50:トール、格差社会を思い知る。
俺はトール。
春の夜の臭いが籠る王宮の庭園。
華やかな明かりの漏れるテラスを横目に、暗がりに潜んでいる。
俺は少し離れた噴水の出っ張った所に腰掛け、僅かに聞こえるワルツの音楽を聞いていた。
まあ、別に寂しくないですよ。
俺だけ入れないとか、別に何とも思っていないですよ。
はあ……これが格差社会って奴か。
俺は貴族の身分を持っていないから、ここから先の、甘いシャンデリアの光の下にはいられない。
「……マキアはユリシスに会えただろうか」
ああ、暇だ。そろそろ覗きに行こうか。
バレない様にバレない様に。
「……?」
腰を上げようとした時、俺の右側の樹の影に一人の少女が隠れ、サロンを伺っていたのに気がついた。
「うわ……」
ちょっとびっくりした。
いや、少しだけね。
しかしその少女は先日出会ったあの“緑の巫女”であったと分かる。
若草色の髪、ひらひらした衣装のシルエットは、まさしくあの時教国で出会ったときのものだ。
「……おい、お前こんな所で何を……」
「!?」
向こうは俺に気がついていなかった様だ。
あからさまにビクついて、小さく飛び上がる。
彼女は丸い瞳をぱちぱちさせ、俺を樹の影から確認する。
「あ、あの時のお兄さん」
「何してるんだ。サロンに行かないのか?」
「……」
緑の巫女はぷくっと膨れっ面になる。
「だって、私は聖域から出ちゃいけないんだもん。舞踏会なんか呼ばれないんだもん」
「でも、お前出てきてるじゃないか」
「抜け出して来たの。王宮は聖域と繋がっているから。あ……これは秘密よ、秘密」
秘密なのにあっけなく言ったもんだ。
彼女は「はあ」とため息をついて、サロンの明かりを見ている。
「覗きに行けば良いじゃないか。バレなきゃ良いんだろ」
「う、うん。……でも、なんか悲しくなっちゃいそう。どうせ私は入れないもん」
「……」
うーん。身分にも色々あるんだなと思い知る。
使用人である俺も、この国で唯一の緑の巫女である彼女も、同じ様にあのきらびやかな世界には入れないのだ。
「こ、コワイ……」
サロンの隣にある大きな樹の幹の分かれ目まで登って、上階の会場を覗く。
俺は緑の巫女を引っ張り上げ、その安定した場所に落ちつかせるが、樹の幹にしがみついてガクガク震えている。
「ほら、見えるぞ。………おお、綺麗だな、流石王宮のサロン」
「………」
彼女は会場の様子を見ると、何とも言えない表情で、頬を少し染め魅入っていた。
こういった舞踏会は、女の子にとってたまらなく魅力的なのであろう。
色とりどりのドレスが、まるで宝石の様に黄色がかったシャンデリアの光に照らされキラキラしている。
男女も皆品のあるものたちばかりで、まるで別の世界のような空間だ。
「あ、ユリシスだ!!」
彼女が俺のマントを引っ張って、「ほらほら」と嬉しそうに。
俺も流石にその名は無視出来ず、目を凝らし奴を探す。
すぐに見つかった。
ユリシスの白さは会場内でも目立っている。
俺とは正反対の色身を持った人間。
「あ……またあのお姫様連れてる」
「ほお」
ユリシスの隣には、見た事の無い美少女が並んでいる。
あれは確か、東のフレジールの第一王女シャトマだ。
「なんだ。お前、あのお姫様に妬いているのか」
「……だってせっかく聖教祭なのに、ユリシスあの人にばっかりかまってるんだもん」
「へ、へえ」
巫女は眉根を寄せ、それでもまっすぐユリシスを見ていた。
何と言うか、ユリシスめ。この俺を差し置いて色々と充実しているではないか。
ただしかし、あの男がこの手の状況を喜々としている訳ではないのも理解している。
地球にいた頃から、あまりに達観しすぎてフラグクラッシャーだった。
「ユリシスね……誰か待っているらしいの。きっと、大切な人なのよ」
「……?」
「だからね、どうせ私は……」
彼女の消え入りそうな声を、俺はどこまで聞いていただろうか。
会場が一気にしんとなった瞬間の方が、無音の騒音であったから。
俺も巫女もハッとしてそちらを伺った。
会場の中央で、マキアとユリシスの出会いを、俺も彼女もしっかりと見つめた。
俺はあの二人の出会いの場に居なくとも、あの二人の今の気持ちを痛いほど理解出来る。
周りの奴らは何が何だか分からなかっただろうなと、ジワジワ笑みが浮かんでもきた。
隣に居た巫女は、どこか遠く虚ろな瞳をしている。
さっきまで幼い少女だと思っていた彼女が、この時ばかりは少し大人びて見えた。
「良かった。……ユリシスね、ずっと寂しそうだったの。あ、でも表向きはそんな風に見せないんだけど。でも、ずっと誰かを待っているようだった……」
「……」
彼女は少し小さく頷く。
俺には良く分からなかったが、彼女の中で何か納得のいく事があったんだろうと思った。
「私、聖地に帰る」
「……ん? もういいのか?」
「うん。ユリシスが嬉しそうで良かった。それだけで良いの」
彼女はずり落ちて行く様に、木から降りて行く。
「お、おい大丈夫か」
「……痛い」
「でしょうな」
彼女の薄い布の服では、あまり身を守ってはくれないだろう。
俺は木から飛び降り、彼女が降りるのを手伝った。
ひらひらした羽衣みたいなのがいちいち木の枝に引っかかって仕方が無かったけれど、まあ、そう怪我をさせる事も無く何とか降ろす事が出来たようだ。
「大丈夫か。帰れるのか」
「うん、平気。……ありがとう。お兄さんお名前は?」
「ああ、まだ言ってなかったか。俺はトール・サガラーム」
「私はペルセリス」
彼女はさっきみせたような大人びた表情ではなく、また少女らしさを取り戻し、ニコリと笑いかけてくる。
「トールって良く見たら、私の知っている人に似てるかも……知ってる人って言うのもへんかもしれないけれど」
「へえ」
それは意外な事だ。
俺のような黒髪黒目は珍しいって言うのに。
そろそろ会場が活気を取り戻し始めた。
ペルセリスはそれを機に、小走りでサロンから遠ざかって行く。
「じゃあ、またねトール」
「……ああ」
またねって、また会えるか分からないけれど。
暗がりに向かって行く彼女は、浮世離れした風貌も相まって、本当にここに居た存在なのかすら危うく思えるほどあっという間に消えていった。
何だったんだろうな、と思いつつ、俺は会場を気にしてそちらに向き直った。
「おい、ユリ!! ユリ!!」
「透君じゃないか!!!」
ぐるりとサロンの周りを回っていたら、ちょうどユリらしき人物がテラスに出てきているのを見つけた。
運が良かった。あいつがちょうど精霊らしきものを連れていたから、判断出来た。
だが、ユリシスは慌てている。
「透君!! 大変だよ、マキちゃんがあいつと……あいつと……っ」
「は?」
「とにかくここへ上がっておいでよ」
「あ、無理無理。俺、庶民なんだよお前たちと違って。マキアの使用人だから」
「あ、うん。……透君らしいね」
「……」
「上がっておいでよ。そこにテラスへの階段があるだろう。僕が許そう」
「……クソ!! 王子のクソやろう!! クソ王子!!」
「ハハハハハ」
ユリシスはわざとらしく笑うと、「いやしかし」と続けた。
「大丈夫だよ。テラスは会場の明かりの届かない所だから。君は入場した事にはならないんじゃないかな」
「屁理屈だ」
脇にある階段を上って、俺は久々にユリシスの隣に立った。
「久しぶり、透君」
「……今の俺はトール・サガラームだ。まあ、あんまり変わらないだろうけど」
「じゃあトール君か。元気そうで何よりだ」
「お前もな。王子だって知ったときは、またかよって思ったぜ。お前くじ運良すぎ」
「いや〜そうでもなかったんだよね。話すと長くなるからあれだけど、王子って生き残りをかけたバトロワ方式だから」
「……ほお」
ユリシスは若干明後日の方向を見ている。まあ色々とあったのだろう。
流石にマキアの時と違って、俺たちの出会いは落ち着いたものだ。
「で、いったいマキアが何だって」
「……見てみなよ。あの子は今、勇者と戦っているんだよ」
「?」
会場内に目を向け、真っ先に飛び込んできた光景に目を疑った。
なぜ、あいつが勇者……もといカノン将軍とダンスを踊っているんだ。
まあダンスなんて可愛らしいものに、俺たちは見えなかったけれど。
「これは、戦争だな」
「ああそうだ。僕たちはちゃんと見ていなくちゃ……あの二人を」
「……」
マキアと奴は、何か会話している様にも見える。流石の彼女も表情が硬い。
「何の話をしているんだろう」
「さあ……でも、マキちゃんの様子が少しおかしい気がする……」
ユリシスは顎に手を添え、眉を寄せている。
俺は別の視線が気になって、それを追っていた。
「ゲッ!!! ビグレイツ公爵めっちゃこっち見てるじゃん!! やばいやばい、俺とマキア、色々あって目をつけられているんだって。に、逃げようかな〜」
「待ちなって。もう今さらだよ。あ、マキちゃん帰ってきた」
「……」
しばらくしてマキアがカノン将軍とのダンス、もとい駆け引き大戦争を終え、こちらに帰ってきた。
あのとぼとぼした足取りからして、撃沈したに違いないと思われる。
「う、うわああ……何か可哀想だよ。ボロボロだよ。絶対何か言われたんだよ」
ユリシスが青ざめ、帰って来た彼女をテラスで迎える。
俺はマキアの手の傷に気がついた。
「お前……手……」
「トール、あんたなんで……」
マキアは俺を見た後、少し視線を横に逸らした。
ユリシスが「大丈夫?」と彼女の手を取り、魔法をかける。お見事なものだ。
俺たちでは表面上を治し、あとは自己治癒力を強化する事しか出来ないが、ユリシスの魔法があれば、この程度の外傷ならちょちょいと完治させる事が出来る。
俺はカノン将軍の方を睨んだ。
奴はシャトマ王女の横で、鋭い瞳をこちらに向けているだけだ。
「ありがとう、ユリ」
「マキちゃん大丈夫? あいつに何か言われた?」
「……」
マキアはフッと皮肉な笑みを浮かべた。
俺とユリシスは首を傾げ、視線を交わした。
少し違和感を感じたからだ。
「すまないが、少々よろしいだろうか」
「!?」
そうだ。
こんな時に、こういう奴らって声をかけてきたりする。
俺たちのいるテラスの前に立ちふさがり、シルエットを三つつくったのは、三人の紳士。
「……ビグレイツ公爵」
「叔父上、メディテ卿」
彼らは俺たちを光から遮り、影になるその表情を険しくしていた。