*由利、銀座の婆とファンシーな母。
由利静です。
前世では、異世界メイデーアにて、東の白賢者と呼ばれていました。
パチパチパチ!!
大きな拍手と共に、黒、萌葱、柿の三色の定式幕によって、舞台は閉じていきました。
お茶のお稽古の後、母と妹と共に歌舞伎座にて、歌舞伎の演目「怪談牡丹燈籠」を鑑賞した所です。
「四谷怪談」や「皿屋敷」と並ぶ、日本三大怪談であるこの作品は、女の幽霊が下駄の音をから〜んころ〜んと響かせ、夜な夜な愛しい男の元へ通うという物語。
僕は母に連れられ、幼い頃から歌舞伎を鑑賞してました。しかし幼くとも大人の感性を持っていた僕は、これを興味深く鑑賞し、心から楽しめた訳です。
でも、妹のみやかは本当に退屈そう。
まあ、無理も無いです。周りにはおじいさんおばあさんばかりだし、形式張った演技や古い口調は彼女には難しいのでしょう。
「静さん、今日はお父さんも帰らないし、どこか外でご飯を食べましょうよ。何が食べたいかしら?」
「僕、着物だけど」
「あら良いじゃない。クリーニングに出しますから」
母さんはウフフと笑いながら僕の腕をとって、下駄をカランコロンと鳴らし嬉しそうに歩きます。
年頃の息子が母親にくっつかれたら、普通「離せよくそバアア」となるのだろうか。いや分からないけれど。
夜の都会の中下駄の音を響かせ歩いていると、先ほど観た歌舞伎を思い出す。
カラン…コロン…
僕の母、由利葵は、僕の歳の母親にしてはとても若々しい。実際に若くに嫁入りしたのでそうだと思います。
いつも小綺麗にしていて、本当に女性らしい柔らかい空気のある人。名のある寺の住職の次女として生まれ、名家に嫁入りしても、どこかお茶目な所のある堅苦しくない人です。むしろちょっとお気楽思考で、どこかファンシー。そこがとても魅力的だと思う。
なんて、普通の息子は思わないだろうか。
「お兄ちゃん、私イタリアンが良い」
「……イ、イタリアン? 着物で?」
「私はお洋服だもん」
みやかは小学三年生になりましたが、ここ最近おませさんです。イタリアンが何だかオシャレだと思っている様で、どこか外食に行こうと言うと、イタリアンだのフレンチだの言うのです。
僕の習っているお茶にも興味が無く、お花や舞のお稽古も嫌がっています。流行の音楽や洋服が好きで、ピアノだけは一生懸命やっています。
まあ、そこも可愛いけれど。
「あら、お母さんは和食が良かったのにな。湯葉食べたかったのにな」
「……えーやだー。和食なんていつも家で食べてるもん。外食の時くらいじゃないと、イタリアンもフレンチも食べられないじゃない。お父さんが洋食嫌いだからー」
「………」
僕の両脇で、母と妹が今夜の夕食について言い合っています。
「じゃあ、静さんはどっちが良い?」
「お兄ちゃんもイタリアンだよね?」
「…………」
笑顔のまま、冷や汗がたらたら流れます。
どうしようかな。
正直言って、16歳の高校生男子だとしても、精神年齢があれなのでイタリアンはそろそろキツい。胃に優しい和食が良いのだけれど、可愛い妹に膨れっ面で見上げられたら、そんな事言えない。言えない……。
でも、だからといって母さんを裏切る事も出来ないというジレンマ。
「うーん……どっちが良いかなあ」
両方とも傷つけずに、この状況を解決する方法は無いものだろうか。
なんて考えていたその時、駅近くの大通りの隅に、僕にはとても無視出来そうにない禍々しい空間を見つけました。
この世界に魔力は無いはずなのに、それはとてもそれに近い何かの感覚だったのです。
“銀座の婆”
と書かれた看板をぶら下げ、大きな水晶を小さな机に置いて、一人のおばあさんが今どこぞのカップルを占っている所でした。
「あら、あの人知っているわ。占いが良く当たるって、テレビで特集されていたのを見た事があるもの」
「………じゃあ、今夜の夕食は何が良いか、占ってもらおう」
「えええ〜。お兄ちゃん本気で言ってるの?」
みやかは若干呆れ気味でしたが、僕は本気でした。
それにちょっと興味があったのです。この世界の占いと言うものに。
「今夜の夕食は、何を食べるべきでしょうか」
という、割とライトな質問をしたつもりでした。
銀座の婆という、額の真ん中に大きなイボのあるおばあさんは、高い鍵鼻をひくっとさせ、カッと目を見開いて僕を観察しています。そしてバッと手を取り、手相を読んでは僕の顔をチラチラ見るのです。
「………へ?」
結構本格的でした。
夕食を決めてもらおうと思っただけでしたが、結構本格的でした。そしてなぜか僕だけを熱心に観察するのです。
僕の両隣で、母と妹がどこかワクワクした表情でその様子を見ています。
「……お前さん……お名前は……?」
「えっと……由利静……です」
「………」
おばあさんは低く唸りながら、何やら水晶を見たり見なかったり。
何か映っているんだろうか。正直かなり胡散臭いです。
「……お前さん、呪われておる……死相が出ておりますぞ。見た瞬間にわかった」
「……え?」
えええええええ。
普通、そんな事言っちゃうんですか!?
「まあ大変!!」
母さんはすっかり信じてしまって、頬に手を当てオロオロしています。みやかは「しそうって何?」と。
「しかし恐れる事は無いですじゃ。それは新しい自分になる前兆。お前さんは……今でも十分に満たされた人生と、有り余る才能がおありの様じゃが、それを生かしきれておるまい。……私には見えますじゃ、お前さんの背後に……女と子供の霊が……」
カラン……コロン……
僕は耳の奥で鳴り止まない、下駄の音にゾッとして、バッと振り返りました。
しかしそこには会社帰りのOLや、飲み会に行くスーツの男たちが交差して歩いているだけ。
「し、静さんはその霊にとり殺されると言うのでしょうか?」
まるでさっき観た怪談牡丹燈籠ね、と母さんは真面目に。
「いやい〜や、その霊は悪い霊ではない。思念のようなもの。あるいはお前さんの魂が持つ執着のようなもの。……因果は巡り巡っておるから、どこでそれが、良い方へ悪い方へと結びつくかは分からない。その霊がお前さんを黄泉へ連れて行くか、守護するものとなるか、それはお前さんの捉え方次第じゃ……まあ、気をつけなされ」
「………」
気をつけろって言ったって、いったいどうすれば良いと。
銀座の婆というおばあさんの占い師は、肝心な所は黙っています。
「えっと、じゃあ銀座の婆さんは“前世”って信じますか?」
「………」
僕は少し尋ねてみました。この人にはいったい何が見えていると言うのか。
おばあさんはじっと僕を見た後、“銀座の婆”と書かれた看板の横の文字を指差します。
そこには申し訳程度に“前世占い”と書かれていました。
「なら、僕の前世は何だと思いますか」
「………」
おばあさんは、また水晶を見たり見なかったり。
「………陰陽師ですじゃ」
「………へ?」
僕は変な声が出ました。母さんは「まあ……ちょっと素敵」と言って、暢気な物言いです。みやかはそろそろこの話に飽きてきて、机の隅にある紫水晶の結晶なんかを興味深く見ています。
「お前さんの背後には、女と子供の霊だけでなく、沢山の物の怪も見える。それが百鬼夜行の様に連なっておる。……陰陽師じゃ、お前さんは陰陽師だったのじゃ!! 物の怪を使役し、式神として仕えさせた陰陽師だったのじゃ!!」
「………っ!?」
最初は胡散臭く思っていましたが、その言葉を聞き確信しました。
お、おばあさん……っ!!
限りなく惜しいが、あなたの力は本物だ!!
僕は思わずおばあさんの手を取ってしまいました。この世界で、こんな妙な力をもった人に出会えるとは思わなかった。
陰陽師か。
確かに白魔術師の力はそれに似ているのかもしれない。それをもっと洋風にしたような。
「で、今夜の夕食はいったい何が良いと思います?」
「………」
おばあさんは笑顔の僕に手を取られたまま、水晶も見ず何食わぬ顔でボソッと「ロシア料理」と答えました。
絶対適当に答えたと思います。
正直言って、着物姿でロシア料理はシュールです。
駅ビルの上階に並ぶ手頃なロシア料理のレストランを選んだとはいえ。
ボルシチにピロシキ、壷焼、季節外れのチーズフォンデュなんかはとてもおいしく、みやかも母さんも満足そうだったので良しとしますか。ただちょっと目立ってましたね。
「ねえ静さん。静さんって、自分の前世、覚えてたりするの?」
「……っ!?」
母さんの突然の質問に僕はボルシチを吹き出すかと思いました。
「え……? な、なんで……?」
「だってさっき、占い師のおばあさんが言ってらしたじゃない。前世が……陰陽師?」
「いやいやいや、きっとあれは適当に言ってるんだよ。……凄い雰囲気あったから、それらしく聞こえたけど。そんな前世なんて……覚えてるわけないよ」
少々焦り気味に、僕はグラスに入った水を一気に飲んでしまいました。
みやかは壷焼の表面のパンを割って行くのに夢中です。
「そうねえ……静さんに死相が出ているって言うのはちょっと信じたくないわねえ」
と言いつつも、どこか暢気な口調の母さん。
僕は、この世界で自分が死に追いつめられる事があるなんて、一つも思いつきません。
こんなに満たされ、何不自由無く生きている自分が、死と隣り合わせの世界を必死に生き抜いたあの世界と比べると、いったいどこでどう死んでしまうのかまるでイメージ出来ないのです。
「………」
呪い……。
少しだけ、前世の事が頭をよぎって行きます。
緑色の、瑞々しい若葉のような髪。深い深い緑の瞳。
“銀座の婆”という占い師の言っていた事は、当てずっぽにしては、どこかピンと来る事が多かった。
あの人の瞳に映っていたものが確かなら、僕に付いて回る女と子供の霊というのは、きっと僕の記憶の名残。
前世への執着。
「……母さんは、前世って信じる……?」
食後の、ジャム入りのロシアンティーを飲みながら、僕はぽつりと聞いてみました。
母さんは小首をかしげ、長い睫毛をぱちぱちとさせると、ふと瞳を細めました。
「私はね……小さい頃自分は、ヨーロッパのお姫様の生まれ変わりだと思っていたの」
「…………」
母さんの頭の中はお花畑です。知ってましたけど、今日確信しました。
アラウンドフォーティーのレディーの口から、そんな事が聞けるとは思いませんでした。
「な、なんで?」
「それは多分、なりたかったからよ」
「………うん……うん?」
「輪廻転生って言葉があるでしょう? 魂は、巡り巡るって話よ。私、お寺の娘だったから、お父さんにそんな話ばかり聞いてたの」
どこかふわふわした話になるかと思いきや、母さんは割と真面目に話してくれている様でした。
「でも私は幼い時、お寺の古くささや格式張った空気が嫌で、その反動でメルヘンチックなものに憧れたり、洋服や洋菓子を好んだり……年頃の頃は洋楽が大好きで、お父さんに隠れて聞いてたわ。少し遅れてビートルズにはまったり……。でね、こんなに外国のものが好きなんだからきっと自分の前世はヨーロッパ人なんだって、思ってたのよ。できればお城に住むお姫様みたいな華やかなのが良いなって」
「……それってただの、なりたかったものなんじゃ……」
「そうよ。私はただ、それになりたかっただけなの」
母さんはニコリとお茶目に笑いました。
「でも、魂が巡り巡っているなら、どこかの私はヨーロッパのお姫様だった可能性は無い訳じゃないでしょう? 憧れの気持ちは懐かしさから来るのかもしれないじゃない。……静さんだって、どこか異国の王子様だったのかも! 何かそんな雰囲気あるもの」
「………はは」
最後の冗談だったのか、本気で言ったのか。
母さんは瞳をキラキラさせている。みやかも「私もお姫様が良い!!」と。多分よく分かっていないけれど。
「逆に、好きだって思っていたものに、いつか生まれ変わる事が出来るかもね」
そう言いながら、母さんは隣でチョコレートケーキを食べていたみやかの口を、ハンカチで拭きました。
「………」
僕はロシアンティーをすすって、ふいに甘いジャムを飲み込んだ時、いつもハッとします。
普段の何て事の無い生活の中、ふとどこからかメイデーアの懐かしい匂いがする時がある。
そんな、デジャヴな瞬間のように。
巡り巡る魂は、一列なのか円を描いているものなのか、大樹の様にいくつもの枝葉を伸ばし、可能性と言う並行世界を描いて行くものなのか、それは僕には分からない話です。けれど今この地球の、銀座でロシア料理を食べているこの僕の後ろに連なる、沢山の記憶の残像たちは、確かに“今の僕”に影響を及ぼすものでしょう。だって覚えているのだから。
しかし覚えていなくても、憧れだったり懐かしさだったり、好きだったり嫌いだったり、無意識に面影を感じながら、素直に出てくる感情として影響が出ていたのでしょうか。
だったら人は皆、0からのスタートなんて無いのかもしれない。
生まれながら、0.1%の曖昧な情報を握りしめている。小さな赤子の手の中に。それは魂の持つ贈り物だろうか。
僕や、マキちゃん、透君は、90%くらい持って来てしまった……。
カラン……コロン……
僕が今でも振り払えない前世への思いが、僕の背中に付いて回る。
確かにこれは、贈り物を通り越して一種の呪いなのかもしれない。
でも仕方が無い事に、心地よいものでもあるのです。
きっとそれが、とても危ういのでしょうね。