46:マキア、予測出来ない胸騒ぎ。
トールは立体魔法陣を解いて、腰の剣の柄に手をかけていました。
「ト、トール……!!」
「下がってろマキア。今の俺たちは地球に居た頃の様に無力じゃないんだ……今なら……っ」
確かに、今なら黙って殺される前に自分たちだって戦える。
魔力数値だって跳ね上がったし、味方は二人居る。
前世の仇だって討てるかもしれない。
トールは特にこの男を恨んでいます。
「……またか、黒魔王……」
「……」
「またお前は俺に負け、殺されるのか」
勇者はいたって冷静で、余裕の笑み。トールを煽るのはお手のものです。
トールは勢いよく剣を抜きました。
「貴様っ!!」
「トール!! 落ち着きなさい!!」
私は体中の嫌な汗が気持ち悪くて、今のこの空間、この空気、この突けば弾けそうな殺気のぶつかり合いの中、どうすれば良いか考えていました。
トールの足場が不安定です。黒い歪みのようなものがチラチラ見えます。
彼の魔術はそう言ったものです。
「やめてトール!! こんな所であんたの魔術を使ったら、空間が………っ」
「……だが、マキア……!!」
私は今にも奴を殺そうとするトールを抑え、唇を噛み、目前でただ笑みを浮かべている勇者を睨んで問いました。
「勇者、あんたはまた私たちを殺したいって言うの……!?」
「……」
勇者は鼻で笑うと、軍帽の隙間から見える視線だけで私を捕えます。
「時が来ればな。それに、お前の言っている事は少し違うぞ紅魔女。お前は自分で死んだんだ。俺はお前に殺されたんじゃないか」
「……そうね。なら、また道連れにされに来たの?」
「……」
彼の余裕の笑みは薄れました。
私はトールの剣の刃を少し握って、手の平に深い傷を作ります。銀色の刃をなぞった血が流れていきます。
「マキア……お前……」
「念のため、よ」
ポタッポタッ……
血が地面にこぼれて落ちる音。
「勇者、時が来ればってことは、今は殺さないって事でしょう。何なのよ、それ。私たちを殺す条件でもある訳?」
「……そうだな。だが、今それを言った所で、お前たちには到底理解出来まい」
「なんだと!?」
トールの剣に力が入るのが分かりますが、私が握っているため変に動かせない様。
少しは冷静になったのでしょう。
「だったら何であんたはここへ来た。私たちを殺す為じゃないと言うなら……」
「……」
奴の視線はぶれません。
あまりに感情を読めないものだから、こちらが怯んでしまいそう。
ポタッ……
沈黙が肌に刺さるほど痛いのは、静けさの中にお互いの殺気が混ざっているからです。
どうすれば良いのでしょう。
私たちは、今ここでこいつを殺すべきなのでしょうか。
「駄目だよ!! ここで喧嘩しちゃ駄目だよう!!!」
私たちと勇者の間に割って入ってきたのは、今まで放っておかれていた緑の髪の少女でした。
彼女は手をオーバーにひらひらさせたりして、声を張って怒っています。
「……緑の巫女……」
勇者は彼女を見下ろしながら、何やら神妙な顔。
「ここは聖域よ!! 駄目よぅ!!」
彼女は言葉足らずですが、一生懸命私たちを止めようとしているのは分かります。
さすがにこんな女の子に止められたら、私たちとは言え、張りつめた空気を保つ事が出来ません。
私はトールの剣を離し、息を吸って、ゆっくり吐きました。
「……もう、良いわ。ほら、トール、あんたも剣をしまいなさい。あと陣も、全部解きなさいよ」
「良いのかよ、これで……」
「良いのよ。あいつ、今は私たちを殺す気、無いみたいだし」
トールは舌打ちをしつつ、剣を一度振って鞘に収めました。
そして、足下に形成している無数の空間の歪みを全て解除。
勇者は最後まで何もしませんでした。
「一つだけ、言っておく。……その扉の向こう側には、お前たちの求める答えが眠っているだろう」
「……?」
「いや……知りたくない事かもしれないな」
勇者は一歩一歩、ゆっくりと近づいてきながら差し込む光を越えて行きます。
「それは、俺たちが二度も殺されなければならなかった理由か? そんなものがこの奥にあるって言うのか」
「……」
「何が可笑しい」
勇者が嫌味に鼻で笑ったものだから、トールは再び冷静さを欠き、勇者に向かって行ってその胸ぐらを掴みました。
奴はまだ僅かに笑っています。
「二度……か。黒魔王……お前が俺に殺されたのは、本当に“二度”なのか……?」
「なっ」
私はこれ以上奴と接触したままで居るのはまずいと思って、トールを思いきり後ろに引っ張りました。
そのまま後ろにふらついたトール。
「なっ……何すんだよ!!」
「もういい加減におしっ!! 何であんたはこいつにだけそんななのよ!!」
いつもの飄々としたトールはどこへ行ったのか。
まあ、気持ちは分かるのですが。
何て事無いように襟元を整え、勇者は横を通りすぎて行く。
その時の視線の鋭さに反応する様に、私もまた彼を睨んでいました。
「聖教祭が終わった後、この扉を開けてみろ。その時なら、少しは理解出来るだろう」
「……?」
勇者は黒い扉の前で手をかざし、その樹の彫刻の窪みに膨大な魔力を注ぎました。
魔力が注入された事で開く扉の隙間から、懐かしい匂いが届いた。
「ま、待って!! 勇者!!!」
私は叫びましたが、瞬間、彫刻が金色に輝いたので、あまりの輝かしさに目を閉じてしまいました。
次に目を開いた時、そこに勇者は居ません。
「居なくなった」
「くっそ……何だったんだ」
「トール。あんたの気持ちは分かるけど……でも……」
黒い扉の方へ足を進めようとしましたが、一歩踏み出したその足を、ゆっくり戻します。
「分かったわ。聖教祭が終わった後、ユリシスと一緒にここへ来ましょう」
「マキア」
緑の髪の少女、勇者が“緑の巫女”と言っていた彼女は、「ああ、入っちゃった〜」と言いながら、追うように扉を開け向こうに消えていきました。
僅かに開いた黒い扉は、間もなくしてまた閉じてしまい、既に私たちには開けないような重々しいものの様に見えます。
私は血まみれの右手を、おかまい無しで堅く握って、もう片方の手でトールの服を掴みました。
この先にあるものが何なのか、何一つ予測も出来無いくせに、胸騒ぎだけはするのです。