ。
賢者が何でもかんでも知っていると思うなよ。
僕は早朝、まだ本当に早い時間に起きて、王宮の隠し通路から教国へ向かいました。
睡眠不足のくせに寝れなくて、結局朝まで起きていたのです。
だからもう、教国へ行ってみる事にしました。彼女に会えるかは分からないけれど。
どうすれば良いのか、答えすら出ていないけれど。
「ちょ、ちょっとちょっと、確かに私たちは煽っちゃったけど、まさか寝込みを……」
「ほうほう、意外と大胆ですな」
「違うよ!! 緑の巫女は太陽が昇る前に起床するんだ、だからもう起きてるよ!!」
僕はうるさい精霊たちにツッコミを入れながら、早足で地下通路を歩いて行きます。
そろそろ肌寒くなってきましたから、羽織ったローブを翻して。
教国にたどり着いた時、少し不思議な音を聞きました。
「………?」
なんだろう、笛の音?
「何だろうね……」
こんな朝早くから。
しかし、どこか不思議な気分になる笛の根です。
高い音は不安定で、それなのに逆に落ち着くような、不協和音なメロディー。
教国の司教かな……?
僕は気にしつつも、黒い扉を開き、聖地である真理の庭へと降りて行きました。
「………」
朝の庭は、いつも以上にひんやりとしていてみずみずしい。
まるで冷えたオレンジをナイフで切ったような、爽やかな香りと朝露が、僕が足を踏み入れる度にじわりと流動します。
緑と、白の庭。
「………」
水の流れる音がしたと思ったら、ペルセリスが庭の中の小さな泉から出てきました。
この泉の水は、清めの力があるのです。
確か、2000年前の緑の巫女も、毎朝このように泉に浸っていた。
僕は言葉を失いました。
水を滴らせ立つその姿は、今までの幼い少女のものとは違って見えたからです。
「………エイレーティア……」
ふと口から出てきた名前は、かつての妻の名前。
僕はペルセリスに、確かに彼女の面影を見つけてしまって、どうしても口をついて出てきたのです。
「………ユリシス……」
彼女は一瞬とても驚いた顔をしましたが、泉の水に濡れた状態のまま表情を引き締め、眉を潜めました。
ここ最近会っていなかったからか、彼女がとても大人びて見える。
前もそうでした。
子供だと思っていたのに、いつの間にか大人になっている。
「………」
「………」
あんまりに久々だったから、僕はどう声をかけていいか分からずに、彼女もまた僕をしらっと見ていたものですから、謎の気まずい沈黙ができてしまいました。
やがてペルセリスは長い着物を引きずって、僕に背を向けスタスタと大樹の裏側に行ってしまいました。
やはり僕に会いたくなかったのでしょうか。
「………」
僕は彼女の引きずった着物の跡を辿りながら、並ぶ8つの棺を横目に、大樹の根をいくつも越えて行きました。
水の跡は明確に、彼女の場所を教えてくれます。
ペルセリスは大樹の裏側の木の根と木の根の間で、うずくまっていました。
「………どうしたのペルセリス。……濡れたままそんな場所に居ると、風邪ひいちゃうよ。もうそろそろ秋なんだから。特にここは涼しいしさ。……ほら、少し震えているじゃないか」
「………」
黙り込んだままのペルセリスに、僕は自分のローブをかけました。
でも彼女は黙ったままです。
「………やっぱり、僕が側に居ると恐い? 何か、“思い出しそう”になってしまうかい?」
「……え?」
彼女は顔を上げ、とても妙な表情をしていましたが、すぐにまたむすっとして顔を伏せました。
僕は少し瞳を細め、しゃがみ込んで顔を覗き込みました。
「………」
やはり彼女はどこか眉間にしわを寄せ、硬い表情をしていました。
どうしても僕と目を合わせてくれません。
僕は少し、困った様に笑いました。
「……ごめんね。ずっとここにこれなくて……」
「………」
ペルセリスはちらりと僕を見た後、また余計にむすっとして、そっぽ向きました。
そしてくるりと、僕に背を向けます。
「ほら、またそんな顔するでしょう、ユリシス……。私の事が嫌なのは、ユリシスの方じゃない」
「……ペルセリス……?」
「別に……良いんだよ。困った顔するくらいならわざわざ私に会いにこなくても。もうユリシスには……マキアもトールも居るでしょう? 一緒に居て楽しい人、沢山居るんでしょう?」
「………」
ちょこんと丸まってうずくまる彼女が、あんまりに小さくて弱々しいのに、やはり一筋縄ではいかない。
「なんで……なんで私を見ると、そんなに悲しそうに、困った顔をするの……? 私、何も分からないよ……」
「………ペルセリス……」
「不安なんだよ。ずっとずっと……あの日、ユリシスが“あの子”のお墓の前で泣いた日から……私、ずっと怖いの。予感がするの……気配があるの。何か分からない、恐ろしい気配が、私の中にずっとあるの」
僕ははっとしました。
やはり彼女にも、記憶の気配があるのだ。
きっとそれは、僅かなきっかけで完全に姿を現す。
彼女にとって、堪え難い苦痛をもたらすでしょう。
「……その気配は、そんなに恐ろしいものなのかい?」
「恐いよ……だから……」
「そうか」
僕はペルセリスの言葉を待たずに、一つの結論を導きました。
「でも、大丈夫だよ……君がその恐れを目覚めさせる事は……ないよ」
「…………?」
僕は大樹の裏側に、ぽつりぽつりと生えている草花を見渡し、その中でひっそりと咲く、白桔梗の花を見つけました。
「昔居た、愚かな男の話をしよう」
白桔梗の花を一つ摘んで語りながら、僕は自分自身思い出していたのです。
「その男は賢者なんて呼ばれておきながら、自分の許嫁に気持ち一つ満足に伝えられない……そんな一回りしてバカな奴だったんだ。しかもその男は、他の大陸でやらなければならない事があったから、許嫁の側にずっと居てやる事もできなかった」
「………?」
伏し目がちだったペルセリスが、顔を上げ、どこか不思議そうに僕を見ています。
僕は白い桔梗の花を、彼女から少し離れた場所で、差し出しました。
「その男は、白桔梗の花を許嫁に送った。そしてまもなくして、二人は夫婦になったんだ……」
白桔梗の花言葉を、君は知っているだろう。
ペルセリスは頬を赤らめ、まんまるの瞳を目一杯大きくさせています。
「………でも君は、これを受けとってはいけないよ」
僕は、差し出しただけの白桔梗を、そのまま緑の苔むす場所にそっと置きました。
一瞬で変わった彼女の表情を、僕は見ないふりをしました。
なんて残酷な事をしてしまったのだろう。
「……どうして……?」
「君がこれを受け取ったら、君はきっと恐れに飲み込まれてしまう。全てを知ってしまうから」
「………」
ペルセリスは顔を歪め、一筋涙を流しました。
グッとこみ上げる胸の痛みに、僕は静かに耐えています。
「どうしてよ……ユリシス……」
「……ごめん」
そっと、その場を立ち去ろうと彼女から顔を背けました。
いくつもの木の根を越え、小さな彼女の泣き声を、どこか聞かない様にして。
「待って……待ってよ……ユリシス……」
行かないでと、彼女がそう呟いている気がする。
本当にただの気かもしれない。正直ただの思い上がりかもしれない。
彼女が今でも僕を思ってくれている、それすらただの勘違いかもしれない。
僕だけが今でも彼女に執着して、中途半端な事をしているのかもしれない。
彼女が記憶を取り戻したら、きっと彼女を苦しめる。だから、「花を受け取るな」と言って、彼女の記憶を縫い止めた。
花言葉を逆手に利用し、残酷な方法で彼女を引き離した。
そのくせ、思い入れのある花をちらつかせ、かつての二人の話をして、期待している。
彼女の記憶が戻って欲しいと、どこかで願っている。
矛盾している。
本当に記憶が戻って欲しくないなら、何もしないのがベストだったんだ。飄々と、さも君に興味の無いふりをするべきだったんだ。
だけど白桔梗の花を見せる事で、僕が自分の気持ちを示す事で、結局彼女を縛った。
「………」
早歩きで、振り向きもしないで、僕は真理の庭を出て地上への階段を上って行きました。
まだ朝早い薄い白雲がたなびく空を、教国の聖堂の柱の隙間から覗いた後、僕は王宮へ帰ります。
「賢者様……意外と気持ちのよくない事をするのね……」
「はっきりと“気持ち悪い”って言えば良いと思うよ!!」
「ほうほう……これは重傷ですな」
精霊たちにイライラしながらも、一回りした自分のバカさ加減に呆れてしまう。
でも、頭を切り替えなければならない。
吹っ切れなければならない。
前世と今は、結局違う色で成り立っているのだと。
また、どこかから不安定な笛の音が聞こえた気がした。