03:マキア、緑の巫女の憂い。
王都ミラドリードにあるルスキアの王宮は、高く積み上げた白い砂糖菓子のようなお城だなといつも思います。
円を描くような都の町並みの中心に位置していて、王宮を囲うガラス張りの商店回廊に王宮御用達の店が並んでいます。その回廊を登っていったら、丘の上の王宮の大きな城門に辿り着きます。整えられた、白いタイル張りの王宮の並木道を抜けると、王宮の第一層に出ます。
白いいくつもの棟と回廊、テラスによって積み重ねられたようなお城は、その階層によって役割があります。
第一層は役人や王宮魔術師、騎士などの多く居る階層で、彼らのための部屋や食堂があったりと、割と騒がしい階層です。
第二層では大臣や国王が政治を行う為の階層。
第三層以上は、王家の為の階層です。ですから、王家の王宮と言う意味ではここから上になります。
私たち王宮顧問魔術師は、ユリと同じ様に第三層に部屋を与えられたので、王宮のかなり高い位置で暮らす事になりました。
空中庭園にすぐ出る事の出来る、三層の東棟。
私とトールは庭園で繋がっている近い部屋ですが、流石に王子のユリシスは、王宮内に自分の搭を与えられているので、少し離れた所に住んでいます。とは言っても、同じ王宮内ですからすぐに会いに行けるのですが。
しかしここ最近彼はとても忙しそうです。
レイモンド卿と共に、政治の一端を担っていますから。
「………ねえトール、私教国へ行ってくるわ」
「またか」
庭園で積んだ白い花を侍女に花束にしてもらって、それを抱えてトールの部屋に訪れました。
トールは魔導騎士の紋章の付いた、立派な服を着ています。
「俺もついていきたい所だが……」
「平気よ。レピスも居るし」
「しかし、ここ最近王都は物騒だ。事件も多い……遅くなる様だったら、迎えに行くが」
「……無理しないでよ。魔導騎士って結構忙しいんでしょう?」
「まあ、団長が俺をこきつかうからな……」
このルスキアに、魔術師と騎士は多く居ますが、その両方の特性を持った魔導騎士はそれほど居ません。トールはそんな貴重な魔導騎士団に入団したのです。顧問魔導騎士という立場でありながら、下っ端仕事を自らしている所が彼らしいですが。
そうそう、ビグレイツ公爵の所のメルビスも、王宮の魔導騎士団に入団したのです。トールと同期ですね。
多分、スミルダが後宮入りする為の前準備なのでしょうけれど。
あの、教国の扉の向こう側にある聖地“真理の墓”に、今の私たちは自由に出入りする事が出来ます。
その権利があるのは、むしろ私たち。
教国のモザイク壁画の天井を見上げ、瞬きもしないかつての神々を睨んだ後、私は大きな黒い扉を開きました。
そして、長い長い階段を下って行くのです。
途中にある、壁画を保管するフロアを出来るだけ見ない様にして、進んで行く。
そんな湿っぽい暗がりを抜けたら、スッキリとした爽やかでみずみずしい空気に出会います。
「………」
ピチョン……
中央の大樹から落ちる、命の雫の音。
「………」
ここには8つの水の棺があるのです。
魔王クラスの亡骸を収める棺。
しかし、本来収められるべきではない少年の遺体が、ここにはあります。
「………あ、マキアだ!! 良かったあ……」
「……ペルセリス……」
大樹の向こう側に隠れていたのか、ペルセリスがヒョイと現れ、私が来た事に顔を輝かせ喜んでいました。
彼女は大きな大樹の木の根や、苔むした大地の上を、慣れた様に踏んで、こちらにやってきます。
彼女が大地を踏むと、水の弾ける高い音がこの空間に響く。
「ごきげんよう。……いったい何でそんな所に隠れていたの?」
「だって……ユリシスが来たかと思ったから……」
「……?」
ペルセリスはユリシスの名前を出すと、どこかよそよそしく、少々伏し目がちになりました。
この聖地の大樹は、風もないのにザワザワと木葉をすり合わせるような音を落とす。
少しの沈黙の後、私は持って来た白い花を、2000年前の白賢者と緑の巫女の息子・シュマの棺の前にそっと置きました。
「…………」
その少年は、青白い顔をして、決して目を開く事はありません。
当然、死んでいるのですから。
「ねえ、ここ最近、ユリは来ているの?」
「………たまに」
「………」
ペルセリスの反応が、何かおかしい。さっきから彼女らしくない。
「……あいつと何かあったの?」
「………そう言う訳じゃないけど……でも……」
「………」
「ユリシスは……多分私に会いたくないから」
「…………ん?」
さて、いったいどういった事でしょうか。
私はきっと、思いきり眉を潜めていました。
ペルセリスはシュマの棺の前で屈んで、その子供の顔を見つめています。
「ユリシスね……この子の事、知っているらしいの。……ここに来てこの子を、じっと悲しそうに見てるから」
「…………」
「私の事も、どこか悲しそうに見るの……何でなのか分からないけど、ここに来て私を見ると、ユリシス、悲しそうな顔をするから……。前みたいに一緒に、楽しくお話ししてくれないの。私が近づくと、どこかよそよそしく一歩引くの。……だから……私、ユリシスが来たら居ないふりをするの」
「…………」
あいつ。
私は片手を頭に当て、視線を斜めに流しました。
「まあ、あいつも最近忙しいし……ほら、お、お年頃だから……?」
と言って誤摩化します。
いやまあね、ユリシスに限ってお年頃も何も無いと思うけれど。
むしろ色々な事を考え過ぎているのだろうけれど。
「………でも……」
「………」
「トールやマキアと居る時は、あんなに楽しそうにしているのに……。私は、ユリシスにとってそんな存在にはなれないんだなって」
「私たちと………あなたは……違うわ」
「……そうだね」
「いや、勘違いしないでね!! あなたは特別なのよ、あいつにとって!!」
私は言い方を間違ったと思って、慌てて付け足しました。
しかし、あちゃあ……これは難しいです。
ペルセリスはいったい、どこまで知っていて、どこまで知らないのか……。
それが分からないから、上手くフォローする事も出来ない。
「ねえ、マキア。マキアはこの子の事、知ってる?」
「………」
「……私、何にも知らないの。でもユリシスにとって特別なのは知ってる。だって、あんなに泣いてたもん……」
「あなたにとっても、特別なのよ」
「私にとっても……?」
「そう……詳しい事は言えないけれど、それがあなたとユリシスの絆だわ……」
「…………」
私はペルセリスの隣に座って、寂しそうにしている彼女を横目に見ました。
ユリシスの恐れている事は、分かる。
自分が側にいる事で、彼女の記憶が戻る事を恐れているのでしょう。
それは、ペルセリスにとって、どれほどの重い呪いになるか。
だからこそ、安易に近づかない様に、距離を保っているのだろう。
「………ごめんなさい……」
私はポツリと呟きました。
「ねえ、マキア!! 一緒に湯浴みしようよ!!」
「………」
地下庭園から出て、さあそろそろ帰ろうかな、レピスも待ってるし、と思っていた時でした。ペルセリスが追って来て、私の腕を取ります。
「教国には、巫女の為の温泉があるの!! 広くて、温かくて、体に良くて、気持ちいいよ!!」
「………ええええええ!! いやいや、王宮にもバスタブくらいあるわよ!!」
「いいじゃない!! 私、お友達と一緒に入ってみたかったの…………駄目?」
ペルセリスに凄くしょんぼりした顔をされると、私は駄目とは言えません。
特に、ここ最近彼女はユリシスとのぎくしゃくで、少々寂しい思いをしているのでしょうから。
「で、でも……私、レピスを待たせているから」
「じゃあ、レピスも一緒に!! 女の子だし、良いじゃない」
まあ確かに女の子同士だけど!!
レピスは夏でも、鉄壁の黒いローブを脱がないですから、嫌がりそうだけれど。
「……ふう……レピス、聞いてるでしょう? 出てらっしゃい」
私はため息をついて、どこかに隠れているレピスを呼びつけました。
スッと、彫像の後ろから出て来た、影に紛れた色のレピス。
「………」
彼女は珍しく、困ったような顔をしていました。
「ねえ、緑の巫女様が、一緒に湯浴みをしましょうって」
「………正気ですか? 湯上がりほっこりで、王宮へ帰るのですか? 教国はいつから銭湯になったのです」
「…なんかあんた、焦ってるの?」
レピスはいつもより早口で、どこか言っている事がおかしいです。
いつも冷静沈着だと思っていたのに、こういう面もあるんだな。
「……せっかくだから、私は入っていこうかと思うのだけれど。広い温泉なんて、久々だし……」
「私は嫌です」
「まあ、そう言わないでよレピス……。緑の巫女様の命令らしいわよ、ねえ」
意地悪な顔をして、ペルセリスに反応を求めます。
ペルセリスは口を大きくVの字にして、「うん!!」と頷きました。
「………」
レピスはまた困った顔をしていました。
「………しかし、私は……脱ぐと凄いですよ……」
「え、何その言葉……あんた大丈夫??」
何がどう凄いんです??
静かなるパニック状態のレピスを、私はちょっと面白いなと思いながらも。
ペルセリスが「こっちこっち」と聖堂の更に奥の、細い通路側を指差し、先に走っています。
聖地に居た時とは裏腹に、天真爛漫な笑顔な彼女。
この子にはやっぱりこっちの方が似合うのに。
私はペルセリスとユリシスの事を、少しだけ憂いました。