fin:マキア、優しい子守唄。
どこからか聞こえてくる鳥のさえずり。
「……」
王宮の高い場所に、私は自室を貰いました。
すぐに空中庭園に出る事が出来る、とても静かな階層。
あれから、三週間が経っていました。
今でもこのルスキア王国は、あの聖教祭の最終日の衝撃から抜けきれず、慌ただしくしています。
私は部屋の隣の庭園の、木陰になる部分を探して座り込んで、ただ一人静かに、沢山の事を考えていました。
流石にもう、気持ちにも整理がついて、感情的になる事は無いけれど。
ただぼーっと、ドレスの端からのぼってくる蟻を見つめたりしている。
「おい、マキア。どこに居る」
「トール……」
トールの声が聞こえました。
彼は王宮にて、私の使用人と言う立場から一転し、同等の王宮最高顧問魔導騎士の地位に昇ったにも関わらず、相変わらずおせっかい。
「………こんなところにいやがった」
私が樹の裏に隠れていると、トールは後ろから覗き込む様に私を見つけました。
「お前、届け物がきてたから、取ってきてやったぞ」
「あんた……まだ御付き体質が抜けないみたいね」
「いいんだよ別に……」
トールは私の隣にしゃがみ込むと、「ほれ」と大きな箱を差し出してきます。
真っ赤なリボンのかかった、白い箱。
「デリアフィールドからだ」
「……」
何が入っているのか揺らしてみようとした時、慌ててトールが私の手を抑えました。
「馬鹿!! “揺らすな注意”って書いてあるだろう!! ほんと豪快な奴だな……」
「本当だわ」
私はリボンをほどいていきました。
箱を開けた瞬間から、ふわっと広がってきたのは、甘酸っぱいレモンの香り。
「レ、レモンケーキだわ!!」
「おっビンゴ。そうだろうなーって思ってたんだよな」
トールは指をパチンと鳴らし、ニヤリと笑う。
私はレモンシロップのたっぷりかかったケーキの真ん中に、固定されたチョコプレートを見つけました。
“マキア様ガンバ!!”
「……ガンバとか古い」
どう考えてもバルナバの口調と声で再生されるので、多分そう。
らしいなと思って、フッと笑ってしまいました。
「あら……? まだあるわよ」
「……?」
ケーキの台座の下のスペースに、小さな箱が入っていました。
開けてみると、三本のフォークが並んでいます。赤と、黒と、白のガラス細工の施された、美しいフォーク。
「カルテッドのガメット卿からよ……わあ、綺麗ね。ちゃんと私たちの色になってる……私たちの事知っているのかしら」
「どうせイメージカラーだろ。あのガマガエル……意外とセンス良いな。あ、いや……センスがいいから商人なのか」
「あ……文書がある」
箱の蓋の裏に、きっちりと張り付いてあった紙を、慎重に剥がし、広げてみました。
そこには、本当に拙い字で、読みにくい言葉が綴ってありました。
“とーるせんせいえ がっこはじまりました ごはんおいしです”
覚えたばかりの、ヨロヨロとした字。
最後の“ブルーノ”と言う字だけ、ちゃっかり綺麗です。
「あいつ……最後まで自分の名前しかかけなかったからな……はは」
トールはなんだかんだ、嬉しそうに笑いながら、じっとその手紙を見ていました。
私も少し嬉しくなります。
ここ最近、こんなに穏やかな気持ちになった事は無かった。
「ユリ……呼んでこなくちゃ!! これは三人でケーキを食べろってことでしょう?」
「あ、大丈夫。さっき呼んどいたからもうすぐ来るはずだ」
なんて話していたら、庭園の向こう側から「マキちゃーん、トールくーん」と、私たちを呼ぶ声がして、すぐにユリシスがやってきました。
「わあ、レモンケーキじゃないか」
「……あれ、あんた食べた事あるの?」
「うん。叔父上が気に入っててね……前にお茶した時に食べたんだ。ああそうか……あれはデリアフィールドのお菓子だって、言ってたもんな」
ユリシスはしゃがみ込んで、ニコニコと。
そうだった。彼は甘党だった。
私たちはガメット卿から贈られたフォークをそれぞれとって、ホールのケーキを周りから豪快に削って食べました。
「こういった食べ方は地球以来だなあ。王宮にいたら、綺麗に切られて出されるから」
「そう言えば、懺悔同好会の部室でもこうやってホールケーキ食べた事あったわよねえ。トールの誕生日、両親に忘れられたのカワイソーとか言って、私とユリで用意して」
「でもほとんどお前が食べたんだけどな、マキア」
木陰で、三人でケーキを囲んで、それをつつく。
懐かしい事を思い出しながら。
甘酸っぱいレモンケーキの、その味を噛み締めながら。
「……ん」
トールが顔をしかめました。
カチンと固い音がして、彼は口から何か取り出します。
「……メモカプセルだ」
小さく丸いカプセル。私たちは首を傾げ、トールはそれを開けてみました。
チョコの包み紙程度の大きさの紙が出てきます。
「なになに?」
「ほら。マキア……お前に。奥様から」
“ちゃんと食べていますか? 体には気をつけて下さいね ーいつもあなたの事を思っている母より”
お母様の細い綺麗な字で、そう書かれていました。
たった三週間会ってないだけなのに、懐かしい声が聞こえてきそうです。
「ん……僕も噛んだ」
「何かこれ、間違って食ってしまいそうだな」
「食べたら食べたで、ちゃんと溶ける様になってるんだよ。まあ、せっかくだから気をつけて、全部見つけた方がいいけど」
ユリシスは丸いメモカプセルを取り出し、それを開けました。
ちゃんと側に置いてある白いハンカチで手を拭いて、メモを取り出します。几帳面です。
「ブッ」
「……え、何」
「これトール君にだ」
“女遊びはほどほどに byヨーデル”
「いやいやいや、いつ俺がデリアフィールドでそんな事した? 何言ってんのこいつ」
「……あんた女児に人気だったからね」
相変わらずのKYヨーデルの、渾身の一撃。
あのへらへらした顔を思い出します。
「良いなあ〜。君たちは本当にアットホームな屋敷にいたんだね。こんな風にメッセージを届けてくれるなんて……羨ましいよ」
「……」
ユリシスがケーキをつつき、カプセルが無いか確かめつつ。
私たちはレモンケーキを食べながら、次々と出てくるメッセージに、笑ったり頭を抱えたり、ふざけあったり。
「……あ、みっけ……」
私は最後のケーキの一口を食べた時、カチンと歯に当たったメモカプセルを取り出しました。
それを、ワクワクしながら開け、メモを取り出す。
“ずっと愛しているよ ー父より”
ふわりと鼻をかすめていくのは、最後にお父様を抱きしめた時に吸い込んだ匂い。
お父様の匂いでした。
「誰?」
「……お父様」
私は小さなそのメモを、トールにも渡します。
「多分これ、トールへの意味もあると思うから」
「……」
トールは黙ってそれを読んでいました。隣でユリシスが覗き込んでいます。
「いいね、いい言葉だね……僕は父上に言われた事ないなあ」
「まあ、国王だしな。でも、お前は……」
トールは何か言おうとして、途中でやめました。
何を言いたかったのか、ユリシスは不思議そうにしていますが、私は何となく分かります。
ユリシスの場合、言われる立場と言うより、言う立場としての気持ちの方が強いのではないか。
彼はきっと、自分の息子をこよなく愛していただろうから。
トールはお父様からのメモを、私に返してきました。
私はそれを受け取り、他のメモも集め、全部小さく折り畳みます。
「取っておこう。大切にしまっておかなきゃ」
「それがいいよ。辛くなったら読むといい……言葉は力だからね」
優しい風が、私たちを通りすぎていきました。
ずっと心にあった、複雑な思いを、全部忘れた訳ではないけれど。
懐かしいケーキを食べながら、私たちは久々に得た穏やかで楽しい時間に、染みる癒しを感じていました。
三人でいる事が、泣きたくなる程嬉しかった。
私は二人を見て、僅かに目を伏せました。
そして、呟く様に。
「トール……ユリ……頑張ろうね……」
「……うん、そうだね」
「……」
まだ平和な、青い空。
私たちはこれから、頑張って頑張って、頑張らないと乗り切る事の出来ない沢山の壁にぶつかるでしょう。
頑張ってもどうしようもない事もあるかもしれない。
辛くて仕方が無くて、絶望する事もあるかもしれない。
それでも、私たちはずっと一緒に居たい。
それぞれが違う選択をしても、何を選んでも、何を思い出しても、支え合える理解者でありたい。
春の昼下がりの、どこか胸騒ぎのする日差しのせいで、私はうつらうつらとし始めました。
木漏れ日が睫毛にかかって、パチンパチンと優しい泡の様に弾けている。
おやすみなさい。
もうぐっすり寝てもいいんだよって、どこからか聞こえてくる声。
私がこの世界に生を受け、マキア・オディリールと言う名を得た、その時に聞いた子守唄のような、穏やかな風。
愛しくて悲しい全てを、今ばかりは忘れて。
おやすみなさい。