43:マキア、枯れた花と白いバラを入れ替える。
私はマキア。
聖教祭の為に王都へ行く前日、トールは半日休暇をもらって、デリアフィールドの大きな病院に入院している母親の所へ見舞いへ行く様でした。
私も何度か彼の母親を見た事がありますが、それはそれは薄幸の美女というような、痩せた黒髪の女性です。
「何だよ、別にお前はついてこなくていいのに」
「だって暇なんだもーん」
「暇な訳無いだろう。明日から大掛かりな移動だって言うのに、準備もしないでさあ」
馬車の中で文句を足れているトールですが、どこか伏し目がち。
私は少し心配でした。
彼にとって、母親とはいったい何なのだろう。
デリアフィールドの病院は、この国のあらゆる病の患者が穏やかで自然豊かな土地柄と確かな治療を求めてやってきます。
あと、病院食が他と比べておいしい事で有名です。
「まあ……トール、よく来てくれたわね。あら、マキア様まで」
トールの母親、アイシュ・サガラームは白い病室の簡素なベットの上で、ただ静かに読書をしていました。
部屋に入ったとたん、病室の白さと病人用の白い服、彼女の透けるような肌の白さ、その儚さが一体となっていて、今にも消えてしまいそうな印象を受けたものです。
トールは難しい顔をしていましたが、彼女に声をかけられ困ったような笑みを浮かべています。
「おばさま、トールったら酷いのよ。私の事を放っておいて、カルテッドでおいしいもの沢山食べていたんだから」
「まあ……トールったら。そうそう聞いたわ、カルテッドの新しい学校の設立に関わったのですって? 子供たちに色々な事を教えて、学問に興味を………って。新聞に書いてあったわ。もうびっくり、あなたの名前があったものだから」
おばさまはくすくす笑って、ベットの隣の引き出しから、その時の記事の切り抜きを取り出しました。
トールはギョッとしています。
「そうそう。緑宝賞を受賞したんですよ。それを報告にきたのよねートール」
「……あーもーいいから。そんな事言わなくて」
何を恥ずかしがっているんだか。思春期の小僧じゃあるまいし。
あ……年齢的に思春期かな?
「まあまあ、トールったらマキア様にそんな口を……」
「あ、いいんですよおばさま。私がそうしろと言っているので」
「……」
トールはやけに口数が少ない。何だかとても変な感じ。
彼は割と、誰とでもある程度会話出来るというか、表面をよく見せるのが得意な方です。
まあ、元魔王と言う誰より高みに居た事もあって、自分より目上の者にもそれなりの意見を言えるのです。
しかし何でしょうね。
自分を産んでくれたこの女性、もとい母親にはこうも口べたなものなのでしょうか。
そう言えば彼は地球に居た頃、自分の両親に対し少し冷めた所がありました。
まあ、あの場合彼の両親にも問題があったのですが。
「…………私、花瓶に水を入れてくるわ」
「は?」
「せっかくあんたが持って来た花だもの、綺麗に飾らないとね」
トールはおばさまの御見舞いに行く時は必ず、白い小ぶりなバラを買っていきます。おばさまのイメージには実にぴったりです。
「まあまあ、いけませんわマキア様。マキア様に水汲みをさせるなんて」
「あらいやだわ、おばさま。私、花をいけるのが好きなだけです。それにこの病院は父の創ったものだもの。私も色々と見て回りたいからね」
私はニヤリと笑って立ち上がり、トールを見下ろしました。
彼は何とも言えない顔をしています。
少し萎れた花の飾られた花瓶を手に取り、おばさまの膝の上にあるトールからの花束を受け取って、いそいそと病室を出ました。
さあ、親子水入らずで語らえばいいわ。
この病院には、花をいける為の水場があります。
私はそこで枯れた花と、まだ元気な花を仕分けながら、しなっとなった、花びらも半分しか残っていない色あせたマーガレットを見つけ、それにおばさまの面影を重ねてしまうのです。
「ねえねえ、サガラームさんの所の息子さん来ていたわね」
「トール君でしょう。ますます良い男になったわねえ」
「きっとサガラームさんも自慢の息子さんだと思っているわね。……だからこそ本当にお可愛そう。トール君は既に知っているのでしょう?」
「ええ……連絡は行っているはずよ」
水場の後ろを行き来する白い看護師たちが、何やらトールとおばさまの事を話しています。
私は少々気になりました。
「ねえ、看護師さんたち」
「!? マキア様、あら、いらしていたのですか?」
「さっきの話、詳しく教えてちょうだいよ」
「……えっと……」
看護師たちはお互い困った様に目を合わせています。
私は少しつばを飲みました。
看護師たちの話によると、おばさまは白魔術を利用した最新の治療をほどこしても、もって半年の命らしい。
末期告知はすでにトールには伝わっているとの事。
「あいつ……」
私は病室へ向かいながら、一つ前の前世で、自分の両親が事故で亡くなった時の事を思い出していました。
トール、あなたは今どんな気持ちなのかしら。
私と同じ様に、何て事無いの?
「ごめんなさいね、トール。こんな、最後まで何もしてあげられなかった母親で………っ」
「……………母さん」
病室の前で立ち止まったのは、部屋の中の会話が聞こえたから。
私はその中に入る事が出来ませんでした。
おばさまは泣きながら、トールに何か言っています。
「あんな小さかったあなたを、煙突掃除夫なんかにしてしまって、学校にも通わせてあげられないで。本当に酷い母親。私はただ家で寝ていただけだもの」
「……違うよ母さん。俺は自分で、働く事を決めたんだから」
「トール……あなたは本当に、小さい頃からそう。優しくて、出来が良くて、まるで私の方が子供みたいに、あなたに慰められている。あの人が戦場で死んだって聞いた時も、あなたは泣きじゃくる私をずっと慰めていた。あなたは泣きもしないで……いいえ、違うわね、あなたは泣けなかったのよね。私はあまりに弱かったから……だからこそ、私は本当に駄目な母親ね」
「……母さん」
長い沈黙があったような気がします。
私が息を潜め、その一秒一秒を意識しながら聞き耳を立てていたので、そう思ったのでしょうか。
「ごめんなさいね、トール。あなたを困らせたい訳じゃなかったのにね。………そうそう、私、あなたに渡したかったものがあるの。父さんの遺品にね、あなたが小さい頃に撮った、家族三人の写真を入れたロケットがあったのよ。私より、あなたが持っている方がいいと思って」
「……そんな、母さん……でも」
「いいから……お守りよ。と言っても、あなたは私たちの力が無くてもオディリール伯爵に認められて、私たちを受け入れてくれたカルテッドにも恩返しをして、名誉ある賞まで受賞したんですもの。こんなもの、ただの重荷にしかならないかもしれないけれど」
「そんなこと……ないよ、母さん。俺は一人の力で今の自分があるとは思わない。父さんが俺たちを守る為に戦場に行って、母さんが俺を連れて、必死になって戦火の中を逃げてくれた。だから、駄目な母親だなんて言わないでくれ。俺にとって母親は、あなただけなんだから……」
「……トール」
私は一つ、思い知ります。
胸に花瓶を抱え、顔に白いバラの柔らかい花びらを当て、その優しい可憐な香りを吸い込み、病室の前で扉に背を当てながら、会話の節々の沈黙に耐えます。
トール、あんたは多分、泣かないでしょうね。
でも私と違って、あんたは少し痛く思うのでしょう。
この白バラのように儚いあんたの母親は、確かに弱々しい頼りない人だったかもしれないけれど、あんたにとっては、きっと今までで一番の母親だったのでしょう。
あんたはずっと、彼女を守っていたのだから。
「あんた……大丈夫?」
「何が」
「いや……おばさんの事。私聞いちゃったから」
帰りの馬車の中で、どこかうつろなトールを伺いながら、私は聞かずには居られませんでした。
「ああ……。ふっ、前世で両親が死んだ後に、全く平気そうだったお前が言う事じゃねえよな」
「私とあんたは違うでしょう」
「違わねえよ」
トールは声を低くして、窓から見えるデリアフィールドの畑を眺めながら、はっきりと言い切ります。
「違わないんだ、俺だって……。あの人は自分が弱かったから、俺が泣けなかったんだって言ってたけど、違う。そんな事で、悲しくなんかならないんだ。父さんが死んだって聞いた時も、また人が一人死んだのかってくらいのもので……母さんだってそうだ。今回は特に、事前に分かっている分、なおさら……気にする事は無い」
「……」
私にはその気持ちが、痛いほど分かる。
私たちがこのくらいで悲しんでいいのか、それが分からないからこそ。
でも、あんたは本当に格好つけのバカな奴。
だってあんたさっきから、おばさまにもらったロケットを開いては、見たり閉じたりを繰り返している。
「私たちは確かに、この世界で新しい親をもって、新しい関係を築くわ。でも……分からないわね。今までの記憶がある分、たまに自分より年下の者を見ている気分にもなるもの。私たちにとって、親って、何なのかしらね」
「……」
私たちは不器用すぎます。
毎回の人生をいちいち区切って、リセットして、全てをやり直す事なんて出来ない。積み重ねていく事しか出来ない。
記憶がそれしか許さない。
だからこそ、今、どういった事を思って、どういった事をすればいいのか、良く分からないのです。
……パチン
ロケットを閉じる音が、やけに耳につきました。